日記(10.15~17)
15日(火)
6時起床。
今日は授業はひとつだけ。
あいかわらず朝から原稿書き。
文法がご専門のS先生が事務室にいらしたので、私が書いた「ハとガ」の説明に対するご意見を伺う。
S先生はやっぱり専門家だけあって、私が自分で「ここが弱いなあ」と思っていたところを笑顔でズバズバついてくる。
ありがたい。
私はこの教科書では、できるだけ文法用語を使わずに、その語が作文を書く際に持つ機能や役割に沿って説明したいのだが、そうすると一文一文の場当たり的な説明になる恐れもある。
作文を書く場面で使われる「ハとガ」の全てをできるだけ包括できるカテゴリーを設けて説明しなければならない。
そのことをS先生は正しく指摘してくださった。
感謝である。
10時から3年生「視聴説」。
今日は教科書の第5課「飲食文化」である。
内容に入るまえに、まずは教科書に載っている「ガイダンス」の文章を読んでもらう。
こんなことが書かれている。
「命は食にあり」という言葉が示すとおり、人間と飲食は切っても切り離せません。しかし、私たちは単に生きるための栄養補給として飲食文化を発展させてきたわけではありません。人類は、自分たちが生活している環境で恵まれた食材を、できるだけ健康的かつ文化的に、なにより美味しく食べるために、調理法や供し方を工夫しながら、それぞれ個性的で豊かな飲食文化を発展させてきたのです。
したがって、異なる地域の飲食文化を観察する際には、その表面だけにとらわれたり、先入観に引きずられたりすることなく、「おいしく食べたい!」という人類共通の思いを満たすために、異なる環境や条件のもとで暮らす人々がどのように試行錯誤しながら飲食文化を形成してきたのだろうかという視点を持ちながら、映像を見てほしいと思います。
うんうん、なるほどね。
私もそう思うよ。
だって、自分で書いた文章だから(手前味噌とはこのことである)。
厚顔無恥を承知のうえで、それでも「そうだよなあ」と思う(文章表現の拙さはあるが)。
ここで書いたことこそが私が「飲食文化」を学ぶ学生さんに理解してほしいことである。
だから教科書のガイダンスを書くというお仕事をもらった時に、こんなことを書いたのだ。
先の文章で書いた視点は机上でひねり出したものではなく、私の体験から来ているものである。
私は今年で海外生活7年目を迎えた。
そのうえで異文化の人々と交流する際に、いろいろとデリケートな要素が存在することを身を持って理解してきた。
そんな私の経験上、もっともデリケートな問題は、実は飲食に関するものである。
具体的な話をしよう。
以前勤務していた大学にはアメリカから来たベジタリアンの同僚がいた。
彼らはとても良い人達で、私の下手な英語にも嫌な顔せず付き合ってくれたので、よく食事をしながらおしゃべりしたものである。
ただ、私は彼らとの付き合いの中で、ひとつだけ解せぬことがあった。
それは彼らが、自らが参加する食卓に肉や魚がのぼることを決してよしとしなかったことである。
彼らは私と食卓を囲む際、私が肉や魚をオーダーしようとすると、まるでカバンの底から出てきたいつのものかわからない汚れた靴下を見るかのような目で私を見た。
仕方がない。
私は彼らとご飯を食べるときは動物性タンパク質の摂取を諦めることにしたのである。
しかし、中国で「野菜だけ」の食事会をするって、なかなか難しいよ。
まあ、それはいい。
話を戻そう。
別に私はベジタリアンに対してどうこういいたいわけではない。
彼らが自らの主義を貫くのは彼らの自由である。
しかし、食卓を囲む他人が口にするものに対して、自分の主義から「それは頼むな」というのは、ちょっと違うのではないだろうか。
話題を変える。
あるとき私は日本から来た客人を中国の大学側の一員として接待したことがあった。
中国側の大学は宴会を開き、地元の特徴ある料理を振る舞ったのであるが、その卓の上には海外からの客人のために「田鶏」が供されていた。
この食材、漢字だけ見ると鳥料理のようだが、実は「ウシガエル」である。
「田んぼに棲んでいる鶏肉っぽい食感の食材」だから、まあわからなくもないね。
日本から来た客人は、この「田鶏」を指さしながら、彼の隣に座って接待していた私に「これ、なんですか」とご下問された。
私はそれが「ウシガエル」であることを告げ、
「日本ではあまり食べませんが、こっちでは一般的な食材ですし、なかなか美味しいですよ。いかがですか?」
とおすすめした。
すると彼の日本人は、眉をひそめ口をへの字に曲げ、胸の前で両手をブンブンと振りながら、「いやいやいやいや、無理です」と断ったのである。
むろんその場には多くの中国人(うち数人は日本語を解する)がいたわけであるが、客人に当地の食べ物を振舞った挙句、「いやいやいやいや、無理です」と言われた胸中はいかがなものだっただろうか。
私は中国人ではないが、正直嫌な気持ちになった。
彼だって、彼の地元(どこだったかな)の名物を中国からの客人に振舞った時に、その中国人から、
天哪!你们这边吃这么恶心的东西吗?哦,我无法理解。(うげえ、あなたたちはこんな気持ち悪い物を食べるんですか? 理解できない……。)
的な反応をされたら気分を害するだろう(まあ、彼はそこまでの反応はしなかったが)。
もちろんアレルギーがあるとか体の調子が悪いとかなら仕方がない。
しかし、そうでないのならば、出されたものをできるだけ口にしてみるのは大事なことだと私は思う。まあ、礼儀というものは他人に説くものではないとも私は思うから、別に他人にどうこう煩く言うつもりはないが。
要するに私が言いたいことは、異文化交流において食というものはかなりデリケートな問題になりうるということである。
だから私は中国でも日本でも、出されたものは必ず口にすることにしている。
そして幸運なことに、「うっわ、まっず!」と思った経験が一度もない。
食わず嫌いが多い食材(ピータンとかパクチーとか犬とかカエルとか)でも、私は美味しくいただくことができる。
それがどれだけの利益を私にもたらしたかどうかはわからないが、すくなくとも「出したものをニコニコぱくぱく食べる外国人」として私は自然に振舞ってきた。
そういうのって異文化で生活する上で大事だと思う。
ということをお話する。
「それって先生が食い意地張っているバカ舌なだけじゃ……」
うん、それ言わないで。
授業後はいつもどおり13時から研究計画書作成のためのゼミ。
OさんとSさんにいろいろお話する。
夜にその2人と近所の日本料理屋へ行って、引き続きお話する。
研究というものは孤独なものである。
今までの自分の言葉では表現できないものを自分の言葉で表現しなければならないという、いわば矛盾に満ちた、引き裂かれた人間の活動だからだ(他人の言葉で説明するには研究ではない)。
それはセミが羽化するのに似ている。
教師ができることは、そんな宙ぶらりんでもがいている学生さんに対して、ただただ話を聞いてあげるとか、言葉をかけてあげるぐらいである。
それは私が教師として未熟だからではなく(未熟だが)、そもそもがそういうものだからだ。
だって、代わりに書いてあげるわけにはいかないでしょ。
頑張れ。
16日(水)
オフ日。
前日少し飲みすぎたようで、9時半まで爆睡。
10時に大学へ行き、またS先生と「ハとガ」談義。
私が文章としてまとめた「ハとガ」の説明を、昨日イラスト担当のSさんが可愛い絵にまとめてくれた。
なかなかわかりやすくて良いのだが、文法の専門家の目にどう映るかチェックするために、S先生にもその絵を見ていただいた。
今日指摘されたのが、(絵についてではなく)私の「ハとガ」のカテゴリ分けについてである。
つまり、私が分類した「ハとガ」のカテゴリ分けの中の、「判断のハ」「断定のガ」という2つの区別がつきにくいということである。
「判断のハ」とは、たとえば、
(遠くのグラウンドを走っている人物を眺めながら)「あれは誰だ?……ああ、グラウンドで走っているのは、先生です」
という場合のハであり、「断定のガ」とは、
(グラウンドには座って話し込んでいる二人組と走っている人物がいるが)「3人いるけれど、走っているのが先生ですよ」
という場合のガである。
文法的には、先の例文のハのあとに来る情報(つまり「先生」)は聞き手にとって未知の情報であり、ガのあとに来る情報(「先生」)は聞き手にとって既知の情報であるとされる。
つまり、「グラウンドで走っているのは」という発語がされた時点では、聞き手はまだ「先生」という話題の存在を知らないのに対し、「グラウンドで走っているのが」という場合は、この発語がされている時点で既に「先生」という話題は聞き手-話し手に共有されているのである。
とはいえ、作文教科書においてこれを説明する意義があるのかどうか、私にはよくわからない(学生さんの眠気を誘いそうだし)。
なので、そういう文法知識はショートカットして、イラストとともに「判断のハ」「断定のガ」とカテゴリ分けしたのである。
S先生のご指摘は、ずばり「判断と断定って同じじゃないですか?」というものだった。
同じような質問をおとといLさんもしていた。
もしかして、これって中国語と日本語でよくある「同じ単語・微妙に違う意味」というやつだろうか。
たしかにネットで調べてみると、中国語の“断定”は、
“如何断定丈夫出轨”(夫が浮気をしているとどうやって判断する?)
のように、日本語で言う「判断」の意味で使われている例もある(後ほど意見を伺ったL先生が言うように、この中国語はおかしいという意見もある)。
ほかの日本人がどうお考えか私は分からないが、すくなくとも日本語の場合、私は「判断」と「断定」は違うと思う。
「判断」とは、あるものごとの善悪や好悪、性質などの事柄について、人間が主体的に認識し思考したあとになんらかの一時的・一面的評価をつけることであり、「断定」とは、ある物事に対して最終的かつ決定的な評価を下すことである。
心配なので講談社の『類語大辞典』を引いてみると、次のようにある。
【判断する】前後の事情などから考えて、確かにそうであろうと決めること。「公正に~する」「~を誤ると人命にかかわる事件となる」「文脈から意味を~する」
【断定する】はっきりとした判断を下すこと。「彼を真犯人と~する」
やっぱり日本語の「断定」は「決める」とか「思う」ではなく「下す」という動詞を使って説明されるほど、重く強い語気を持つようだ。
だからさっきの中国語の“如何断定丈夫出轨”を「夫が浮気をしているとどうやって断定する?」と訳してしまうと、まるで奥さんが旦那と別れたがっているから探偵に調査を依頼するような意味合いになってしまうが、原文の意味はそうではなくて、「うちの人最近帰りが遅いけれど、他に女がいるんじゃないかしら……なんか不安だわ」ぐらいの軽さを伴ったものなのである。
難しい。
話を戻そう。
「グラウンドを走っているのは先生です」は、「グラウンドを走っているのは……」という節のあとに「人間です」とか「犬ではありません」とか「男です」とか「私のタイプです」とか、いろいろ続きうる情報の中から「先生です」という、発し手の主観的で一面的な説明をしたものに過ぎない。
一方、「グラウンドを走っているのが……」という節は、(先に述べたように)聞き手と話し手に既知の話題として認識されている「先生」が存在する以上、「先生」を他の要素(グラウンドに座っている人間とか)から切り離し、決定付ける判定なのである。
英語で言えば、前者はjudgeであり、後者はconcludeである(たぶん)。
とはいえ、この教科書を使うのは中国人学習者であり、なおかつ私の解説文は中国語に翻訳されることになっているので、このままではマズイのは確かである。
ということで、「判断のハ」「断定・強調のガ」とした。
「特定のガ」でもいいような気がしたが、これだと日本語の「犯人は〇〇だと特定されました」みたいな一文をもってきて「ハも特定の時に使うんじゃないの」とめんどくさいので(実際には「犯人」という主題に対する説明のハなんだろうけど)。
12時になったので、切れた電子辞書用の電池を買うついでに、散歩に出る。
校内には木犀が多く植えられているので、キャンパスを吹く秋風に木犀の良い香りが混じっている。
木犀の香りはとても好きだが、木に近づきすぎるとけっこう香りが強くなる。
まるでトイレの芳香剤のよう(もちろん芳香剤の方が木犀に寄せているんだが)。
30分ほど歩いたあとオフィスに戻り、14時まで校正のお仕事。
14時から学生さん2名が作文を持ってきたので、16時まで検討会。
そのあと少し校正を進めたあと5時前には退勤。
スーパーへ行って「いつもの」食材を買い、「いつもの」ルーティーンをこなし、就寝。
17日(木)
授業は10時からなので、少し遅めの8時に起床。
シャワーを浴びて身支度を整えてから大学へ。
お湯を沸かし、コーヒーとお茶を淹れ、ニュースをチェックしながらヨーグルトとりんごで朝食を済ますという「いつものルーティーン」をこなす。
「いつもいつも同じことをして飽きないの?」とあなたは言うかもしれない(言わないかもしれない)。
別に飽きない。
全然飽きないのである。
だって私自身が日々コロコロと変わっているんだもの。
表面的に同じことをしていても飽きるはずがないじゃないか。
コーヒーを啜っていると、K先生から学院の教室に張り出すための環境美化のスローガンを日本語訳することについて相談を受ける。
中国の街中でよく目にするスローガンは、中国語的な音遊びや表現があるので、なかなか日本語には訳しにくい。
うんうんと唸る。
唸っているあいだに授業の時間になったので、教室へ。
3年生の「作文」である。
先週から言い続けている「自分の意見を書くこと」についてお話する。
詳細は非常に長いので割愛(いずれどこかで書くだろう)。
かなり熱を入れてお話したので、大部分の学生さんには理解していただけたようである。
ありがとう。
ずっと喋ってお腹が減ったので、ぐるりと散歩したあと昼ご飯。
いつもの拉麺屋さんに行こうと思っていたのだが、途中で気が変わって、その隣にある「がちょう」を売りにする麺屋さんへ。
浮気。
ここへ来るのは、おそらく半年ぶりぐらいではないだろうか。
“鹅肠面”(ガチョウの腸入りタンメン)をオーダー。
麺が来るまで無料サービスの漬物をポリポリ食べながら待つ。
5分ほどで麺が仕上がり、お店の人に呼ばれたので、カウンターまで受け取りに行く。
そうそう、これこれ。
私はこの「ガチョウの腸」が大好物なのだ。
コリコリとした歯ごたえがたまらない。
スープもガチョウからとったものだろう、優しく濃厚な味わいである。
麺は、コシはあまりないがツルツルとした食感でスムーズに喉を通過していく。
うまし!
満腹したので、秋晴れを楽しみながら歩いて大学に戻る。
16時からの出版社との打ち合わせまでのあいだ、パソコンに向かい校正と原稿書きを同時進行的にこなす。
16時に出版社の担当者2名と合流してから「いつもの名園」へと移動し、まずは打ち合わせ。
今回私が担当するのは、シリーズの中の一冊なので、他の分野(語彙とか文法とか)を執筆する先生方も同席して打ち合わせをする。
私の教科書に関しては、ほぼ100%同意をいただけたので、一安心。
相談をするなかでいろいろと新しいアイディアが沸いてきて、その場で提案する。
これも「いいアイディアですね!」とお褒めいただく。
嬉しい。
ものを作るって楽しいな。
ひと段落したところで食事。
担当者の方々は蘇州からいらっしゃったわけであるが、なんとお土産として上海蟹を8杯お持ちになっていた。
レストランの担当者に頼んで調理してもらった蟹が、食卓に上る。
ようは私が子どもの頃近所の川で捕まえて遊んでいた「モクズガニ」の一種なわけだが、大きさが段違い。
外から見ても身がパンパンに詰まっているのがよくわかる。
実は上海蟹を食べるのは初めて。
上海の浦東国際空港のなかや近所のスーパーなんかで売られているのをみたことは幾度もあるが、高いんだよね(1杯100元、日本円で1600円前後だったりする)。
貴重な体験の機会をくださった出版社の方々に感謝しつつ、いただきます。
おお、これが噂に聞く上海蟹の「蟹ミソ」であるか。
カニの甲羅をこじ開けると黄金色のミソがぎっしりと詰まっている。
とても濃厚でクリーミーで……。
あかん、「バカ舌」が舌が肥えてしまう。
O主任(語彙の教科書の執筆担当)が「カニがあるなら『黄酒』(いわゆる紹興酒、老酒)でしょ」ということで、この日は白酒ではなく熱燗にした紹興酒を頂く。
う~ん、寒さが増すこの時期にはもってこいである。
食卓にはほかにも安徽特産の美食がふんだんに並べられていたのだが、それらをほったらかしにして、一同しばし蟹と取り組む。
日本でも中国でも、人間というものは蟹を食べる時には無口になるものである。
最近の私は、よくある「比較文化論」があまり好きになれなくなってしまった。
その理由は、「比較文化論」に熱中する論者たちの多くが比較して差異を発見することだけに気を取られ、その奥にある「なあんだ、けっきょく人間ってみんな同じなのね」という「身も蓋もないけれど、暖かい」人間性の発見に注意を払っていないように見えるからである。
人間なんて、どこで生まれ育っていようが、そのつまらなさも偉大さもたいていは同じであると私は思う。
そこ「だけ」理解できれば、表面上の些細な違いなど、交流を決定的に阻害する要素にはならないのではないか(甘い考えかもしれないけれど)。
蟹を無事に殲滅し、21時過ぎには食事会をお開き。
場所を近くの喫茶店に移し、ふたたび討論。
「黄酒」の酔いと1日の疲れで脳の稼働率10%ばかりのところに中国語で討論なので、私はうすら笑いを浮かべながら「へへっ」とか「あは」とか発することしかできないのだが、同席。
こういう場にご一緒させていただいて話を聞かせていただくと、いろいろ勉強になることが多い。
結局日付が変わる直前まで相談が続いた。
明日お帰りになる出版社のおふたりをホテルまでお送りし、家に帰ってシャワーを浴び、ばたんきゅー。
蟹、美味しかった。
日記(10.12~14)
12日(土)
小雨。
国慶節休暇の振替出勤日なので土曜日なのに朝から大学へ行き月曜日の授業をする。
おもわず、
どようびなのにげつようび。
どようびだけどげつようび。
どようびなんだがげつようび。
やすみをまとめてとったから。
などとポエムを綴ってしまう、あめふるどようびだから。
なにはともあれ今日は6コマ入っているので頑張るぞ。
まず3年生の「ビジネス日本語」をこなす。
授業中にいろいろ思いついたことがあるが、それはまた今度。
3、4コマ目は4年生の「視聴説」。
雨の土曜日に学校に来て憂鬱なのは学生さんも同じである。
ということで、今日は映画を見ましょう。
「わーい」
とはいっても、大学の授業なので、それなりのものをご覧いただく。
小津安二郎『東京物語』である。
2時間以上ある映画なので今日は半分だけお見せする。
酔っ払った笠智衆が、うだつの上がらない息子への不満を漏らす東野英治郎に、
「わしもそう思っとったよ。じゃが、それは世の中の親の欲というものじゃ」
と諭すところで、今日は打ち止め。
うだつのあがらない息子として、遠く長崎に暮らす父母を思い、申し訳なく思う(ちょっとだけね)。
学生のみなさんも自分の親への思い自分への親の想い、そして親孝行のあり方についてそれぞれ考えているらしく、シーンとしてしまった。
なんかごめんね。
昼食をとりに小雨の中いつもの麺屋へ。


空腹だったので、レギュラーの「牛肉麺」に油揚げを4枚トッピングしたものをズルズルと啜る。
満腹。
良きかな。
オフィスに戻り16時からの授業までデスクワーク。
授業は2年生の会話。
やんややんやおしゃべりし、すべての仕事が終わったのは18時すぎ。
疲れた。
雨が降るなかスーパーへ行き、夕御飯の材料を買い、ビニール袋を下げて帰宅。
ローラー・食事・酒というルーティンのあとに、日付が変わる前には就寝。
13日(日)
目覚まし時計のアラームで6時起床。
外は昨日とかわらず霞模様。
今日は休日なのだが朝から大学へ。
来週出版社の担当者と打ち合わせがあるのだが、その時にある程度仕上げた原稿を一部分お見せしなければならない。
ということで、朝から執筆作業。
11時半まで身じろぎもせずパソコンに向かう。
肩が凝ったし眼も疲れたので散歩に出る。
この時期の合肥はたいていどんよりと灰色に曇る。
大気汚染も少しずつ酷くなっていく季節である。
それでも秋の風には金木犀が香っているし、足元に目を向けると綺麗な花々が咲いている。
1時間ほどてくてく歩く。



そのあとOさんと食事。
食事をしながら「ハとガ」に関する箇所を読んでもらい、忌憚なき意見を頂くのである。
とはいえ、Oさんはあまり忌憚なき言い方をする人ではないので、忌憚無き意見は頂けず。
ただ、自分で「ここはちょっとなあ」と思っていた問題箇所をピンポイントで指摘してくれたので助かる。
1時間ほどお話する。
食後はオフィスに戻り仕事を再開。
15時に挿絵を書いてくれるLさんが来て、絵柄やら構図やらについて、オフィスに積み上げているいろんな漫画(私の私物)をパラパラと読みながら検討。
これは単なる挿絵ではなく、私の解説文とコラボすることで文法をわかりやすくお伝えするためのものなので、私のイメージをいろいろな表現でLさんにお伝えする。
ふたりで「難しいね」と言い合いながら相談。
そうこうしているうちに夕方。
明日はまた6コマ入っているので早めに帰宅。
いつものルーティーンをこなし、就寝。
14日(月)
学期8週目のスタート。
5時起床。
シャワーを浴びて6時すぎにオフィスへ。
今日中に原稿の一部を出版社に送るということだが、今日は6コマ入っている。
なので、寸借を惜しんでなるだけ仕上げておきたいのだ。
通勤途中に空を眺める。
綺麗。


コーヒーを淹れ、りんごとヨーグルトで朝食を済ませ、仕事に取りかかる。
8時の授業開始まで集中して執筆。
8時から12時まで授業。
3、4コマの「視聴説」では、おとといに引き続き『東京物語』を最後まで見る。
みんな映画に引き込まれ、最後まで席を立つものがいない(まあ授業中だから当たり前なんだけれども、それでもトイレに行きたいとかあるし)。
私は『東京物語』を見るのはこれで10回目であるが、毎回涙が滲んでしまう。
今回も例外ではない。
授業中にウルウルしちゃあかんだろと思いながらも、感極まる。
全部見終わったあと、学生さんに感想を書いてもらい、意見を伺う。
やはりみなさん「親孝行」や「家族関係」について考えさせられたようである。
私は思うのだが「親孝行」に絶対的な基準やマニュアルなど存在しない。
それは、いかなる親切であろうとも、他者への「親切さ」が、その「親切さ」を発揮する個人の試行錯誤や、自身の「親切さ」への評価を自分自身で下さないという態度に保証されるのと、原理的には同じである。
たとえば、「ずっと親の近くにいること」が親孝行だとは限らない(小津が『秋刀魚の味』で描いたように、ずっと子どもを自分のそばに留めた親、留められた子どもがともに不幸になることもある)。
かといって、「俺ら子どもにも自分の生活があるんだからさ」という冷めた態度を取ることは、やっぱり虚しい。
「親孝行」とは、親と子どもが、それぞれの置かれた状況において可能な範囲で、互いのことを察しながら、そしてときにはお門違いな誤解も犯しながら、それでもコミュニケーションをとり続けるという態度そのものではないだろうか。
だから、「親孝行」に正解もマニュアルもない(『東京物語』のなかで、田舎から出てきた親を構いきれずに熱海旅行を親に送り「孝行」した気になっていたのが子どもたちだけだったように)。
答えがない中で考え続けねばならぬ。
それが(親子に限らず)人間的なコミュニケーションの基本だと私は思う。
疲れたし、お腹が空いた。
気分転換に外へ行き、夕飯の買い物をしたあとに、いつもの拉麺屋へ行っていつもの麺を食べる。
「よく飽きないね」というお声もあるかもしれぬ。
しかし飽きないんだな、これが。
今回麺をかっ込みながら、後方で大音量で展開されるオーナーと客との世間話を聞いていてわかったことだが、この店のオーナーは蘭州(中国製北部の省である甘粛省の省都)出身とのこと。
蘭州とは、最近日本でも知られ始めている「蘭州拉麺」で著名な街である。
おお、本物の蘭州拉麺か。
中国では、看板に「蘭州拉麺」と出していても実際に麺を打っているのは蘭州人ではないことが多いが、ここは本物だということか。
どうりで旨いわけだ。

ごちそうさま。
満腹になったので、肌寒い曇り空の下を歩いて事務室へ戻る。

16時の授業まで原稿書きを続け、出来たところまでを出版社に送信。
そのあと2コマ授業を片付け、帰宅。
「いつものルーティン」をこなし、「いつもの晩御飯」を食べ、就寝。
日記(10.8~10.11)
8日(火)
休暇明け最初の勤務日。
5時半に起床。
寒い。
6時過ぎに大学へ行く。
机上に積み上げていた本やらマンガやらを整理しながら、蔵書の一覧表を作る。
この蔵書一覧の作成はO主任からのお願いである。
もうすぐ地区の教育庁(日本で言う各都道府県の教育委員会のようなものか)が査察に来るので、日本語学部や各教員の蔵書リストを提出するとのこと。
外国語文献(つまり日本語で書かれた原著)は貴重な教育資源として評価されるので、日本からいくばくかの書籍(だいたい500冊ぐらい)を持ってきている私にも「リストを作っていただけますか」とのことだった。
もちろん喜んでご協力する。
上司だからとか鳥目を頂いているからとか以前に、私だってここで教育をしている教師である。
この学校の社会的評価が高まり、やる気と学力に溢れた学生さんたちが今以上に集まることは、ひいては私自身が仕事をより楽に、楽しくできるということを意味している(もちろん今の学生さんだってやる気や学力はある。「今以上」というだけである)。
ここでいう「楽になる」とは、別に「手を抜ける」という意味ではない。
そうではなくて、優秀な学生さんがさらに増えれば、「え、大学生にこんなことを説明しないといけないの?」的指導に時間を割かずに済むようになるということである。
優秀な学生さんは「授業中におしゃべりしてはいけません」とか「なんで予習をしてこないんですか」とか、そういう教師も言いたくないし学生さんも言われたくない「誰得?」ワードを教師に発させない。
優秀な学生さんが多いクラスでは、教師も学生さんも気分良く教育というコミュニケーションを進めていくことができる。
すると、教師は「おーし、ならこれも教えちゃうぞ~」とターボがかかり、「教えるはずがなかったこと」まで教えてしまうし、結果的に学生さんも「学ぶつもりが無かったことを学ぶ」ことができるのである。
ここで私が言う「教えるはずがなかったこと」とは、計画外のことを喋るとか、教案から逸れた知識を提示するとかいうことだけを意味するものではない。
そうではなくて、「教師が教えるという作業をしながら、まさにその場で学び得たなにかを『即売』する」ということである。
感染力を伴うコミュニケーションの本質は“现做现卖”(その場で作り、その場で売る)である。
スピーチだってそうだし文章だってそうだ。
そして教育だってそれは変わらない。
よく言う「活きた知識」とは私にとって、それを学べば金儲けができるとか社交的に成功するとかいう類の情報や技能ではない。
そうではなくて、まさに「ほら、これ朝採れた鯛だよ」「まあ、活きがいいわね」という会話における「活きがいい」と同じ意味で、鮮度の良い知識である。
ここでいう鮮度の良い知識とは、まさにその場で「あ、今気づいたんだけど」という誘い水によって表出する言葉である。
教師というのは教育しているまさにその瞬間に、この「あ、今気づいたんだけど」に出会うことで学ぶことが出来る幸せな仕事である。
なぜ教師が自らが教えているのもかかわらず「あ、今気づいたんだけど」と学ぶ現象が生じるかというと、聞き手が語り手の話を真剣に聞きてくれるからである。
あるときは笑い、またあるときは考え込み、うなづきながら、首をかしげながら、発し手である教師が差し出した言葉を受け手がじっくりと吟味してくれる環境では、そのような話し手の感応に感応した話し手(教師)が「ぐるぐる」と動き回る言葉の運動に引っ張られることで、新たな言葉の湧水孔を探り出すことからである。
だから、学生さんがもし豊かに学びたいならば、その教師が自分の言葉を語ろうとしているならば知性のレベルを問うことなく、話を真剣に聴いてあげることは理にかなっていると私は思う。
それは教師の言いなりになるということではないし、教師の言葉を全て鵜呑みにせよという意味でもない。
教師の言葉を教師の言葉として、ただただ聴いてみてほしいというだけのことである。
私の教師としての経験はまだまだ浅いが、頭が良い学生さんには共通する特徴があると思う。
それは、試験や成績に関係ないような「教師の無駄話」でも、頭が良い学生さんたちは顔を上げて聞いているということである。
教場での私の語り方は、今こうやってご覧頂いている文章での語り口とおそらくあまり変わらない。話は長いし、脱線するし、何を言っているのかわからない(だって私だって何言っているのかわかんないんだから)。
私の話しは、とても「N1合格」や「大学院受験」に関係があるようには見えない。
だから、一部の学生さんたちは、私が「あ、そういえば今思ったんだけど」と口にした途端に視線を落とし「内職」を始める。
まあ、それはいいんですよ。
でも、「あ、これは『N1合格』や『大学院受験』に関係ない無駄話だ」と、あなたは判断することができるの?
だって、もしかしたら私の無駄話に含まれる知識や言葉が試験に出題されたり、面接で聞かれることだってあるかもしれないじゃない。
ちゃんと教師の無駄話に付き合ってくれた学生さんは、人生の思いがけない場面で「あ、これ知っている、まえ先生が言ってた」に出くわすことができるだけではなく、「これ、先生が夜中5匹の犬に追いかけられた話をしてたときに言ってたぞ」という具体的な物語付きで再現することができるのである。
知識にはその背景にそれぞれの物語がある。
知識を学ぶとは、たんに知識を覚えるだけではなく、その背景の物語を把握し、それぞれの物語として作りなおすことである。
教師の無駄話をスキップし、参考書や単語帳に向かい内職に勤しむ学生さんは、この物語を持っていない。
参考書や単語帳の知識には物語が欠けているからだ。
だから彼らは、覚えては忘れ、忘れては覚えてを繰り返すことになる。
無駄話がほんとうに「無駄」かどうか、それは現時点ではわからない。
頭が良い学生さんは経験的にそのことを知っている。
だから、彼らは教師が口にする玉石混淆の話をその場で玉と石へと分けることは決してしない。
とりあえず全部聞くのである。
人間というものは自分の話を傾聴してもらえると嬉しい。
教師という生き物は輪をかけてそうである。
嬉しいからもっと頑張って話そうといろいろ準備するし考えながら話す。
それは学生さんへ知として送られる。
結果的に頭が良い学生さんは成績が良い学生さんであることが多いし、優秀な学生さんが多いクラスはより優秀になる。
そして、そうではないクラスはそうではないまま卒業を迎えることになる。
ここからガリガリ机にかじりついて良い成績を挙げることに耽溺してきた学生さんが必ずしも頭が良い学生さんであるとは限らないことが説明できるのである。
話がだいぶ長くなったが、ようはこういう頭が良い学生さんが多いクラスは、授業をするのがとても楽だし、楽しい。
私は楽しく仕事がしたい。
だから、蔵書リストを作るという作業だって心から喜んでやるの出る(という話は今思いついた)。
とはいえ、 ずっと奥付とPCとのあいだで視点移動をすることになるので、眼がしっぱしぱ。
そうこうしているうちに時間になったので10時から授業。
視聴説の授業。
昨日までずっと「ハとガ」についてうんうん唸っていたので、自然と映像中の日本語で使われている「ハとガ」に注目してしまう。
たとえば、海洋ゴミ問題についてのビデオのナレーションに出てきた、こういう一文。
「海洋ゴミ問題、多くの人に認知はされている」
なぜ「多くの人に認知されている」ではないのでしょうか?
と学生さんたちに問いかける。「この『は』にはなんの意味もないの?」と。
もちろん意味がある。
ここのハは、対比・比較のハである。
多くの人が海洋ゴミ問題を「知っている」が「具体的な取り組みをするまでにはいたっていない」ということを、このハは示しているのだ。
このような対比・比較の存在を暗示するハ、外国人学習者のみなさんは使い方を気を付けないと、自分が意図してないニュアンスを相手に与えてしまう。
たとえば、
「先生、今日の授業はおもしろかったです」
「今日の君の料理は美味しいね」
などの表現である。
もちろん人によるだろうが、場合によっては「先生、今日の授業はおもしろかったです(いつもは面白くないけど)」とか「今日の君の料理は美味しいね(いつもはゲロまずだけど)」などというように、対比・比較の存在を感じ取ってしまい、
「私の授業はふだんはつまらないというのかね」「なによ、いつもは食えたもんじゃないって言いたいの!?」
となってしまうのである。
だから私たち日本人は、特段の意識をすることなく実際には、
「先生、今日の授業おもしろかったです」
「今日の君の料理美味しいね」
というようにハを外すのだが、外国人学習者にとってこのような肌感覚で身に付く助詞の使い方を覚えるのは、どうしても難しい。
だから、理論を説明したあとは例文をたくさん列挙してあげて、身体で覚えていただくしかない。
そこで、
「彼女は顔は可愛い(が、腹の中はまっくろである)」
とか
「彼はスタイルはいい(服のセンスはダサダサだけどね、ぷー)」
などという例文を思いつく限り列挙する。
……なんだか、私の性格の悪さがにじみ出ているような気がするが。
授業が終わり事務室へ戻る
がーがー喋ってお腹が減った。
昨日と同じく外へ行かずに昼食を済ます。
13時から日本の大学院を目指すOさんSさんとのゼミ。
このふたりは夏休み中も学校に残り、週1でゼミをしながら、自分の問題意識を先鋭化させてきた努力家である。
こういう学生さんを私は高く評価するし、そのお手伝いをするためにプライベートを削るぐらい屁の河童である。
中国では最近教育産業が急成長しており、その市場を狙って“培训学校”(予備校や塾)がどんどん誕生している。
日本語業界でもそれは変わらず、たくさんの塾や予備校が「日本の大学院留学というあなたの夢を実現します」と鼻息荒い。
別にそれはそちらさんのビジネスなのでご勝手に。
ただ、「今からやらなきゃ一流大学には間に合わわない」とただでさえ将来に不安を抱えている大学生の不安を煽るような広告を打つのはやめてほしい。
なかには進学実績を挙げるために、同時に複数の大学教員に連絡させ研究生の内定を複数とらせたあとに一番有名な大学院を選ばせるなどといった、目に余るような場合も散見される。
あのさ、研究生の受け入れって、担当教員の内諾の後に教授会での認可を得ないといけないんだよ。
ひょっとしたら、そのために事前の根回しに動いたり、面倒な人間関係に気を使ったりしてくれる先生だっているかもしれない。
そうやって受け入れの先生が動いてくれたあとに、「あ、やっぱいきません」と断るのってさ、人間として問題があるとは思わないかい。
私が実際に見聞きして知っているだけでも、そういう「あ、やっぱいきません」が続いたせいで「私はもう中国人は受け入れない」「あなたの大学の先輩が以前来ると言ってこなかったので、すみません」となってしまった例がある。
予備校や塾はビジネスだから、そういう人たちに道理を論じるだけ無駄である。
でも、塾や予備校の甘言に乗せられ、大金を払って大学の外で留学の準備をするまえに、学生さんたちにはよく考えていただきたいと思う。
あのね、そもそも日本の大学院の研究生って、ちゃんと勉強して問題意識を磨き上げて研究計画書を書きメールで希望の先生に連絡すれば、たいてい合学できるんだよ。
だって現にそうやって私と一緒に準備した過去5人の学生さんは5人とも志望校に合格した。
これは私の指導能力が優れているからではない。
ちゃんとやればできるのである。
もちろん私は彼らからお金など受け取ってはいないから、彼らは高いお金を塾に払うことなく、「日本の大学院に留学する」という夢を叶えたことになる(まあ、そのかわり半年ぐらい私とのきっつーい問答を耐え抜いたわけであるが)。
今の学生さんは自分の大学の先生に頭を下げればただで指導を受けることが可能だとは思いもよらないのだろうか。
高いお金を払ってもったいない。
「脚下照顧」とはよく言ったものである。
学生さんによく言うことだが「釣り餌」は2つの要素から成り立っている。
まず、それが「魚にでも価値が理解できるもの」であるということ。
そして、「針」がついているということである。
そして「釣り人」が「魚」より下に位置することはありえない。
4年生の諸君にはよくよく考えていただきたいと思う。
※ということをこの日に書いたが、この日記をアップする前(土曜日の昼過ぎ)にこういうニュースを見た。
日本の大学への留学を希望する外国人を対象にした「日本留学試験」で、試験問題を眼鏡型カメラで撮影したとして、学習塾の部長らが警視庁に逮捕されました。
偽計業務妨害の疑いで逮捕されたのは、中国籍で学習塾「毎刻教育」の部長、鄭鐘輝容疑者(32)と早稲田大学3年の張以がい容疑者(22)です。
2人は今年6月、都内で行われた「日本留学試験」の問題用紙を眼鏡型カメラで撮影したうえ、一部を破って持ち去り、試験を実施する日本学生支援機構の業務を妨害した疑いが持たれています。
警視庁は試験問題の情報を塾で活用する目的だったとみていますが、取り調べに対し鄭容疑者は「上司の指示に従っただけ」と容疑を否認しています。(11日18:16)
私が知る限り、多くの中国人は真面目で優しい方である。
多くの方々はこういう一部の金や利益のためには手段を選ばない人間の存在に憤っている。
私もそうである。
私はこのような自分の利益のために心を頭に隷属化させた人間を教育者だと思わない。
論文執筆中のO先生から相談を受けたので30分ほどおしゃべりして、16時にはオフィスを出る。
外はさっきまで降っていた秋の雨が上がり、澄んだ空気と青い空が広がっている。
帰宅し、夕飯の仕込み・ローラー・食事・散歩というルーティーンをこなし、早めに就寝。
9日(水)
6時起床。
あいかわらず肌寒いが良い天気。
3キロほどグラウンドを走り、シャワーを浴びて身支度を整えたあと、大学へ。
今日は授業が入っていないので、机にかじりついて原稿書きや学生さんの作文のチェックをこなす。
教科書のほうはだいぶ筆が進んで構想がまとまってきたので、ささっと章立てをつくる。
学生さんの作文のほうは……申し訳ないけれどボロボロである。
日本語が、ではない(主格のガ)。
文章そのものがひどいのである。
今回書いてもらった作文は先週の作文(「大学で英語を必修化すべきかについてあなたの意見を書きなさい」というよくあるテーマ)のリライトなのだが、学生のみなさんは私の「書き直してください」との言葉の意味をどれだけ考えてくれたのだろうか。
私はしっかりと授業で次のように言ったはずである。
「みなさんが英語の必修化に賛成でも反対でも、どちらでも構いません。でも、今の皆さんの作文は、主張の理由や論じ方があまりにありきたりで聞き飽きたものです。正直つまらない。こういう文章は、いくら論理的整合性がとれていて、日本語が正しくても、つたわりませんし『私の意見』ではありません。だって、ありきたりで聞き飽きている話は『はいはい、もうわかったよ』とあしらわれるだけだからです。そもそもそれは求められている『あなたの意見』ではないですよね。だから、もう少し考えて、自分の視点や言葉を探してみてください。ヒントを上げます。『大学で』『英語を』『必修化』、このそれぞれのキーワードについて、それぞれ分析してみるといいと思いますよ」
もちろん細かい表現は違うが、だいたいこのようなことを言った。
「英語は世界言語だから」とか「英語ができれば就職に有利だから」とか「大学英語4級(という統一試験が中国にはある)に合格できないと卒業できないから」とか「外国人に道案内を頼まれた時に役立つから」とか、そんな巷に溢れている理由をかき集めて「私の意見」作文を書いたって、悪いけれど「バカだ」と思われるだけである。
第一これらは「大学で英語教育を必修化するべきかについてあなたの意見を書きなさい」というテーマへの答えを支える理由として説得力がない。
「英語は世界言語だから」
うん。それはそうですね。で? そこからなぜに「必修化してすべての大学生が学ぶべき」とつながるの? 大学が大衆化した今の時代、すべての大学生が海外に行くわけでもないし英文論文をバリバリ読み込んで研究するわけでもないでしょ。
なぜに「必修化」すべきなの?
「英語ができれば就職に有利だから」
で? それってあなたの個人的なお金の話でしょ。
それなら民間の塾や語学学校に行けばいいじゃん。
なぜに私たち市民の税金で運営されている大学であなたの個人的将来設計のために英語を必修化すべきなの?
「大学英語4級に合格できないと卒業できないから」
じゃあ4級試験がなくなれば大学で英語を必修化する意味はないの?
「外国人に道案内を頼まれた時に役立つから」
人生で何度あるかわからないそんな特殊な場面のために、大学ですべての学生に必修化をすべきという主張は説得力がないと思わない? だいいち道案内なんて、手をひいて連れて行ってあげればいいじゃない。
このテーマに答えるためには、大学という機関が持つ特殊性と意義やそこで語学を学ぶということ、英語という言語の本質(たとえば世界言語とか簡単に言うけど、じゃあ世界言語って何よ、母語・非母語話者合わせた使用話者が多い言語って意味だと中国語が第一になるけど、英語の世界言語性は中国語にまさるでしょ?)、必修化という手段の適切さについて、じっくり考えなければならない。
テーマそのものはよく見聞きするものであるが、そんな簡単に「私はわかってますよ」という態度で答えられるものではないと私は思う。
なぜ多くの学生さんが「私はわかっていますよ」という態度でこんなありきたりな文言をつらつらと並べられるかというと、それらの文言が巷間溢れた他人の言葉であるにも関わらず、それを「私の意見」だと無邪気に思い込める程に思慮が足りないからではないだろうか。
私が先週の授業でなぜ宮沢りえの「もっと自分を疑え」という言葉や宮崎駿の言葉を紹介したか、もっと考えて欲しい。
宮崎駿が庵野秀明との会話の中で、声を当てる演者のオーディションでの態度にこうこぼしていたのを覚えているだろうか。
宮崎「もうちょっと、嫌になっちゃったんですよ、いろいろ」
庵野「役者さんですか」
宮崎「うん、役者さんが。声優じゃないんだけど、なんかね、みんなおんなじような感じで喋ってんだよね。相手の心を慮ってばっかりいてね、わかっているふりをして。それで感じを出して『感じが出てる僕』ってね。『夢と狂気の王国』より
考えていただきたいが、諸君が「自分の意見」として差し出している言葉について、諸君はほんとうに理解しているのだろうか。実はわかってなどいなくて、わかったふりをしているのではないだろうか。
もっと自分を疑って欲しい。
そのことがやがて伝わる文章や自分の意見へとつながっていくのではないか。
そうお伝えしたかったので、あれらのビデオをお見せしたのである。
もし諸君がそれぞれ「私はわかっていないのかもしれない」という自覚と「ぜひ私の文章が届いて欲しい」という態度で考えながら書いてくれれば、自然と君たちの作文には君らしい語り口と「自分の意見」が現れてくるはずだ。
だからからこそ、前回設けた800字の字数制限をとっぱらって、いくら文字数をかけて書いてもいいのでもう一度考えながら書いてくださいねといったのである。
にもかかわらず、たいていの学生さんは、前回私が修正した日本語だけを訂正し、意見や理由、語り方に関しては、ほとんど手を加えていない。
脱力。
同じテーマについて2度書いたにもかかわらず、前回とほとんど変わり映えしない文章を自分で読み返して「これでいいや」と思えるのが不思議である。
もしかして読み返してすらいないのだろうか。
ちょっとがっかり。
まあ、ようは前回から何も変わっていない。
前回チェックしたものとほぼ変わらない文章を再チェックする必要などない。
それに他人の話を聞かない人間の書いた文章をわざわざ読んであげるほど、私はお人好しでもない。
大部分の作文には「何が変わったの?」とだけ記入し、時間を節約する。
しかしなかには前回から意見を変えたり、語り方を工夫したり、理由を掘り下げたりしながら「自分の意見」を目指した作文もある。
こういう「自分の意見」を志向する態度が感じられる作文にはたっぷり時間をかけてチェックする。
「自分の意見」とはなにか。
内田樹はこう書いている。
たしかに、どんな人間のどんな文章も、それなりの定型にはとらえられてしまうことからは避けられない。
定型から逃げ出そうとすれば、シュールレアリスト的饒舌かランボー的沈黙のどちらかを選ぶしかないと、モーリス・ブランショは言っている。私も同意見である。
ひとは定型から出ることはできない。だが、定型を嫌うことはできる。定型的な文章しか書けない自分に「飽きる」ことはできる。
「飽きる」というのは一種の能力であると私は思っている。それは自分の生命力が衰えていることを感知するためのたいせつなセンサーである。
「飽きる」ことができないというのは、システムの死が近づいていることに気づいていない病的徴候である。(中略)
人間が引き受けることのできるのは、「自分の意見」だけである。
「自分の意見」というのは、「自分がそれを主張しなければ、他に誰も自分に代わって言ってくれるひとがいないような意見」のことである。「自分が情理を尽くして説得して、ひとりひとり賛同者を集めない限り、『同意者集団』を形成することができそうもない意見」のことである。
それは必ずしも「奇矯な意見」ではない。むしろしばしば「ごくまっとうな(ただし身体実感に裏づけられているせいで、理路がやたらに込みいった)意見」である。
なにしろ、自分が言うのを止めたら消えてしまう意見なのである。
そういうときに「定型」的な言いまわしは決して選択されない。
なぜなら、「ああ、これはいつもの『定型的なあれ』ね」と思われたら「おしまい」だからである。だから、「自分の意見」を語る人は、決して既存のものと同定されることがなく、かつ具体的にそこに存在する生身の身体に担保された情理の筋目がきちんと通っているような言葉づかいを選ぶはずである。
内田が書いていることと同じようなことを、私も以前どこかで(このブログかも)書いていたので、以下に自らの駄文を引用し、改めて読んでみる(もっともこの筆者に影響されてこんな「自分の意見」を書き記したという可能性は否めないが)。
私が言っていることは、だいたい今も昔も同じことである。 私は、ようは自分の言葉や自分自身に「空気穴」を確保しておきたいだけなのである。 そしてその「空気穴」を塞ごうとする言葉や人間が、私は大っ嫌いなのだ。
よくある定型文で書かれた文章や、受け売りばかり話す人間や、「俺はすごい」と(言外に)言い張る行為を私が嫌うのは、それが「正しくない」とか「間違っている」からではない。 単に「息苦しい」からである。
そして、もし自分自身がそういう言葉を繰り出したり、他人の言葉を移動させるだけだったり、「俺はすごい」という態度で振舞ったりしているのならば、それは私にとって自分で自分を窒息死させているのと同じである。
自分で自分を閉じ込めている可能性に自分で気づけないということは、「愚かなこと」を言うことと引き換えに自分の可能性を知ること以上に愚かなことだと私は思う。
思えば卒論(私にとって初めての量的にも質的にもまともな文章である)を書いた頃から比べれば、語彙や表現や文体はだいぶ変化してきている。 しかし、私のこの「隙間を縫う」ように書き、「空気穴を求める」ように語りたいという欲求だけは、一度も変化していない。 おそらくそれが私にとっての「いくら変化しても変化しないもの」なのだろう。
自分の「いくら変化しても変化しないもの」は「今」の経年比較でしか浮き彫りにならない。 だから、やっぱり「書く」っていうのは大切な作業だと私は思う
内田が言う「ひとは定型から出ることはできない。だが、定型を嫌うことはできる」とは、私がいう「自分の言葉や自分自身に『空気穴』を確保しておきたい」ということとおそらく同じものを指している。
そして私はこのことの大切さ「だけ」を、同じ表現や手法で語ってしまうと学生さんたちに「ああ、またその話ね」と受け取られてしまうので、手を変え品を変えながら、ずっとお伝えし続けているのである。
なぜって?
学生さんたちに自分で自分を「窒息死」させてしまう危険性について学んでいただくためだし、私が学生さんたちの作文で「窒息死」させられることを避けるためである。
私が学生さんに口を酸っぱくして投げかけている「自分の意見を書いてください」という言葉を、もしかしたら学生さんたちは「学校の先生がよく言う『ありきたりな言葉』だ」と受け取っているかもしれない。
確かにそういう教師はいる。
だから、そういう教師は「自分の意見ってなんですか」とか「なんで自分の意見を書かないといけないんですか」という勇気ある学生さんのつっぱりのまえに絶句してしまい、学生さんに鼻で笑われることになる。
しかし私は違う。
私の「自分の意見を書いてください」は、(内田が言うところの)身体感覚に裏付けさせられている。
なぜなら私はこの6年間、毎週毎週学生さんたちが書いた作文を大量に読んできたからである。
そして痛感した。
ほとんどの学生さんの作文の問題とは、日本語がどうかとか論理的かどうか以前に、おもしろくないことだと。
ここでいう「おもしろくない」とは、私の価値観に沿っていないとか個別の案件への意見が違うとか、そういうケチな審査基準からなされたものではない。
単純に「おもしろくない」のである。
それは「正しくない」とは違う(もちろん「間違っている」とも違う)。
むしろ「正しい」意見、「立派な」見解ばかり書かれている。
しかし、「正しい」意見、「立派な」見解とは、時に「小学生でも言える」意見・見解と同義であることが多い。
そんな作文を週に30枚読まないといけないんだもの。
私の「つまんない」は私の身体感覚に裏付けされて出てきた言葉である。
私の「自分の意見を書いてください」は私の心からの懇願である。
しかし、これを学生さんにそのままお伝えしたところで、当然伝わるはずがない(馬鹿にしてんのか!と反発を食らうだけである)。
だから私は「自分の意見を書いてください」という意見を、ときには比喩や事例を持ち出しながら、ときにはアニメや映画をお見せしながら、理解していただくよう試行錯誤しているのである。
理路が込み入ってしまって当然である。
今回の作文の教科書編集の仕事だって、そういう意味では身体感覚から発せられる「おれ、もっと面白い作文を書く学生に増えて欲しいよ」という当事者意識を持ってやっているのだ。
毎週学生の書いた作文を大量に読まされるのは私自身なのだから。
テキトーに済ませることができる仕事ではない。
14時からその教科書でサンプル文を書いてくれる3年生の学生さん4名とゼミ。
上に述べたようなことをお話する。
18時までぶっとおし。
疲れる。
そのあと、教科書で中国語への翻訳を担当してくれるOさんSさんと、挿絵を書いてくれる3年生のLさんと合流し、総勢8名で火鍋へ行き、作戦会議。
みなさん、良い教科書を作りましょう。
よろしくお願いします。
今日の支払いは私が持つので好きなものをどうぞ。
というと、なにやら高そうな魚がさばかれたもの(まだ生きている)がデーンと出てくる。
魚は好きなのでパクパク食べる。
美味しい。
がやがやわいわい話しながら、イメージを共有していただくために、それぞれに私の構想を語る。
9時にはお開きし帰宅。
あまりに疲れたので、シャワーを浴びる気力もないまま、バタンきゅー。
10日(木)
5時に起床。
シャワーを浴びて学校へ。
ゆで卵と中華まんを口にしながら、授業の準備(ちゃんとリライトしていた学生さんの作文を添削したり、レジュメを用意したり)。
今日は6コマ入っている。
先週と同じく朝から昼までは3年生の「視聴説」と「作文」。
昨日作文を添削しながら溜まった「飽き飽きしたぜ」という個人的感情を、頑張って教育的に作用し伝わるメッセージへと変換してお届けしたい。
そのために、まずは去年の4年生の「視聴説」の期末テストでお見せした小林賢太郎(ラーメンズ)の「3D」というコントとその制作背景を記録したビデオをご覧いただく。
ちなみに先のテストでは、以下のような問題を出し、以下のような参考回答を書いた。以前にもこのブログにアップしたことがあるが、もういちど公開しておく。
大問1.映像の内容を200字以内で要約しなさい。ただし、映像は5分のインターバルを挟み、2度流す。
※参考回答
小林賢太郎はスタッフから追加のコントを制作を依頼される。お題は「3D」。
初めはとっかかりを得られず困惑気味だった小林、まずは3D映像を体験しながら、3D放送ではない番組で3Dを再現するための策をねる。そして3D映像の特徴が「奥行があること」「ないものがあるようにみえること」だとつかみ、その特徴を簡単な装置で実現するため様々な試行錯誤を重ねる。結果、自分との共演という形で、みごとコントを完成させた。
大問2.映像の内容に対して感じたことをもとに、①問いやテーマを立て、②それにもとづいて自分の考えを400字以上600字以内で述べなさい。
※参考回答
なぜ彼はもがくのか?-ひとつの次元に問わられない柔軟な知性-
視点の制約はより良い思考や実践を阻む。しかし私たちの視点はどうしても限られている。一度に一つの視点からしか見ることはできないし、一つの立場でしか考えることができない。多角的に考えるというが、「多角的に考える」というのが既に一つの視点であり立場だ。決して制約から逃れ切ったわけではない。
どうすればいいのか。
大事なことは、もがいて「ねじれ」を生み出すことである。
印象的だったのが、小林が常に「ねじれ」を作っていたことだ。
例えば、自分との共演という発想は、単一の私という視点からみれば「ねじれ」である。
「二次元のものに三次元と書いてあったら何次元?」
「二次元のものに三次元のものが三次元と書いてあったら何次元?」
これらも「ねじれ」だ。
カメラ枠をなんとか抜け出そうとしたり、最後にはその枠を脱し、舞台の全体像を私たちに一望的に映しだす。
そして私たちも視聴者であると同時に、私という枠で見ていることに気付かされる。
彼は柔軟な人間だが、それは彼が(おそらくは意識的に)もがき、「いま、ここ、わたし」という単一次元に留まらないための「ねじれ」を生み出しているからだ。
柔軟な知性を得るには、自らの視野狭窄を自覚し、自らに多種多様な視点を混沌と共存させておく必要がある。
そのためには、思考を縦-横二次元で捉えるのではなく、常に「ねじれ」を含む三次元的、そして未知をも含む四次元的なものに保っておくことが重要ではないか。
小林のスゴさや才能は、映像を見れば一目瞭然である。
学生さんたちも思わず「やだ、この人頭いい……」と思ったのではないか。
でも、それを「この人は天才だから」と済ますことは、誰にでもできる表現である。
それは小林が天才かどうかとは別の次元の問題だ。
彼をすごいと思ったなら、彼のすごいところを探し出し、マネをして見ながら学ぶことで、やがてはあなた自身も自分がすごいと感じた彼の才能に近づけるんじゃなかろうか。
それは3D映像という新しいお題を楽しんで観察しながらみごとに再現した小林の仕事そのものである。
かの啓蒙思想家ヴォルテールはこういっている。
原创不过就是聪明的模仿。
Originality is nothing but judicious imitation.
独創力とは、思慮深い模倣以外の何ものでもない。
「みんなの意見」を模倣するだけだとサルまねにしかならない。
「俺の意見」をがなり立てるだけならバカでもできる。
「すごいと思った人」の「すごい」ところを見つけ出し、「すごい」の正体を観察・分析し、「すごい」を自ら再現することを通じて、世間知らずな「俺」を新たな「私」へと変え続けていくこと。
私はヴォルテールの言葉をそう理解している(彼の本意など知らん、確かめようがないし)。
昼休みに教科書編集に参加してくれている学生さんのうちのひとり(Tさん)と彼女の作文について40分ほど検討し終わったあと、昼食をとりにいつもの麺屋へ。
国慶節が終わり日が落ちるのが早くなってきたので、うちの大学では今週から午後の授業の開始時間が30分早まった。
急いで麺を啜り、午後に2コマ(2年生会話)をこなし、今日は店じまい。
疲れた。
ふつかつづけてばたんきゅー。
11日(金)
今日は授業は入っていないので、8時まで爆睡。
起床したあとラーメンズのコントを見ながら30分ほどローラーに乗り、シャワーを浴びる。
10時前に大学へ。
教材編集のお仕事。
自分が編集しているのとは別に、市内の他の大学の先生方が編集している教科書のチェックのお仕事もしているので、今日はそっちも進める。
一度に複数の仕事を進めると一つ一つのクオリティが下がるんじゃないかというお考えもあるだろうが、すくなくとも私の場合、それは気にしないことにしている。
むしろ一度に多種多様な仕事を気分で進めることで、視点や角度がごっちゃごちゃになり、それぞれの仕事に新しい風穴を開けることができると私は思っている。
私はこのことを「風を吹かせる」と呼んでいる(ウソ、今思いついた)。
「空気を読む」ことで成り立つ仕事があるのと同じように、新たな風穴を穿つことで「風を吹かせ」「空気を撹拌する」ことが求められる仕事もある。
私がここで言っている「空気」とは、複数の人間が集まって形成される「場の空気」のことではない。
単一の「私」によって淀んでいる「私という空気」である。
「私という空気」が淀んでいる限り、新たな視点やアイディアなど頭に浮かぶはずがない。
新たな視点を増やしアイディアに浮かび上がって来てもらうためには、自分自身に風穴が空いていて、常に風が吹くことで、換気が保証されていなければならない。
だから、私は頼まれれば内容や報酬にかかわらず基本的にその仕事を引き受ける(大学の外で授業をすることだけは一律にお断りしているが)。
居酒屋のメニューの翻訳だろうが、教科書の校正だろうが、関係ない。
きまぐれにしたがって同時進行的にいろいろなお仕事をしている時が、私はいちばん機嫌がいい。
なんだか頭に涼風が吹いているような気がするからだ(たんに私の脳みそがすっからかんなだけかもしれないが)。
ということで、2冊の教科書編集をしながら、学校から提出を求められている蔵書一覧を作ったり、期末テスト関係資料の不備を直したり、ネットで「水漬けパスタの美味しい食べ方」やら今週末の天気予報やらをチェックしたり、もちろんこうして日記を書いたりしながら、ふんふんと仕事を進める。
「仕事しながら私事に興ずるとはなにごとか!」とお怒りの声もあるやも知れぬが、そもそも今日はオフなのだ。
オフにもかからわずわざわざオフィスまで来て仕事をしていることをお褒めいただきたいと思う。
ということで、昼過ぎまで仕事をサクサク進める。
お腹が減ったので「カップヌードル」(シーフード)を食べたあと夕飯の買出し兼散歩に出ててから、夕方まで続けて机に向かう。
16時過ぎに「退勤」。
あいかわらずの「飯の仕込み・弱虫ペダル・ローラー・シャワー」という過程を経て、濃厚レモンチューハイとともにホタテのサンチュ巻きを食べてから、あすの仕事(国慶節連休の代替出勤で明日は月曜日の授業があるのだ)に備えて早めに就寝。
国慶節の休暇の日記
1日(火)
6時起床。
前日の6コマ授業と宴会の影響もあり、ちょっと 体がだるい。
基本的にごろごろしてすごす。
翌日に「巣湖1周」をするため早めに就寝。
2日(水)
なにをとちくるったか0時30分に突然目が覚める。
眠りなおそうとするが目が冴えて眠れない。
しかたがないので、ネットサーフィンをしているうち、明け方に寝付く。
起きると9時。
自転車はまた明日。
軽くジョギングしたり買い物に行く以外にはなにもせず休息に当てる。
3日(木)
前回書いたとおり、自転車を満喫。いやっほー!
4日(金)
8時に起床。
前日きちんとBCAAを飲みながら走ったおかげか、それとも夕食でたっぷりとたんぱく質をとったおかげか、はたまた私の身体能力がだいぶ高まったからか、そもそも「そんな大した運動強度じゃねー」からか、筋肉痛や身体のだるさはまったくない。
1時間ほど朝の散歩をしながら豆乳を飲む。
おいしい。
近くの杏花公園を歩く。
秋の景色が美しい。
家に帰ってシャワーを浴びたあと大学へ。
道中で朝食兼昼食のりんごとヨーグルト(なんか女の子の朝食みたい)を購入。
まずは昨日の自転車旅について日記を書く。
キーボードをバシバシ叩いていると、知らない男性の先生(?)がドアを開け放っている日本語学部のオフィスを覗き込んで、「加班吗」(残業?)と聞いてくる。
すみません個人の趣味です。
日記を書き終わったあとは、教材編集のお仕事。
今私が編集しているのは作文用の教材なのだが、今日は作文を書くことに焦点を当てた文法的問題の解説を書く。
とはいえ、私は日本語文法が(というより日本語そのものが)専門ではないので、なかなか難しい。
とくに難しいのが「ハとガ」である。
ほとんどの日本人は日本語教育に携わったことがないのでご存知ないだろうが、「~は…」と「~が…」の使い分けは、外国人学習者にとっていちばん厄介な文法的問題であり、教える側にとっても難題なのである。
たとえば、
「先生はグラウンドで走っています。」
「先生がグラウンドで走っています。」
このふたつの文の違いを、外国人学習者にどう説明すればいいだろうか。
こういうときに、教科書的には「ガは格助詞でハは係助詞」とかいう説明が出てくる。
が、私はこの時点でちんぷんかんぷんである。
「格助詞ってなあに? 係助詞って美味しいの?」
である。
文法が得意なクラスメイトに「ねえ、なんでこうなっているの?」と聞いても「そんなもん、そういうもんだって覚えればいいんだよ」としか返ってこなかった。
私はいかなるものごとに対しても、他人から「そういうもんなんだよ」と言われると無性に反発したくなるという、救いがたいバカである(「子どもは親を敬う、そういうもんだ」「はあ? 親子関係にもいろいろあるだろ!」みたいに)。
しかし同時に、私の「どうして?」に対してニッコリと笑いながら、「ふむふむ、それはね、実はこういう意味があるんだよ。おじさんが説明してあげよう」という人間の話は、わりとすんなりと聞くタイプである(おじさんじゃなくておねえさんならもっとすんなり聞く)。
しかし残念ながら、少なくとも古文や英文の文法に関して、「ニコニコふむふむ」タイプの教師や同窓には出会えなかった(と思う、いたのに気付かなかっただけかもしれないが、少なくとも「おねえさん」はいなかった)。
だから私は古文や英語の授業で先生が文法で文法の説明をするという循環的説明を始めたとたんに眠気に襲われたり、「意味なんてどうでもいいから、そういうもんだと思って暗記しろ!」とがなりたてる教師に「なにいってやがんだい」と反発したりしながら、フィーリングを活かし文脈を読解することで大学受験までをなんとか乗り切ってきたのである(よくそれで大学に合格できたものだ)。
そういう人間が語学教師をしていることにお叱りの声もあるだろう。
すみません。
しかし、別に自己弁護をするわけではないが、私と同じような学生さんだって多いのではないだろうか。
現に、1年生の時にちゃんと「ハは係助詞でガは格助詞です」と中国人の先生に中国語で懇切丁寧に教えてもらっていながら、作文になると平気で「『百聞は一見に如かず』という言葉は中国にあります」(ここでは「言葉が」とすべきだろう)と書いてきたり、「自分さえよければ他人がどうでもいいのか」(ここは対比関係なのだから「ハ」を使うべきだ)と言ったりするのである。
そもそもが文法学的に正しい用語や考え方を使って適切に説明したからといって学生さんの骨身になるわけではないのではないだろうか。
頭の中に渦巻く形にならないイメージの尻尾を手繰り寄せながら自分で言葉を綴っていく作文という作業を外国語でこなすとなると、なおさらである。
大事なのはその語が持つ働きをイメージで掴んでいただくことである。
ふつうはたくさん本を読むことで、自然に覚えるものだと思う。
しかし、今の若者は本を読まないのである(おお、おじさん的上から目線)。
ここで私が学生諸君に「そういうもんだから本を読め!」といったところで「ふん、なにいってやがんだい」となることは(私の経験から)わかっている。
ということで、私は私のようなひねくれた学生さんの「どうして?」に対して「ニコニコふむふむおじさん」としてこの教科書を作りたいのである。
「ハ」と「ガ」に関しては、まずは機能から説明するという方針を採る。
たとえば、「ハ」はある主題について説明・判断するときに使い、「ガ」は自分が目にしたりイメージしたりしているある現象を描写するときに使う、と説明する。
となると、先の
「先生はグラウンドで走っています。」
「先生がグラウンドで走っています。」
の違いがわかりやすくなると思う。
前者は、たとえば、学生さんがオフィスに私を訪ねてきて、
「あれ、先生いないんですか?先生は(どこでなにしているんですか)?」
と尋ねられた際に、オフィスにいる誰か(たとえばO先生とか)が、その答えとして現在先生(私)がどうであるかについて
「グラウンドで走ってるよ。なにやってんだろうね、就業時間中なのに」
と説明しているわけである。
対して後者は、自分がグラウンドの近くに行き、実際に走っている先生(私)を眺めたり、もしくは頭の中で走っている先生(私)をイメージしながら、先生(私、くどい!)が走っているという情景やイメージをそのまま写真として切り取ったかのように画像的に描写しているのである。
だから「たとえば」「仮に」のような相手の想起を期待するような語句の直後に来るのは「ガ」であることが多くなる。
というふうに機能から説明すると、自分で日本語の文章を書くことを学ぶ場合は特に覚えやすいのではないだろうか。
問題は、機能から説明してしまうと、あくまで「ハとガ」の一面的説明になってしまい、言い逃しが出てきて、「その説明だと『ハとガ』の全てを説明できていないぞ!」とお叱りを受ける可能性があることである(「ガ」には特定の意味があるとか、ほかにもいろいろ)。
それに、この「ハは説明、ガは描写」という説明だって、文単位で見ればそうかもしれないが、文章単位で見るとそう簡単なものではない。
たとえば、以下は村上春樹の『ノルウェイの森』の一部だが、さきほどの「ハは説明、ガは描写」に注目して読んでみる。
翌日の「演劇史Ⅱ」の講義に緑は姿を見せなかった。講義が終わると学生食堂に入って一人で冷たくてまずいランチを食べ、それから日なたに座ってまわりの風景を眺めた。すぐとなりでは女子学生が二人でとても長い立ち話をつづけていた。一人は赤ん坊でも抱くみたいに大事そうにテニス・ラケットを胸に抱え、もう一人は本を何冊かとレナード・バーンスタインのLPを持っていた。クラブ・ハウスの方からは誰かがベースの音階練習をしている音が聞こえてきた。ところどころに四、五人の学生のグループがいて、彼らは何やかやについて好き勝手な意見を表明したり笑ったりどなったりしていた。駐車場にはスケートボードで遊んでいる連中がいた。革かばんを抱えた教授がスケートボードをよけるようにしてそこを横切っていた。中庭ではヘルメットをかぶった女子学生が地面にかがみこむようにして米帝のアジア侵略がどうしたこうしたという立て看板を書いていた。いつもながらの大学の昼休みの風景だった。しかし久しぶりにあらためてそんな風景を眺めているうちに僕はふとある事実に気づいた。人々はみんなそれぞれに幸せそうに見えるのだ。彼らが本当に幸せなのかあるいはただ単にそう見えるだけなのかはわからない。でもとにかくその九月の終りの気持ち良い昼下がり、人々はみんな幸せそうに見えたし、そのおかげで僕はいつになく淋しい想いをした。僕ひとりだけがその風景に馴染んでいないように思えたからだ。
(中略)
僕は長いあいだそこに座ってキャンパスの風景とそこを往き来する人々を眺めて時間をつぶした。ひょっとして緑に会えるかもしれないとも思ったが、結局その日彼女の姿を見ることはなかった。昼休みが終わると僕は図書室に行ってドイツ語の予習をした。。(村上春樹『ノルウェイの森』)
この文章で村上は、キャンパスの活気ある情景を描写しながら「僕」と対比させることで、孤独な「僕」の心情を鮮やかに描写しているわけだが、その際に活躍しているのが対比の「ハ」なのである。
つまり、ここではキャンパスという大きな情景を描写するときに、そこに含まれるそれぞれの風景や人間を「ハ」を使って対比的にフチ取りしたあと、そのそれぞれを「ガ」を使って描写し、その描写で明らかになった特に細かい新しい情報に関して再び「ハ」を使いながら説明しているのである。
たとえば
すぐとなりでは女子学生が二人でとても長い立ち話をつづけていた。
という一文。
「すぐとなりでは」の「ハ」は、そのあとに続々と続く「クラブハウスの方からは」や「中庭では」などいった大学キャンパスという大きな情景に含まれるさまざまな光景と対応させるための、「対比・比較のハ」である。
こうやってそれぞれの光景とその配置をデッサン的に書いたあと、「女子学生が」の「ガ」のように、それぞれの光景を描写するために村上は「ガ」を使うのだが、こうして「ガ」を使って色を塗る(つまり「ハ」でデッサンした「すぐとなりの二人の女子学生」という枠組みを描写する)という作業をしたあとに、さらに、
一人は赤ん坊でも抱くみたいに大事そうにテニス・ラケットを胸に抱え、もう一人は本を何冊かとレナード・バーンスタインのLPを持っていた。
説明・対比の「ハ」を使って説明しているのである。
このように、実際の文章単位では、「ハとガ」は何重にも入れ子の関係になりうるのであり、そう簡単に文単位だけを以て「ガは描写、ハは説明」と説明するだけで十分なのだろうか。
わからない。
これだけとってみても、「ハとガ」について考えなければならないことは山ほどある。
難しい。
うんうんと頭を絞りながら夕方まで原稿を書く。
帰宅して夕食をとったあと、キャンパス内で夜の散歩。
うちの大学のなかには学生さんが描いたペイン ト・アートがたくさんある。
その多くは若さが醸し出す青さや、青さが保証する若さが感じられて、ようするに生き生きとしていて私は好きなのだけれど……。
薄暗い路地に書かれたこのペイント・アートは生き生きし過ぎていて、夜に通りかかってふと目に入るたびにびっくりする。
怖い。
思うに黒髪の長髪、蔦の葉っぱ、シックな衣服の女性な後ろ姿が、私に「リング」的ななにかを想起させるのだと思う。
今にも振り向きそうで、怖い(それほど良く描けているということだろうが)。
5日(土)
一夜にして冬が来た。
朝から冷たい北風がびゅうびゅう吹いていて、気温は18度あるが、体感的はかなり寒い。
今シーズン始めてウインドブレーカーを着たあとにグラウンドに行って3kmほどジョグ。
シャワーを浴びたあと10時前にはオフィスへ行き、コーヒーを入れたあと仕事に取りかかる。
ふと窓の外を見ると、冷たい雨まで降り出した。
寒い。
15時すぎまでずっと原稿を書く。
あいかわらず「ハとガ」の説明に取り組む。
お腹がすいたので、早めに退勤(まあ今日は出勤日ではないのだが)。
スーパーでベビーホタテとサニーレタスを買って帰宅。
しかし、それにしても寒い。
雨がどんどん強くなり、気温もぐんぐん下がっていく。
夏に降ったものほど大粒ではないが、やたらとトタン屋根を大きく虚しく響かせる秋の雨である。
秋という季節の持つ曖昧さと後に控えている冬の存在を説得力もって告げる雨。
現在気温は18度。
数字は大したことはないが、実際には肌寒い。
気分が変わったので、晩秋に降る雨特有の含みある雨音を聞きながら今シーズン初めての鍋を仕込む。
土鍋から立ち昇る湯気に香る昆布と鰹の出汁が良い。
私にとってこんなどっちつかずの気候は「食欲の秋」と「食わなきゃ死ぬ冬」を正々堂々と両立できる口実にもなるのだ。
食い意地張った私は大手を降ってものを食べるための口実を自分勝手に探し出す。
もし私が野生動物に生まれていたならば、きっと長生きできたことだろう。
残念ながら私は様々な価値観やしがらみに囚われた一人間である。
だから所々の事情で(主にお財布的な要因で)土鍋の中身は昆布と大根だけ。
いや、昆布と大根大好きだけどね。
おでんで温まったあと、お風呂に入り、11時過ぎには就寝。
6日(日)
寒さで6時に自然と起床。
水をグラスに一杯飲み、とりあえずローラーに20分乗る(なにがとりあえずなのかはさておき)。
そのあとジョギングウェアに着替えてから大学のグラウンドへ行き、3kmほどゆっくり走る。
グラウンドにはなにやらバルーンやら看板やらが設置されている。
よく見ると、どうやら全国的に有名な保険会社が安徽省各地に展開している各支店から選抜された代表が参加する社内運動会らしい。
企業の運動会なんて、なんだか昭和の日本の香り。
余計なお世話だろうが、せっかくの日曜日なのに(しかも寒いのに)朝から会社の運動会なんて、可哀想。
こういう「私たちはアットホームな会社」、私だったらストレスで死ぬ。「アットホーム」っていうなら家できままに仕事をさせんかい。
まあ、別に私の会社ではないので、余計なお世話である。
走り終わったあと近くのローソンへ行き、朝食としておにぎり一個を購入。
寒いので温めてもらう。
私は北海道民ではないので、日本にいたときはコンビニおにぎりを温める習慣はなかった(だいたいおにぎりって冷めても美味しいこと前提の食品だし)。
中国に来てから変わったことはいろいろあるが、コンビニおにぎりを温めてもらうようになったこともそのうちの一つである。
グラウンドに戻ってスタンドに座り、ホカホカのおにぎりをほおばりながら先の社内運動会を観察する。
そういえば、昔に読んだ椎名誠のエッセイに仲間内でテントやらスタートピストルやらを業者から借り出して本格的に運動会をやるってのがあったな。
仲間内でわいわいやるのが好きな人にとってはこういう会社は楽しいんだろうな。
そんなことをぼーっと考えていると、後ろで「あっ!」と息を呑む声が。
振り返ると原付バイクに跨った2年生のOくんであった。
いや、なぜに私がグラウンドのそばに座っておにぎりを頬張っているだけなのに息を呑む必要があるのか。よくわからないけれど、バイクをガシャンと立ててからトコトコと私の隣にまで来てちょこんと腰を下ろしたOくんと、とりとめない会話をしながら運動会を眺める。
しかしいつまでもボーッとはしていられないので、5分ほどそうしたあと、Oくんにバイバイして家に帰る。
シャワーを浴び、半年ぶりに長袖のパーカーに袖を通し、大学へ。
12時半まで原稿書き。
途中昼食をとりに外へ出る。
寒いので羊のスープたっぷりの麺を注文。
うまい。
腹ごなしに川沿いを少し歩いてスーパーへ。
夕食の買出し(鮭のあらと皮、菜っ葉)を済ませたあと、ふたたび大学に戻り夕方まで仕事。
明日まで休暇なので同じフロアには誰もいない。静かで快適。
仕事が進む。
さくさく。
5時すぎに帰宅。
帰宅途中に猫にであう。
こいつ、私の体温で暖を取りたいからって人の足にやたら自分からすり寄ってくる。
そのくせ私に身体を撫でられるのは嫌なようで、手を伸ばすと引っ掻こうとしやがる。なんて自分勝手な猫だ。
まあ猫ってそういうものだよね。
夕食(鮭のアラの酒蒸し)を仕込んでいる間に「弱虫ペダル」を1話分見ながらローラに乗る。
シャワーを浴び、夕食を済ませ、食後の散歩に出ると寒い。
家の前に焼き芋と焼き栗の屋台が出ていたので、明日の朝ごはんとして焼き芋を2つ購入。
焼き芋なんてひさしぶり。
12時前には就寝。
7日(月)
国慶節休暇最後の1日。
6時起床。
30分ほど中島みゆきを聴きながらジョギング。
寒い。
気温も低いし風も強い。
そそくさと家に戻り、熱いシャワーを浴びたあと、大学へ行く準備をする。
この風の強さだとけっこうしっかりと着込んだほうがよさそうだ。
クローゼットの奥からよれよれになった革ジャンを取り出す。
まさか10月に革ジャンを引っ張り出すことになるとは思わなかった。
9時過ぎに事務室へ行き、コーヒーを淹れたあと、昨日買った焼き芋とヨーグルトを口にしながら原稿書き。
毎日原稿書いていて飽きないかと思われるかもしれないが、同じ教材でもいろんな要素から編集しているので、全く飽きない。
今日最初にとりかかったのは「まえがき」。
編集が進むにつれ、「ああ、こういうことを伝えたいと私は思っていたのか」というイメージが少しずつまとまってきた。
だから「まえがき」もそれに合わせて少しずつ書くし、その「まえがき」を書くことで「おお、こういうことをお伝えする教科書なのね」という意識が先鋭化するにつれ、内容もますますまとまってくるのである。
13時過ぎに昼食。
寒い外に出るのが億劫なので、事務室で挂面(gua4mian4)という中国式乾麺をお湯でもどし湯切りをしてパスタ用のミートソースで和えたものとスープで済ます(邪道もいいところだが自分の胃に入るものだから気にしない)。
満腹。
朝からずっと本とPCを見つめていたので眼が限界。
結局、腹ごなしに寒風吹きすさぶ中散歩へ。
ついでに夕食の買出し(鮭のアラ、なっぱ)。
久しぶりに現金で精算したら、おつりで50元札が帰ってきた。
なんか違和感があるのでよく見ると、今年の8月に発行され流通し始めた新版の50元だった。
1999年の旧版と比べて、特に大きくデザインが変更されたわけではないが、ちょっぴり豪華さが増している。
しげしげとお札を眺めながら大学に戻る。
4時すぎまで仕事をして、帰宅。
夕飯の仕込みをする間に「弱虫ペダル」を見ながら三本ローラーに乗るという、昨日とまったく変わり映えしないルーティーンをこなす。
お風呂に入って、ご飯を食べて、お酒を飲んで、寝る。
こうして振り返ってみると、まあGWなのに平凡な生活を送ったものである。
でも、結構充実していたので、満足。
おっと、そういえば「弱虫ペダル」のなかで御堂筋くんが「充実と満足は違うよ~」と言っていた。
確かに。
私にとって充実感は動きながら感じるもの、満足感は足を停めた時に覚えるものである。
もっともっと充実させるために、まだまだ不満足でいることにしよう。
そんなことを思う。
1日で巣湖1周200kmロングライド!
10月3日(木)
国慶節休暇の3日目。
私にはこの国慶節にぜひともやりたいことがあった。
それは「自転車で巣湖1周」である。
「え、それって前にやらなかったっけ?」
そのとおり。
私は今年の8月に2泊3日の日程で1周した。
ただ、そのときはふだん自転車に乗らない2人の連れがいたし、私自身自転車にあまり乗らなくなっていた時期だったため、長距離ライドに対していまいち自信がなかった。なので、のんびりと泊りがけで1周したのである。
でも、路上で合肥の自転車乗りとすれ違って自転車談義に花を咲かせるときに、「泊まりで巣湖1周した」と「1日で1周した」とでは、だいぶ違う。
このまえ長距離ライド(140kmぐらいかな)に出たときに声をかけてきたおじさんライダーは、背中にテントを背負いMTBに乗りながら「若い子たちは速いロードが好きだよね、まあ私は今日はゆっくり時間をかけて1日で巣湖を回るよ」とにこにこ笑っていた。
私は1日で回ったことがないので「ああ、巣湖1周ですね、私も今年の夏にやりましたよ、ははは……3日かけてね」と応じるしかなかった。
そのおじさんを「すごい!」と思ったが、実際にやったことがないので本当にすごいのかどうかすらわからない。
だからこの国慶節にはぜひ1日で1周したいと思っていたのである。
学生さんや同僚の先生たちにそのことを話したところ「すごいね!」(知らんけど)とのことだったが、私は決して「すごいね!」と言われたいからやるわけではないのだ。
むしろ自分に「すごいね!」と言いたいからやりたいのである。
だから、やるぞ!
そんな私だが、これまでの1日あたりの最長走行距離は160km。
巣湖1周そのものは157kmほどらしい(前述のおじさんライダー情報)。
なので十分走れる距離なのだが、私の家から巣湖までは最短でも23kmはある。
よって1日で1周しようとなると(地下鉄で輪行するとか前日に湖畔のホテルに泊まるとかでもしない限り)合計200km走ることになる。
ホテル代が跳ね上がる国慶節のこの時期にホテル泊となると出費が大変だし、地下鉄は「折りたたみ自転車は持ち込み可」(てことは折りたたみ以外はダメ?)という、なんとも曖昧な対応が予想されるので、輪行もパスしたい(だいたいロードを組み立てるのがめんどい)。
ということで、「1日で巣湖1周(ついでに200kmにも挑戦)」ライドを決行することにしたのである。
本来は1日の国慶節当日に実行する予定だったが、この日は前日の仕事の疲れと飲み会の影響で予定より遅い朝6時に起床。
あまり状態が優れないので、パス。無理はしない。明日にしよう。
翌2日、前夜早く寝すぎて午前0:20分というとんでもない時間に起きてしまう。
予定では4時30分ぐらいに出発して車が少ない朝の街を抜け、夜明けと同時に巣湖湖畔にたどり着くつもりだったので、ちょっと早すぎる。
パス。無理はしない。安全第一。また明日。
ということで、3日である。
今度はちゃんと午前3時半に起床。
朝ごはんとしてバナナ1本、食パン2枚、ローソンのおにぎり(シーチキン)1個を食べる。
200kmは未知の世界なので、回りにコンビニなどない巣湖周辺でお腹が空いてどうしようもなくなった時のため多めに補給食(ソイジョイのようなもの、スニッカーズ、おにぎりなどなど)を用意し、サドルバックに詰め込む。ついでに各種工具と予備のチューブも放り込む。
秋とは言えまだまだ日中は暑いのでボトルを2本用意し、1本には水を、もう1本には運動中の筋肉疲労や分解を防ぐためBCAA(スイカ味)を溶いたドリンクを詰める。
トップチューブバッグには、走りながら口にするための補給食(エナジージェル、羊羹)とモバイルバッテリー、デジカメ。
ハンドルにはサイコンとケータイのほかに「ごーぷろのようなもの」を取り付ける。
ふつうロングライドともなると重さを気にするものだが、私の相棒はそもそもが9kgもあるエントリーロードだし、だいいちいくら夏休みで10kg痩せたとは言え標準体重から比べるとまだまだ重めの私である。無駄なあがきはしないのだ(それならさっさと痩せろ!って話だし)。
とはいえ、寝ぼけていたのだろうか、デジカメと「ごーぷろのようなもの」にSDカードを挿れ忘れるという痛恨のミスをしてしまい、全く無意味に数百グラムの重荷を背負ってしまったのであったのである(まあ済んでしまったことはしかたがない)。
鍵やパスポート、現金なんかはジャージの背ポケットに。
こうして準備を整えて、定刻通り4時30分に出発。
なお、200kmといえばブルベ(他人と順位を競わずに指定されたコースを走る自転車版ウォークラリーのようなもの)の最短距離であるが、200kmの場合制限時間は13時間30分とのこと。
なので、13時間半後である18時までに家に帰って来ることができたならば、ブルベに参加することを考えてもいいかもしれない(中国でブルベが開催されているのかはよくわからないが)。
薄暗い街中を、反射光ベストを着て、フロントライト3つにテールライト1個を点灯し、ゆっくり進む。
なお、夏休みに毎日ジョギングしすぎたせいかどうかはわからないが膝に若干の不安があるので、今日のライドではフロントのアウター・ギアは封印することに。
重めの私が重めのロードで「おし、時速30km巡航するぞ」なんて調子に乗って救援もサポートもない田舎で膝を壊して動けなくなるとか、バカ以外の何者でもないから。
スピードは出さずにのんびりゆっくり走ります。
4時すぎの街を流す。
街には、清掃作業のお仕事をしている方々や朝まで飲み明かしている酔っ払いたち、そして早起きしてジョギングやら散歩している人々がちらほらと見受けられる。
普段の街は(特に中国は)車やクラクションでぐちゃぐちゃぎゃんぎゃんうざったいが、早朝はスムーズに走ることができてまっこと快適である。
1時間ほどで巣湖の西岸に到着。
ここから時計回りで1周する。
10km程度走って合肥湿地公園付近を通りがかる頃には6時すぎ。
ここで日の出を拝む。
湿地公園を過ぎると「南淝河大桥」という橋に出くわす。
巣湖には多くの川が流れ込んでいるので、巣湖沿いを走ると必然的に多くの橋を渡ることになるが、この「南淝河大桥」は今回のツーリングで渡る1本目の橋にあたる。
ギアを重めに入れてダンシングしながら颯爽と登る!……と行きたいところだが、前述のとおり今日はとろとろ走る日である。
軽いギアをくるくる回しながらえっちらおっちらと橋を登る。
橋を下って数キロ走って「長臨古鎮」という古鎮に到着。
この時点で走行距離は40km。
小休止。
トイレを済ませ、おにぎり1個とエナジージェル(りんご味、あっまーい)を口にしただけで、のどかで綺麗な古鎮の景色をじっくり見ることもなく5分程度で出発。
前回の巣湖一周(8月19日の記事参照 自転車で2泊3日巣湖1周旅行(1日目 合肥市内~巣湖市内) - とある日本語教師の身辺雑記)では、この古鎮を出たあとまっすぐ東に向かったのだが、今回は巣湖に沿って南下する。
これが傾度3~4度ぐらいの緩やかなアップダウンが続く道で、左右に山が広がり景色が綺麗なのである。
そうやって景色を眺めながら巣湖を時計回りに走っていると、右手方向に「姥山島景観区」という観光地が現れる。
私は以前自転車で来たことがあるが、この景観区は飲食店も多く観光客で賑わっている観光地である。
景観区の名称に入っている姥山島とは、巣湖に浮かぶ島々のなかでもっとも大きなもの。巣湖周辺を走ると自然に目に入る島である。
景観区からは姥山島に渡る船も出ており、もし渡りたいなら渡ることもできる(もちろん有料)。
ここは以前ひととおり見たので、今回は寄らずそのまま巣湖に沿って走りつづける。
景観区を出ると巣湖に大きくせり出している半島に沿って道が大きくカーブし、これまでの南向きの進路が東向きへと変わる。
そのままずっと行くと今度は北向きへと道が曲がりぐっと湖岸に近づいていくので、右手に巣湖を一望するかたちで走ることになる。
巣湖を周回する道はよく整備されているし、車があまり多くない。
しかもこの日は気持ちの良い秋晴れ。
なので、多くの自転車乗りを見かける。
MTBに乗っているグループやクロスバイクで単独ライドをしている男の子などなど、車種や走行距離はみんなそれぞれだろうけれど、みんな楽しそうである。
途中で「現在〇〇km」と書かれた赤い看板を目にするようになる。
なんだろう(あとでわかることだが、これは巣湖1周のウォークラリー参加者向けの表示であった)。
それにしても腹が減った。
時刻は9時すぎ。
ここまでだいたい70kmほど走っている。
朝食やさっき食べた補給のカロリーなんてとっくに消費しきっている。
補給食ではなくて、なにかちゃんとしたものをガツンと胃に収めたい。
巣湖市内についたらどこかのお店で食事を取ろう。
なにを食べよう、米にするか麺にするか……。
などと考えながら一路進んでいくと、後ろからものすごい勢いで迫ってきたふたり連れのTTバイク(トライアスロンやロードレースのタイムトライアルに使われる、ロードバイクの空気抵抗やポジショニングをさらに進化させた自転車、高い)にぶっちぎられる。
たぶん時速40kmは出ているな。
しかもそのうちのひとりには見覚えがある。
たしか彼には以前にも巣湖周辺でものすごい勢いで抜かれた記憶がある。
どーぞどーぞ、こちらは安ロードでポタリングですから。
悔しくないぞ(ホントだぞ)。
なんてことを考えていると、前方にトンネルが。
巣湖1周のコースに存在するトンネルはこの亀山トンネル(約600m)だけである。
亀山トンネルに到着したということは、巣湖市内まであと10kmぐらいのはず。
早く飯が食いたい。
なんにしようかな……そうだ、卵チャーハンだ、それにしよう。
黄色く散った卵と油でコーティングされた米が美しく混ざり合った、黄金の卵チャーハン。
そういうことを考えつつも、トンネルは危険なのでちゃんとテールライトを点灯させ十分注意しつつトンネルを抜ける。
無事に巣湖市内に入ったのはだいたい10時すぎ。
この時点で約90kmを走破(「走破」というほどの距離でもないが)。
さっそく飯屋を探す。
あったあった、飯屋街。
が、どの飯屋も米がない。
いや、米はあるしメニューにも載っているのだが、まだ炊き上がっていないのだ。
そうだった。なぜだか知らないが、中国では昼にならないと米を提供してくれない店が多々あるのだ。
日本人としては(まあ、最近はそうでもないらしいが)「朝は米!」なのだが、この国では「朝は粉物」なのである。
うー、ご飯が食べたい。
私の身体が米由来の炭水化物を求めている。
サドルバックの中にはシーチキンのおにぎりがあるのだが、これはあくまで補給食である。今は食べる時ではない。
しかたがない、麺にしよう。
ついでに豆乳も頼む。
頭のなかにあった卵チャーハンを偲んで、せめてもと「菜っ葉と卵の麺」を頼んだのだが、卵が予想していたのとは違う姿で出てくる(炒められて出てくるかと思っていた)。
うん、これはこれで美味しい。派手さはないけれど、優しい味である。
汗をかいた身体に醤油ベースのスープが嬉しいね。
豆乳は頼んだあとに目の前で豆から絞ってくれる。
砂糖も何も加えられていない無調整の味わい。
筋肉をいたわりつつ、大豆のたんぱく質を補給。
ごちそうさま。
お会計とお手洗いを済ませ、さっさと出発。
いちおう「13時間30分」という制限時間を(勝手に)設けているので、そうゆっくりもしていられないのである。
巣湖市内は詳しくないので、百度のナビにしたがい前回の巣湖1周のときの見覚えのある道まで走る。
前回の記憶だと、巣湖市を出たあとの南東側はゆる~い上り坂が長く続いた気がするが……。
うん、やっぱりそうでした。
いきなり斜度10%の坂が姿を現す。
平地である合肥で自転車を覚えた私にとって、これは「激坂」である(なさけない。ちなみに私は坂の街長崎の生まれである)。
前回ここを走った時につけていたサイコン(サイクルコンピューター)には斜度表示機能がなかったのだが、今回使用しているサイコンにはそれが付いているので、いちいち斜度を確認しながら登る。
だいたい6%前後の緩い上りが数キロ続き、下り坂に。そしてまた同じような上りが数キロ続き、下りに……という道が巣湖南岸にたどり着くまで30kmほど続く。
ちょっと精神的にきつい。
しかしよく考えてみると、前回はこの道のりを37度の炎天下のなか走りきったのだ。
それを思うと今回はなんてことはない。
スマホにスピーカーを差し込み音楽を流しながら、ご機嫌でえいほえいほと登る。
巣湖市内を出たあたりからやたら歩行者の数が増えたことに気づく。
はて、ここはこんなに多くの歩行者が歩くような道ではないはずなのだが。
よく見ると、みんなお揃いの赤いTシャツを着て、各自タイツを履いたりウォーキングシューズを履いたりして、ばっちりと「おいらは歩くぜ」という格好をしている。
ここでこれまでずっと見ていた距離表示の看板が、今日開催されている「歩いて巣湖を一周しよう」というイベントのものであることを知る。
すごい。
だって、1周150km以上あるんだよ。それを歩いてって。
ずっと歩いていて飽きないのだろうか。
思わず、
「この人たち頭おかしい……」
などと思ってしまうが、もしかしたら自転車で1周だって自転車に興味がない人からしたら「頭おかしい」のかもしれない。
何事もやってみなければわからないことがある。
それはそれとして、このイベントの案内表示板には単に距離が記されているだけではなく、参加者への激励のメッセージが書かれている。
「ここで諦めたら自分がどれだけ優秀か気づけないぞ」とか「人生とは歩くことと同じだ」とか。
こういう言葉が1キロごとに目に入る。
いいことを言っているとは思うのだが、ずっと坂を登っている状態でこれを見ると、なんだがこれらの言葉が安っぽく他人事に聞こえてしまい、正直なところ「うっせーよ」と思ってしまう。
まあ、私は自転車に乗っているので、まだ楽なのだが。
そんなこんなで、前回「Rくんパンク事件」(自転車で2泊3日巣湖1周旅行(2日目 巣湖市内~三河古鎮) - とある日本語教師の身辺雑記 参照)が発生した空き小屋(今回は立派に先のウォークラリーのスタート地点兼大会本部として活用されていた)を過ぎ、巣湖南西部に到着。
この辺にはおじいちゃんおばあちゃんがやっている小さな商店があるので、冷たい「ふぁんたのようなもの」を買って休憩することに。
ちなみにここのおばあちゃん、前回も自転車に乗ってきた私にわざわざ椅子を出して休憩させてくれるぐらいに親切なのだが、方言の訛りが激しく、正直「ちょっと何言ってるかわかんない」。なので、あまり交流ができないのが残念である。
今回は近くの草っぱらで休憩。
目の前に巣湖が広がり、湖面に浮かぶ姥山島と午前中に走ってきた対岸が見渡せる。
「おお、さっきまであそこを走っていたのだなあ」と思うと、けっこう感慨深い。これも〇〇1周の醍醐味である。
この時点で走行距離はちょうど150km。
休憩や信号待ちも含めた総走行時間はだいたい9時間。
13時間半は余裕だな。残りを安全かつ快適に走るために、30分ばかり休憩することにしよう(べつに何のフラグでもない)。
さっき買ってきた「ふぁんたのようなもの」(オレンジ味)を飲む。……炭酸が弱すぎる。
まずい。
気を取り直して、エナジージェルで糖分を補給。
自転車乗りにとって、エンジンは己の身体、その身体を動かすガソリンはエネルギー、エネルギー即ち糖分である。
……うわ、あっま(いつも思うことではあるが)。
私はお酒を覚えてからというもの、以前ほど好き好んで甘いものを食べなくなっているので、ちょっと甘ったるすぎる。
でも、運動するうえで糖分は必要不可欠。
ガソリンがなければエンジンが動かない。
エンジンが動かなければ、どんなにいい自転車に乗っていても(私は乗っていないが)、宝の持ち腐れである。
我慢して水で流し込む。
ちなみにエナジー・ジェル、ごらんのとおり中国語では“能量胶”(neng2liang4jiao1)という。胶とは「にかわ」であり、ようはねばねばしたものを指すので、たとえば中国語では「テープ」を胶带(jiao1dai4)と呼ぶ。「ねばねばした帯状のもの」だしね。
このまえビリビリ動画(日本のニコニコ動画を真似た中国の動画サイトだが今や本家以上のサービスやクオリティを備えている)で自転車関係の動画を見ていたら、バナナが出てきた。
すると視聴者からのコメントで「能量蕉」というワードが出てきた。
最初は意味がわからなかったが、これが“能量胶”にかけた言葉だとわかると思わず笑ってしまった。
中国語ではバナナは“香蕉”(xiang1jiao1)というが、“蕉”と“胶”は発音もアクセントも全く同じ。くわえてバナナは栄養に優れ運動時の補給食としても万能である。
ようはシャレなのだが、こういう意味と音との両面で成り立つ言葉遊びって結構好き。
面白いし。
閑話休題。
さあ、休憩も終わったし、残り50km頑張ろう。
残りの道のりはほぼ平坦基調だが(というか、データで見ると巣湖1周のコースそのものが平坦基調なのだが)、3つの橋を渡らなければならない。
疲れがたまってきた時の橋はけっこう辛い。
まず1本目の橋(名前を忘れた)を渡ったあと、2本目の“杭埠河大桥”(hang2bu4)を渡る。
この橋から私の家までだいたい45kmほど。
渡ってすぐ左折すれば、前回の巣湖1周2日目 自転車で2泊3日巣湖1周旅行(2日目 巣湖市内~三河古鎮) - とある日本語教師の身辺雑記 に泊まった三河古鎮に行くことができる。
今回はまっすぐ合肥市内へ帰るので、まっすぐ巣湖に沿ってぐねぐね曲がりながらも北上を続ける。
そのあと20kmほど行くと、最後の橋“派河大桥”が見えてくる。
この橋を渡れば、もうそこは合肥。私の家まで25km程度である。
“派河大桥”を渡りきったところは芝生が整備されていて、国慶節の休暇を楽しむ家族連れや若い恋人たちがテントを張ったり楽器を持ち出したりしてそれぞれの休暇を楽しんでいる。
そういえばサドルバックのなかのおにぎりを1個食べ忘れていた。
家に帰ったらがっつり肉とビールでカロリーを摂取する予定なので、日持ちが効かない炭水化物を残りの23kmで消費しきるため、芝生に座ってぺろり。
さて、あと少しである。
残りは市街地を走るので、とくに面白いことはない。
車や原付バイクに注意しながら、16時半に無事帰宅。
総走行時間はちょうど12時間、約204kmを完走した。
やれやれ、なんとか無事に帰ってくることができた。
200km走る前には「200kmを超えるとキツさや走り終わったあとの感覚が何か質的に変わるのかな」とか「自信がつくかも」と思っていたが、結果から見れば特に何も変わらなかった気がするし、自信がついたわけでもない。
確かに普段よりキツかったたが、あくまで普段のキツさが時間的に引き伸ばされただけのような気がするし、自信がついたというよりは「まあ、走れるんだな」と確認するに至っただけのように思う。
もちろん今回はゆっくり走ったわけで、たとえばこれを30km巡航でとかという話になればまったく別物なのだろうが。
なにはともあれ(って言い回しが好きだな、私は)、無事に楽しく気持ちよく200km走ることができてよかったです。
唯一の後悔は、朝寒かったので日焼け止めを塗るのを忘れてしまい、顔がしっかりと「逆パンダ」になってしまったこと。
連休明けの授業で私を見た学生さんから「こいつ遊んでばっかりいたな」と思われるだろう。
なにはともあれ(ほら、また)、無事に私を乗せてくれたメリダを労わりながらスタンドに戻し、ゆっくりシャワーを浴びたあと、夕食の買出しへ。
なにしろ5000kcal以上消費したわけだから、今日は何を食べても罪悪感がないのである。
とはいえ肉体の回復のことも考え、赤身の牛肉と刺身用サーモン、サニーレタスを購入。
牛肉を一口大に切り分け、荒塩と黒胡椒をよく揉み込んだあと、網焼きにする。
肉を焼いている間にレタスをよく洗い、冷水で引き締めたあと、手でちぎってお皿に盛り、上からレモンベースのドレッシングをかける。
サーモンはそのままお刺身に。
牛肉が焼けるのを待つまでもなく、キンキンに冷やした朝日スーパドライで乾杯!
「くぅ~!」というCM的反応が自然に出る。
なにしろ帰宅後体重を量ったところ2kg減っていたのである。
それだけ汗をかいたのだ。ビールが不味いはずがない。
こうしてビールを味わいつつ、焼きあがった牛肉や新鮮なサーモンでたんぱく質を補給すると同時に1日の行程を噛み締めながら、国慶節休暇の3日目は暮れていくのであった。
ここ最近の日記
9月27日(金)
朝から夕方までぶっつづけで授業。
午前中の授業はどちらも3年生(「視聴説」と「作文」)。
今学期の「視聴説」はこれまで教科書(私が主審を務めたもの)を使ってきた。
が、教科書だけだと飽きるし、国慶節まえでお祝い気分なので、今日は別のビデオを見ていただく。
具体的に言うと「仕事の流儀」(女優 宮沢りえ)とジブリを撮ったドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」。
私がぜひ考えていただきたいのは、演技と“倣作”(zuo4zuo)は果たして同じものだろうかということである。
この倣作とは、辞書の意味では「動作が作為的でわざとらしい、貶意」とあるが、私が見聞きしている範囲内でぴったりくる日本語は「ぶりっこ」である(死語だな)。
ようは、たとえば合コンなんかで男の子を前にした女の子が両手で口を覆いながら「わぁ、すっごい美味しそう!でもこれ食べちゃったら太るかも~」などとのたまえば、(私にとっては)倣作である。
私は倣作が嫌いなのだが、なぜこんなことを学生さんたちに言うかというと、作文の中にもこのような「わざとらしい作文」があるからである。
そういう作文は、いくら日本語が正しくて理路整然としても、正直伝わってこない。
演技をめぐる宮沢りえと宮崎駿の言葉に、伝わる作文を書くために必要なものがある気がするので、ご覧いただくのである。
なんだかんだで夕方まで仕事をしたあと、夜は会食。
現在複数の中国人の先生方と教材を編集しているので、その作戦会議である。
その席に市内の日本語塾の責任者の方が来ていて、日本人教師が足りないので非常勤できてくれと頼まれる。
ときどきこういうお話を頂く。
お声をかけていただくのは非常にありがたいのだが、結構困る。
契約上、基本的に非常勤の仕事はできないことになっているし、なにより今は忙しい。
しかし、相手もかなり熱心に粘るので、とりあえず29日にその学校へ行き、見学だけすることに。
はあ、大変だ。
28日(土)
朝から大学へ行き4時過ぎまで原稿を書く。
そのあと折り畳み自転車に乗り、11km離れた日本料理屋へ。
今日は合肥市内の日本人教師や日本語を教えている中国人の先生たちとの食事会なのだ。
私はお酒を飲むので、行きは自転車、帰りは折りたたんでバスで輪行するかタクシーに乗せて帰る。
こういうときに折り畳み自転車は本当に便利。
店の前でささっと折り畳み、輪行袋に自転車をしまって、お店へ(自転車は受付カウンターで預かってくれる)。
久しぶりにお会いする日本人の面々や中国人教師のかたがたと、ビールを飲み天ぷらやらニラ玉やらをつまみながら、久闊を叙する。
口々に「痩せましたね」と言われる。
まあ、前回会った時から7kgは減っているからね。
私は久しぶりに会うたびに太ったり痩せたりを繰り返している「月」のような人間である。
きっとみなさん「バカかコイツは」とお思いだろう。
私だってそう思う。
明日は日曜だが国慶節の連休を作るために振替出勤となっているので、9時過ぎには散会(私はオフだが)。
自転車を抱えてタクシーを拾い、家に帰る。
シャワーを浴びたあとに爆睡。
29日(日)
金曜日の振替出勤日だが、金曜は一日中授業がないので、今日はオフ。
しかし、一昨日の約束があるので、地下鉄で20分ほどのショッピングモールに入っている語学学校へ見学へ。
受付に行き「あの~」と口を開きかけると、カウンターのお姉さん(たぶん大学を出て間もないであろう)がびっくりしたように「あ、〇〇先生」(私の名前は伏字にしておく)と声を上げる。
はて?
私はあなたのようなピチピチに若くて綺麗な中国人を存じ上げないはずだが。
聞けば、前任校で一年だけ教えた学生さん。
「先生、私は××ですよ!」(彼女も名前も伏せておく)とお名前を教えていただくが、まったくピンと来ない。
「あ、ああ!××さんね、いやあ、大人になったねえ。綺麗になってたから気づかなかったよ、はは、はははは」と誤魔化すが、たぶん誤魔化せていないだろうな。
私が薄情者なのだろうが、最近では卒業した瞬間に多くの学生さんの名前を忘れてしまう。
私は悪い先生です、ごめんなさい。
出迎えてくれた責任者の方に学校を案内されたあと、懸案の「非常勤をお願い!」について、中国語で1時間半議論をする。
とはいっても、私としては「すいません、無理です」(ほんとうです)がほぼ決まりなので、ほぼ説得である。
お金の問題とかではなく、今は本当に状況が許さないことを、私のボロボロの中国語で伝え、納得していただかなければならない。
大変である。
しかし、なんとか了解していただき、今後も仲良くしましょうということで、なんとかまとまる。
ぐったり疲れて帰宅。
さっさと寝る。
30日(月)
キャンパス内はすっかり秋の雰囲気。
キャンパスに棲みついている猫たちも来る冬に備え、忙しそうである。
中国では今日が国慶節の連休前最後の出勤日。
しかし、今日は授業が6コマ入っている。
気力を振り絞りながら、18時10分まで授業をする。
最後の1コマは2年生の授業だったのだが、早く休暇に入りたいのは彼女たちも同じ。
終業のベルが鳴って、私が「はい、では終わります。みなさん、良い休暇をお過ごしください。おりがとうご……」と言い終わらないうちに、多くの学生さんが荷物を引っつかんで、まさに「脱兎のごとく」教室から消える。
良い休暇を。
本来ならば私もこれで家に帰って早寝をし、翌日早朝に「国慶節ライド」をするつもりだったが、突如日本語学部のみなさんとの食事会が入ったので、出席。
大学によっては日本人教師と中国人教師との交流が全くない大学もあるが、うちはかなりフレンドリーである。
北京の大学博士課程に勉強しに行っていたO先生と日本留学から帰ってきたL先生が、それぞれ白酒と紹興酒(どちらもけっこう高い)をお土産として持ってこられたので、私は白酒を頂く。
うまい。
美酒美食を頂きながらみなさんと歓談しているうちに、6コマ授業をこなした疲れもあり、すこしおねむに。
9時半にお開きになったあと、ベッドに潜り込み、「国慶節ライド」は2日にしようと思いながら就寝。
独学の楽しみと「サル」の愉悦について
秋である。
だんだんと寒くなるこれからの時期、室内でも運動できるように、新しく自転車のローラーを買った。
以前から固定式ローラーは使っていたが、今回導入するのは自転車を固定せずそのまま上に乗って走る、通称「3本ローラー」。
固定式ローラーは自転車に取り付ける手間がかかるが、なにぶん固定されているので、安心してペダルを踏むことができる(スマホで映画なんか見ながらね)。
その代わり、ペダルを踏んでも回るのは後輪だけ。前輪が回っていないので、路面を走るのと同じ実走感が味わえないし、なにより自転車に必要なバランス感覚がいくら乗っても身につかない。
一方の「3本ローラー」は、自転車ごと乗るだけでいいので手間がかからないが、幅40cmぐらいのローラーの上を走るわけだから、ちょっとでもフラフラするとすぐに「コースアウト」してしまう。
結構怖い。しかし、実際に走っているのと同じ感覚があるし、バランス感覚をシビアに鍛えられるというメリットがある。
私も今後は200km、300kmとロングランの距離を伸ばしていきたいので、これまでのように週末楽しく走るだけでは不十分である。
ということもあって、安物ではあるが「三本ローラー」をネットで購入。
その「ローラー」がさっき届いたので、組み立てる。
私は、それが楽器であろうとデジカメであろうと炊飯ジャーであろうと、入門書や説明書やマニュアルの類いをほとんど読まない(読めない)人間である。
なぜ読まない(読めない)かというと、その手の文章って、「これを読むと〇〇ができるようになる」という結論が初めから分かっているから、「是非とも読みたい」という欲求を刺激してくれないのである。
私はなにかが「わからない」から文章を読むわけだが、それは単に「やり方がわからない」だけではなく、「これを読むとなにができるようになるかわからない」から楽しみながら読むわけである。
だって、そういう文章って、読む前の自分と読んだあとの自分そのものを根本的に変えちゃったりするでしょ。
そういうのって楽しい。
しかし、取説とか入門書は、あくまで私が手段として読むわけだから、いくら知識や情報や技術が身に付いたって、私自身の価値観とか世界観を一変させることは期待できない。
そういう文章は、私の「是非とも読みたい」という欲望を換気しない。
そういう私だって、仕事の必要性で購入した商品だったり身につけなければならないスキルだったら、「是非とも読まないといけない」なので必死で読むかもしれない(読まないかもしれないが)。
しかし、これはあくまで趣味の「おもちゃ」である。
「おもちゃ」はそれ自身が有する楽しみが豊かであるからこそ「おもちゃ」である。「おもちゃ」を楽しむために、わざわざ結論がわかっていて面白くないと思う文章を「是非とも読みたい」とは思わない。
なので、こうやって新しい「おもちゃ」を手に入れるたびに、私は「サル」化する。
つまり、床にどすんと座り込んで、新しい「おもちゃ」と向き合いながら作りや形を観察し、手に取って「あーでもないこーでもない」といじりまわす作業を繰り返すのである。
きっとその製品の開発者やその分野の玄人の立場からみれば、サルの思考実験とさして変わりはない風景だと思う(天井に吊るされたバナナをどうやって手に入れるか的な実験)。
まあ、実際に「はあ? どうなってんのこれ」とか「あ、そういうことね、サルかお前は」などとひとりでブツブツ言いながらやっているわけだし。
そうこうして、マニュアルを見れば10分で済んだであろう組み立てに30分かけて、ようやく完成。
嬉しい。
さっそく自転車を持ってきて乗ってみる。
おお、これは難しい。
普段路上を走っているときは気づかなかったが、幅が限られたローラーの上を走ってみると、今まで自分が如何にテキトーに自転車を扱っていたかがわかる。
たとえば、ハンドルへの体重の荷重を少しバランス悪く分配しただけで、一気に車体がぶれる。するとローラーから落っこちそうになる。
ひえ~、難しい。
それでも、これまた「うわ、これ難しいな」とか「んなもん、できるわけねーじゃん(泣)」なんてブツブツ言いながら10分ほど乗っていると、少しずつコツがつかめてきた。
楽しい。
私は自転車に乗り始めてから3年ほど経つが、こんなこと本を読んだり先生についたりして勉強している人からすれば、きっと「初歩の初歩」なのだろう。
そしてこんな少しの達成で喜んでいる私は、道具をうまく使用してバナナを手に入れて喜んでいる「サル」並みなのかもしれない。
でも、それでいいのである。
それが独学の醍醐味だし、自分の頭と身体を駆使しながら、少しずつできるようになったりわかったりするのは、本当に愉しいのだから。
それは向上心なんて立派なものではない。
「サル」が「サル」なりに進化していくことに感じる単純な愉悦である。
早く人間になりたい。