とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

いよいよ始まる新学期

4日(月)

6時に起床。

カーテンの隙間から久しぶりの陽光がチラチラと差し込んできて、机上に光の筋を描いている。

月曜日から天気がいいと、「よし、今週は頑張ろう」という気持ちになれて、ありがたい。

いよいよ新学期の開始である。

私は今学期偶数週は6コマ、奇数週は7コマの受け持ちである。

奇数週は毎日授業が入っているが、偶数週は水・木が終日フリー。

週の中日が「休み」というのはいいね。

もちろん授業がないだけで、私はこの「休み」を利用して、ちゃんと机に向かいお仕事をするのである。

今日はまず10時から1年生の会話が入っている。

一年生のみなさんと教室でお会いするのは、考えてみると昨年9月の「師生顔合わせ」以来である。

このクラスを教えるのは初めてなので、少し緊張しながら教室へ向かう。

こういうときは「最初だからとりあえず自己紹介をします」という流れが一般的なのだろうが、毎年毎年自己紹介をしてきたので、もういい加減にその流れには飽きた。

それに、自己紹介をする時に自分が自分について口にする言葉には「俺が思う俺らしさ」とか「みんなにこう見て欲しい私」がプンプン充満している感じがして、私はあまり好きではない。

なので、今回私から自己紹介を行わないことにした。

そのかわりに、日本語の「5W1H」をおさらいし、学生さんたちにその「5W1H」で私について全方面から質問攻めにしてもらうことにする。

こうすれば学生さんは私についての「知りたいこと」や「興味あること」だけ引き出せる。

それだけでなく、学生さんたちが私について「知りたいこと」や、私に対して望んでいる人物像を、私は理解出来る。

さらには、学生さんたちの質問に答えながら、私が私自身について多種多様な角度から引き出していくことで、自分でも知らなかった「私についての語り方」を発見できるかもしれない。

なによりも学生さんたちに発話や質問の主導権を握っていただく点が良い。

で、どんなことをきかれたのか。

 

「先生はなんで中国に来たんですか」

うん、よく聞かれる質問ですね。自分自身に挑戦するためですよ。

「でも、なんで中国だったんですか」

それはね、中国に来る前の私は中国語も全くできなかったし、中国についての知識や理解がゼロだったからだよ。

ようするに「未知」に身を置くことで、自分でも知らない自分に出会いたかったということだね。

「先生は日本の女性と中国の女性、どちらと結婚したいですか」

自分が好きになったなら異星人でもオッケーだと思うけれど、そういうものじゃないですか? 違うかな。

「麻雀できますか」

大学二年の時はむしろ麻雀しかしてなかった気がする。

「月給はいくらですか」

うーん、なかなか答えにくい質問だね。はにゃらら元以上ほにゃらら元以下だよ。あとは勝手に想像してね。

「安徽料理は好きですか」

もちろん。というか、私には嫌いな食べ物が全くないのです。(バカ舌だから)

「日本と中国どっちが好きですか」

どっちも好きだけど、最近では中国生活が長いせいか、日本に帰るたびに日本を外国のように感じてしまって困っています。

「日本のどこにピカチュウがいますか」

いると思えばそこにいるし、いないと思えばそこにはいないと先生は思う。‘皮卡丘在你心中’(ピカチュウは君の心の中にいる)

「先生は楽しいですか」

楽しいですよ。(なにについてかわからないけれど)

「日本人と中国人を識別できますか」

あくまで私の偏見かもしれないけれど、男だったら頭が「こんな」ふうになってるのが中国人だと思う(サイドとバックを刈り上げる仕草をしながら)

「体重はいくらですか」

いま〇〇キロです(自主検閲)。

みなさんが9月に入学したての頃は今より10キロは痩せてたから「なにがあった?」と気になるよね。

「先生は今私たちに日本の幼稚園レベルのことを教えていると思いますか」

日本語の語彙や発音、文法のレベルのことを指しているのなら、もしかしたら日本の幼稚園児の方が君たちより「高水準」かもしれない。でも、気にするべきポイントはそこではないと私は思います。

だってみなさんは大学生なんだから。

私がみなさんに期待すること、それはいかに感じ、思い、考えたことを、自分の言葉で表現できるかということです。

大学生の日本語運用能力という概念にはそこまで含まれると私は思います。

いくら日本語をネイティブ並にペラペラ話すことができたとしても、心や頭が「幼稚園児」並なら、それは大学生としてアウトではないでしょうか。

違うかな?

「どんな天気が好きですか」

気分次第ですね。

嬉しい時は晴れが好きだし、悲しいときは雨が好き。

自分がひどく悲しい時に外がやたら晴天だと、むしょうに腹が立つのよね。わかるかしら。

「先生はアイちゃんのようなVチューバーに興味がありますか」

Vチューバーそのものが好きなわけじゃないけれど、キズナアイは好きです。

彼女、なんか変だし、私変なもの大好きなので。

 

などなど。 

さまざまな視点から広い範囲に及ぶ雑多な質問を(中国語を交えながら)バッサバッサと捌いていく。

こういうふうに他人から私に向けられた質問と、その質問への私の回答を書き出していくと、「話がくどくて、理屈っぽく、好奇心が強いが、しかし気分屋で飽きっぽい」という人物像が浮かび上がってくる。

それは確かに私が自覚している「私」と被るところがほとんどだが、結果がどうこうよりも、「私はどんな人間?」と自問自答するとき特有の閉塞感が感じられないので面白い。

このような自己理解のプロセスが持つ重要な点は、私によって私自身に自己についての問いかけや提示がなされているのではなく、私が他人からの問いかけへ応答するという形で、問いかける者と答える者(私)を包括しているコミュニケーションの場に、応答態度と応答結果をひっくるめた「私」という人間そのものを提示しているということである。(くどいな)

これまで自己紹介を飽きるほどしてきたし、一方で飽きるほど見てきた。

その経験から思うことだが、「私が思う私」や「私らしい私」という語り口で提示される自己は、大抵つまらなくてありきたりなものになってしまう。

その理由は、おそらくそのような自己表現には「私についての解釈権をみなさんに委ねます」(私だってよくわかんないし)という寛容さや謙虚さが欠けているからである。(もしくは感じられないからである)

その結果、「私」の人物像や評価、人間性をめぐって済々たる他人がそれぞれがそれぞれの視点から「私」について解釈し、探り、「私」を交えて語るような奥行きあるコミュニケーションが展開されにくくなる。

私が「うちの料理はこういうもんだからこうやって食べてください。嫌なら来ないでね」という態度で、食べる手順や方法、秒数まで事細かく指示してくる飲食店が苦手なのも同じである。

確かにそっちはプロかも知れないし、自分の料理について「一番よく知っている」のかもしれない。

だからちゃんと「この肉は片面をサッと5秒炙るだけ」とか「この刺身にはわさびではなく柚子胡椒を」という店側からの細かな指示を守ったほうが、私の好き勝手な食べ方より「おいしい」のだろう。

それはよくわかる。

でも、そうやって事細かに「うちの料理」について「うち」に言及されると、私は息苦しく感じてしまう。

いちいち指示されると、私なりの「解釈」を言外に「あ〜、その食べ方じゃ不味いよ」と言われているようで、あまりいい気分にはならない。

私は「料理」とは一方的なサービスではなくて、作る側と食べる側との双方向的なコミュニケーションだと思う。

そしてそのコミュニケーションの根幹は、「この料理ってこんな料理」という解釈権を「食べる側」にお任せできるかどうかにかかっているのではないかと思う。

その結果生じる「食べる側」のさまざまな反応や行動は、結局のところ「うちの料理」の豊かさや奥深さに繋がってゆくのではないだろうか。

「自己」というものもある意味では「料理」と同じく、自分から他人に向かって差し出すものである。

したがって、自己を他人が解釈する権限を広くオープンにしておくということは、もっとも豊かなコミュニケーションを志向する態度ではないかと思うのだ。

別に誰かを批判しているつもりはないので、そのつもりで読んでいただきたいのだが、たとえば私は「自撮り」が苦手である。

自分で自分を撮るのも苦手だし、他人が自分の自撮りをアップしているのを見るのも苦手である。

別に「うっわブサイク」とか「うげ、ダサい趣味」と感じるから苦手なのではない。(そんなこと思ったとしても、こんなとこに書かない)

それが美人さんであろうがセンス溢れる人であろうが、なぜだかわからないが苦手なのである。

私は最近「なぜ俺はこんなにも『自撮り』と、そのアップに対して違和感を覚えるんだろう」と結構考えた。

ひょっとして私は「自撮り」するに値しないルックスしか備えていないから、嫉妬や妬みを覚えているのだろうか。

そんなことも考えた。

うん、確かにそうかもしれない。

それはあるかもしれない。

もし私が「イケメン」だったら、毎日パシャパシャ自撮りをして、喜々としてSNSにばらまくかもしれない。

しかし、私が自撮りを好きになれない理由は、ほんとうにそれだけだろうか。

ほんとうにそれだけだとすると、あまりに救いがないよね。(ただの僻み根性じゃん)

そんなことを考えていた。 

そのうえで一つの仮説に思い当たった。

それは、私は自撮りから滲み出る「自己による自己に対する注釈過剰」に対して、息苦しさやコミュニケーションの一方通行性を感じているのではないか、ということである。

わざわざテーブルにつきっきりで肉を焼き、切り、とりわけ、味付けまで「教えて」くれる料理店が苦手なのと同じである。

たとえば、自分の作品ごとに「正しい読み方」を「教える」ための自作自注を発表するような作家がいるとしたとしたら(そんなのいるのかどうか知らないが)、私は同じような苦手意識や息苦しさを感じるだろう。

もし仮に自分についての文脈や解釈や切り取り方を他人に委ねることが最もコミュニケーションに開かれた姿勢だとするならば、自分の写真って「自分で撮って他人に見せる」ものではなくて、やはり「他人に撮ってもらうことで、自分を見せられる」ものだという気がする。

しかし、自撮りとは、自分を自分に撮られる被写体として、その構図や衣服、表情、髪型、時、場所にいたるまで全て「自分好み」に設定し、そうして作られた「作品」を「自分好み」に編集・加工したものである。

自撮りを公開するとは、その成果を自分という検閲にかけて「私が思う私」と照合し、認可された結果を他人に差し出す行為である。

おそらく私はそこに充満する「自己についての自己定義」に息苦しさを感じているのだ。
でも、「私」についての評価や解釈や構図がどうであるかという決定権は、結局のところ、私の預かり知らぬところに委ねるしかないのではないだろうか。

しかし実際のところ、SNSは「自分に関する情報を他人に差し出す」というよりも、まるで「公共オフィスにある自分の机に私的な自分に関するものを飾っておく」という使い方をされていることがほとんどので、他人からの異議申し立ては「嫌なら見るな」とか「わざわざ覗き見するなんて悪趣味」という言葉で撃退可能なのである。

しかしコミュニケーションにおいて、私という存在や私という存在のパフォーマンス(たとえばこの文章)の最終的な解釈権は、私だけが独占的に握っているものではないのだと思う。
写真も文章も私を客観的に解釈・判断し、できれば理解してもらう一材料として、私がおずおずと供するものであって、私が私を皆に正しくアピールし理解させるための手段ではない。

写真であろうと文章であろうと、それが自己言及に満ちたものであればあるほど、私は苦手である。

村上春樹は次のようなことを言っている。

 

「ほかのことについてどう考えるかという、姿勢や考え方の中に“あなた”はいます。その関係性が大事なのであって、あなたが誰かというのは、じっさいにはそれほど大事なことではありません」

   村上春樹『村上さんのところ』、新潮社、50頁

 

私は村上のこの考え方を素敵なものだと思う。

私は私を私が「ほかのこと」を考えるなかにしか、見いだせない。

私は私について私自身では「わからない」。

だから私は私について「ほかのひと」の声を通じて知ろうとする。

しかしそれは私が考える「私」を「ほかのひと」に提示し、認可や理解を求めるということではない。

私が「ほかのこと」を考えた結果や、そうやって「『ほかのこと』を考えている私」に対する私そのものが、「ほかのひと」との関係や「ほかのもの」との位置づけにおいてどうであるのか見ることを通じて、「まあ、私ってこんな感じかもね」というふうに把握していくということである。

めんどくさいね。(この文章もめんどくさい)

そういうことで話は戻るけれども、私が「私が思う私」に基づいて自己紹介をするよりも、学生さんたちからの私に関するてんでばらばらな質問に答えていくことで、その答えと答え方を私の判断材料として教室にばら撒くほうが、よりオープンな「自己紹介」だと私は思うのである。

そういう態度で初回の授業に臨んだことと、そのような私への学生さんの反応を振り返ってみると、「まあ、確かに俺ってこういう人間だわな」とおぼろげでわかっていたことではあるが、それでも新鮮感を持って実感できるのだ。

 

 そういうふうに、私についていかなる情報開示がなされるかを学生さんに任せながら授業が進んでいたのだが、60分経過した時点ではっと気づく。

「って、なんで誰も私の名前を聞かないんだろう」

だって、みなさんのお手元の時間割には私の名前書いてないでしょ?

外国人だからって「外教1」(外国人教師1)としか書いてないでしょ。

でもわたしにもちゃんと名前はあるのよ。

気にならない?

まあ、いい。 

幸運にも「外教2」とか「外教3」ではないのだから。

やっぱり名前くらいは自分から名乗らないといけないということなのかもしれない。(そういえば自分の名前は自分で決めたものではないしね)

 

話は変わるが、この前の日記には「親切心」が大事だと書いたけれども、すくなくとも一年生の会話の授業に関しては「親切心」以上に「サービス心」が重要である。

だって、学習歴半年の彼ら彼女らの日本語はまだまだ不自由だし、外国人教師の授業を受けるのも初めてなのだから、こっちが「高み」にたってしまうと学生さんたちは萎縮してしまうだろうから。

コミュニケーションが円滑に動き出してくれるためにも、まずは私が「私は皆さんとコミュニケーションしたいんですよ」というメッセージを、それこそ身体全体から発信しなければならない。

そのためにはどんどん「サービス」することが求められてくる。

答えにくい質問(「給料は?」とか「これまで付き合った彼女の数は?」とか)にも出来る範囲でにこやかに答え、日本語がわからない人間が見ても意味がわかるような大げさなジェスチャーで場を盛り上げ、下手な中国語でジョークも繰り出し、自分の体験した「日中比較論」で好奇心を刺激し、絶えず笑顔を保つ。

そうやって90分間「サービス」に専念したので、へとへとになって事務室に戻る。

会話の授業のあとは頭の疲れというよりも体育の授業のあとに似た疲れを感じる。

まあ、でもみんな笑顔で積極的に日本語を使ってくれたから、とりあえずよかったかな。

 

お弁当を食べて少し休憩した後に、気持ちを切り替えて3年生の「視聴説」の授業に望む。

相手が3年生なので、さきほどまでの「サービス精神」溢れる教師から態度をガラッと変えて、演説をぶつ。

さて、諸君は一年後に卒論執筆を控えているわけだが、論文を書くために必要なものは何だろうか。

なに、知識だって?

なるほど。

では、論文執筆にあたって「私はどんな知識を学ぶべきか」という根本問題を、君はどう決めるのか。

図書館を見ればわかるように、知識は膨大に存在する。

その全てをカバーすることなど人間には不可能だ。

だからそのような膨大な量の知識のなかから「必要なもの」と「必要ではないもの」を見極め、収集し、仕分けていかなければならない。

しかし、そもそも知識を見極め、かき集め、仕分けるための拠り所がなければ、どのような領域で知識を探すか決定したり、「必要なもの」と「必要ではないもの」を判別することは、果たして可能だろうか。

無理だね。

つまり、知識が必要である以前に、知識をかき集めるための拠り所となる「なにか」が必要なのである。

この「なにか」が問題意識である。

料理に例えるならば、「これを作りたい」にあたる。

「これを作りたい」が分からなければ、いくらキッチンに調理器具や香辛料が豊富に揃っていても、料理は作れない。

だって「これを作りたい」が分からなければ、スーパーに行って買い物かごを右手に提げ「さて、何を買えばいいんだろう」と考えたとたん、「何買えばいいんだろ」とフリーズしてしまうからだ。

「これを作りたい」がなければ、材料を仕入れることはできない。

「これを作りたい」があれば、材料の選別や調達が可能になる。

論文において「これを作りたい」は「これを知りたい」と言い換えることができる。

だから問題意識とは「これを知りたい」にほかならない。

ただし、ここでいう「知りたい」とは、みなさんに馴染みのある「本で読んで知識を得たい」という意味ではない。

それだと「これを食べてみたい」にとどまってしまう。

論文執筆における「これを知りたい」とは「自分の言葉や考えで究明したい」という意味である。

つまり料理における「これを自分で作ってみたい」である。

なぜ「自分の言葉や考えで究明したい」かというと、「本で読んだ知識」では、自分が「知りたい」ことへの答えとして、いまいち納得できないからである。

それはつまり、自分の「知りたい」ことへの答えが「本の知識」や「既存の情報」には存在していないということである。

たとえば「カレーを食べたい」と思っていろんなレストランや料理店で食べてみた。 

それらはどれも「おいしい」けれど、今ひとつ「わたしが食べたいもの」ではないと感じはじめた人がいるとする。

じゃあ、彼は「私が食べたいカレー」にどうやって出逢えば良いだろうか。

もちろん「自分で作る」しかないのである。

そういう紆余曲折の上で、人は「じゃあ、いっちょ自分で作ってみるか」と思うに至る。

だから、みなさんも卒業論文を執筆する際には、「自分の知りたいこと」を書籍や他人の業績から仕入れるのではなく、「自分の言葉や考えで究明」するしかないのである。

ここまでくれば、問題意識がはっきりする。

「わたしが知りたいことは未だ存在しない」のである。

それが分かって初めて「問い」や「仮説」を立てることが可能になる。

まずは「私が知りたいことは、なぜ未だ存在しないのか」と問うてみる。

「ひょっとしてこういう原因や背景があるのではないか」と仮説を立てる。

そうすれば、あとはその「問い」に回答ししながら、「仮説」を検証し、修正し、立証すればよいだけである。

そのために必要な材料を「スーパー」や「市場」へ行って、仕入れる。

仕入れた材料を処理しながら、必要な「調理器具」を探りつつ、もっとも旨い料理が作れそうな「器具」や「工程」を探る。

結果的にできた料理が「これまでにないもの」として「食べる人」に認められれば、いっちょ上がりである。

つまり、問題意識さえあれば誰でも論文を書くことができるということだ。

逆に言えば、問題意識がなければ論文を書くことは不可能ということでもある。

問題意識は「なんでだろう」という疑問や「なんか、変」という違和感をかき集めていくことで、徐々に形成してゆくことでしか得られない。

一朝一夕で手に入るものではないよ。

これまでの学生さんを見ている限り、ほとんどの学生さんは4年生の「さあ、卒論だ」という段階になってから問題意識を探し始めている。

それじゃあちょっと遅いと私は思う。

問題意識の自覚には時間がかかるものだからだ。

 

問題意識が自覚できない学生さんは、必要な知識を集める際に自分の興味関心に頼ることになる。

興味関心とは「好きだから」とか「面白そうだから」である。

料理の比喩をしつこく繰り返して言うならば、「好物だから」とか「美味しそうだから」である。

論文を書くことが「好き」や「面白い」をもたらしてくれるのは事実だけれども、「好きだから」や「面白そうだから」だけで論文を書くことができるというのは事実ではない。

日常的な興味関心に過ぎない「好きだから」とか「面白そうだから」では、論考を深めるには不十分だからだ。

「食べたい」理由が「好物だから」「美味しそうだから」にとどまるなら、お店に行って食べればいいでしょ。

だから、多くの学生さんは自分の「好物」や「美味しそう」を基準として、「お店」にいってたくさんの「料理人」が作った「料理」をかき集め、お盆の上に載せて「はい、これが私の料理です」と差し出す。

でも、それってどこが「私の料理」なの?

ただ単に「好きなもの」や「美味しそうなもの」を集めただけでしょ?

それは論文を書く場合も同じである。

とりあえず、自分の興味関心に引き寄せて他人の論考や既存の知識をかき集めて文章を書いても、それは論文だとはみなされないということは覚えておいて欲しい。

そういう文章は「論文」ではなく、「レポート」と呼ばれるからだ。(他人の料理ばかり載ったお盆を「私の料理」とは呼ばないように)

もちろん論文執筆でもレポートを書くとき同様、調べものが必要不可欠なのは事実である。(「私の料理」を作るためには、ほかの人の料理を一通り味わってみることが必要なように)

しかしレポートでは必ずしも必要とはされず、論文では必ず必要とされることがある。

それは「論じること」である。(「論じる文」なんだから、当たり前だ)

では、「論じること」に必要なのは?

そう、「問い」である。

しかも、「自ら問うこと」なのである。

「自ら問う」ためには、日常的な「好き」や「面白い」から出発してもいいけれど、それにプラスして「でも、よくわからない」「だから、わかりたい」を重視しながら、自分の問題意識をすこしずつ作り上げていくことが必要なのだ。

自分の問題意識をすこしずつ作り上げていくためには、日常に転がる些細な「なんでだろう」や、とるにたらないが脳裏を離れない「なんか、変」を、日々大切に拾い上げ、言語化していくしかない。

今学期私が諸君の授業で徹底して強調するのは、そのような地道な作業の大切さについてである。

今学期の諸君にとって、まず大切なのは「考える」ことではない。

「考えるべきことについて探す」ことである。

それは思考以前の段階、「感じる」というレベルが担っている重要な知的課題である。

どうか自らの皮膚感覚を研ぎ澄まし、アンテナを張り巡らしながら、授業で扱う映像や文章を受け取って欲しいと思う。

 

というようなことを滔滔と説いたあとでお見せしたビデオが和牛の漫才だから、その落差たるや。

なぜ和牛を見せたかというと、私が最近ハマっているからである。

「なんだよ、そんな個人的な理由で」とツッコミが入るかもしれない。

しかし「ハマる」のにもいろいろな理由がある。

たとえば「ルックスが好み」だとか「私と価値観が一緒」だとかというだけで「ハマっている」なら、このビデオを教室で流す教育的意義は薄いだろう。

私の「好み」や「価値観」を学ぶ意味など学生さんにはないのだから。

しかし私が彼らに「ハマっている」理由はそういうものではない(と思う)。

私が今自覚している「ハマっている理由」は、単に「なんか説明できない面白さがあるなぁ」と思うからである。

つまり彼らの漫才は単に面白いだけではなく、私の「なんかわからないけど」という好奇心と「説明したい」という知的欲求を刺激する、知的な「なんか」を含んでいるということである。

もし仮に、その知的な「なんか」が私個人の領域にとどまらない普遍性を持つものであれば、このビデオを見せることは知的に教育的意義を持つ。

ということで、「もし俺がゾンビになったら」「彼女の手料理」などをご覧いただく。

結構ウケたようで一安心。

私の見るところ、和牛のネタは日本語の語感や日本文化や日本社会の背景に多くを依っているわけではないし、ブラックジョークや差別ネタを入れ込むわけでもないので、翻訳したうえでも笑いが伝わりやすいものだと思う。(「まだまだ水田」「そこそこゾンビ」みたいに語感にも優れたネタであるのは確かだけれども)

いわば「普遍的な笑い」と言えるだろうか。

 「普遍的な笑い」で私が真っ先に思い浮かべるのはアンジャッシュである。

彼らのコントは「文脈をずらすこと」を笑点にしている。

コントの中で会話しているそれぞれの当人にとっては「当たり前」のことが、俯瞰的に見てみるとすれ違っている様子を観客にメタな視点で提供し、面白みを生み出している。 

なので、たとえ言語が違っても彼らの笑点は翻訳可能なのである。(実際、BiliBIli動画などではアンジャッシュは人気である)

ただ、アンジャッシュのネタには必ずと言っていいほど下ネタが入るので、授業では使えないのが残念である。

逆に「翻訳不可能」な笑いが特徴なコンビとして、今思いついたのがサンドウィッチマンだ。

私は彼らの漫才やコントが大好きで、眠りにつくときに時々流しているのだが、このコンビの笑いのセンスは「ダジャレ」や「音韻遊び」、人名イジリや漫画ネタが中心になっている。

だから、翻訳してもサンドウィッチマン独特の笑いは伝わらないのではないかと思う。

日本語を相当なレベルで身につけていて、なおかつ日本文化や日本社会、日本に関する雑学が相当備わっていないと、彼らのネタの面白みを理解するのは非常に難しいのではないかと思う。

 

 閑話休題

和牛のネタを数本見せて、どんなことでもいいし、考えや答えがまとまってなくてもいいから、自分が感じた疑問や違和感を発表するよう課内課題を出す。

今学期の視聴説で私が重視するのが「問いのシェア」である。

ある対象に対する問いが多種多様であればあるほど、私たちはその対象をより深く理解することが可能になる。

それは単にさまざまな角度から対象を検証することが可能になるという意味ではない。

さまざまな「問い」を一覧的に見てゆくことで、やがて「問い」に対する「問い」が連鎖反応を起こし、「問い」のフェイズが繰り上がるということである。

そうすることで、私たちの思考は(内田樹風に言えば)「垂直方向に」深く深く切り込むことができる。

それに「考え」や「意見」のシェアは批判や対立へと結びつきやすいが、「問い」のシェアはそうはなりにくい。

なぜなら「問い」はスタートにすぎないのであり、そのあとどう進むかに関してはそれぞれの自由裁量に委ねられているからである。

そして「問い」の評価基準は、結局のところ「面白い」とか「鋭い」とか「独特」とかになるのだが、これらが意図するところはその「問い」が「見慣れない、新しい、広々とした知的展開」をもたらしたか(もたらしそうか)どうかというものである。

 

「二軒目どこにする~?」

「カラオケはどう?」

「いいね」

の「カラオケ」部分である。

「いいね」は、要はオープンな展開が予感されるから感じられるのだ。

もちろん店選びに失敗して「冷める」ことは十分にありえるが、それは段取りにとちったからであって、「カラオケはどう?」という提案そのものの問題ではないのである。

 

私は「問い」の質を評価することは、予備知識抜きの感覚で行われてもけっこう適切に下せるのではないかと思っている。

「学び合い」という点では、ディベートなどよりもむしろ「問い」のシェアを活発に行った方が良いのではないかとも思う。

テーマが定められ二元的に展開されるディベートでは、「賛成反対」が存在する知的次元以上の知的パフォーマンスを展開することが無理だと思うからだ。

もっとも根本的で創造的な知的パフォーマンスは、「賛成反対」が成立している知的基準を根本から覆し、そこで「賛成反対」論じていた人間をひとまとめにゴミ箱に叩き込むようなかたちで姿を現す。

そのような知的パフォーマンスの来源は、結局のところ「こいつら賛成反対いってるけど、同じ基準でじゃれあってるだけじゃないの?」という感覚であり、その感覚から飛び出す「あなたたちがいっていることよくわかんないけどさ、それって~じゃないの?」という「問い」である。

その「問い」が根本的であればあるほど、その「問い」によって現在の議論の向こう側に広広たる未知の世界が広がり、現在の「賛成反対」がいっきに「とるにたらない」知的課題としてゴミ箱に叩き込まれるのである。

 

それはさておき、和牛の漫才を見た学生さんたちが出してくれた疑問や違和感の一部がこちら。

 

①ユーモアと屁理屈にはどんな違いがあるか

②どうして屁理屈は理屈に合っているのに他人に不快感を与えるのか

③屁理屈と理屈の違いは何か

④「理屈っぽい交流」と「論理的な交流」の違いは何か

⑤もし水田さんの屁理屈を実際に彼氏に言われたら不快なのに、漫才の形式になるととても面白いのか。

⑥なぜふたりの服装は普段着とスーツというように非統一なのか

⑦どうしてふたりの人間の衝突に富む漫才に私は笑わせられるのか

⑧水田さんがゾンビになったあとの「ポー」は音で、ゾンビになる前の「鳥と豚あるけどどっち食べる?」は言葉だが、何を以て「音」と「言葉」が区別されるのか

⑨互いに本当の意味を隠した(心地よいが実はわかりにくい)会話をするのはなぜか

⑩どうして他人の気持ちを理解できない人間が存在するのか

 

などなど。

ふむふむ、面白いね。

①から④は「屁理屈とは何か」について自分なりに理解し表現できるようになることを問題解決の「登山口」とするのが一番正攻法だろうか。

当然そこには「コミュニケーション」に関する論考が求められてくる。

だから、「問い」に対して「問い」を重ねることで、より根源的なフェイズに問題を発見できるかもしれない。

⑤も「屁理屈」や「コミュニケーション」に関係するけれど、それにプラスして「漫才」や「お笑い」という文化行動に対する考察も関わってくる。

⑥⑦もそうだね。

⑧はまさに言語学の領域の論題だと思う。

「音」と「言葉」、そして「意味」についての根本的問題については、たぶんたくさんの古典的名著や研究があると思うから、調べてみるといいかも。(私は専門外なのでわからないが)

⑨⑩もコミュニケーションに関する問題。

これに答えるには、この問いが出てきた背景にある自分自身の問題意識を、もう少し掘り起こす必要があるのではないかと思う。

 

今授業では言い忘れてしまったことだけれど、内田樹が言うところの(今回はよくご登場願うなあ)「『資料が整い合理的に推論すれば答えることのできる問い』と、『材料が揃っていても軽々には答えの出せない問い』と、『おそらく決して人間には答えの出せない問い』については三色ボールペンでアンダーラインを引き分けるくらいの節度」についてはちゃんと説明しておかないと、この進め方だといたずらに学生さんを混乱させるだけかもしれない。

これまた内田樹がどこかで書いていたように、「根源的な問題」とは、その問題について語る言葉そのものがその問題に含まれていたりするからだ。

たとえば「問とは何か」と問うように。

こういう問題を考えるときには、それなり知識や方法論が手元に揃え、慎重さを心がけなければ、簡単に「禅問答」や「堂々巡り」に陥ってしまう。

それじゃ卒論は書けない。

だから「問い」の見極めも大切だと説明しておかなければなるまい。

気を付けよう。

 

いかにズボラでも最低限持つべき「親切心」について

3日(日)

曇り時々雨。

寒い。

日本から帰ってきてからというもの、合肥はずっとこんな天気である。

街全体の雰囲気が「灰色」だ。

こんな天気が続くと心も晴れないし、ベランダの洗濯物や「干し魚」(焼酎のあて)も乾かない。

そろそろ太陽が恋しい。

 

今日は桃の節句(ひな祭り)である。

ご存知のとおり、桃の節句は中国五節句のひとつである。

「上巳の節句」とも呼ばれ、もともとはこの時期の代表的な植物である桃の力を借りて、邪気を祓う日であった。

この日に川で身を清めるという中国の風習が日本に渡って、流し雛となり、やがて現代のひな祭りの形に発展していった(とどこかで読んだように私は記憶している)。

このように桃の節句は本来中国の伝統的な節句のはずだが、私が知る限り、現在の中国人にとって3月3日はあまり特別な日ではないようである。

だから、今日はただの日曜日。

私にとっては「いよいよ明日から新学期」の日曜日である。

この仕事を始めて6年目だが、長期休暇が明けて「さあ、明日から授業だ」という段階になると、今でもちょっと緊張する。

「久しぶりだからうまく喋ることができるかしら」と不安になるのである。

私は基本的に授業では教科書を使わないので、教壇の上で頭が「真っ白」になったら「終わり」である。

なので朝から大学に行き、先日から書き続けている原稿を仕上げながら、授業の準備をする。

原稿の方はとりあえず書き上げた。

ふー。

組版をするので出版社に送るが、原稿の変更はしばらくは可能だということなので、内容の吟味や推敲はあとあとじっくりすることにする。

内容については数日寝かせておかないと判断できないのでしばらく気にしないことにするが、語り口というか文体というか、つまり「どう語るか」の問題が気になっている。

自分で読み直して思ったが、今のままだとちょっと「教師臭さ」が残っている。

教科書なので別にそれでも構わないのかもしれない。

しかし、教科書に載っている「教師臭い」文章は学生のみなさんに読み飽きられているだろうから、このままの語り口だと「ふん」という態度でさらっと読み流される恐れがある。

かといってあまりに親しみを込めすぎた語り口を採用してしまうと、「うわ、こいつなんか馴れ馴れしい。こっちくんな」と忌避される可能性もある。

さらにいえば「日本人の筆者」感を残すか消すか、それとも思い切って「中国人の筆者」になりきって書くかという問題もある。

それらの課題をこれからじっくり考えるのである。

村上春樹が「文章を書く際に大切なことは『親切心』です(『サービス心』ではなくて『親切心』ですよ)」みたいなことを書いていた。

私はプロの物書きではないが、これは物を書くときの大切な心構えだと思う。

「サービス心」で文章を書いてしまうと、「わかりやすく書こう」と思うあまりに却って読み手を「子ども」扱いしたり、無意識に受け手を「バカ」だと想定したうえで、言葉を紡ぎだしたりしてしまう恐れがある。

それに「サービス」が目的なら、こんなにたくさんの娯楽やエンタメが満ち溢れた今の時代、別に自分で頭を悩ませて文章を書く必要性も薄いのではないだろうか。

活字離れがとやかく言われるが、テレビやらユーチューブやらが登場し、新たな「サービス」を提供してくれるようになったことで「わわっ!」と雪崩を打って本を放り捨てるような人間は、作家が「親切心」を傾ける対象にそもそも含まれていないのだと私は思う。

それに文章を書くという行為は、自分では上手く消化できない個人的な「なにか」をとっかかりとするものである。

私は作家ではないが、これに関しては自信を持ってそう言える。

現に私はそうやってここに文章を書いているわけだから。

私のなかに今の自分の手元にある語彙や枠組みでは「はい、これ」とすっきりしたかたちで取り出すことができない個人的な「なにか」が存在する。

その「なにか」をかたちにして拾いあげるために、数ある言葉のなかから「まあ、こんなものかな」と適切な言葉を選び、そうして選んだ語句を何度も何度も並びかえ、自分にとって心地よい音韻の響きを探りながら、私たちは文章を綴っている。

だから、文章を書く際に求められる「親切心」とは、まず第一に「自分の書き物の最初の読者」である自分自身に対する心配りだと思う。

その心配りのきめ細かさや度合いによって、結果として「他人に読んでもらえるかどうか」「ほかの人に伝わるかどうか」が決定的に変わってくるのではないだろうか。

すくなくとも自分の文章の読者として私は、書き手の私にたいしてそうあって欲しいと望んでいる。

そしてそれは私次第でどうとでもなるのである。

 

今回書いている文章は教材用のものなので、やはり大切になってくるのは説明の「わかりやすさ」である。

学習者にある程度深い観察や考察を促すための導入となるようなトリッキーな要素ももちろん求められるけれど、その「トリッキーさ」も、あくまで「ふふふ、でも実はもっと深いものがあるんだよ」ということをお知らせするという意味では、結局は説明なのである。

ここのところちょくちょく引用している橋本治の本の中に、こんな箇所があった。

 

 私の中には、「お前はよくそれで作家なんかやってられるなー」と思われる要素がいくらでもあるが、私は「単調な説明」が大っ嫌いなのである。そこに、なんらかの「芸」や「遊び」が入らないと、つまらないと思う。

(中略)

 「対象をきちんと書く」ができていなかったら、「それを見る私の気持」なんかは伝わらない。「説明」は小説の基本で、「説明をする」がすべてでもあるような「実用の文章」なら、これはもっと重要である。「簡にして要を得た」とは、この説明が「きちんとできている」なのである。ところがこの私には、長い間「小説家になろう」なんていう気がなかった。それ以前に、「文章を書きたい」という気がなかった。その逆の、「文章なんか書かないですむんだったら一生書きたくない」は、いくらでもあった。そんな人間が作家になってしまうから、話は面倒になるのである。

  私は根本のところで、「説明なんかめんどくさい」と思っている。作家というものを、「書きたいことを勝手に書いていればいい人間」だとしか思っていなかったから、すぐに挫折してしまったのである。「文章で説明する」という「必要」も「修行」も「心構え」も、その以前の私にはいっさいないのだから、「単純なる説明」ですむものを、私は「楽だ」とは思わず、「面倒だ」といやがるのである。

(中略)

 作家というのは、「文章で人になにかを説明する職業」なのだから、「語るべきことを相手の理解に届くように語る」は、作家の基本である。それができての「作家」で、「えらそうなことを言うから作家はえらい」ではないのである。

橋本治『「わからない」という方法』(135、138、140頁)

 

橋本の「『単調な説明』が大っ嫌い」というのは、ズボラかつ気分屋の私には非常に共感できる。 

先に述べたように、私が普段書いている文章(今こうやってご笑覧頂いている文章のことね)は、あくまで私が私の雑感や片付かない思いを私自身に説明するために書いているわけであって、別に誰かを説得しようとか世に何かを問おうとか、そういう大それたことを目的としているわけではない。 

だから、「説明なんかめんどくさい」と思ってしまえば、特に困る人間や支障が出るプロジェクトが存在しない以上、いくらでも省略可能である。 

実際「あーめんどくさ」と思うことがしゅっちゅうあるし、説明を省略することがよくある。

そういう意味では、自分に読ませることを目的として文章を書くというのは「自炊」と同じようなものだ。

自炊には「あーめんど。省いちゃえ」が許される。

自分の胃袋に収まるものを自分で作る作業だからだ。

しかし、自炊はあくまで自炊であって料理の一部分に過ぎないし、「自炊できる人間」と「料理人」も違う。

そのことを忘れてはならない。

橋本が以前抱いていたという「書きたいことを勝手に書いていればいい人間」なる作家像を拝借して比喩にかまけるならば、料理人を「食べたいものを勝手に作っていればいい人間」と捉えるのは不適切であるということだ。

「食べたいものを勝手に作っていればいい」のはあくまで自炊の話であって、料理全般に当てはまるわけではない。

自炊は自分で台所に立って自分の胃袋を満たすものを作り上げれば自分ひとりでも成立するが、料理は自分が作ったものを「これ、おいしい!」と言って食べてくれる他者が存在しなければ成り立たないからだ。

特に他人に供することを目的としているわけではなく、ただ自分の口に入れることを目的としているならば、自分の都合に応じて作業工程はいくらでも省ける。

「あ、みりん切れてる。買いに行くのめんどいな。ま、酒と砂糖でいっか。別に照りを出す必要も感じないし」とか「あーエビの背ワタ取るの面倒くせー。まあ、とらなくて別にいっか」というふうに、「あーめんど」に応じて「別に」いくらでも楽できる。

しかし今回頂いた仕事はそうはいかない。

なにしろ教材である。

具体的な受け手が存在するのだ。

「わかりにくい」と言われないためには、やっぱり「親切心」をフルに発揮して文章を綴り、推敲を重ねなければならない。

勘違いしやすいが、それは「みんなに面白いと思ってもらう」ことや「全員を納得させる」を目指すものではない。(んなもん、無理だと思う)

私なりに「エッジを効かせた」箇所や、意図して繰り出した「トリッキーさ」を、「おまえの書いていることは変だ」と思われることそのものは別に全然構わない。

「つまんね」と思われても、まあ仕方がない。 

それでも「ああ、なるほど。そういう見方もあるね」と最低限納得していただくための道筋や、あとあと「今考えればあの文章おもしろかったな」と感じていただくための可能性だけは用意しておきたいのだ。

そのためには「情理を尽くして」(by内田樹)キーボードを叩く必要がある。

とはいえ、別に「情理を尽くす」ために金を出して「超高級食材」を使ったり「プロも驚く包丁さばき」を身につけるような「サービス心」は必要ない。

今の自分に可能な範囲の「食材」と「技量」で、ベストのパフォーマンスを見せればいいだけである。

まあ、しかし、それがいちばん難しい。

「あーめんど」や「別にいっか」との戦いだからである。

私はかなりのめんどくさがりであり、ズボラであり、怠け者である。

だから、常に「あーめんど」と顔を合わせているし、結構な確率で「別にいっか」になびいている。

日常的に「自炊」するが、「めんどい」ときは「ま、別にいっか」で工程を省いたり、ひどく「めんどう」な場合には「自炊」すらしない人間である。

でも、「あーめんど」と戦いながらも、せめて人様に料理を作る際に「みりん」が切れてたら「照り」を出すためにスーパーへ走り、「臭み」を感じさせないために「エビの背ワタ」をとるぐらいの手間暇をかける人間ではありたい。

そういうのが「親切心」だと思う。

私はふだん「自炊」ばっかりなので、そういう点から言えば、このお仕事はとても良い経験である。

ただただ感謝である。

 

 

日記

25日(月)

9時に起床。

奥田民生を聴きながらキャンパス内を軽く一時間走ったあと、ガスコンロで鍋いっぱいにお湯を沸かし、お風呂に入る。(事務手続きの関係で給湯器はまだ直っていない)

2週間遊び惚けていたので、午後から大学に行き仕事をする。

2週間ぶりに会ったO主任に「実家でご馳走ばっかり食べていたので、ちょっと太りましたね」と言われる。(うぅっ)

確かに思う存分食べて飲んでの毎日だったが、それでも毎日最低6キロは走ってたんだけれども。

とはいえ、帰国している間に体重が増えたのは客観的事実である。

考えてみると、休暇前半で落とした3キロを後半きっちり取り戻した計算になる。

授業が始まったら規則正しい生活が戻ってくる。

その機に乗じてなんとか5キロは絞りたい。

なに、簡単なことである。

日々適度な運動をして、お弁当を作り、夜は野菜をいっぱい食べ、酒量を減らすだけでいい。

そう、本当に「簡単なこと」である。

そしてその「簡単なこと」が非常に難しいのである。

 

気を取り直して仕事にかかる。

教材のなかに入れるコラムというか、ガイダンス的な短文を約30課分書くお仕事をいただく。

文量はそう大したものではないのだが、テーマが幅広いし、多い。

とりあえず気分が乗ったものから取り掛かる。

アイディアが浮かべば一課あたり数分程度の一筆書きでパパっと終わるのだが、浮かばなければ何も書けない。

ただパソコンの前に鎮座し虚空を睨むだけである。

難しい。

あー難しい。

難しい。

 

26日(火)

前日に引き続き文章を書く。

難しい。

私の思い感じることを好き勝手に書くだけならばいくらでも書けるのだが、これは教科書用の文章である。

したがってある程度の一般性が求められる。

しかしあまりにも一般的なことを書いてしまうと、面白くない。

学生さんが読んでも面白くないだろうし、なにより書く私自身が読み返しても面白くない。

別に「私らしいこと」を書きたいわけではない。

むしろ私が自覚している「私らしいこと」は、読む私にとっては既知の情報なので、そういう意味で「私らしいこと」が書かれた文章は私にとって読んでつまらないものである。

書いた本人ですら「これ面白いけれど、誰が書いたんだろう」と思うようなものを書きたい。

そのためには「私らしくない」視点や「今の私にはなじみがない」角度を、書きながら発見しなければならない。

だから、教材として通用するような一般的なことを書きつつも、ある程度「でも、こういう見方もできるよね」とか「でも、それってどうなんだろうね」と自分自身をハッとさせるようなエッジを効かせた部分も欲しい。

となると、それぞれのテーマごとにある程度「普通じゃない」切り口を見つけないといけない。

これが見つかればサラサラと書けるし、見つからなければとろとろと一般論を綴ったり、自分でもわかりきった持論を語るしかない。

これはあまり面白くない。

どうせなら自分で読んで「お、なかなか面白いこと書くじゃん」と思いたい。

「まあ、こんなもんだろうな」と「一般論」をかき集め、結果的に誰も得しないし幸せにならない文章を書いてしまうのは、なにより書き手自身にとって悲劇である。

ここまで書いて、昔こんなことがあったことを思い出した。

あるとき、学生さんたちを自宅に招き料理をふるまう機会があった。 

さて、彼女たちに何を振舞うべきか。

「日本人教師だから日本料理を作るべきだろうな。一般的に日本料理といえば、やっぱりすき焼きかな?」

そう考えた私はすき焼きを作ることにした。

そうはいうものの、実は私自身は甘いものをあまり好んで食べないので、すき焼きが特に好きなわけではない。 

激辛の本場重慶で3年過ごしたこともあり、一番好きな鍋料理は重慶の激辛火鍋である。 

だからすき焼きを自分で作った経験はほとんどなかった。

それでもインターネットでいろいろ勉強し、学生さんに振舞うことにした。

食材も奮発し、生でも食べられそうなほど新鮮で良い牛肉を用意した。

同僚のある先生は「先生が手作りしてくれるなら学生さんも嬉しいでしょうね」などと言ってくれた。 

私自身料理は好きなので「ま、大丈夫だろう」と思いながら学生さんたちを迎えたのである。

しかし、である。

私のすき焼きを食べた学生さんたちの反応はイマイチだった。 

作って出したこちらが気の毒になるほど私に気を使って食べてくれていたが、明らかに全身から「あの、これ美味しくないんですけど……」というオーラがばんばん放たれている。

しかし、作った私が言うのもなんだが、可もなく不可もない普通のすき焼きである。 

味付けや食材だって日本では一般的なものだ。 

なのになぜ? 

ひとつピーンと思い当たることがあったので、もしかしてと思い、恐る恐る聞いてみた。

「ひょっとして、甘すぎる?」

学生さんたちはみな困ったような表情で、揃って首をコクコクと縦に振った。

「中国人にとっては、甘すぎます……」。

そう、やっぱり彼女たちにとって日本の一般的なすき焼きは甘すぎたのである。 

その気持ちはわかる。 

だって、一般的な日本人が好きかどうかなんて関係なく、私自身「日本の一般的なすき焼き」は甘すぎると思うからだ。 

だからこれまですき焼きを自ら好んで作りはしなかったのだ。

終わってみれば、誰も幸せになることがない食事会だった。 

こんなことなら難しいことを考えず、自分が大好きな激辛の火鍋を作るべきだった。 

そうすれば少なくとも私はおいしく食べられただろうし、馴染みがある料理だから彼女たちも喜んでくれたかもしれない。

私は(信じられないかもしれないが)けっこう素直な性格なので、けっこう反省した。

そして考えた。

結局のところ、私は「一般」や「普通」という言葉を使うことで、自分の頭で考えることを放棄していたのではないだろうか? 

目の前の物事を自分で見つめる努力をしていなかったのではないだろうか。 

私はこうして自らの愚かさを深く反省し、爾来何かをする際には一般や普通に逃げず自分自身の感覚と思考を大事にしようと、固く誓ったのである。 

 

こういう文章ならさらさら書けるのだけれども。

 

27日(水)

ガキ使の「みんなで長渕を歌おう」を見る。

長渕剛の「とんぼ」を10フレーズに分け、集まった10名の芸人が事前の相談もなしにそれぞれが歌いたいフレーズをひとつずつ歌ってリレーしてゆく。

一度も他人と被ったり、逆に誰も歌わない空白地帯を作ったりすることなく、最後まで歌いきれるかどうかという企画。

あらためて「とんぼ」は名曲だと思う。

中国語では小虎队(xiao3hu3dui4)というグループが「红蜻蜓」(hong2qing1ting2、赤とんぼ)というタイトルでカバーしている。

中国語版は失われた幼童時代を懐かしむ歌詞になっているが、原曲はご存知のとおり夢見る青年の挑戦や挫折を歌っているので、同じ曲でも雰囲気がだいぶ違う。

私は中学時代強烈な「アンチ巨人」だった。

なので、長渕のこの名曲も最初は清原の出囃子としてのみ捉えてしまい、あまり好きにはなれなかった。

大学進学を機に鹿児島で生活し、そのあとも私なりに挑戦とか挫折とかいろいろ経験を重ねていく中で、すこしずつ「とんぼ」の良さが少しずつ理解できるようになってきた。

ガキ使のこの企画も根本にはこの曲への愛着があるように感じた。

最後の最後で「とんぼ」をみなで歌いきることに成功し、謎の感動を覚える。

 

28日(木)

引き続き文章を書く仕事をしながら、気分転換に本を読む。

このところ以前も引用した橋本治の本を少しずつ読み進めている。

今日「いいなあ」と思った箇所はこういうの。

 

「わからない」を口にしたくない人間は、見栄っ張りの体裁屋である。「他人がやり、自分もやらなければいけないことなら、そんなにむずかしいことではないのだろう」と勘違いしてしまう。だから、「わからない」を探さない。それを探すのは「できない自分」を探すことになって、「できる」とは反対方向へ進むことだと考えてしまう。しかし、「できる」とは「できないの克服」なのである。「克服すべきこと」の数と内実を明確に知った方が、よりよい達成は訪れるーーその達成までの時間は、ある程度以上必要ではあろうけれど。しかし「わからない」を探さずに「わかる」ばかりを探したがる人に、その達成は訪れない。自分が「わかる」と思うことだけをテキトーに拾い集めて、いかにも「それらしい」と思えるものを作り上げるーーつまりその達成は、「似て非なるものへと至る達成」なのだ。 
「わかる」とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。普通の場合、「わかる」の数は「わからない」の数よりもずっと少ない。だから「暗記」という促成ノウハウも生まれる。数少ない「わかる」で再構成をする方が、数多い「わからない」を掻き集めて再構成するよりもずっと手っ取り早いからである。手っ取り早くできて、しかしその達成は低いーーあるいは、達成へ至らない。「急がば回れ」というのは、いかにも事の本質を衝いた言葉で、「効率のよさ」と「効率の悪さ」は、実のところイコールでもあるようなものなのである

(橋本治『「わからない」という方法」』104、105頁)

 

これ以上の贅言を要しない、グウの音も出ないほどの正論だと思う。

私が「そうだよな」と思ったのは、「『できる』とは『できない』の克服」という一文である。

あまりにも当たり前すぎていて忘れかけていることではあるが、「できる」とはまっさらな状態にゼロから何かを積み上げていく作業によって可能になるわけではない。 

「できない」という負債を負ったマイナス地点から何かをスタートさせることでしか「できる」には到達できないのである。

このことを銘記しておかなければ、何か新しい事を学ぶたびにちゃちゃっとかじっただけで「あーこれできない。おいらには向いてないや」とか「まあ、結局あたいにはセンスがなかったってことよ、ははは」とかいう言葉を繰り返し続けてしまう。

気をつけなければ。

 

1日(金)

休暇ボケが最高潮に達している。

なぜか今日私は「おっと、今日は土曜日か」と思い込んでいた。

「あー、もう明後日から仕事か。大変だな」とブルーな気持ちで一日を過ごしていたら、午後10時を回ろうかというときに「あれ、今日って金曜日だったのか」と気づいた。

もちろん客観的にはなんの意味もないのだが、私個人の心持ちとしては「やった! 週末が一日増えたぜ」である。

ほんとうに何の意味もないのだが。

 

2日(土)

せっかく「週末が一日増えた」ので、大学に来て仕事や新学期の準備をする。

事務室に出向くと私の机の上に一年生の名簿が置かれている。

今学期は一年生の「日本語会話」を担当するからである。

一年生の授業を担当するのは、前任校にいた時以来。

おそらく3年ぶりだ。

そのときは入学したての1年生向けに「日本語発音・アクセント」の授業を担当した。

もちろん受講するのは入学したてのほっかほかな新入生諸君なので、日本語ではなく中国語で授業しなければならなかった。

しかも「日本語発音・アクセント」は私の専門分野ではない。(まあそもそも日本語教育自体専門ではないのだが)

必死こいて勉強して準備した記憶があるが、それはそれとして……。

幸いなことにちゃんと授業を進めることはできた。

しかし、入学時に中国語で授業をしてしまったせいで(まるで雛鳥が初めて見た動くものを母親だと思いもんでしまうというローレンツの「刷り込み」のように)どうやらこの学年の諸君にとって私は「中国語で会話をする対象である」と刷り込みが行われてしまったらしく、ある程度日本語を喋れるようになったあとも中国語で話しかけたり連絡してきたりするようになってしまった。

外国人教師が学習者の母国語を喋れる(うまいかどうかは問わず)というのも考えものである。

私個人の経験を振り返ってみれば、すくなくとも会話を教えるという方面で「外国人教師」としていちばんお役に立てていたのは、大学院を出たての教師として中国に来た直後の中国語能力0状態にあった時ではないかと思う。

今よりは若かったので学生さんたちとの年齢差もそんなになかったし、中国での生活能力がゼロだったから、多くの学生さんが自分たちから日本語を使って話しかけたり、助けようとしてくれた。

しかしある程度中国で過ごすうちに、中国語能力がどうこう以前に「おいら、もう中国に慣れてるもんね」というオーラが出始めてしまうことは避けられない。

経験を積めば積むほど、初々しかったころの「あーん、ぼくここでは右も左もわからないよお」というオーラが薄れてしまい、学生さんに「あかん、こいつ助けてやらんとね」と思わせるようなおぼつかなさが消え去ってしまう。

もちろん外国人が自国の文化や生活に溶け込んでいる様子を示すというのも多分に教育的であるとは思う。(高架下のうるさい焼き鳥屋で熱燗煽りながら大将と日本語で談笑する外国人なんかをイメージすると、私は「キュン」とくる)。

しかしあまりに溶け込み過ぎてしまうと、はたして「外国人教師」として求められる基本的な役割を果たせるのだろうかとも思う。

まあ、それは私ではなく周囲の方々が判断を下して下さるだろうから、私は私にできる仕事をし、私なりの役割を果たすまでである。

 

で、話は戻るが、今学期は1年生の会話の授業がある。

すでに1学期日本語を勉強しているので、できるだけ中国語を使わずに授業を進めたい。

しかし、ちょっと難しい問題がある。

もらった名簿を見る限り、ひとクラス40名もいるのだ。

会話の授業にしては学生数が多すぎる。

さーて、どうしよう。

まあ、とりあえず自己紹介からだな。

 

5時過ぎには家に戻り、公園へいって1時間ジョグ。

家路にて近所にけっこう賑やかな市場があったことに初めて気づく。

さっそく冷やかし程度にうろうろ。

鳥のキンカン(卵巣)とモツの煮込みが美味しいそうだったので、晩酌用に購入。

あとはピーマンと長ネギとほうれん草を買って帰る。

お風呂の支度をしながら、「ピーマンと塩昆布の和物」「ほうれん草のおひたし」「長ネギと小エビのごま油あえ」などを作成。

お風呂に入ったあとにチューハイとともにいただく。

野菜をたくさん食べないとね。

明日は朝から原稿を書くので、0時前には就寝。

 

 

 

日本滞在記(回想録)

11日に日本に帰国した。

滞在中もブログに日記を書くつもりでいたのだが、いろいろバタバタしていてゆっくり落ち着いた状態でパソコンを開く機会がなかなか訪れなかった。

そうやって「あーブログ更新せんとなあ」と思いながら一行の日記も書かないまま過ごすうちに出国予定の24日となり、とうとう中国に戻ってきてしまった。

アップすることがなかったのではない。

アップしたいことやアップすべきことはたくさんあったのだが、忙しかったのである。

書いていなかったのではない。

走り書き程度にはいろいろと記録していたのだが、それを読み直して表現をいじったうえでアップロードする余裕がなかったのである。 

そんなに肩肘張るような文章ではないし、ここにアップされる文章を期待して読んでいる方が居るかどうかもわからないのだが、それでも殴り書きしたものを載せる気にはなれないのだからしかたがない。

要するにそれぐらい忙しかったのだ。

忙しいとは言っても、別に部屋に閉じこもってバリバリ仕事をしたり、あちこちを旅行していたわけではない。

むしろ、実家を中心とする半径5kmの円の中でほぼ毎日を過ごしていた。

特別にどこかへ遊びに行ったのも、日本に帰国した日の夜に博多の夜を楽しんだのと長崎にランタンを見に行ったぐらいである。

ではそれ以外の日に何をしていたのか。

簡単に言えば「走る、歩く、食う、飲む、寝る」である。

ゆっくり朝寝をし、実家近くの海岸沿いをすたこら走り、シャワーで汗をすっきりながしたあとに日が暮れるまで読書に勤しみ、夕食時になると毎日新鮮な魚介類をたっぷりほおばり酒で流し、眠くなったら寝るという、たいへん非生産的ではあるが極楽気分のルーティーンをこなす毎日であった。

すこぶる極楽気分で愉快な二週間を過ごしていたのだが、もうすぐ新学期が始まるので、頭を使い物になる状態に戻さなければならない。 

なので、しばらく物置の奥に放り込んでおいた「文章執筆モード」を引っ張り出し、そのチェックもかねて、帰国した11日からの日記を綴っておく。(備忘録というより回顧録として)

 

11日(月)

移動日。

合肥から福岡まで行く。

空港までの移動も考え、6時に起床。

春節明けから昼過ぎに起床する癖がつきかけていたので、前夜は「焼酎の豆乳割り」をぐびぐび飲んで、半ば無理やり就寝した。

いくらなんでもぐびぐび飲みすぎたので、ちょっと気持ち悪い。

二日酔いに耐えながらのそのそと荷造りをして、地下鉄と高速バスを乗り継いで新橋空港へ。 

まずは十二時半の飛行機で上海へ向かう。

合肥と日本とのあいだには直行便が無い。(以前は春秋航空の名古屋便があったんだけど)

せっかく久留米市と姉妹都市なんだから、福岡への直行便があれば良いのに。

早めにチェックインを済ませ、何事も無く順調に機上の人となる。

たいした遅延も無く、機内で仮眠をとっている間に浦東国際空港に到着。

荷物は福岡まで通しで運んでくれるので、ちゃちゃっと出国手続きを済ませ保安検査を受ける。

金属探知機を通り抜けると、そこに立っていた係りのお兄さんに靴まで脱ぐよう言われる。

まあ、確かにちょっと厚底のブーツを履いていたから、靴の中に何か隠していないかチェックしなければならないのだろう。

おとなしく指示に従い脱いだブーツを手荷物と一緒にスキャンにかけているあいだに靴下でぺたぺた歩き検査を通過する。

こうして晴れて「出国」はしたものの、福岡行きの飛行機まであと3時間近くある。

せっかく国際空港に来ているので、運動を兼ねて空港内を歩き回る。

こうして多種多様な文化や国籍の人々が混在する様子を観察していると、ある程度日本人のクセや嗜好が浮かび上がってくるような気がして、中国人と日本人とを見分けるポイントがなんとなくわかるような錯覚に陥る。 

若い男の場合、中国人と日本人は髪型で結構見分けがつく。

サイドやバックを素直に刈り上げている場合、中国人であることが多い。

逆にツーブロックを入れたり、長く伸ばしたりしている場合は、日本人っぽい。

若い女性の場合、髪型に関しては、私の目にはそう大した違いがわからない。

しかし、なんというか、たいへん抽象的な表現になるが、日本人の若い女の子の場合、雰囲気が「ふわぁー」としている。

被っているニットやかけている眼鏡、身につけている小物が同じように見えても、中国人女性の場合、ちょっと「きっ!」というイメージを受ける。 

なんでだろう。

で、今回新たに気づいたこと。

日本人の若い女性は、コンバースやうす底のスニーカーを履いていることが多い。

対して中国人女性はヒールやごついブーツを好むらしく、スニーカーを履くにしてもけっこう厚底なものを好むことが多いようである。

などと空港内を散歩しながら観察し考えていたが、「あ、傍から見ると俺って不審者じゃん」と思ったので、そのあとはおとなしく本を読みながら時間をつぶす。

 

飛行機は定刻通りに飛び立ち、定刻通りに福岡空港に着陸。

入国審査に望む。

日本人向けに審査がオート化されていて、機械にパスポートの顔写真ページを読み込ませたあとにカメラで実際の顔と照合すれば終わりという完全セルフ式になっていた。

列に並んで押印してもらう必要もなく、数秒で済むし、これは簡単。

でも、私が中国に帰るたびに払わなければならなくなった1000円の「出国税」の事を考えると、うーん。

それに私は中国に居住・就労し、中国で所得税を納めているので、日本向けにそのことを証明する際に出入国のスタンプが必要なので、どのみち押印してもらわなければならない。

二度手間。

無事に帰国を許されたので、ささっと預け荷物をピックアップし税関へ。

記入した税関のカードを一瞥した職員さんに「ご旅行ですか?」と聞かれる。
内心「は? いやいや、おいら日本人だから。中国から日本に旅行ってことはなかろう」と思うも、爽やかに「いや、帰省です」と返す。
で、しばらくして彼の質問の意図が「(中国へは)ご旅行ですか」というところにあったのだと思い至る。
それに対して「いや、帰省です」って。
私のふるさとはいったいどこやねん。
日本語が確実に下手になっていることを痛感しつつ、福岡空港の無料シャトルバスで国内線ターミナルまで移動し、地下鉄で博多駅まで向かう。

その車中、なんかどっかで見たことがある女の子に出会う。

なんと前任校の教え子だった。

今は福岡の大学院に留学中とのこと。

しかもさっき上海から私が乗ってきたのと同じ便で日本に戻ってきたとのこと。

わお。

彼女が連れていたお友達も交えて駅に着くまでしばらく中国語で歓談。

なんだか日本人と日本語でしゃべるよりも中国語を話しているときのほうが気楽に感じる。(これは今回滞在中にずっと感じていた印象である)

博多駅についたので「じゃあ修論頑張ってね!」とおしゃべりを切り上げ学生さんと別れたあと、博多駅周辺のカプセルホテル(のようなもの)にチェックイン。

お腹が減ったので、さっそく夜の街に出て、美味しい料理とお酒があるところを探す。

一軒のお店が気になるが、地下にあるのでちょっと怖い。

それでも勇気を出して入ってみる。

「ガラガラ」と戸を開いてみると、なんと本当に擬態語的な意味で「ガラガラ」で、お客さんは一人もいない。

「あら、この店はハズレかしら」と思ったが、まあ不味かったらビール一杯飲んで出ればいいかと思い、カウンターへ。

で、結果から言うと、「大当たり」だった。

大好物である「サバの刺身」や「珍味三種盛り」「鯨の刺身」などを味わいつつ日本酒を冷でくいくい煽る。

ちょっと値は張ったが、まあ一年ぶりに帰国した夜ぐらいはよかろう。

マスターとのおしゃべりに興じているとあっという間に閉店時刻になったので、0時過ぎには退散。

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帰り道のコンビニで唐突に「推荐使用支付宝」(アリペイでのお支払いがおすすめ!)という中国語の青いのぼりが目に入り、一瞬「あれ、いまどこにいるんだっけ」と混乱する。

あまりにも堂々と宣言していたので、買い物ついでに店員さんを「これ、中国のアリペイのQRコードをそのまま使えるんですか?」「その場合円と元の換金比率はどうなるんですか?」「そもそもこの決済方法を扱ったことあるんですか?」と質問攻めにする。 
気の毒な店員さん答えて曰く、「わかりません」「わかりません」「ありません」。
「アリペイって知ってますか」と聞いたところ「知りません」とのこと。
まあ、だろうね。

ホテルに帰ってシャワーを浴びたあと、すぐさま爆睡。

 

12日(火)

泥のようによく眠る。

朝九時に起床。

シャワーを浴びてバタバタとチェックアウトを済ませたあと、一番近くにあったブックオフに立ち寄る。

小説や評論集、それにさまざまな外国語の入門書を購入。

外国語の入門書を購入したわけは、来学期学生さんたちと「日本語で学ぶ〇〇語」という勉強会をしてみようと考えているからである。

外国語で外国語を勉強するというのは、やってみてわかったが、けっこう楽しいものである。

学生さんもずっと日本語ばっかりだと飽きが来るだろう。

それに、私も英語と中国語以外の外国語をちょっとかじってみたい。(英語や中国語もままならないのにほかの言語に手を出したがる自分を節操無いとは思うが)

なので、フランス語、イタリア語、スペイン語、広東語、韓国語の「超入門」書を購入。

たくさん買い込んだ本をトランクにギュウギュウ詰めにし、博多バスターミナルから地元佐世保に向かう高速バスにさっさと乗り込む。

なんやかんやあって無事に実家に到着。

これから二週間弱帰省(寄生)することになる。

行李を解き落ち着いたあとに夕食。

魚好きの私のためにハマチの刺身が食卓に上る。

焼酎とともにありがたくいただきつつ、両親と久闊を叙する。

酔もまわり移動の疲れがどっと出てきたので、早めに就寝。

 

13日(水)

天気がいいので散歩をする。(ザ・ストックフレーズ)

国道沿いに少し歩いたあと、脇道に逸れて海岸まで降りる。

そのまま海岸を左手に眺めながらテクテク歩く。

私の実家の近くには西海橋という橋があって、1955年に完成した当時はけっこうすごい橋だったそうな。

「空の大怪獣ラドン」(1956年)でラドンに破壊されるシーンがあるそうだが、残念ながらこれは未見。

そう思ってこの映画に関する情報を探していたら、その映画に西肥バス(ローカルトークだな)の車両が出ていることを知る。

以前、海外の有名な誰かのPVのなかに西肥バスの車両が爆破に巻き込まれるシーンがあったのを目にして、「なんで佐世保のローカルバス会社がこんなところで」と思ったのだが、なるほど、あれは「空の大怪獣ラドン」から来ていたのか。

積年の疑問が氷解してよかった。

でも、問題はそのPVのアーティストが誰だったかをさっぱり忘れてしまっていることである。

 

それはさておき、この橋は「日本三大急潮」のひとつである針尾瀬戸に架かっている。

だからそこそこ観光客も来るので、お土産屋さんや公園が整備されている。

今回そのお土産屋さんを覗いてみると、なぜだか知らないが陈瑞元(チンスイゲン)という中国人写真家の写真がたくさん売られていた。

なかなか素朴かつ暖かで、ユーモラスな写真をとる人のようだ。

けっこう気に入ってしばらく写真に見入る。

 

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このあたりには魚市場もあるので、野良猫が多い。

その多くが人馴れしているので、触りたい放題である。

この日は風もなくお日様が天高く登るポカポカ陽気であったので、暖かなアスファルトに無防備に寝そべってお昼寝しているところを失礼し、寝相を撮らせていただく。

起きているときは十分にキリっとしているのに、寝ているときはふにゃーってなっちゃうよね。

わかるよ。

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14日(木)

もうすぐ2歳になる甥と再会。

去年の一月に初めて会ったときは立つことも喋ることもできなかったが、あまりにも可愛すぎたのでたくさん抱っこして(一方的に)おしゃべりした。

さすがに一年以上会っていないし、そもそも前回会った時は小さすぎたので、私のことなど覚えていないだろうと思っていたのだが、再会して私のことを一目見るなり、なんと「にいちゃん!」と言ってくれた。

これには「おじさん」も、おもわず感涙。

「おじちゃん」じゃなくて「にいちゃん」と呼んでくれるのがいいね。

 

この日は髪を切りに行く。

私は中国ではセルフカットしている。

もちろん素人の私がセルフカットするとあまり綺麗な仕上がりにはならない。

しかし、中国にきたばかりの時に一度行った「美容室」でちんちくりんなヘアスタイルにされてしまってからというもの、私は「中国人の美容師恐怖症」を発症してしまったのである。

他人に任せて「ちんちくりん」になってしまうと、その怒りややるせなさは他人に向かい、結局はその他人に任せたバカな自分のところに(他人への怨念や遺恨を伴いつつ)フィードバックされてくる。

それは非常に片付かない気分である。

以前お付き合いしていたガールフレンドが「髪、私が切ってあげるよ」とおっしゃるのでまかせてみたことがある。

結果的に見事な「ちんちくりん」になった。

「じゃあお願い」といったのは私だし、彼女も悪意があってやったわけではないので(たぶん)、憎むことも怒ることもできず、ずいぶん片付かない思いをした。

その点セルフカットは楽である。

全て自分の責任だからね。

うまくいけば「おお、おれってすげえ」だし、「ちんちくりん」なら「まあ、しゃーないわな」である。

頭も心もすっきりしてよい。

とはいえ、素人がやるわけだから、トップは鋤ばさみでなんとかなるけど、どうしてもバックやサイドがうまくいかない。

というわけで、6年ぶり(!)に日本人の美容師さんに切ってもらった。

この美容師さんが腕も良いし、余計なことを喋りすぎないし、はたまた私と共通の趣味(ベース)を持っていて、とても快適だった。 
切ってもらいながら、上手いセルフカットのコツや理論などさまざまなことを教えてもらったが、彼が教えてくれたなかでも私を一番びっくりさせたのは「騎射場の三徳が焼けた」というニュースであった。

「騎射場の三徳」なんていってもわかる人は少ないだろうから追記しておくが、「騎射場」というのは私が学生・院生時代を過ごした鹿児島大学の学生街であり、「三徳」とは「安い、多い、汚い」が売りの定食屋である。(あと、お冷が不味い)
佐世保の美容室で佐世保人の美容師さんから「騎射場の三徳」という言葉が出て、まずびっくり。
三徳が焼けたという事実にさらにびっくり。
そんなローカルネタがヤフーニュースに出るはずないし、中国にいるあいだはヤフーニュースで日本の情報を仕入れているので、やっぱりsnsって重要だなと痛感する。(私はVPNを使っていない)
別に三徳に思い入れはない(安くてボリューミーだが水が不味いという以外には)。

 

VPNで思い出したので、家に帰ってひさしぶりにYouTubeを見てみる。

たまたま見つけた「カブトボーグ意味不明な会話集」が面白い。
カブトボーグを私は見たことはないけれど、なんかこの「噛み合ってないから噛み合う」感は、とても私好みだし、わかる気がする。 
私は常常思うのだが、「わからないけどわかる気がする」からこそ、私たちのコミュニケーションの欲望は理解へと向かい、しかし「わからない」ゆえに誤解が生じ、その誤解によってコミュニケーションは単なる情報の等価交換から、知の質的変化へと至るのではないだろうか。 
たとえばこのビデオのなかにある「元気になったんだから、もっと元気出せよ」とか「せっかく海に来たんだから、海に行こうぜ」という言葉における「元気」や「海」の意味するものはそれぞれ違う。
そしてその違いを定義づける主権者は発話者ではなくコミュニケーションの「場」そのものに開かれている。
立川志の輔が「バールのようなもの」で見事に描き出したように、言語とは自分を理解させるための道具ではなく、コミュニケーションとは「正しく理解させる」活動ではない。 

むしろ言葉とは私達に誤解を無意識的に引き起こさせることで、言葉自身の縦横無尽な運動を止めさせない主体そのものであり、その運動をコミュニケーションと呼ぶのではないか。

私たちが言語を手段として用いコミュニケーションを主宰しているのではなく、言語が私たちを手段として活用しコミュニケーションを動かしているのである。
ということで、いちばん複雑かつ意味不明故に、私のコミュニケーション欲を刺激した「カブトボーグ」のやり取りを、引用しつつ、私のコミュニケーション欲から出てきたことばを()で括る。 
ちなみに「リュウセイ」と「ケン」、「カツジ」は仲間内で、「リュウセイの父」は、まあこの場面では敵対しているみたい(「巨人の星」で一時期星親子がそうであったように)。
では。

リュウセイの父「井の中の蛙、大海を知らず」
リュウセイ「なに!!」
リュウセイの父「天野河リュウセイ! すき焼きは関東風より関西風が美味いよな」 
リュウセイ「あ…」
リュウセイの父「ふっ。」
ケン「リュウセイ…」
カツジ「リュウセイくん…」
リュウセイ「俺は…関西風の味を知らない…」(ぐぬぬ)
ケン「心配するな、リュウセイ。すき焼きは関東風が美味い。食べてなくてもわかるよ」(こっから完全におかしい)
リュウセイ「ああ!」(なぜか間髪入れず立ち直る)
リュウセイ「ようし! 俺も今夜はすき焼きだ!」(まあ、それでもいいけど、そこは当然関西風だよね)
カツジ「普通、ビフテキとカツだよ」(いや、それは話自体ちゃうし、違うだろ)

 

15日(金)

去年とあるきっかけで知り合った佐賀大学の中国人留学生Tさんから「長崎ランタンフェスティバルを見に行きましょう」とお誘いいただいたので、雨の中を2年ぶりに長崎へ行く。

佐賀から車で来るTさん及びその後輩たちと長崎駅前で待ち合わせ。

会ってみると全員中国人だった。

なんとなく流れで中国語を話すことになる。

市内を巡るなら路面電車(長崎ではなんて呼ぶんだろ、鹿児島だと「市電」って呼んでたけれど)が便利なので、一日乗り放題パスを買って、まずは中華街に向かう。

お昼どきだったのでご飯を食べながら、このあと巡るルートについて相談。

ちなみに長崎の中華街は福建省から渡ってきた人たちが作ったものである。

Tさんは厦門の人なので、本場の人が長崎中華街を見てどんな反応をするか興味があったのだが、案の定「ふーん。でも、ぜんぜん福建っぽくないですね」という反応だった。

まあ、そうだよね。

お昼は中華料理を食べたが、やっぱり「日本の中国料理」である。

個人的に思うのだが、日本の中国料理はやたら塩辛い。

ウェイパーの使いすぎじゃなかろうか。

中国語では「中華料理」という言い方はしない。

中国語的に言うならば“中国菜”Zhong1guo2cai4である。

私は個人的に中国菜を「本場の中国料理」、中華料理を「日本の中華料理」と理解し使い分けている。

とはいえ、ひさしぶりに日本の中華料理(エビチリ、チャーハン、ビーフンなどなど)を堪能し、美味しい昼食をいただきました。

そのあとはTさんが「雑技を見たい!」というので、路面電車に乗り中央公園へ。

本場中国から来た雑技団の雑技をたっぷり一時間堪能する。

私は中国雑技を見るのはこれが初めてだったが、とても感動した。

自分でもなぜだかわからないが、途中で涙ぐむほど心を揺さぶられた。

6個の帽子を次々に投げて被ったり、数十個(総重量5キロ)のフラフープを一度に回したり、10段にも積み重ねた椅子の上で倒立したり……。

そういうのは実益性とか社会的意義とかないのかもしれないけれども、「人間には無限の可能性が満ちている」ということを具体的に見せてくれる大切なお仕事だと思う。

果たして私は自分の授業で、学生の皆さんに「そっか、私たちには無限の可能性が満ちているんだ」と気づいてもらえるようなパフォーマンスをしているだろうか。

ちょっと恥ずかしくなる。

雑技を堪能したあとはグラバー園やら大浦天主堂やら孔子廟やらを巡る。

寒雨のなか歩き回ってお腹が減ったので中華街に戻った頃には、日もとっぷり暮れて、点灯されたランタンがとても美しい。

ちゃんぽんでお腹を満たしたあとぶらぶらし(長崎弁では「さるく」という)、ランタンを鑑賞。

8時過ぎにはお疲れのTさん(このあと雨の中佐賀まで運転しなければならない)一向と別れて佐世保へ戻る。

ということで、私のふるさとである長崎を中国人たちと中国語で交流しながら観光するという一日であった。

 

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16日(土)

前日歩き回りながら中国語をくっちゃべったためたいへん疲れた。

なので一日中部屋で読書や荷物の整理をして過ごす。

実家の自室を漁っていたら、高校一年生のときに人生で初めて買ってもらったケータイ(ドコモのMova、もはや響きが懐かしい)が出てきた。
このシルバーカラーの二つ折りケータイを、私は高校卒業までずっと使い続けた。 
ということは、このガラケーのなかには高校生の私がやり取りしていたメールやショートメッセージの全てが収められているということである。 
15歳から18歳にかけての私は、いったいどんなメールを送り、受け取っていたのだろうか。(今から振り返ってみれば、そもそも私にそんな時期があったのだろうか、そして今の私は当時の私と何が変わったというのか) 
興味半分怖さ半分だが、残念ながら壊れていて電源が入らない。 
なので、私の「高校時代のメール」に関する全ては、記憶の奥底深くに沈んでしまっていて、今の私が今の私の好き勝手な都合や形でサルベージすることでしか検証しようがない。 
でも、記憶というものは、過去においてソリッドな形状で固定された媒体ではなく、実証や資料的検証を離れた想起のたびに、一期一会の再創造でその存在が可能になるような未知の存在そのものだと私は思う。(前もそんなこと書いたな)

 

17日(日)

昨日自室から「発掘」した高校時代の現国の教科書をパラパラと読む。

すると、まさに今の私が興味関心を持っている分野やジャンルに関する文章に出くわす。

たとえば 長谷川龍生のこんな詩である。

ぼくがあなたと 
親しく話をしているとき 
ぼく自身は あなた自身と
まったく 違う人間ですよと 
始めから終りまで 
主張しているのです 
あなたがぼくを理解したとき 
あなたがぼくを確認し
あなたと ぼくが相互に 
大きく重なりながら離れようとしているのです 
言語というものは 
まったく ちがう人間ですよと 
始めから終りまで 
主張しあっているのです
同じ言語を話していても 
ちがう人間だということを 
忘れたばっかりに恐怖がおこるのです
ぼくは 隣人とは
決して 目的はちがうのです
同じ居住地に籍を置いていても 
人間がちがうのですよと
言語は主張しているのです 
どうして共同墓地の平和を求めるのですか 
言語は おうむがえしの思想ではなく 
言語の背後にあるちがいを認めることです 
ぼくはあなたと 
ときどき話をしていますが 
べつな 人間で在ることを主張しているのです 
それが判れば 
殺意は おこらないのです

 よいね。

美しいね。

あまりにも良かったのでAmazonで彼の詩集をポチる。

ほかにも中桐雅夫の詩にもグッときた。

「海はいいな」と少年はいった、
「そうかしら、私はこわいわ」と少女が答えた、
少年はほんとうに海が好きだったが、
少女のこわかったのはなにか別のものだった。 
 
それからふたりの足はとげのうえを歩いてきた、
ふたりの心もとげのうえを歩いてきた、
やがて足も心も厚くなって、
とげもどんなに鋭い針も通らないようになった。  
さらさら砂をかけられて、
こそばゆかったやわらかな足裏は、
なぜいま軽石でこすられているのだろう。 
 
とがった鉛筆のしんでつかれても、
うすく血がにじんだやさしい心、
ああ、あの幼い心はどこで迷っているのだろう。

よいね。

胸に染みるね。

思わず私も「ああ、おいらのあの幼いながらも純粋な心はどこに行ってしまったのか」とひとりごつ。

まあ、そんなもの最初からなかったのかもしれないけれど。

人は皆「あるべきもの」を「ないもの」に求め、「あったはずのもの」を「なかったもの」に見出す。

そういうものである。

 

午後に妹が甥っこと一緒に泊まりに来る。

甥っ子が私を一目見るなり「あっ、にいちゃん!」という。

可愛い。

あまりに可愛いので、甥っ子といっしょにご飯を食べる。

甥っ子はただいま絶賛イヤイヤ期中なので、なんでもかんでも「イヤ」だし「だめ」なのである。

「美味しい?」

「だめー」

「かあかあは?」

「いやー」

「とうたんは?」

「いやー」

「ばあばあは?」

「いやー」

「じいじは?」

「いやー」

「にいちゃんは?」

「いやー」

可愛い。

私にもこんな時代があったのだろうか(あったはずだ、たぶん)。

 

18日(月)

 祖母の見舞いに行く。

本来は今年の冬休みに帰省する予定はなかった。

それでも帰省した目的は、今年94になる祖母に一目会うためである。

先月大きな手術をしたため、あまり元気そうには見えないが、私の来訪を喜んでくれた。

母は昨年から祖母の介護できりきり舞いである。

しかし、それすら「新しい体験」として、母は前向きに楽しんでいるようだ。

そのような母の姿がなければ、私は冬休み帰省しなかったかもしれない。

人間に残されたもっとも重要な仕事とはすなわち「死ぬ」ことだと勝手に定義させてもらえるならば、次に重要な仕事とは親の死に向き合うことだと私は思う。

ここでいう「死に向き合う」とは、死の瞬間やその後のことだけを範囲として指しているわけではなく、まさに「親が死に向き合っていることに向き合う」ということである。

そんなこと、誰も考えたくないし、面と向かいたくない。

しかし、それは大事なことだと思う。(根拠などないが)

その仕事を経験しているかどうかで人間の思想や言葉は(論理性や有効性という次元とは別の次元で)変わるものがあるのではないか。

その仕事の方法はそれぞれのやり方でいいと思う。

沢木耕太郎が『無名』を著したことでしめした方法もあるし、私の母が祖母の介護を楽しんでいるような方法もある。

果たして私にその覚悟や準備は出来ているだろうか。

そんなことを、ふと考える。

 

祖母のもとを辞去したあと、本屋に行くため佐世保の中心部へ向かう。

久しぶりの佐世保市内である。 
私にとって佐世保といえば玉屋デパートのサンドイッチである。
幼少の頃母や妹と市内に遊びに来たときは、よく公園で鳩を眺めながら、このサンドイッチを食べた。
今でもその味は変わらない。(値段は高くなったが) 
甘めのマヨネーズがふわふわのパンとシャキッとした具材にマッチして美味である。

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帰宅して運動を済ませたあと、夕飯まで福岡のブックオフで買った橋本治『「わからない」という方法』を読む。

内田樹のブログや著書でよく言及されたり引用されたりしているが、直接本人の著作を手に取るのは、多分これが初めてである。

非常に頭がいい文章を書く人である。

思わず「かっこいいなあ」と思う。

こういう文章をスラスラかけたら、さぞかし気持ちがいいんだろう。

その気持ちよさは、他人をクリアカットな言葉で「斬る」気持ちよさは、異質のものである。(想像だけど)

今回「いいな」と思ったとこは、ここ。

「恥知らず」のハードルをいくつか超えると、その先に「自信ある人」のゴールが待っている。しかし、その「自信ある人」が再びレースに出ても、その時のレースで必ず「自信ある人」のゴールにたどり着けるかどうかはわからない。「恥知らず」のハードルを跳びそこねれば、そこでその人はまた、「自信過剰の恥知らず」である。「自信」と「恥知らず」は表裏一体なのだから、どうしてもそういうことになるーーつまりそれは、人間が挫折を必須とする生き物だからである。 
すべての人間が挫折を必須とする生き物である以上、「自信」はいつか「恥知らず」に変わる。べつに不思議のないことである。そして、人間が挫折を必須とする生き物である以上、すべての人間は、いつか「わからない」というシチュエーションにぶつかるものである。それにぶつかって切り抜けるのが人間である以上、「わからない」は方法論でもなんでもなく、ただの「当たり前」である。問題は、その「当たり前」がいつ「特別な方法論」に変わらざるをえなくなったのかということである」(橋本治『「わからない」という方法』、集英社新書、18頁)

「わからない、だけどわかりたい」と言えない人、「すみません、間違いました」と口にできない人間、そういう人物を私は信じないことにしている。

なぜなら、私自身がそういう人物としてモノを語り文を綴っているときの私自身が「信用できない」人間だからである。

だから、この箇所は「うんうん」としかいいようがない。

 

19日(火) 

唐突に「なまこが食いたい! なまこを寄こせ!」状態になってしまったので、近くの産直で買ったなまこを捌き、刺身にしてポン酢でいただく。

私のふるさとでは正月に生なまこを食べる習慣がある。

子供の頃はあまり好きではなかったし、今でも特に食べたいと思うわけではないのだが、時々こうやって「あ、なまこ食いたい」という衝動に襲われる。

合肥だとなかなか手に入らないので、せっかくの機会を生かし、よく味わう。

コリコリして美味である。 

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20日(水)

 スーパーのアジフライを食べる。

毎回日本に帰国する日が近くなると「これだけは絶対滞在中に食べようというものはなんだろう」ということでいろいろ思い悩んだりする。
興味深いのは、そうやっていろいろ考えた挙げ句結果私の脳裏から離れなくなる食べ物は、寿司とか天ぷらとか鰻とかいう「いかにも」なものではなく、夕方5時過ぎから投げ売りされるようなスーパーの惣菜だったり、地場の鰯の刺し身だったり、コンビニの「チーズ鱈」だったりするということである。 
で、結局貴重な機会を利用して口にするものが、そういう「しょうもない」もので終わることが多い。 
これをして私は自らをバカ舌と名乗るのである。
しかし、私は衣食住に関しては「バカ」であることは却って幸せではないだろうか、と感じる。
「せっかくだから一番高くて、それらしいのを持ってこい」という精神のあり方が、典型的に貧しいものに感じられるからだ。

で、今回の「しょうもないもの」がアジフライだったというわけである。

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21日(木)

なんだか食べてばっかりなので、5キロ程度離れたスーパーまで母親の買い出しにつき合ったあと、帰り道を一人で走って帰る。

前の方で書いた西海橋の公園を通りかかると、カワヅザクラが見頃を迎えている。

おもわずノンアルコールビールを買って花見酒を愉しむ。

社会人の皆さまがせかせか働いていらっしゃる時間に頂く花見酒は、ちょっぴり背徳の味がする。
まあ、でもこれノンアルビールだし、私ももう少ししたらせかせか働くことになるんだけれども。 

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22日(金)

雨の中を走る。 

ほかはなにしたっけ。

忘れちゃった。

 

23日(土)

天気がいいのでジョグ程度のスピードでたらたらと10キロ走る。

走ったあとに近くの小高い山に登り、佐世保湾や大村湾を望む。

家に帰ると酢飯の匂いが玄関にまで漂っている。

母が大村寿司という押し寿司を作っているからである。

母は毎年この時期にこの寿司を作る。

母はこれを祖母から学んだ。

最近ではこのように手作りする家庭も少なくなったという。

甥っ子が泊まりに来ていたので、母が作った押し寿司を一緒に食べる。

「おいしい?」

「おいしい!」

可愛い。

そのあと一緒に記念撮影。

また夏に会おうね。

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24日(日)

中国に戻る。

まずは高速バスで福岡空港に向かう。

ちゃちゃっとチェックインと出国手続きを済ませ、搭乗開始を待つ。

お茶っ葉が入ったマイボトルを持ち歩く中国的習慣がついてから感じることだが、日本の空港や駅に冷水はあってもお湯がないのは不思議である。
日本人だってお茶好きなのに。
日本人は中国のようにお茶っ葉を切り刻むことなく丸々使ってお茶を入れることはしないからだろうか。

つまり、日本は茶葉を細かくしていることが多いので、中国のようにボトルに茶葉を入れて持ち歩くと、一杯目が濃すぎてニ杯目以降が薄くなりすぎるのである。 
もっとも日本では茶葉を細かくしているから中国のように持ち歩き注ぎ足さないのか、それとも中国のように持ち歩き注ぎ足さないから茶葉を細かくしているのか、その因果関係の前後はわからないが。

そんなことを考えているうちに搭乗時間が来たので飛行機に乗り、まずは青島へ。

いつもは上海で乗り換えるのだが、なぜだか今回は青島。

上空から福岡の街に別れを告げる。

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しばらく寝ている間に飛行機はだいぶ飛んだらしいが、下に見える大地が中国っぽくない。

日本に似ているが、なんか日本っぽくもない。

そうか、福岡から青島に向かうっているってことは、今韓国上空を飛んでいるってことか。

なるほど。

一時間ちょっとのフライトで青島に到着。

乗り継ぎ時間があまりないので、入国審査と荷物のピックアップを超特急で済ませ、合肥行きの便にチェックイン。

乗り継ぎのためとは言えせっかく青島に来たのだから、登場時間まで青島ビールを楽しむ。

 

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予定より30分遅れで搭乗開始。

飛行機のなかでは爆睡。

ということで、長崎から福岡に行き、福岡から韓国上空を横切り青島ヘ行き、青島から南京上空を飛んで合肥に到着。 

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荷物をピックアップし、あとは自宅を目指すだけ。

荷物がやたら多くてバスや地下鉄で移動するのが面倒なため、多少の出費覚悟でタクシーに乗る。 
するとこの運転手が見事に「ハズレ」。
夜中の高速を時速100キロ以上出しながらバカでかい声でwechat通話し続けるし、目的地をろくに把握していないし、やたら遠回りするし。 
百度地図のおすすめルートを見せながら「おいおい、なんでこんなに遠回りするんだ?」「というか、運転しながら話すとは、どういうことなんだ」「そもそも相談もなしにルートを決めるなんてありなのか」などとグチグチ言ってたら十元「負けて」くれたが、思ったより余計な出費をしてしまった。 
まあ、何はともあれ無事に帰宅できたのでよしとする。 
で、さっそく体重計に乗ってみると……。
うん、きっと何かの間違いだね。
帰宅そうそうジョギングウェアに着替えて一時間走ったあとに就寝。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

文化に「所有格」は馴染むのか

ヤフーニュースで「文化の盗用」に関する記事を読んだ。

アリアナ・グランデが「七輪」と漢字のタトゥーを入れて話題になったことは以前ニュースで知っていたが、「文化の盗用」(cultural appropriation)という考え方があり、それがある地域(ここではアメリカ)で力を持っているということは、この記事を読んで初めて知った。

 

日本人が知らないアリアナ・グランデ「文化の盗用」批判の背景とは(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

 

そのため興味を持ってこの記事を読んだが、なんだかすっきりしない。

記事ではこう述べられている。

 

 過去に米国内で文化の盗用とされた件でも、反応は黒人、白人、ラティーノ、アジア系、ネイティヴ・アメリカン……と人種民族によって異なっていた。文化の盗用は、どの人種民族間でも均等に起こるものではなく、そこにアメリカの人種問題の複雑さが見て取れる。

(中略)

音楽であれ、ファッションであれ、彼らの強いアイデンティティとプライドを礎とする文化が、いったん白人の目に触れると横取りされ、かつ商品化がおこなわれて利益は白人側に流れた。アイデンティティ、プライド、経済利益を揃って奪われてしまうのである。黒人が白人に対し、文化の盗用を訴える理由だ。

 アメリカにはアメリカなりの特殊な事情や問題があり、「文化の盗用」という概念がそのような特殊な土壌から出てきたということは理解できるし、一理あると思う。

だから以下に書くことは「文化の盗用」というアイディアに対する全面的な批判ではないし、もちろんアメリカの特殊な事情を否定するものではない。

私は、そもそも「文化」というものを「盗む」という利益や経済の概念と無批判に結びつけていいのだろうかと思うのである。

だから「文化の盗用」という考え方に対しても「うん、一理あると思うけれど、ちょっと考えさせて」と思う。

その「ちょっと考えさせて」のとりあえずの結果を以下に述べたい。

 

まず「盗む」とはなにか。

「文化の盗用」という今回の問題において「盗む」が意味するところを私なりの理解で言えば、「盗む」とは「他人に属するものを不当に自分のものにする行為」である。

この点については同意いただけると思う。

ちなみに広辞苑で「盗む」をひくと、「他人に所属するものをひそかに奪いとる。」とある。

もしこの定義を今回の問題において当てはめることで、どこかに議論が生じる余地があるとすれば、「他人に属する」と「不当に」の解釈を巡るものだろう。

私が「文化の盗用」論に違和感を覚える第一の理由は、文化はそもそも「他人に属する」という表現で語ることができる論題なのか、つまり「盗まれる側」からすれば「文化は自分に属する」という表現になるのだが、そのような表現に「文化」という概念が馴染むのだろうか、という疑問である。

たとえば、私は日本で生まれ育った日本人であり、そういう意味で私は日本文化に属している。

それは否定しがたい事実である。

しかし、日本文化が私に属しているのだろうか。

ほかの例で考えてみる。

たとえば、私は日常的に読み書きをする際、漢字を用いる文化に属している。

だから私が漢字文化と切っても切れない関係にあることは疑いようがない事実である。(現にこうして漢字を使っているし)

しかし、だからといって漢字文化が私に属していると言えるのだろうか。

私は言えないと思う。

「属する」という表現の問題なのだろうか。

もし「属する」という言葉が問題ならば、たとえば「~のもの」を使って「盗む」を定義してみる。

すると、さっき立てた私なりの「盗む」の定義は、「他人のものを不当に自分のものにする行為」となる。

では、これを先ほど同様に文化を巡る今回の問題に当てはめてみよう。

たとえば、私は日本文化で生まれ育ち、漢字文化を背景とする人間である。

では、日本文化や漢字文化は私のものだろうか。

私はやっぱり「違う」と思う。

そもそも「文化」を個人に「属する」とか個人の「もの」とかいう捉え方で論じることが不適切なのではないか。

私にとって「私に属する」とか「私のもの」と言えるであろうものごとは、理性的に考えてみれば「私が自分で作ったもの」であり、法的には「私の所有権が及ぶもの」であり、心情的には「私が心惹かれ愛着を覚えるもの」である。

私はさまざまな文化に「属している」が、その私が「属している」文化は、理性的にも法的にも「私に属している」わけでもないし「私のもの」でもない。

問題は私が属している文化が、まさに心情的に「私が心惹かれ愛着を覚えるもの」そのものであることに尽きるのではないか。

それはよく理解できる。

たとえば、私の目の前で私のふるさとの特産品(みかんとか海鮮類とかね)を足蹴にされ唾棄されたならば、たとえその特産品が「私が作ったものでもないし、法的に私の所有権が及ぶもの」ではなくても、私は不快感を覚えるだろう。

たとえば、私の生まれ育った文化そのものに全く興味関心もない人間が、自らの経済的利益のために、私の属する文化を「利用」しているさまを目にすれば、私は決していい気分にはならない。

このような「不快感」や「いい気分にはならない」という心情的問題が、先に指摘した「不当に」という文言の解釈に絡んでくる。

だから、記事で紹介されているように、マイノリティ文化である黒人文化をマジョリティである白人がマネることや、それらを利用して金儲けをすることに対して、心情的に不快感を覚える人間がいることは十分理解できる。

しかし、だからといって「私の文化だ!」と文化の「所有権」を主張し、「盗む」という概念に発展させることは、本当に適切なのだろうか。

私が心情的には「文化の盗用」というアイディアを理解できるにも関わらず、「文化の尊重」を論じる際にそのような論じ方を採用することにたいしてなにゆえ抵抗感を覚えるかというと、まるでこの世には「私の文化」と「私以外の文化」があって、私は「私の文化」に対しては正当な所有権を有し、私以外の人もその人の文化に所有権を有するので、たがいの「所有権」を「尊重」しましょうという認識に立っているように映るからだ。 

しかし私は文化についてそのような見方をしていない。 

「私の文化」とは「私以外の人」から私へと無償で送られたプレゼントであり、私はたまたまそれを身にまとっており、愛着も覚えてはいるが、それは決して私の所有物ではないし、ましてや私の所有権が及ぶものではない。 

私はそう考える。 

文化において「他者を尊重する」とは、同時代的な他人の文化をリスペクトする以前に、私に先立つすべての人間に感謝するということではないだろうか。 

だが、文化を巡る議論や論争を見ている限り、「これは私の文化」などと簡単に口にする人間が、「私の文化」をもたらしたすべての他人(もちろんそこには国籍や民族や性別や人種という概念では捉えられない様々な時代の人間が関わってくる)に感謝する姿勢を示しているとは、必ずしも言えないような気がするのである。

彼らは「私」という枠で「私の文化」を語るので、本来ならば「私の文化」に寄与してきた名も無き人々を「私」という個人的な枠(国籍とか民族とか性別とか思考や価値観とか)の都合であっさりと切り捨てる。

しかしそれこそ「文化」や「他者」を冒涜する行為ではないだろうか。

「これは私の文化だ」と宣言した時点で、時代も地域も超えた他者の働きからなる公共的産物である「文化」はいっきに「私」化してしまうからである。

「私」化した人間が公共の福祉に寄与するようなクールで暖かな議論を展開するとは、私は思わない。

現にこのニュースのコメント欄で口角泡を飛ばしている人々が交わしている言葉が、そのことを示している。

彼らに足りないのは「うん、ちょっとまってね」という自制であり、「おいらはどうなんだい?」という自省であり、「今のおいらの文化って、どこからどうやって来たんだろう」と考える時制である。

「私の文化を盗むな!」と他者を糾弾した時点で、「そもそも私も勝手に『私の文化』を囲い込んでいるのではないか」という自省は困難になるのではないか。

「他人の文化を盗むな!」と「他者」を代弁し「正しいこと」を言い始めた時点で、「そもそもあなたも勝手に『他人の文化』を盗んでいるのではないか」という反論が耳に入らなくなるのではないか。

たとえば、この記事では漢字を「日本の文化」としているが、そもそも漢字はいうまでもなく「中国の文化」である。

にもかかわらず、記事中に「中国」というワードはひとつも見られなかった。

筆者は「日本における大マジョリティである日本人は、自身だけでは気付きにくいマイノリティの心情を、マイノリティと直接の交流を持って知ること」が大事だと書いている。

その通りだと私も思う。

そのうえで重箱の隅をつつくのだが、もしこの記事を中国人が読んだら「日本文化である漢字をアリアナ・グランデがタトゥーにし、問題になっている」というこの記事の書き方や、「白人が日本文化である漢字を盗用するな」というマイノリティーの「批判」そのものが中国人の目に「日本人が『文化の盗用』をしている!」と映るのではないだろうか。 

「文化の盗用」論を唱える方々や、このような記事を書いた筆者ならば、アリアナさんをめぐる議論やこの記事を見て「お前ら勝手に俺らの文化を日本のものにするな!」と不快な思いをする中国人がいる可能性について、理解できるはずである。

誤解して欲しくないので急いで付け加えるが、私は漢字の「所有権」を巡る議論には全く興味がない。

さらにいえば、私は漢字文化の恩恵を受けている人間であり、漢字に文化的愛着を覚えている人間でもあるが、「漢字は俺の文化だ」などとは一ミリたりとも思っていない。

だって、漢字は「俺」とか「日本」とかが誕生するもっと前から存在するものだし、そもそも「物」ではないからだ。

問題は「文化」を私的に切り取り、所属先を安易に決定・固定し、「物」と同じように論じてしまうことである。

そのような価値観で「文化」を論じれば、かならず不快な思いをしたり不当だと感じる人間が作り出されてしまうだろう。

文化は所有格に馴染まない。

それは多種多様な外来文化を吸収しながら自らの文化を作り上げてきた日本という枠組みで考える場合はなおさらだし、そもそも個人として考えてもそうだ。(文化はひとりではつくれない)

 

筆者は記事の最後の方で、「他者の文化を取り入れても良い「OKライン」はどこなのだろうか? 答えは『明確な線引きも、マニュアルも存在しない』だ。」と述べている。

私はこの結論をとても健全なものだと思う。

明確な線引きも、マニュアルも存在しない」のだ。

だからこそ、文化を巡る議論に最も求められるのは、文化の可能性や豊かさをめぐる対話的コミュニケーションであって、文化の所有権や所有格を巡る訴訟や対立ではないと私は考える。

他者の文化を尊重するということに求められる素質は、そもそも自分の文化を成立させているすべての他者を尊重するということに求められる姿勢と全く同じなのであって、そのような姿勢とは「これは俺のものだ!」と軽々には言わないことなのではないかと私は考えるのである。

 

繰り返すが、「文化の盗用」というアイディアはアメリカという一地域の特殊な事情や問題や土壌においては必然性や有用性があることを、私は認める。

そういう意味では「文化の盗用」論はアメリカの個性的な文化である。

私はそれを尊重したい。

同時に、アメリカという一地域の特殊な事情や問題や土壌から出てきたものにすぎないということを確認しておきたいのだ。

そして「文化の盗用」というアイディアを「アメリカではこうだから、我々も」と無批判に「グローバル化」させないように気をつけたほうがいいのではないだろうか。

さもないと「『文化の盗用』というアメリカ文化的なアイディアがパクられた!」と「『文化の盗用論』盗用論」を唱え出す人間も出てくるかもしれないし。

 

卒論代筆サービスに思う。

とある場で卒論代筆サービスの広告をシェアする大学生を目にした。
ふと思う。 
大学生に向かって「大学生なら卒論ぐらい自分の頭を使って真面目に書きなさい」(ほとんどの人にとっては、金や職位に関係なく、自由に自分の頭を使える最後のチャンスなんだし)と思うことは、そんなに的外れなことなのだろうか。 
そもそも私は卒論執筆が大学4年間の勉強において最高の喜びだったので、わざわざ金を払ってまで「卒論代筆サービス」を利用する人間の気がしれない。 
もちろん、そんな怪しいまがい物稼業は古今東西問わず、これまでも存在していた。 
しかし、これまでは「トイレの落書き」で済んでいた「卒論代筆」の広告を、「リーズナブル」で「合理的」なビジネスとして、光が当たる公共の場で堂々と宣伝する人間やサービスがのさばり始めたのは、私が知る限り、新しい現象である。 
誤解をしてほしくないが、べつに私はそれを責める気はない。 
自分のご飯のために「倫理」とか「ルール」を平気で無視する人間がいることぐらい、私だって知っている。
私だって「悪者」に「そんな悪いことするな」と怒るほど世間知らずでもないし、「ああ、なぜこの世はこんなに善が通じないのか」と悲嘆するほど純粋無垢でもない。 
いつの時代も「悪者」はいるし、「善が通じない」。 
それは一教師にすぎない私には如何ともしがたいことである。
私が一教師として解せないのは、そういう「サービス」を利用する学生が現に存在することについてである。
さらには、彼らがそういうサービスを利用したりシェアすることに対して、なんら羞恥心や抵抗感を覚えていないように映ってしまうことである。(これは私の主観だが) 
だって、「卒論代筆サービス」って、 
「お前ら自分で論文書く気もないし書く実力も無いんだろ? 金出せばおいらが書いてやるよ」 
という、「顧客」である大学生の知性を端からバカにして見下した人間によって提供されているサービスでしょ。
ほんとうに大学生の知性を尊重してビジネスをする人間ならば、そんな人を舐めた「サービス」を思いつくだろうか。
なにより、学生諸君は「顧客」として、そういう「サービス」を利用したいかい?
あくまで私の話だが、そんな無礼な人間や会社が提供する「知的サービス」を、私は死んでも使わない。
たとえ卒論が通らずとも、私は自力で書く。 
どうせ「アカン」なら「アカン」なりに自己満足を自給自足したいし、もし「すげえ」ならその「すげえ」を自給自足したものとして捉え、自己満足したい。 
だから私なら、自分で書く(現に書いた)。 
そして「すげえ」と自己満足することを目指す(現に目指したし、ある程度満たされた)。 
そして思うことだが、卒論なんてもんは、自力で書けば通るもんなのである。 
「顧客」を「バカ」として想定した経済活動。それを私はビジネスではなく搾取と呼ぶ。 
で、当然、そうやって人をバカにしたり見下した人間や企業のサービスに対して 
「あ! これ、助かるかも。ラッキー♡」 
なんてふうに、無思考かつ脊髄反射でホイホイ金を払う人間は、卒業したあとも、 
「お客様、こちらはとてもお得ですよ(オイラにとってね、ふへへ)」 
という「悪者」に、
「わ、これがこんなリーズナブルなお値段で? 買います!!」 
と搾取され続ける可能性が高い。 
あくまで私見だけれども、卒論って研究とか学術云々以前に、自分がそういう「バカ」な人間であり続けないための脱出口を探す「最後の訓練」としての教育効果を持つものだと、私は思うんだけれども。 
それとも、
「いや、私は楽して卒業するためにあえてバカのふりをして金払っているんだよ」
ということだろうか。 
なるほど。 
しかし、あくまで私の考えだが、いわゆる「バカ」について適切に把握でき、なおかつ「バカ」と「バカのふり」を自他共に客観的かつ合理的に区別でき、さらには「バカ」と「バカのふり」を意識的に演じ分けることが可能な学生さんなら、そもそも卒論なんか、ちゃちゃっと自分で済ませることができると思うけれど。
それに、そもそもそこまで賢い学生さんは、「そこまで賢い」自分が「バカのふり」することにすら耐えられないのではないかと思う。 
兼好法師曰く、「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」。
どうせ「狂人」と評されるなら、私は「ふり」をして大通りを走り回るより「全力」で狂って暴れまわりたい。 
少なくとも、私はそう思う。 
それとも、
「ぐだぐだうっせーよ、そこまで考えてないし、第一どうでもいいだろ、ほっとけよ!」 
ということだろうか。 
だとしたら、「あ、なるほど。だから卒論書けないのね」というしかない。
あ、そういうことか。 
なるほど。

日記(観覧車、給湯器の故障)

5日(火)

 

春節。

前回の日記に書いたとおり、昨年から合肥では爆竹や花火が禁止されたので、まったく新年ムードが感じられない。

特にしなければならないこともないので、ゆっくり朝寝。

寒い朝にぬくぬくとしたベッドで二度寝をするのは最高の贅沢である。

とはいえ、いつまでもそうしているわけにはいかないので、昼前には起き出し、勉強と部屋の掃除をちょちょっと済ませたあと、いつもの公園に行き一時間走る。

今日は太陽が出ているが、ちょっと空気の状態が良くないようだ。

この公園にはメリーゴーランドや小さなジェットコースターなどのアトラクションがあるのだが、私がいちばん好きなのは観覧車である(一回15元)。

記憶にある限り、日本にいるときは観覧車に乗った記憶がない。

学生時代に住んでいた鹿児島には、新幹線が止まる駅ビルの上にそこそこ大きな観覧車があって、幾度か乗ろうとお誘いいただいたこともあったのだが、結局乗らなかった。

なんで乗らなかったのか、今でもよくわからない。(結局その観覧車には、前々任校にいたとき協定校の鹿児島大学へ学生さんを引率した時に乗った)

この公園の観覧車は人も少ないし、値段も手頃なので、ときどき一人で乗りたくなった時に利用する。

学生さんにその事を話すと「えー、ひとりで観覧車とか寂しくないですか?」と言われる。 

あのね、観覧車ってのはそもそもが寂しいものなの。

「舟を編む」(2013年)でヒロイン役の宮崎あおいが「観覧車って楽しいけど、ちょっと寂しいよね」と漏らすシーンがあるが、これは非常によくわかる。

一番高いところに至るまではワクワクして楽しいが、その楽しみにしていた「一番高いところ」なんて一瞬で過ぎ去ってしまい、あとは景色を見るにしても、話をするにしても、地上に戻るだけという雰囲気に影響されてしんみりしてしまう。

そのしんみりの瞬間を一人で味わうというのも、私は結構好きだ。

それに、この公園の観覧車は結構古くて、風がちょっと吹くとグラグラ揺れる。

経費削減のためか客が来た時しか動かさないし、受付のおばさんもテキトーなので、自分が乗っているということを忘れられて止められたらどうしようというドキドキ感も味わえる。(実際に車内に「救援番号」がなぐり書きされているあたりリアルさが増す)

村上春樹『スプートニクの恋人』のなかに海外でいい加減な管理者のせいでひと晩観覧車に閉じ込められた人物のエピソードが出てくるが、この恐怖感は一人で観覧車に乗ったことがなければ半分しか理解できないのではないかと思う。

ということで、私は結構「一人観覧車」が好きである。

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ジョギングを済ませたあとは川沿いに歩いて帰る。

新年の一日目なのに、公園の中や川沿いで一人で過ごしている人間をけっこう見かける。

「家族団らん」なんていっても、家の中に人間が集まりすぎると息抜きしたくなるのだろうか。

 

6日(水)、7日(木)

とくにこれといって書くべきこともなし。

映画を見て過ごす。 

「レオン」を英語音声中国語字幕で見る。

ゲイリーオールドマンの狂った演技がいい。

 

8日(金)

 

今年一番の積雪。

寒い。

そんな時に限って給湯器が壊れる。

よって熱いシャワーを浴びられない。

春節休暇の真っ最中なので修理も呼べず銭湯にも行けない。

仕方がないのでガスコンロと電気ケトルとIHコンロを総動員し沸かしたお湯をバスタブに張って何とかする。

まあ、11日に日本に帰省するので、2~3日の我慢で住んだだけでも幸運だとしておこう。

 

9日(土)

あいかわらず積雪。

私が飛ぶ日にはちゃんと天候が回復してくれるだろうか。

去年も雪のせいでフライトがキャンセルになっているし、ちょっと心配になる。

天気のことはどうしようもないし、一時帰国するので、そのまえに部屋の掃除を済ませようと頑張る。

3時間ほどかけてキッチンを綺麗にしたあと、いつもの公園に行き一時間走る。

園内の梅がきれいに咲いている。

やはり梅には雪がよく似合う。

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家に帰って昨日同様持てる限りの熱源と鍋を利用して風呂を沸かし、入浴剤をたっぷり入れ、体の芯から温まる。

さっぱりしたあとは冷蔵庫の食材を殲滅すべく、もやしやほうれん草、きのこをたっぷりぶち込んでラムしゃぶ鍋を作る。

うまい。

この2,3日ゴロゴロしていたので、すこし生活リズムが乱れてしまった。

昼夜逆転まで行かずとも、4時間ほど体内時計がズレてしまい、12時に起きるようになっている。

なので修正すべく、満腹感と芋焼酎のお湯割りでほんわかした勢いを借りて、今日はさっさと寝る。