「あやまる」ってのはあれだね、恥ずかしいものだね。
今日私は謝った。
なぜかというと、自分の過去の誤りに今日になって気づいたからである。
2週間前の夕方のこと。
O主任から「この文章の日本語の意味がとれないんですが」と相談を受けた。
確かにその文章は少しごちゃごちゃしていて、よく文意が理解できない。
その文章を翻訳した中国語は更に「意味ぷー」である。
読みかえすと、文章中に「食料があったから良かったものの、命あってのものだねも危ういところだった」という一文があった。
うーん。
よく意味がわからない。
これを私は「食料があったから良かったものの、危ういところだった。命あってのものだね、ははは」と理解し、O主任にそのようにお返事した。
そう。
ご賢察のとおり。
私は「命あっての物種」の「ものだね」を、「もの+だ+終助詞『ね』」と誤解したのである。
なぜそんな誤解をしたかというと、まず「命あっての物種」という言葉を知らなかったからである。
恥ずかしい。
もちろん「命あっての物種」と漢字で表記してあれば、「物種」に「ん?」と引っかかって、きちんと辞書を引いたことだろう。
しかし、どうあれ引かなかった。
さらに私はこの意味不明な文章の意味不明さを、「ああ、これはきっと機械翻訳だな」と安直に考え、そこから「意味わからんのは文章のせいだ」と「理解」し、「まあ、たぶんこれは機械翻訳ですよ。日本語を中国語に機械翻訳したものをさらに日本語に機械翻訳し直したりしたんじゃないですかね、ははは」などとO主任に「解説」したのである。
それが今日読書している時に「命あっての物種」という表現に出くわし、真っ青になった。
「やべえ、嘘教えちゃった」と。
私は「正しい日本語」を指南する役割を期待されるネイティブ教師として俸禄を食んでいるわけだから、これはいけない。
ということで、お詫びと訂正メールを慌ててO主任に送ったのである。
ふう。
まったく、恥ずかしいものである。
できることならば私は人に頭を下げたくない。
私は人に謝るのが死ぬほど嫌いな人間だからである。
だって悔しいじゃないか。
しかし同時に私は「死んでも人に謝らない人間」も死ぬほど嫌いである。
なぜならそんな人間に無性に腹が立つからである。
だから私は、私が死んでも「死んでも人に謝らない人間」とはならないことを切望するのである。
自己矛盾ってカッコ悪い。
ところで、これまでの自分の人生を振り返る限り、私が「人に謝らないといけない」場面とは、大抵私が「誤った」ときである(今回のように)。
つまり、「謝る」とは自分の「誤り」を認めることである。
だとすれば、私が「誤らない」人間ならば、私は「謝る」必要性から解放される。
しかし言うまでもないが、私は必ず「誤る」だろう。
「絶対に謝らない人間はいるが、絶対に誤らない人間はいない」
これは私がこの数年身銭を切って学んだ知恵のひとつである(もうひとつに「真の嘘つきは『俺は嘘をつかない』という嘘『だけ』つく」というのもあるが、それについてはまたの機会に)。
私は不完全な人間である。
もし私が私の「誤り」を死んでも認めなければ、その心理が「俺は死んでも謝らない」という行動として具現化するだろう。
だから、私は「私は誤りうる」という事実と「誤ったら謝らないといけない」という道徳原則を自分に課した上で、
「謝るのは死ぬほど嫌だ。悔しいし」
という私と、
「そもそも誤るのも死ぬほど嫌だ。恥ずかしいし」
という私とのあいだで折り合いをつける私を確保しなければならなくなるのである。
「できるだけ謝らないために、できるだけ誤らない人間になろう」
「でも俺はバカだから必ず誤るだろう」
「だから誤ったら、ちゃんと謝ろう」
「それに人に教えを請うべきときは、素直に人に訊くべきだよね」
「恥ずかしいけど、できるだけ頭下げて謝りたくないから仕方がないわな」
頭を下げないために、頭を下げる。
矛盾に見えるが、大切なことってたいてい矛盾して見えるものである。
これも身銭を切って学んだ大切な教訓である。
ということで、「人に謝り『頭を下げる』ことが死ぬほど嫌いな私」は、合理的な思考のうえ、人に頭を下げるのである。
「すみませんが、私が間違っているときは教えてください。お願いします」(ペコリ)。
忙しさにパンクしそうな頭で『ハチクロ』見たりスピーチ指導したりしながら考えたりしたこと(11.15~22)
15日(金)
7時起床。
快晴。
運動のために自転車に乗って巣湖南岸を100km走る。
特筆することは特になし。
ただちょっと風が強かったのでペダルが重かったな。
夕方には無事に帰宅。
夜は肉を焼いて赤ワインをゴクゴク飲みながらパクパク食べているうちに眠くなったので寝る。
おやすみなさい。
16日(土)
8時起床。
大学に行って原稿書きに勤しむ。
…はずだったが、そうして「出勤」し一時間ほど原稿を書いて小休止していたらデスクの近くに積んでおいた『ハチミツとクローバー』第一巻がなんとなく目に入る。
そして読み出したら止まらなくなってしまった。
「森田さんこのあとどうなるの? ねえ!」
オフィスには原作一巻しかないが、幸い家に帰ればアニメ版がある。
ということでそそくさと帰宅してベッドに飛び込み、途中でお昼寝を挟みながらも『ハチクロ』三昧。
「おい、原稿は?」
まあいいじゃん、天気がいい休日なんだし。
ワイン片手にカウチに寝転びながらすっかり夢中になって鑑賞してしまい、気づくととっぷり暮れて夜になっていた。
お腹がすいたのでローソンへ。
最近自分の運動量と食欲に正の比例関係が見られる。
「よく動き、よく食べ」なわけだから健康的で大変結構であるが、問題は体重増加にも僅かばかりではあるが正の比例が指摘できるということである。
ようは食べすぎですね。
今だってチキンを齧りながら、そんなことを書いている。
でも、美味しいんだもの。仕方がないじゃない。
満腹したので、うつらうつらする。
どこか遠くから「おい、寝るな!寝たら太るぞ!」という声が聞こえてくるが、どんどん遠のいてゆく。
おやすみなさい。
17(日)
寒い。
寒いので昨日に引き続き布団にくるまりアニメ版『ハチクロ』を見て過ごす。
これは長くなりそう。
メインキャラ同士の恋愛が絡んでいて、そのメインキャラ同士の視線が絶対に合わないということで物語が転がっていく点では『のだめカンタービレ』と同じだ。
しかし、今見たところまでに限って言うと、『ハチクロ』には「師」(地位や肩書としての教師ではなく、成熟に導いてくれる存在)が出てこない。
だからみんなメソメソしている。
でもメソメソしながらもみんな楽しそうだ。
したがってついつい見続けてしまう。
あくまで印象だけど、いちばん楽しそうな森田先輩が、実は心の中ではいちばんメソメソしている人なんじゃないか。
……っていう印象を持たせたまま物語が終わったら怒るよ、私は。
18日(月)
学期13週目。
本学では一般的に授業は16週まで。17・18週に期末テストである。
今週は奇数週なので授業が4コマ増えるし、土曜日にはスピーチ大会があるからその指導もしなければならないし、もうすぐテストだからその準備もしなければならない。
後に控えている仕事のことを考えて、ちょっと気が遠くなる。
とはいえ、今学期もあと少し。
休暇に入ったら原稿書きに専念できる。
頑張ろう。
と気合をいれ、ひーこら言いつつ6コマこなす。
疲れて帰宅。
疲れたので『ハチミツとクローバー』の続きを見る。
『ハチクロ』は私なんかが予測したよりも深い。
だって「こいつらいつまでウダウダメソメソ恋してんだよ」と思いながら、私は「ちっ、もう一話だけ見てやるか」というふうに、気づけば底なし沼に自分から腰まで浸かっているのだから。
たぶんアニメ版を全話見終わったあとの私は、「おお、これは素晴らしい作品であるな!」と簡単に転向し、原作漫画を大人買いしてしまうのではないかと予測する。
そう。
目敏い読者諸氏はご賢察の通り。
私はここでそう予測しておくことで、「ほらね、『私は転向するだろう』と私が予測したとおりでしょう」と保険を掛けておくような、小さくセコい人間なのである。
……そう。
という自己言及も、「というふうに俺は俺を反省的に見ることができるぜ」という私の見栄という同根から来てるのだ。
めんどくさい男だね。
だけれども、実は私にとって、こういう救いようない「グルグル」は単なる自己弁護の手段ではない。
実は「グルグル」そのものが私にとっては堪らなく快感なのである。
たぶん子どもの頃にある絵本(pcにうるさい人間に構いたくないのであえて書名を伏せるが)を大好きだったからだな。
「トラが木の周りをグルグル回っているうちに溶けてバターになりました」ってやつ。
私が「グルグル」することで「バター」的ななにかに昇華できるかどうかはわからないけど、別に(こうして私の雑記を読んでくれている物好きな人以外には)誰にも迷惑かけていないんだから、いいじゃんね。
19日(火)
8時起床。
寒い。
さっさと大学へ。
暖かいコーヒーで目を覚まそうとするが、コーヒーフィルターが切れている
仕方がないので、ネットで「コーヒーフィルター 代用 身近」と検索し、手元にたまたまあったキッチンペーパーを折りたたんでコーヒーを入れる(なぜオフィスの手元にキッチンペーパーがあるのかは謎)。
正規のフィルターに比べると通水性が悪いようで、いつもより時間がかかってじっくりドリップされる。
心なしかいつものコーヒーより味わいが濃い。
今日の授業は3年生の「視聴説」。
作文を書く態度にも生かしてほしいので、「仕事の流儀」(宮崎駿)をご覧いただく。
学生の皆さんには、世界のミヤザキが徹底して「意味を考えて作っているんじゃない」「作為に満ちた映画を作るのはくだらない」「言いたいことがあって作品を作るなんて信用していない」と口にしていることに注意していただきたい。
私は以前ブログにこう書いた。
「私が書きたいもの」とは「私たちに決して把握できないもの」そのものである。
だって、「じゃあ『あなたが書きたいもの』を見せて」と言われて「はい、これ」と提示することなど不可能だからだ。
仮に他人の文章を持ってきて「こういうのが書きたい」と言うならば、それは「私が書きたいもの」ではなくて「私が書きたいものに近いもの」と言うべきだろうし、仮に自分が書いた文章を持ってきたとしても、それは「私が書きたいもの」を書いた結果、つまり「私が書きたかったもの」に過ぎないからだ。
「私が書きたいこと」とは未だ存在しないし、そんなものが存在するのかすらわからない。
その点で「私が書きたいこと」とは未来的存在そのものであり、ただ「私が書きたいことがある」という予感だけがあるにすぎないのだ。
その点で未来と同じである(私たちは未来を予感はできるが把握はできない)。
だから人は言葉を綴るのであるが、その結果目の当たりにする結果は、実のところ「私が書きたかったこと」などではなく、「そんなものを書くとは思わなかったこと」である。
私たちは自分が書いた文章を「自分が書いた」としか捉えられないので、「私が書きたかったのはこれだ」と思い込んでいるだけである。しかし、なぜ書いている時の自分でない「他人」同然の読み手の自分が、「これこそ私が書きたかったものだ」などと判断できるのだろうか。
文章を書くという行為は、書く前も後も、自分を二つに割るという行為である。文章を書いている時に、文章を書いている自分と読んでいる自分を中枢的に支配している自己など想定できない。書いている自分と読んでいる自分との媒になっているのは、自分ではない「なにか」である。
このことに気づき、「なにか」に対して謙虚である人間は、決して「俺の頭の中にいま存在するものを紙の上に再現しよう」などとは思わない。
私がここで書いている「自分を二つに割る」というというのは、今の自分という視点に固執しないということである。
つまり「今の私の目的を達成するため」ではなく、「今の私から少しでも遠く離れるため」に思考し、言葉を紡ぎ、表現するということである。
その意味において、言葉は道具ではなく言葉そのものであるし、表現とは手段ではなく表現そのものである。
このような言語運用・表現には「戦略」などない。
というのも、「言語運用・表現には『戦略』などない」ということこそが、「今の私から少しでも遠く離れるため」の戦略だからである。
宮崎が作為に満ちた作品を作りたがらないのは、そのような態度だと作品に「今の私」が充満してしまい、つまらないからではないかと私は勝手に推測する。
彼が作品を作り続けるのは、それによってしか新鮮な生を実感できないからではないだろうか。
だから、司会の茂木健一郎や女子アナが「これだけ名声を得たのになぜまだ作り続けるんですか? 大変だなと思うんですけど」などという(数名の学生さんが思わず失笑するほど)的外れな質問をした時に、宮崎が「絵描きがなんで絵を描くのか、それによって自分が存在するからですよ!」と不機嫌になったのは、まあ当たり前だと思う。
「なんでそんなバカな質問するんだ!」と。
かってな想像ですけどね。
授業が終わったあと、ともに指導教師を務めるK先生とスピーチ大会に出場するSさんと話し合いながら、午後いっぱい原稿を練る。
今度のスピーチ大会のテーマは「中華料理」。
そのテーマに関連する事例をSさんと一緒に探す。
今回Sさんが選んだ事例は「キャベツが入った回鍋肉」。
ある日、彼女が動画サイトで「孤独のグルメ」を見ていると回鍋肉が出てきたそうな。
するとそれを見た中国人ユーザーたちが「やっぱり日本の中華料理はニセモンだな。本物の回鍋肉にキャベツなんか入れるかよ」「は? うちでは入れるけど」などと喧嘩を始めたのだという。
それを評してSさん曰く「本物なんて決める必要ある?」
なるほど。
確かにこれはスピーチの「マクラ」としては良い事例である。
まず第一に、「中国の本物」と「日本の偽物」というわかりやすい対立構図ができているという点が良い。
第二に、「中国の本物」を巡って中国人同士で喧嘩している様子を描くことで「そもそも本物の料理などあり得るのか」という問いを提示し、深い考察へ切り込むことが可能な点もうってつけである。
ここから「本物の料理って何?」という問いを投げかけ、それを起点とする、観衆に開かれた、立体的なスピーチをすることが可能になると私は思う。
ちなみに日本でもお馴染みの回鍋肉はもともと四川料理である。
私はその本場で3年過ごしたが、あちらの回鍋肉には主にニンニクの葉や苕皮(サツマイモの澱粉から作った食材)が入っていて、キャベツは一般的ではなかった気がする。
ウラを取るためにQQやWeChatなどのSNSを駆使して重慶の教え子や友達たちに聞いてみた。
「キャベツ入りの回鍋肉ってどう?」
すると、
「絶対入れない。ありえない」
「家によるけどうちは入れない」
「うちは入れる」
「最近キャベツ入りもよく見るようになった。なんでだろう?」
などとはっきりしない。
うーむ。
ではなぜ日本の回鍋肉にキャベツを入れるのだろうか。
これまた調べてみたところ、四川出身であり四川料理を日本に広めた陳建民さんのアレンジによるものであるそうな。
陳建民の名は聞いたことがある。
さらに調べてみたところ、そもそものキャベツだって起源はヨーロッパ(そうだったんだ)。
中国に入ってきて100年ほどの歴史しかない外来食物なのである。
ふーん。
おもしろいね。
そんな「キャベツ入り回鍋肉」であるが、最近では中国でも普及し始めている(Sさんによるとうちの大学食堂の回鍋肉はキャベツ入りだという)。
それが日本からの「逆輸入」なのか、それとも単に中国でも一般的になってきただけなのか、それはよくわからないけれど。
「本物偽物論争」から食文化の本質を指摘し、それを異文化交流で求められる視点にまで繋げるスピーチを目指して欲しい。
頑張って!
ということで遅くまで指導が続き、帰宅したのは21時半。
お風呂に入ってナイトキャップをすすりながらうだうだしていたが、日付を跨ぐ瞬間に就寝。
おやすみなさい。
20日(水)
オフ日だが片付けないといけないことがたくさんある週の中日。
7時起床。
シャワーを浴びたあと大学へ。
道すがら空を見上げると綺麗な冬の空。
午前中は昨日に引き続きSさんの原稿作りのお手伝い。
てっきりもう書き上げているかと思ったら、まだ完成していない。
こんな土壇場になっても決定稿が出来上がっていないのは初めてである。
大丈夫かしら。
午後も明日の作文の授業のための資料作をしながらスピーチの指導を並行する。
オフィスのパソコンを使ってこまねずみのようにアセアセと原稿を書いているSさんをおいてジムに行き汗を流す。
1時間ほどで戻り、ともに指導を担当しているK先生と一緒に追い込みをかける。
指導が終わる頃には外は真っ暗。
疲れた。
帰宅して『ハチクロ』を見る。
アニメ版1期15話をポテチ片手に見ていたら、あまりの展開にびっくりして思わず固まる。
いや、原作一巻の雰囲気からこれは予想できんわ。
女性漫画家の豹変の凄さって男の理屈では本当に計り知れない。
こればかりは直線モデルの「努力と成長」に囚われる男の視点では死んでも予測できない。
うーむ。
私はこれまで少女漫画は敬して遠ざけてきた。
しかしそろそろ本格的に学ぶ時期かもしれない。
21日(木)
まるでサブウェイのサンドウィッチのように8時から16時まで授業がギッシリと詰まった奇数週の木曜日。
その間に挟まっているわずかな休み時間もあさってのスピーチ大会のための指導に当てる。
あさってが本番な割にSさんに危機感が足りない(ような感じを受ける)。
なのでちょっとキツめの「キック」を入れる(もちろん非物理的に)。
中途半端にやって中途半端な結果を得ると、あとで自分に返ってくるよ。
「まあ、どうせ一生懸命やらなかったし、こんなもんだよね」と。
その「こんなもんだよね」はまっすぐ「私はこの程度の人間だよね」に転化する。
「自分で自分にかけた呪いを解くのは誰にも不可能である」とどこかで内田樹が書いていた。
頑張れ。
とはいえ、とりあえず決定稿が完成。
残り時間を有効に使って本気で覚えなさいね。
こうしてお日様が沈む頃にはフラフラに。
家に帰って3日連続のバタンQ。
22日(金)
オフだが午前中にSさんのスピーチの練習。
一夜明けたSさん、昨日出来上がった原稿を暗唱できるになっている。
それは偉いし、すごい。
おいらならたとえ母語でも無理だわ。
でも、今のままだと棒読みである。なので、身振り手振りや表情、抑揚などについて、Sさんの親友のOさんも交えて話し合いながら高めてゆく。
私たちが目指すのは「作為に満ちた、悲しい」(By宮崎駿)一方通行のスピーチではない。コミュニケーションとして自然なスピーチである。
「競技としてのスピーチ」や「勝つためのスピーチ」ではないといってもいいかもしれない。
話し手と聞き手が対立的な構造として捉えられ、話し手が自身の言葉や表現を完全に御する「天蓋」として言葉を発する言語活動のことを、私は「わざとらしい」と呼ぶ。
そのような言語活動は、なぜ「わざとらしい」のか。
なぜなら、そのような言語活動では、たとえ話の内容が理解できずとも、話をする話し手の計算や意図だけは聞き手にはっきりと透けて見えるからだ。
それは私たちが「ぶりっこ」(死語だな)の奇々怪々な言動の内容が理解できずとも、そのような言動を通じて「ほら、私可愛いでしょ? ねえ『君、可愛いね』って言えよ、おう」というメッセージだけは正確に把握できることと同じである。
不自然さとは、単に状況にそぐわない言動のことを指すわけではない。
そうではなくて、話し手が言葉を差し出す時の視線が、どうやら聞き手自身にではない「なにか」に向いているような違和感のことを、私たちは「不自然だ」と形容するのである。
対して自然なコミュニケーションとは、「良い成績を収める」などという自分の所与の目的のために言葉を道具とし観衆を手段とするような言語伝達ではない。
自然なコミュニケーションにおいて、発し手の視線は未知にまっすぐ向かう。
未知を愛する表現者は、「わからない」から言葉を紡ぎ、「わかりたい」から思考を重ね、その過程そのものを自らの表現とする。
もちろん自分の表現を「わかってほしい」と望んではいるが、それは「私がわからないものをわかってほしい」という態度を取るのであり、「私がわかっているとわからせる」という態度には決して向かわない。
したがって、彼は言葉を言葉として尊重しており、聞き手を聞き手として尊敬している。
「言葉を言葉として」「聞き手を聞き手として」重んじるとは、ようは「言葉も聞き手も未知の存在である」という大前提を掲げた上で、表現を行うということである。
なぜそのような大前提を掲げるのか。
それは、自然な表現を欲望する話し手は、未知の存在として聞き手を設定し、そのような聞き手を未知の存在として尊重しながら即時即応的に「これ、どう?」「あ、やっぱこっちかな?」というふうに言葉を差し出していくことでしか、自らの希求する自然な表現が生成しないことを理解しているからである。
そしてその「これ、どう?」「あ、やっぱこっち?」のプロセスにおいて、話し手は自らの差し出した言葉が秘めている可能性や潜在性が自らの世界では収まりきらないことを、自ずから知るのである。
「私が言葉を使う」のではなく「言葉が私を事後的に形成していく」ことを、感覚で理解するに至るのである。
自然なコミュニケーションにおいて、発し手の言葉はひとつの世界として完成されてはいない。
だからこそ、話し手が差し出すその世界には、聞き手が疑問を持ったり違和感を覚えたりする余地がある。
そして同時に話し手自身ですら、自分の差し出した言葉に疑問を持ったり違和感を覚えたりすることができる。
結果として、話し手は話しつつも自問自答的に思考する。
「……ってさっきは言ったけど、本当だろうか」
なんてふうに。
そうやって、ときには詰まり言いよどみながらも、自ら問い、自らに事例を引き、自らに説明し、自ら納得することを通して、新鮮な言葉に出会い続ける。
聞き手はそのあとを追う。
もし仮に話し手が無事に「藪」を切り抜け、「開けた原っぱ」のようなところにたどり着くことに成功したならば、その開放感を聞き手も追体験できる。
そのような没目的的・不打算的・紆余曲折の言語活動こそが、自然な言語活動であり、双方向的なコミュニケーションである。
そう私は考えている。
これは話し手の計算づくの完全な世界を聞き手の前で再現するような作為に満ちた言語活動とは全く別種のものである。
私は教師だから、スピーチ指導にあたって重視することは順位などではない。
スピーチを通して学生さんが「一皮むける」お手伝いをいかにして実現するかである。
それは「こうすれば勝てるから、これらの基準や手法を全部覚えて、ステージの上で可能な限り完璧に再現しなさい」という指導とは異なるものである。
私は大学で日本語を教えているわけであるから、それはつまるところコミュニケーションや言語に関して深い知見を授けるという仕事に携わっているわけであり、ただ単に日本語の発音やイントネーション、表現を教えておしまいというわけではない。
「それって言語学とかの専門家が教えることでしょ。シロウトのきみは日本語だけやってればいいの」
果たして本当にそうだろうか。
コミュニケーションや言語という、人間として生きるならば誰でも身近に接していることを「教える」ためには、言語学やコミュニケーション論の専門的知識がなければ、不十分なのだろうか。
逆に言えば、言語学やコミュニケーション論の専門的知識があれば、コミュニケーションや言語について十分に「教える」ことができるのだろうか。
私はなんだか違う気がする。
さっきのような意見は、たぶん「教える」ということを学説や専門知識を「移動させる」ことと同じだと思っているのかもしれない。
しかし、「教える」ために教師に必要な素質は、知識や技術以前に「不思議がる」ことができるということではないだろうか。
それも「真面目に不思議がる」ことができるということが必要なのだ。
なぜかというと、それができない人間は自らを既知と未知との狭間に放り込むことができないからだ。
ニーチェはこう述べている。
或る者は自分の思想の助産者を求め、また他の者は自分が助産しうる者を求める。このようにしてよい対話が生れる。
『善悪の彼岸』(木場深定訳、岩波文庫、p136)
私にとって教育の本質とは、知識の移動ではなく学生との対話である。
教師とは教育を行うものである。
よって教師には学生との対話が求められるわけだから、知識や技術の移転以前に求められる教師の重要な役割は、対話力である。
学生と対話するといっても、それは学生の興味関心に教師が合わせて「友達のように」おしゃべりをするというわけではない。
学生と「おしゃべり」するために大学生の間で流行っているアニメや音楽などをキャッチアップしようと必死になっている先生を時々見かけるが、私にとってそれは教師の仕事ではない。
そのような先生の努力がご本人の熱心さや優しさからなることを私は少しも疑わない。
ただ、それだと学生は教師のことを「友達」だと思ってしまう。
「友達」から学ぶことは難しい。
もちろん難しいだけで、不可能ではない。
しかしほとんどの人間にとって、「友達」の話を「先生」の話として全て傾聴し何かを学び得ることは、やはり難しいと言えるだろう。
だから人類は制度として「先生」というキャラクターと「学校」というフィクションを準備して、「先生」をあくまでフィクション世界のみにおいて作用する教壇という一段高いところに載せているわけである。
だってそうでもしなければ、我々は「あの人が言うんだから、とりあえず聴いてみよう」という知的節度を保持するのが難しい存在だからである。
とはいえ、私は今ここで理念の話をしているわけであって、もちろん実際に教壇に立っている者の言うことがほんとうに聴く価値があるかどうかは別問題である(ああ、耳が痛い)。
話が逸れた。
ようは私は「教師として求められる対話」と「友達として求められる対話」とは違うと言いたいのである。
空間的な表象を使って言うならば、前者は同一水平面上に位置していない者同士の間で展開されるし、後者は同一水平面上においてのみ展開される。
だって「友達」ってそういうものでしょ。平等な関係なんだから。
これが「恋愛の対話」となるとまた違う。
「恋愛の対話」は決して平等ではない。むしろ平等ではないからこそ、その心理的位置エネルギーの差が2人の関係を(ときには2人ですらコントロールできないかたちで)ぐいぐいと展開していくのである。
とはいえ、「恋愛の対話」においては、2人のベクトルは互いに向いている。
「恋愛の対話」において互いが意図するものは、互いに可能な限り互いへと接近しようとすることである。
「友達の対話」が意図するものは、互いが既に位置している水平面を維持することである(そうではない「友達」というのもあるが、これは「親友」と別にカテゴライズすべきものであるので、ここでは除く)。
「師生の対話」はこのどちらとも違う。
教師が学生に向けて言葉を発する時、その意図は学生を彼が現在位置している水平面から離脱させることにある(ピンポン1巻第9話で小泉がスマイルにやったように)。
「師生の対話」が質的に変化した「師弟の対話」は、このメカニズムを互いに了解したうえで予定調和になされる「誤解の繰り返し」であるが、まあそれは今は関係ない。
少なくとも学校教育において言えば、教師が新しい知識を学生に与えるのは、単に学生の現在の水平面を補強するためではない。
教師というものは、学生の現在の水平面では解決できない新たな知識を与えることで学生のうちに問題を発生させ、混沌を誘発し、迷宮へと誘うことによって、「君にはまだまだ知らない世界があるのだよ」というメッセージを送るのである。
したがって教師として求められる対話とは、なんといっても学生に問い続けることである。
私はそう考える。
そして、学生に問い続けるために必要な素質が、「真面目に不思議がる」ことができる能力なのである。
ご存知のとおり弟子に答えを与えずに絶えず問い続けることで弟子に自ら答えを発見させたソクラテスであるが、彼はそんな自らの手法を「産婆術」と称した(ソクラテスのお母さんは産婆さんだった)。
イメージ的には今にも子どもが生まれそうで息んでいる妊婦さんの手を取って「頑張れ、頑張れ!ほら、頭が見えてきたよ、もう少しだから!」と声をかけ続ける産婆さんである。
同じように教師の大切な仕事は、学生に対して「どうして? うん、なるほど。でもちょっとわかりにくいかな。ほかの表現はできない?」などと問い続けることである。
と言うのは簡単だけれど、「ふーん問い続ければいいんでしょ、簡単簡単」などと理解されては困る。
実際にやってみればわかるけれど、これってかなり難しいですよ。
まず、学生さんの蔵する豊かな可能性にもっとも接近できるであろう「問い」を教師が自ら発見しなければならない。
これが一番難しい。
だって、そのためには、まずは教師が自分の価値観や認識を「 」で括って、学生さん自身を不思議なものとして捉えなければならないからだ。
それをせずに最初から教師が「この学生はこういうものだ」と決めつけてしまうと、第一撃となる問いが見当はずれなものになってしまう。
学生という生き物は「自分の蔵する可能性」の詳細は自分では把握していないが、「自分の蔵する可能性」の方向性はなんとなくわかっている。
だから、教師の「第一撃」が失敗すると、「あ、こいつはダメだ」と直感的に把握し、そのあといくら教師が問を重ねても面従腹背、以後は「はいはい」としか聞いてくれなくなる。
本当にそうなのである。
なんでこんなに自信を持って言えるかというと、私自身がそういう失敗を繰り返してきたからである(ううっ、胸が痛むぜ)。
「真面目に不思議がる」とは、それほど難しいことなのだ。
だから、目の前の学生さんを常に未知なる存在として不思議がることができる教師は、それだけで教師として優れた資質があると思う。
で、「目の前の学生さんを常に未知なる存在として不思議がることができる」教師は、目の前のすべての対象を(それどころかそうやって不思議がっているそもそもの自分自身をもさえも)「未知なる存在」として不思議がることができる。
なぜならば優れた教師は常に不思議がっているおかげで自分自身に複数の未知なる他者を共存共栄させているからである。
彼はそもそも自分自身のなかで優れた対話を実現させることができている。
自分の内なる未知性を尊重できている。
そんな人間は他人の未知性を尊重し優れた対話を実現することもできるだろう。
だから「自分自身すら不思議がることができる」人間こそ、学生さんとの間で優れた教育的対話を実現できる人間である。
私はそう考える。
やはりニーチェはこう記している。
根っから教師である者は、すべての事柄を、ーー自分自身をすらも、自分の生徒との関係においてのみ真面目に考える。
前掲書、p117
「根っからの教師」のコミュニケーションにおいて考慮されるのは、「自分の生徒との関係」のみである。そこに「金」とか「性別」とか「人種」とか、そういう余計なものが入り込む余地はない。
なぜならば、「根っからの教師」は「すべての事柄を、ーー自分自身をすらも」教育の場に捧げているからである。
教育の場に捧げるとは、「不思議なもの」として学生に提示するということである。
自分が教えているものごとに常に不思議を抱き、さらにはそんな自分自身をすら不思議がれる人間、それが根っからの教師である。
そして教師がそのこと「だけ」十分にできていれば、学生はどんな教師からでも十分に学ぶ。
そのあとの学びは学生さんの個人的な仕事である。
私は教育についてそう考えている。
というわけで、(話は最初に戻るが)「教える」ために教師に必要な素質は、知識や技術以前に「不思議がる」ことができると私は考えているのである。
では、「不思議がる」ために必要なことはなんだろうか。
それは未知を純粋に楽しむということではないだろうか。
ようは頭を空っぽにしてものごとを見て問を生起させるということである(まあもちろんそんな簡単にまとめられるはずないのだが)。
そしてそれはすべての生成的なコミュニケーションに言えると私は思う。
スピーチだって、話し手が未知に謙虚であり、同時に未知へにじり寄ろうという気概に溢れているのならば、「問い」「思考」「発見」という自然な言葉の運動が生じ、観衆へと伝わるのではないかと思う。
しかるに管見の及ぶ限り、現在の日本語スピーチ大会で見かける学生さんたちに構造的に欠けているのが、これなのである。
つまり、そもそもの「問い」が決定的に見られないのである。
以前も書いたが、あるスピーチ大会(テーマは「もし携帯電話がなかったら」)で優勝した学生のスピーチの「結論」は、「もし携帯がなかったら、私は不安で堪らず、こう叫ぶでしょう。『どらえもーん!たすけてー!』」だった。
私は思わず「のび太かよ!」とツッコんでしまった(あ、それを狙ってたの?)
「問い」がないから、自分を言語運用の確固たる主体として、言語活動の天蓋として、言葉を自己をショウアップするための「道具」としてしか扱えない。
申し訳ないけれど、そんな活動をいくら重ねたところで、大学生としての知的成長に資するところは少ないと私は思う。
「自分は知らない」ということを知ること、「自分はできない」ということが分かること、平たく言えば「自分のバカさ加減に自分で気づく」こと、それこそが成長なのだから。
そのためには、「私が言葉を使う」という不遜な態度を一旦捨てなければならない。
ということを考えながら指導する。
とりあえずあすの本番までにやれることはやった。
あとは学生さんを信じるまでである。
Sさん、頑張ってね!
午後は散歩に出る。
ついでにタートルネックのセーターが欲しくなったので近くのユニクロへ。
しかし売っていない。
あら、そう。
何事も諦めが肝心なので、来た道を引き返す。
日向でワンちゃんとにゃんこが揃って日向ぼっこしている。
なにやらこの二匹、ただならぬ親密さを醸し出している。
ねえ、
君たち、いったいどんな関係なの?
家に帰って、あすのためにコートとジャケットを引っ張り出し、ファブリーズをシュッシュして干しておく。
明日は審査委員を担当するので、久しぶりにある程度フォーマルな格好をしなければならない。別に誰に言われたわけでもないけど、なんとなく、ね。
あすの準備が終わったので、ちゃちゃっとご飯を作り、お酒を飲む。
アルコールの働きでいい感じに愉快な気分になったので立川志の輔の落語(「茶の湯」「壺算」)を聴く。
面白い。
あまりに面白くて寝床の上で酸欠になるぐらい笑い転げる。
聴きながらいろいろと発見があったが、それについてはまた今度。
あすに備えて早めに就寝。
おやすみなさい。
お掃除・アニメ・説教の日々(11.8~14)
8日(金)
8時起床。
素晴らしい秋晴れ。
授業がないオフ日でもある。
こんな素晴らしい天気に恵まれた今日一日をいかに過ごすかについて、布団の中でゴロゴロしながら考える。
目の前には3つの選択肢がある。
①このまま起きて大学へ行き仕事をする
②午前いっぱい家事をする
③「仕事も家事もどーでもよかけんね」と二度寝を決め込む
3番目の選択肢は私にとってもっとも甘美なものであるので、思わず食指が伸びかける。
しかし、さすがに実行する勇気が出ない。
結局2番目の選択肢を採用。
さあ、まずはお掃除だ。
家中の窓を全開にして爽やかな秋風を胸に吸い込む。
爽快。
上原ひろみのピアノを流しながら、まずは寝室を徹底的にキレイにする。
床に散乱しているゴミを片っ端からゴミ袋に詰め込み、ホコリやチリを箒で一掃し、机の上で雪崩を起こしていた本を整理・分類し、本棚に収める。収まりきらなかったものは部屋の片隅にまとめて積んでおく。
ベッドから毛布を引き剥がしてベランダに干し、敷布団と枕にシュシュッと除菌スプレーする。
こうして寝室を阿鼻叫喚の無政府状態から解放することに成功。
しかし怒涛の進撃は続く。
お次はリビング。
脱ぎ捨てられたまま溜まっていた3日分の洗濯物を洗濯機に叩き込む。
洗濯機が回っている間に、ネット購入した商品の梱包用ダンボール・発泡スチロールをひとまとめにしてゴミに出す。
そうしている間に洗濯が終わったので、ベランダに片っ端から干す。
こうして2時間ほどかけて寝室とリビングが秩序だった憩いの空間へと回復を遂げた。
ふう。
すっきりした。
さっき干した洗濯物が秋風にヒラヒラとたなびいている。
なかなか良い気分である。
まだまだキッチンとバスルームをなんとかしないといけないのだが、それはまた今度。
私は家事が嫌いではない。
ぴしっと糊のきいたワイシャツを着る機会など年に数回あるかないかなので、信じてくれる人が少ないが、実はワイシャツのアイロンがけだって好きなのである。
しかしそんなに家事が嫌いではない割に、毎日コツコツと家事を継続するということが、学生時代からなかなかできない。
なんでだろうね。
わからない。
内田樹は家事についてこう記している。
家事というのは、明窓浄机に端座し、懸腕直筆、穂先を純白の紙に落とすときのような「明鏡止水」「安定打座」の心持ちにないとなかなかできないものなのである。
お昼から出かける用事がある、というような「ケツカッチン」状態では、仮に時間的余裕がそれまでに2、3時間あっても、「家事の心」に入り込むことができないのである。
というのは家事というのは「無限」だからである。
絶えず増大してゆくエントロピーに向かって、非力な抵抗を試み、わずかばかりの空隙に一時的な「秩序」を生成する(それも、一定時間が経過すれば必ず崩れる)のが家事である。
どれほど掃除しても床にはすぐに埃がたまり、ガラスは曇り、お茶碗には茶渋が付き、排水溝には髪の毛がこびりつき、新聞紙は積み重なり、汚れ物は増え続ける。
家事労働というのは「シシュフォスの神話」みたいなものなのである。お掃除するシシュフォス - 内田樹の研究室 より。太字強調は私による。
そうそう。
家事をするのって、時間的余裕があるかどうか以上に、「家事の心」に入り込めるかどうかが大切なのよ。
私の場合、天気の良い日にベッドでゆっくりと村上春樹の小説や椎名誠のエッセイなんかを読んでいると、突然「家事の心」がむくむくと芽生えてくる。
問題は、「天気のいい日」「ベッドでゆっくり」「読書」という3要素がきっちり揃うということが、なかなかないことなのである。
言われれば当たり前のことだが、内田が言うとおり「家事というのは『無限』」なのであり、それは生活者である私たちにとって「シーシュポスの岩」や「賽の河原の石積み」のようなものである。
どんなに粉骨砕身して「岩」を押し上げ、「石」を積んだとしても、結局「岩」は奈落の底にまた落ちてゆくし、「石」は鬼に崩される。
そういう意味で、家事とはとても不条理(By カミュ)な活動だ。
しかしカミュによれば、そのような不条理を不条理そのものとして真摯に捉え、「岩」をふたたび押し上げるために奈落の底へ向い、崩された「石」をかき集め直してふたたび積み上げようとする瞬間、それこそが人間にとって真の自由が実現される瞬間であり、かような人間こそが英雄なのである。
家事に当てはめると、それはつまりゴミの山や無秩序な我が家を前にして、「よし、お片付けするぞ!」と立ち上がる瞬間こそがもっとも自由なのであり、英雄とは「お片づけ? よかろう」と無限ループを颯爽と引き受ける人間である。
カミュはこう書いている(内田さんもカミュを引用しているので私のこの引用には芸もクソもないが)。
シーシュポスの沈黙の悦びのいっさいがここにある。かれの運命はかれの手に属しているのだ。かれの岩はかれの持ち物なのだ。同様に、不条理な人間は、みずからの責苦を凝視するとき、いっさいの偶像を沈黙させる。突然沈黙に返った宇宙のなかで、ささやかな数知れぬ感嘆の声が、大地から湧きあがる。数知れぬ無意識のひそかな呼びかけ、ありとあらゆる相貌からの招き声、これは勝利にかならずつきまとうその裏の部分、勝利の代償だ。影を生まぬ太陽はないし、夜を知らねばならぬ。不条理な人間は「よろしい」と言う、かれの努力はもはや終わることがないであろう。ひとにはそれぞれの運命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない、すくなくともそういう宿命はたったひとつしかないし、しかもその宿命とは、不可避なもの、しかも軽蔑すべきものだと、不条理な人間は判断している。それ以外については、不条理な人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。人間が自分の生へと振向くこの微妙な瞬間に、シーシュポスは、自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互につながりのない一連の行動が、かれ自身の運命となるのを、かれによって創りだされ、かれの記憶のまなざしのもとにひとつに結びつき、やがてはかれの死によって封印されるであろう運命と変わるのを凝視しているのだ。こうして、人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、盲目的でありながら見ることを欲し、しかもこの夜には終りがないことを知っているこの男、かれはつねに歩みつづける。岩はまたもころがってゆく。
カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹訳、新潮文庫、pp215-7) 太字強調は私。
これまた内田が引用元のブログで書いていることであるが、カミュは「かっこいい」。
思わず唸らされるフレーズが読み返すたびに一パラグラフにひとつはある。
今回私が「かっこいい!」と唸ったのが、太字で強調した「不条理な人間は『よろしい』と言う、かれの努力はもはや終わることがないであろう。」という部分。
仮に目の前の過酷な現実に対して、自分の設定した目標のためにイヤイヤ努力をするという態度を取るならば、その努力の末路は「目標を達成したから終わり」か「目標なんかもういいからやめる」か、そのいずれかだろう。
そのいずれにせよ、そのような努力の根底にあるのは、努力とは期限付きであり、いつでも放棄可能なものであるという価値観である。
しかし、それを本当に努力と呼んでも良いのだろうか。
そして、私たちが生きていくうえで直面する「現実」とは、そのように「目標」として意義付けられることで捉えられて良いものなのであろうか。
私はそうは思わない。
現実とは、「ここ」にはなく、「あっち」にあるからだ。
私たちがその都度目にする現実には「 」がついている。
誰も本当の現実など知ってはいない。
私たちが現実に対して取るべき態度は、「ここ」と「あっち」の狭間に引き裂かれながらも、それでも現実に少しでも肉薄する努力をすることではないだろうか。
自分自身に「そうだね」とか「そうかな」とか「それは違うんじゃない?」などと、「そ」を使い問いかけながら。
私はそう思う。
確かに私たちは現在を認識することができる。
しかし、現在即ち現実ではない。
現在の背後には現在を織り成す本質的なにかが潜んでいる。
それを私はここで現実と呼んでいる。
繰り返しになるが、現実とは「現在の私には決して捉えられない」、それ故に現実なのである。
私にだって「私が認識している現実」「私に認識できる現実」はある。
しかし、それはあくまで「私が認識している現実」「私に認識できる現実」であって、現実そのものではない。
それを混同することがどれだけ頭が悪い事態を招くか、私は自らの経験から知っている。
だから私は「俺は現実を知っている」という人間の言うことを、決して信じないことにしている。
それは彼が「自分に見えている現実」と現実を無批判に混同するほどに頭が悪いか、それともあえてパフォーマンスとして「俺は現実を知っている(お前らは知らんだろ)」と言っているか、そのどちらか(もしくはその両方)だからである。
前者はバカであり、後者はペテン師であるので、そのどちらにしてもまともに話を聞く価値などないのである。
それに真の努力とはそれ自体が目的であり快楽であるという倒錯的なものではないだろうか。
別に私のオリジナルな考えではない。
幸田露伴がそう書いているのである。
露伴は『努力論』(そのものずばりのタイトルだな)の初刊自序にこう記している。
努力は一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力の時のそれである。人はややもすれば努力の無功に終わることを訴えて嗟嘆するもある。然れど努力は功の有と無とによって、これを敢てすべきや否かを判ずべきではない。努力ということが人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから努力すべきなのである。そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、おのずからにして存して居るのである。
(中略)
努力は好い。しかし人が努力をするということは、人としてはなお不純である。自己に服さざるものが何処かに存するのを感じて居て、そして鉄鞭を以てこれを威圧しながら事に従うて居るの景象がある。
努力して居る、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。
幸田露伴『努力論』(岩波文庫、p23、p25)太字強調は例によって私。
露伴は努力を「直接の努力」「間接の努力」と区分しており、私が引用に際して省いた部分では、努力が功に結びつかない原因について、この2つの努力という視点から詳細に説明しているが、まあここではそのことは触れない。
露伴がここで述べている大事なことは、努力とはそれ自体が善きものであり、「意味」や「必要性」を基準にしてするかどうかが決められるようなものではないし、決して何かを得るための手段でもないということである。
そして努力のそのような本然は家事にも言えるのではないか、と私は思う(お、やっと話が本題に戻ってきたな)。
私は18の時からずっと一人暮らしだから、そのことが深く身に染みている。
一人暮らしの場合、家事労働に「意味」や「必要性」が主導権を握る余地などないからである。
やったからといって褒められるわけでもないし、やらなかったからといって怒られるわけでもない。
自分が特に気にしなければ、どんなに部屋が汚れ、冷蔵庫の中身が腐り、窓がホコリでくすみ、書架がめちゃくちゃになろうとも、家事をする「必要性」など生じないし、「意味」も感じない。
だからひとり暮らしにおいては「汚部屋」なるものが簡単に出現するのである。
しかし、だからといって家事をしなくていいとはならない(当たり前だよね)。
それがなぜかはわからない。
なぜかはわからないが、なんとなく「それじゃあだめだよね」と思う。
それはどんなグータラ人間でも「なぜかわからないけど、努力しないとダメな気がする」と薄々感じていることと同じかのように私には思える。
私たちはなんだかそこに「意味」や「必要性」とは関係なく存在する後ろめたさや不遜さを感じるのである。
こうして私たちは「マガジンのマウンテン、ボトルのリバー」(by 岡野昭仁)に侵食された自身の生活空間を復元するために、重い腰を上げる。
しかし、まさにこの「重い腰を上げる」瞬間にこそ、私たちはいかなる「意義」や「必要性」からも自由な身として私の運命をあくまで私たち自身のものとして引き受け、私たち自身の生に振り向く瞬間なのである。
私は時折かなり部屋を散らかす。
それはもう、おそらくほとんどの方には想像できないレベルで「散らかす」のである。
「のだめカンタービレ」の「のだめ」を笑って見ることができないレベルだと表現すれば、わかっていただけるだろうか。
なぜ私はそんなに部屋を激しく散らかすのか。
それは単に人生の局面において「もうどうでもいいけんね」と投げやりになることがたびたびあるからである。
ようは「だらしない」だけなの。
ただ、勘違いしていただきたくないのは、この「もうどうでもいいけんね」状態のときでも、私はちゃんと職場に出勤し、時間を守ってきっちり労働し、共用スペースのゴミに気づいたならば拾い、オフィスのデスクだって(多少本を積み上げている以外は)キレイに使っているのである(うん? 多少か?)。
つまり私が「だらしない」のは自宅だけなのだ(まあ、当たり前か)。
でも、これって「今、ここ、私」だけに視点を委ね、「他人に対しては配慮するけれど、自分に対しては配慮しなくていい」と判断しているという、悲しいほど想像力に欠けた思考の末路なのよね。
自分だって他者である。
私のなかには私だって知らない私がたくさんいるはずだし、なにより「未来の私」だって「そんなのいるかどうかすらわからんし、いるとしても絶対に理解などできない」存在であるという意味では、立派に他者としての自分なのである。
なぜ他人に配慮しておきながら、自分自身に配慮しないのか。
それは私が「いま、ここ、わたし」に「私」の全権を移譲し、未知なる私に対して圧政を引く「私」の独裁体制を築いているからである。
ようはバカだからである。
家事を「いま・ここ・わたし」の「意味」や「必要性」で捉え、「どうせ俺は困ってないし、誰にも迷惑はかけてないだろ」とのたまう私は、涙が出るほど頭が悪いのである。
いかん。
私はこのまま「頭が悪い」まま死にたくない。
だからちゃんと「このままじゃいかん」と立ち直る。
それは、あるいは単に「次にコケるため」立ち上がるだけなのかもしれないが、それでも立ち上がるのである。
この立ち直るという作業が目に見える形をとるのが、私の場合「お掃除」と「ダイエット」である(後者については今は触れない、話が長くなるから)。
しかしなぜだかわからないが、この瞬間に、つまりゴミの山を射すくめるように睨みつけ、ホウキを手に取り立ち上がるまさにその時、私はいつも謎の爽快感、不思議な開放感、言葉にできない生命感を感じるのである。
まるで谷底に向かって自ら第一歩を踏み出すシーシュポスのように。
ここから私がときどき家事を溜め込むという謎行動の説明がつく。
つまり、私はこの「重い腰を上げる」ことで感じられる「勝利」の瞬間をあまりに好みすぎていて、それを「いっぺんにドーン」と楽しむために、無意識のうちに家事を溜め込んでいるのである。
ふむふむ、なるほどね。
というのはお片付けができない自分への口実であり言い訳です。
わかってます。
カミュや露伴をだしに使うわけじゃないです。
すみません。以後ちゃんとお掃除しますから。
んなくだらないことを考え続けても仕方がないし、せっかく得がたい「家事モード」に突入したので、股下が破れたジーンズ2本と脇下が裂けた冬用コートを持って秋のキャンパスを突っ切り、近くの裁縫屋さんに行く。
自分で縫える範囲のお針仕事なら自分でやるのだが、結構派手に裂けているので諦めた。
「餅は餅屋」である。
3つで30元、「5日後に出来上がるから取りに来い」とのこと。
オッケー。
家に戻って今度はカーゴパンツの取れたボタンを縫い付ける。
これくらいのお裁縫なら私だって出来る。
気づくと12時。
予定通り。
シャワーを浴びて大学へ行き、お仕事モードに切り替え、書き物と作文の添削を夕方まで進める。
外が暗くなったあたりで買い物をして帰宅。
ご飯を食べてお酒を飲んで寝る。
9日(土)
昨日に続き澄み切った秋晴れ。
唐突にこの週末は思う存分ゴロゴロすることに決定。
結構疲れがたまった気がするので、疲労した心身を2日かけて労わるのである。
とはいえ、とりあえず最低限の運動(三本ローラー30分)だけこなす。
休む時は思い切って休んだほうがいいのだろうが、こういうあたり意外と神経質な性格である。
心地よい汗をかいたあと、ゆっくりとお風呂に浸かりながら映画を見る。
お風呂から上がったあとによく冷えたビールをちびちび啜りながら「ヒカルの碁」から「弱虫ペダル」とアニメ三昧。
見ている途中で眠くなったのでお昼寝。
起きると15時。
あわてて夕飯の買い出しに行き、またお風呂に入り、ご飯を食べながら、今度はワインをちびちび飲む。
お供は変わらずアニメ。
やっぱり「ヒカルの碁」は名作だと一人納得する。
少年漫画では、最初に出てきた「最強」キャラがストーリー展開によって格が下がってしまうことがよく起こる。
私が思うに、それは作者がそのキャラに「最強」とか「神」とか名乗らせてしまい、作品世界における天蓋的存在にしてしまったからである。
さすがに『ヒカルの碁』は違う。
この作品では、いきなり佐為、塔矢行洋という囲碁世界における「最強」キャラがふたりも出てきているにも関わらず、彼らの格はずっと下がらない。
なぜなら、ふたりとも「神の一手」を希求する打ち手ゆえに、彼らは自分で自分を「天蓋である」などとは自称できないからである。
それは原作者のほったゆみさんがこの漫画を描いた動機が「ああ、私は囲碁が弱いな。どっかに囲碁の神様みたいな人がいないかな」という自身の未熟さの自覚であることによるのだろう。
作品世界を統べる実質的「天蓋」であり「神」である作者が神の一手を極めていないと自覚している以上、物語に神が出てくるはずがないからである。
「底が割れない」面白さは、こうして成り立っているのではないかと考える。
そんなことを考えてている間に眠くなったので就寝。
10日(日)
昨日宣言したとおり、今週末の仕事は「ゴロゴロ」である。
したがって、昨日と全く同じ行程を繰り返す。
おかげでだいぶリラックスできた。
こうして有意義に「無為に」週末を過ごしたのだが、体重が2kg増えてしまったのだった。
ゴロゴロすることで、また「岩」がゴロゴロと奈落の底え落ちてゆく。
しかし私はその行先を見つめ、ふっと軽く一息ついたあと、その「岩」を追ってふたたび谷底へと歩き出すのである(明日からね)。
11日(月)
11月11日。
日本では「ポッキーの日」であるが、中国では「買い物の日」。日本でもヤフーなんかが数年前から「いい買い物の日」なんてやっているが、正直芸がないパクリである。恥ずかしいね。
それはさておき。
中国では毎年11月11日になるとオンラインショップがどこもかしこも大安売りを始める。
そこでたくさんの中国人がたんまりと買い物をするので、結果的に中国全土で流通が混雑し、普段は2~3日で届く荷物が一週間程度経って手元に届く(もしくは届かない)ことになる。
私は極度のひねくれものなので、「みんな」が並んでいる店には絶対行かないし、「みんな」が見ている映画は絶対に見ないし、「みんな」がやっていることは絶対にやらない(そして「みんな」が去ったあとに一人で楽しむのである)。
だからこの種のイベントが開催されている時に「みんな」と同じように買い物を楽しむことなどしない。
しないのだが、去年さまざまな事情から、どうしてもこの時期にネットショッピングをしなければならないことがあった。
中国の宅配業者は基本的に家にまで届けに来ることはないので(じゃあ宅配業者ではないな)、数日後に大学内にある業者の営業所に商品を受け取りに行くと、まさに「長蛇の列」「黒山の人だかり」とはこのことかというほどの数の人間が犇めき合っていた。
結果的にたった一つの荷物を受け取るのに40分(!)も列に並ばされた。
「時は金なり」
いくら安かろうが、そうやって買った商品を受け取るためだけに時間を空費するのはどこかが間違っていると思う。
なので、そんな体験は金輪際お断りである。
それにもともと中国では11月11日は“光棍节”(guang1gun4jie2、日本では「独身の日」と訳している)といって、“单身”(dan1shen1)の若者たちを記念する若者文化だったはずである。
それにアリババが目をつけて「買い物の日」になったわけであるが、今や“单身”など関係なく、恋人や配偶者へのプレゼントを売るお店だってある。
ものを売れれば(そして買えれば)口実はなんだっていいのである。
物好きだね。
ところでここでいう“单身”であるが、日本語の「単身」とはちょっと意味が違う。
中国語を勉強したことがある方にとっては常識に属することだろうが、中国語の“单身”、それは未婚であるかどうか以前に、恋人がいない人間のことを指す。
だから、たとえば授業で日本語を学び始めたばかりの学生さんに「みなさんは『独身』ですか?」と日本語で質問すると、得意げな顔をしてフルフルと首を横に振る学生さんがいるが、彼らは決して「私は既婚です」と言っているわけではなく、「お、『独身』って中国語では“单身”だったな。私にはステディーな相手がいるから、私は『独身』ではないな」と思考しているだけなのである。
以前中国に来て間もない頃、学生さんから日本語で「先生は『独身』ですか?」と聞かれたことがある。
私は当時も今も結婚していないし、したこともないので、「はい、独身ですよ」と答えたところ、彼女(19歳)はニッコリと笑って「私も独身ですよ」と言ってくれた。
当時の私は中国語をまったく解さなかったので「何を当たり前のことを!」と思ったものである。
したがって、“单身”の記念日である“光棍节”を「独身の日」と訳するのは、本当は間違っているのである。
だって「独身だけど恋人はいる」なんてザラでしょう。
などとどうでもいいことを考える。
そんな「独身の日」であるが、6時過ぎに起床。
眠い。
しかし1限から6コマ詰まっているので、気合で身体をベッドから引き剥がし、シャワーを浴びて学校へ行く。
ちなみに中国の大学では1コマ45分であり、1つの科目が2コマからなる(45分・10分休憩・45分)のが普通である。だから、日本的に言えば、今日は3コマ授業が入っているわけである。
疲れるわい。
終日授業をこなしバタンキュー。
12日(火)
美しい秋晴れ。
この日は10時から2年生の「視聴説」だけ。
ちょっと受講態度に問題があったので、説教する。
態度の問題といっても、別に授業中に私語をしたりウロウロ立ち回ったりするということではない。
いま勤務している学校はある程度の学力がなければ入れないので、そういう「論外」な学生さんは大学入試で殆どふるい落とされ、あまり存在しない。
だって「授業中に私語をする」「授業中にウロウロする」ような人の話も聞けない人間が、知識量を問われる大学受験をパスできるはずがないもの。
だから、私の学生さんたちは授業のあいだ、とてもお行儀が良い。
教師の話を静かに聞き、「この知識はテストに出るから覚えなさい」と言えば一生懸命覚える。
問題はまさにそこにある。
彼女たちは「成績」や「就職」に関係がある知識はせっせと覚えるのであるが、彼女たちにとって関係がない(ようにみえる)教科書の内容や教師の話を見聞するとなると、いっきに聞き流す癖があるのである。
それではいけない。
内田樹が、
…「学ぶ力」とは「自分の無知や非力を自覚できること」、「自分が学ぶべきことは何かを先駆的に知ること」、「自分を教え導くはずの人(メンター)を探り当てることができること」といった一連の能力のこと…
と指摘するように、自分のちっぽけな価値観(「成績」や「就職」など)からみて「関係ない」から「意味がない」と簡単に判断してしまう知的態度を「バカ」と呼ぶのだから。
学生さんたちは学びの近道を求めたがる。
しかし、考えていただければわかると思うが、近道とはスタート地点から見て「おお、近道だねえ」とは決して判断し得ないからこそ近道なのである。
しかるに世間一般で言われる「近道」は、道を歩き切った未来の自分の視点を不当に先取りしている。
しかし、その「未来の自分」って、「こうなるだろう」という想起だし、その想起は現在の自分によるものだから、結局「今の自分」でしょ。
その「近道」、実際に歩いていないじゃん。
なんで信じられるの?
私の経験上、真の近道とはスタート点から見ればたいてい「〜なんて・〜なんか」としてしか評せない。
だから、実はタメになる話とは、注意深く聴かなければ「~なんて・~なんか」と簡単に「理解」できてきしまうのである。
そのことを自覚していないならば、人間は簡単に他人を見下し、鼻で笑い、小馬鹿にし、切って捨てる。
でも、人が知的に真摯であろうとする限り、その人が感じる「なんか変だな」は、今のその人には見えない本質的「なにか」への近道であり、「あいつらは変だ、俺は正しい」という偏見への落とし穴ではありえない。
近道と「近道」の見極めは愉快に生きるために必要な資質だが、「いま・ここ・わたし」を絶対化する人間は近道を見落とし、他人をせせら笑うだけで、どこにもいけない。
それが「近道」に潜む落とし穴だ。
という以上の言葉を私は諸君に送る。
なぜなら、これは私の経験によって私が泥だらけになりつつも発見した確かな近道だからである。
私の話が近道か「無駄」かは、皆さん自分で判断してください。
と説教をする。
疲れた。
疲れたので久しぶりに蘭州ラーメン屋へ行く。
いつもと同じだと芸がないので刀削面(生地の塊をスパスパと小刀で削りながら鍋に投入し茹で上げる麺料理)を注文。
満腹したので一時帰宅し昼寝。
2時間ほど仮眠をとり、ジムへ。
とうとう入会することを決心したので、お財布を握り締め(という修辞もスマホ決済の普及とともに字面だけになってしまったな)、このまえ案内してくれた2年生のOくん、4年生のOさん、Sさんとの待ち合わせ場所へ。
OさんとSさんも興味を示していたので、心優しい先生として私がお誘いしたのである。というのは半分ウソで、3人まとめて入会すればちょっとだけ安くなるのである。
悪い教師である。
まあ、でも2人も安くなるからいいじゃんね? ん?
入会金をお支払いし、トレッドミルで軽く30分走ったあと、インストラクターについて大胸筋と上腕三頭筋のトレーニング方法を指導してもらう。
2時間ほどみっちり鍛える。
身体がパンパン。
心地よい疲労感を味わいながらシャワーを浴び、さっさと就寝。
13日(水)
授業がないオフ日。
8時に起きて大学へ。
原稿を書く。
15時に切り上げてジムへ行き40分走る。
昨日筋トレしたので今日は走るだけ。
実は私は昨日までトレッドミル(ルームランナー)で走ったことがなかった。
そのため、「えー、部屋の中で走るのって面白くないんじゃないの?」という固定観念があった(エアロバイクにはよく乗っていたのでなおさら)。
それがやってみると、結構楽しい。
もちろん経験が少ないから物珍しさがあるのかもしれないが、あっというまに時間が過ぎる。
で、走り終わったあとになぞの「トランス感」がある。
きっとトレッドミルではペースを他者(マシン)が握っているので、それに同期して走っているうちに、知らず知らずのうちに自分を抜け出しマシンと一体化しているのであろう。
楽しい。
汗をたっぷりかき、家に戻ってシャワーを浴び、ご飯とお酒をいただき寝る。
14日(木)
学期第12週の木曜日。
偶数週なので今日は授業は10時からの「作文」だけ。
なので早起きして学校に来てから、溜まっていたいろいろな仕事をやっつける。
「作文」の授業ではちょっと小言を言う。
テーマに対して自分の頭で考えずに、ネットで散見される他人の意見や親・教師からこれまで聞きかじった一般論をかき集めた作文が多かったからである。
そしてその問題に気づいていない。
あのね、ある限定された条件下で異なる視点からなされた複数の他人の「説明」をかき集めて文章を書いたところで矛盾が生じるのは当然なの。
たとえば、文中で「西洋人は個食を好み、中国人は会食を好む」と書いておきながら、「場所によって文化は多様である」と終わる作文がある。
私はここで書かれているそれぞれの意見に異論があるわけではない。
「場所によって文化は違う」とか「西洋では〇〇であり、中国では××である」というのは、ある条件下・ある視点においては、それぞれ正しい説明として成り立つものである。
しかし、それはあくまで条件を設け、視点を限定し、自分の論点を絞った上で、自分の言葉として綴った上での話である。
そうする限り、文章には必ず一本筋が通るからである(その文章に含まれる誤謬や矛盾も含め)。
しかし、他人の説明を深く読み観察することなく「道具」として利用してしまうと、同じ文章中に視点や条件や論点が異なる文章を放り込んでしまうことになり、「文化とは場所によって異なる。西洋では○○だが、中国では××である」と平気で書いてしまうのである。
え、「文化とは場所によって異なる。西洋では○○だが、中国では××である」の問題がわからない?
だって、本当にこの書き手が「文化とは場所によって異なる」と考えているのだとしたら、なんで「西洋では〇〇」「中国では××」などと簡単に一般化できるの?
「場所によって異なる」んだから、当然「西洋でもイギリスでは○○、フランスでは××」というべきだろうし、当然「イギリスでもイングランドでは〇〇、スコットランドでは××」というべきだろうし、当然(以下省略)。
繰り返すが、「文化は場所によって異なる」も「西洋では○○、中国では××」も、それぞれの書き手が慎重に条件を付け視点を限定したうえで論じるならば、立派な説明として成立する。
しかし、設けた条件や立った視点が全然違う他人の説明を無反省に「道具」としてかき集め「私の意見」としたら当然矛盾するし、その矛盾を指摘されても説明できないに決まっているのである。
だって、自分で考えて書いたわけではないのだから。
自分で考えて書いていない以上、自分の視点も論点もないし、自分の視点や論点がない人間が自分の視点や論点が成り立つ条件や、自分の視点や論点の限界を言語化できるはずがない。
多くの学生さんが自分で考えて作文を書いていない原因は(そしてその結果このような「寄せ集め」作文が生まれる原因は)、おそらく彼らに「自分の疑問」というものが存在しないからではないかと私は思う。
「存在しない」という表現は不適当かも知れない。
それではまるで「疑問」というものが事前に頭の中に用意されていて、それが自然と私たちの前に湧いてくるかのような印象を与える。
おそらく多くの学生さんは「自分の疑問」というものが自然に湧いてくると考えていて、湧いてくるのを座って待っているのだろう。
しかしそれでは、おそらく永遠に「自分の疑問」などには出会えないと私は思う。
なぜならば「自分の疑問」とは、一見正しそうな他人の説明やこれまで自分が信じていた当たり前の常識に対して「え、ほんとうに?」「うっそー、まじで?」などというふうに、とりあえず口に出してみたあとに初めて認知される事後的な存在だからだである。
実際のところ、私たちは「わかっていないのだ」とわかるためには、自問自答を繰り返さなければならない。
そして「わかっていなかったのだ」とわかることを、発見とか創造などと呼ぶのである。
しかし「自分はわかっていると思っている人」は「本当に?」と自分に問いかけはしない。
だって「本当に?」と問いかけてしまうと、実は自分はわかってなどいないという事実に直面してしまうからだ。
だから自問自答しない人は永遠に「自分はわかってなどいない」ということをわかることはできない。「わかっているつもりの人」は疑問の言葉をとりあえず口に出すという行為が「自分を否定してしまう」と恐れているからだ。
しかし、それは「自分を否定する」ということではない。
むしろ私たちの口に出した何気ない疑問こそが、私たちを形作っていくのだ。
もちろん、ある程度「形作って」「完成した」つもりになった人間は、それをキープするために、自問自答しなくなるのだろうけれども。
それって「自殺」(By カミュ)だと私は思う。
そんなことを考える。
そんなことを考えたのでお腹がすいた。
授業のあとで近くのメシ屋に行き、「トマト卵炒め」丼をかっ込む。
「たいしたご馳走でもないのに先生は幸せそうに食べますね」
なんて学生さんからの呆れた声も時折聞こえてくるが、別にいいの。
なんでも美味しくパクパク食べるというのが私の数少ない美徳のひとつなのだから。
そうやって摂取したカロリーを脂肪ではなく筋肉に添加するためにジムに行き、軽く走ったあとに大腿筋と大胸筋をみっちり鍛える。
パンパンに張った身体にキツいながらも充実感を覚える。
明日はオフ日なので早めにご飯を済ませて就寝。
おやすみなさい。
生きてますよ。
最近身辺雑記を更新していないが、ちゃんと生きているので、とりあえずは生存報告をさせていただく。
身辺雑記だって、ちゃんと毎日記録はしているのだが、文章として統一性を持たせてひとまとめにアップするために推敲する時間がなかなか取れないのである。
「おまえなんかの身辺雑記を真面目に読んでいる人間がどこにいるんだよ」
いるんだな、これが。
そう、私自身である。
たとえ他人が一人たりともこのブログを読んでくれずとも、必ず一人の読者が存在している。
だって私が読むから。
「おめーが自分で読むだけなら日記帳にでも書いてやがれ」
やれやれ、そういう感想をお持ちの「おめー」さんは、きっと「私」というものへの理解があまりに「かたい」のだろう。それはまるで4ビートでしかリズムを理解できず、正面からしか人物画を描けないのと同じ「かたさ」がもたらす不自由さである。
しかるにご本人だけはその「かたさ」に気づけない。だからこそ「不自由」なのである。
私にとってわかりきった身辺雑記を私にでも楽しめるように書くという私の試みは、身体運用における柔軟体操であり、楽器演奏における「メトロノームをウラで聴きながら1/4ずらしつつ音階練習する」ようなものであり、料理における「じゃあ一番出汁を引いてお吸い物を作ったあとに出汁ガラ煮立たせて二番出汁取ってゴロ煮でも仕込もうか」という、「分節」の練習である。
それは私にとって「私」に飽きずに「私」と折り合っていくための大切な作業であり、その「分節」作業のためにはクローズドな日記帳ではなく公開された場こそが必要不可欠なのである。
だからさっきの「おめー」も分節された私にほかならないのであるが、もし私がクローズドな日記帳に身辺雑記を書いていたら、この「おめー」さんは誕生しなかったはずなのである。
「おめー」さんと出会えた新鮮さこそが、私のありきたりな日常を彩るクレパスの一色になる。
だから、身辺雑記だからこそ風通しの良いオープンスペースに記しておきたいと私は思う。
とはいえ、私にも仕事上の優先順位があって、ここ数日は自分の「分節」よりも学生さん「を」分節させる作業(まあ、教育ってそういうことよね)に忙しく、自分の柔軟体操に割く時間がないのである。
久しぶりに寝る前に閑と余力に恵まれたので、生存報告に代えて駄文でお目汚しするまで。
というわけで、私は無事です。
みなさん、お休みなさい。
日記(11.4~7)
4日(月)
学期11週目。
今週は奇数週だから授業が4コマ増える。
特に木曜日が1限から昼休みを挟み6限までぶっ続け。
きつい。
週の始めからそんなことを考えつつ5時40分に起床。
シャワーを浴びて学校へ。
りんごとヨーグルトとカップスープで朝ごはんとしつつニュースを見たり日記をつけたり雑務を片付けたりする。
そういう一連の机仕事をしながら、一方で食パンにあんこを挟んでお手製の「小倉サンド」を作り、熱い緑茶と一緒に頂く。
最近原稿書きに追われているせいか(はたまた自転車によく乗るせいか)身体が甘いものを欲するようになってきている。
よくある話ではあるが、私は大学入学後酒を覚えてからというもの、甘いものをてんで受け付けなくなった(ウイスキーをすする時のチョコは別)。
しかし、やっぱり頭を使うと脳が糖分を欲するようで、最近は甘いものをすすんで摂取するように心がけている(いきなり血糖値を上げないためにもりんご齧ったりスープ飲んだりしてからね)。
「小倉サンド」を頬張っているうちに8時になったので、いざ教場へ。
3年生の「ビジネス日本語」と4年生の「視聴説」。
「視聴説」の方では、「説明と紹介の違い」についてご説明する。
教科書中の設問で「~について説明してください」とか「~を紹介してください」などという文言が頻出するのであるが、学生さんたちの回答に問題が散見されるのである。
たとえば、「日本の世界文化遺産について説明してください」という設問。
ほとんどの学生さんはインターネットから引っ張ってきた「日本には19の世界文化遺産があります。たとえば、……」などという文言を読み上げる。
うん、ちょっとまって。
あのさ、それって「説明」じゃなくて「紹介」だよね。
「せんせー、説明と紹介って違うんですか?」
全然違うよ。
「なにが違うんですか?」
ほっほー、そこからお話しなければならんか。
よろしい。
重い腰を上げて、まずは「説明と紹介の違い」についてご紹介しよう。
私の手元にある広辞苑によれば、説明とは「事柄の内容や意味を、よく分かるようにときあかすこと。」とあり、紹介とは「情報を伝えること。未知の事物を広く知らせること」とある。
ね、違うでしょ?
これが「説明と紹介の違い」の紹介。
以上、終わり。
「えー、なにそれ。辞書にあることを持ってきただけじゃないですか」
そのとおり。
だって、広辞苑が「説明」しているように、紹介とは「情報を伝えること」なのであり、私はさきほど皆さんに「説明と紹介の違い」について「紹介する」と言ったのだから、これで十分でしょ。求められているのは「説明と紹介の違い」という「情報」をクラスに広く知らせることなのだから。
「うーん。でも、なんか足りない気がします。それって誰にでも出来ますよね」
そう。
しかし、たとえば、「説明と紹介の違い」についてわからない君たちを前にしているこの場面において「説明と紹介の違い」を紹介するという私の行為そのものが、「説明と紹介」に関する説明として雄弁に機能していると諸君は思わないだろうか?
「……なんか先生のめんどくさい性格がありありと現れた表現ですね。言いたいことがよくわかりません」
……そうだね(ひどい!)。
うん、さっきのは気にしなくていいよ。
簡単に言うとだね、私が思うに説明とは、自分なりの視点や観点からものごとを理解し、それを自分で再現してみせることなんですよ。
だから、この「説明の説明」だって、私なりの視点や観点に立ってなされているわけだから、異論や反論があって当然なのです。
「完璧な説明などありえない」、説明の本質的説明はこれに尽きると私は思う。
だってもし「完璧な説明などありえない」という私の考えに君たちが賛成してくれるならば、それはすなわち「完璧な説明などありえない」という私の「説明の本質的説明」に同意するわけであり、反対にもし君たちのなかに「いや、完璧な説明はありうる」という反論が存在するならば、その存在そのものが「完璧な説明などありえない」という私の命題の正しさを保証してくれるわけだから。
まあ、言葉遊びはこれくらいにして。
「説明と紹介の違い」へと戻ろう。
私はさきほど「説明とは、自分なりの視点や観点からものごとを理解したあとに、それを自分で再現してみせること」だと述べた。
対して紹介とは、求められるテーマに対して、自分の外界にすでに存在している説明や自分が既に分かっている情報をパスすることだ。
たとえば「自己紹介」なんかそうでしょ?
自分の名前や出身地、趣味・特技など、私たちが初対面の人に提供する自身に関する情報は「既にわかっている(つもりの)自分」に関するものである。自己紹介とは、自分に分かっている自分の情報を他人にそのままパスする活動なわけだ。
これがもし「自己説明」となると大変だよ。
だって、初対面の席で見知らぬ人に
「私の名前は田中太郎といいます。苗字の田中ですが、はて、なぜ私の苗字は田中なんだろう。ここはひとつご説明させていただけませんでしょうか」
とか
「私の趣味はベースです。……と言って今疑問に思ったのですが、私がベースを好きになった理由はなんなのでしょうか。あれ、わかんないな……あ、ひょっとしたら父がシド・ヴィシャスの真似をしてベースで幼い私をぶん殴っていたからかもしれません。きっとそうだろうな。」
などと滔々と語りだすことになるから。
もちろんそんなことする奴はいない。めんどくさい人間だと思われるだけだからね。
おっと脱線した。
もちろん紹介だって「どの情報をパスするか」というあなたなりの思考が介在するし、その選択によってそのひとなりの個性だったり多様性は生じる。
けれども、説明のように、言語活動を展開すべき対象を自身の理性に依って根本的に把握し、自分なりの言葉で再現するほどの高度な知性は求められない。
というのが、私の「説明と紹介の違い」に関する説明である。
もちろんさっき引用した辞書の「説明に関する説明」だって正しい。
しかし、それらはあくまで「他人の説明」であり、それらを私がいくら引用したところで、それは私の説明ではなく「他人の説明の紹介」にすぎない。
でしょ?
これでみなさんの「説明」が抱える問題がお分かりいただけたことだろう。
みなさんは教科書の「説明してください」という課題に対して、既に自分の外界に存在する「他人の説明」や、これまで習ってきたおかげで頭の中にある「既に知っている情報」を引っ張り出してくる。
しかし、それは「他人の説明の紹介」であり、「私が既に知っている情報」の紹介でしかない。
それらをいくら網羅的に口にしたところで、そこに「自分の視点」が存在しなければ、決して「私の説明」にはならない。
そこに「私の視点」が欠けているからだ。
ここから分かるように説明は紹介以上に難しい。なぜなら地頭が問われるからだ。
そして地頭とは自分の頭を使わない限り、決して鍛えられないものである。
私はみなさんに「他人の説明を他人に紹介する人間」として卒業していただきたくない(今から脱線するよ)。
なぜなら、そこには(文字通り)「あなた」が介在していないからだ。
極端なことを言えば、別にそれは「あなた」じゃなくても出来る作業である。
でも、「あなた」じゃなくても出来ることばっかりやっていると、結局「あなた」は換えが利く人間としてしか生きていけないのではないだろうか。
中国語ではよく“人才”という言葉を使いますよね。
4年生の諸君には言うまでもなく、この言葉は日本語で言うところの「人材」にあたります。
でね、日本語の「人材」には2通りの意味があると私は思うのです。
一つは、「才能のある人」。これは中国語の意味と同じなので、特に説明は必要ないか。
もう一つは、「材料としての人」です(おお、『ハガレン』みたいで怖いですね)。
たとえばみんな足元を見てください。
床にタイルが敷いてあるでしょう?
それってみんな同じ形、同じ大きさ、同じ重さ、同じ色だよね。
どうして?
答えは簡単。
「みんな同じ」だと換えがいくらでも利くし、便利だからです(だって一枚一枚のタイルの大きさや形がバラバラだったら困るし)。
「材料としての人」だってそう。
「みんなと同じ」であるほうが、「材料」を使ってなにかを組み立てる人にとっては便利なんです。
君たちは「みんな同じ」は安心安全だと思っているかもしれない。
そして「みんなと違う」は怖いしリスキーだと思っているかもしれない。
もちろん、それは正しい。
しかし、物事には必ず裏と表、メリットとデメリット、リスクとベネフィットなどなど、両面あるというのも事実ですよね。
「みんなと同じ」もそう。「安心安全」の裏にはデメリットがある。
私が思うに、それは「みんなと同じ」だと「あなたの替りはいくらでもいる」という非情な通告に絶句してしまうことです。
「大学院に行くと良い仕事がある」とか「英語ができれば出世できる」という理由で日夜努力している学生さんが多くいますね。
もちろんそれはまったく間違ってはいない。
だけど、それだけだと「みんなと同じ」の罠に陥る危険性があると私は思うのです。
「大学院に行くこと」や「英語を学ぶこと」の重要性、それはそのような学びを経ることで、私たちは「みんなと違う私」に出会うことができるかもしれないという点にある。
私はそう考えます。
そして「みんなと違う」パフォーマンスを発揮できる素質を我々は才能と呼ぶのだし、そのような才能を身につけている人間を「人材」と呼ぶのです。
だから、「大学院を出た」とか「英語を身につけた」だけでは、決して「才能ある人間」としての「人材」にはなれません(むしろ材料としては画一的で扱いやすい)。
「みんなと違う」は怖い。
確かに。
だから、私たちはふつう「みんなと同じ」を目指して努力する。
しかしだからこそ、「怖い」けれども勇気を出して「みんなと違う」を目指して努力できる人間は数少なく、得がたい存在となる。
この「数少なく得がたい存在」こそが「財産」としての「人財」になる可能性を秘めているのではないでしょうか。
話がだいぶ逸れたけれど、私が一教師として諸君に期待すること、それは「他人の説明を他人に紹介する人間」になることではなく、「自分の説明を他人に紹介できる人間」になることです。
そしてそのためには、まずは「他人の説明」をそのまま他人にパスしたり、「他人の説明」に耳をふさぐまえに、「他人の説明」というパスを受け取り、そのパスが意味するものを深く考え、観察し、自分なりのパスとして次の人に渡すことが必要不可欠だと私は思います。
おわかりいただけたでしょうか。
などとガーガー喚いているうちに話が「説明と紹介」という日本語の話から人生論にまで飛躍してしまった。
説教臭いな。
反省。
「ガーガー」したので、息も絶え絶えにオフィスへ戻る。
お腹が空いた。
ランチタイム。
外に行く暇がもったいないため、「レンジでパスタ」でパスタを茹で、そこにツナ缶とトマトソースをぶち込んだものを口にしながら、Oさんの研究計画書を読む。
見栄えはパッとしないが、おいしい(パスタがね)。
13時半にOさんが来て、研究計画書について討論。
彼女は「完全なコミュニケーションなどありうるのか」という根源的な問題意識が基底となっているテーマを考えているので、当然ながら簡単に「ある」とか「ない」とか結論がつくはずがない「入口だけあって出口がない」研究になるわけであるが、そのような「ぐるぐる」「ぽん!」「また新たなぐるぐる」こそが研究の王道だと私は思う。
ぜひ頑張っていただきたい。
Oさんが帰ったあと、メトロから届いたコーヒー豆を受け取りに、キャンパスの反対側まで歩く。
ここ一週間天気が非常に穏やかで美しい秋の日々が続いている。
願わくば寒い寒い冬をすっ飛ばしてこのまま春になって欲しいのだが、まあそれだと「春」「秋」は存在すらしないわけなので、無理な相談である。
オフィスに戻り、受け取ったばかりのコーヒー豆でさっそくコーヒーを淹れる。
仕事をしているときの私は立派なカフェイン中毒者であり、コーヒーがなければ頭が回らない。
にもかかわらず先週末うっかり豆を切らしてしまった(もうひとパックストックがあると思っていたのである)。
そのあと数日間はインスタントで耐えしのいでいたのであるが、やっぱり豆から淹れたほうが美味しいし、頭にガツンと「効く」。
コーヒーを頂きながらしばらくデスクワーク。
16時から2年生の「会話」。
もう疲れたぜ。
疲れるとおしゃべりになるのが私の悪癖であるが、そこにきて今学期の「会話」は全て6コマ詰まっている日のどんケツに入っている。
結果的に今学期の「会話」の授業は、学生さんの「会話」の授業なのに私ばかり話してしまうという本末転倒な事態が生じるのである。
ごめんなさい。
とはいえ、「日本語の『そうですか』と『私の母は嬉しい』という誤用から見る日本人と中国人におけるコミュニケーション観の違い」とか「虹が7色だと誰が決めた?(実はニュートンです)」とか、日中比較文化論や言語学に近接するお話をしているので、日本語や日本文化を学ぶ諸君のためになるのである(と思う、というより願う)。
へとへとに疲れて今日の仕事は終了。
家に帰ってバタンきゅー。
5日(火)
早く寝たので4時起床。
30分ほど散歩をしてシャワーを浴びたあと早朝の大学へ。
10時の授業までバチバチとキーボードを叩き、書き物をする。
10時から3年生「視聴説」。
昨日4年生にしたように、「説明と紹介の違い」について説明する。
全く同じ説明をしてしまっては、「過去の自分の説明」の紹介になってしまうので、頑張って表現を変えながら説明する。
疲れる。
昨日と同じくオフィスでパスタ(今日はカレーソース)を食べる。
満腹。
お腹が満たされると瞼が重くなる。
いかん、結構本格的に眠い。
仕方なく一時帰宅し15時半まで昼寝。
そのあと大学に戻る。
16時からイラスト担当のSさんLさんと話し合いがあるからである。
眠い。
とはいえ、文章執筆における文脈指示詞の話をしているうちにエンジンがかかり(内田樹風に言えば「舌が回り始め」)、話題は「古代中国人には虹は何色に見えていたか」「16ビートを解さないおじさんおばさんが若い学生さんの歌に送る手拍子の気持ち悪さの原因について」「日中間における『椅子は何個ある?』という問いがはらむ誤解可能性について」などを2時間くっちゃべる。
楽しい。
楽しいけど、疲れる。
2日続けてバタンきゅー。
6日(水)
最近変な夢をよく見る。
とくに悪夢系や不条理系が多い。
これはおそらく日中机に向かいバリバリと条理が通った整合的な思考を展開しているので、野党席に追いやられた理不尽でわがままで手がつけられない本来の私が「せめて夢の中でも」と暴れまわっているのだろう。
暴れまわるのはいいのだが、睡眠の邪魔をしてもらっては困る。
さらにここ数日どうもネズミに寝室へと侵入されたようで、夜中にがたがたゴソゴソやっている。
ネズミさんにしてみればこんな寒い季節に暖をしのげて食べ物にもありつける人家は天国のような環境であり、そこに闖入することは理にかなっているのだが、睡眠の邪魔をしてもらっては困る。
ネズミさんを迎え入れるようなセキュリティの甘さは全て私の責任に帰すところだが、それでもさすがにネズミさんと共存共栄するわけにはいかない。
だって4時に叩き起されるんだもの。
今日は仕事の帰りにトラップを買って帰ろう。
ということで4時に覚醒してしまったので30分ほど散歩をしてシャワーを浴び、6時には家を出ようとするも、急に眠気に襲われる。
疲れているのね。
よろよろとベッドに戻り、9時半まで寝る(今度は夢を見ない静かな睡眠)。
今日は授業がないオフ日なのだが、授業がなくても仕事が手ぐすね引いてわたしを待っている。
のろのろと起き出して大学へ行く。
いつものようにカップスープとりんごとヨーグルトを口にしながら、明日の作文の授業でお配りする「参考文」を探し、タイプしていく。
あっという間に13時を回る。
あああああああああああ。
貴重な時間が文字通り「あっ」というまに溶けていく!
出版社に提出する企画書も書かないといけないし、今月末のスピーチ大会に参加する学生さんの初稿もチェックしないといけないし、OさんとSさんの研究計画書も読まないといけないし、明日の授業までに30枚の作文を添削しないといけないのに、14時から検討会が入っている。
頭が痛い。
死にそう。
「でも、なんか先生嬉しそうですね」
……バレた?
そう。
仕事が忙しいということは、それだけ社会や他人から必要とされているということである。それだけ自分の存在にはちゃんとした意味があるのだ。
というふうに、多忙は自分の存在意義を信じ込む根拠になるのである。
だから人間は喜々として「忙しい」自慢をするのだよ。わかったかい?
「わかりますけど……なんかそれって可哀想ですね」
うん、それは言わないで。
などと戯言にかまける暇と余力はあるのだから、私はまだまだ大丈夫です。
気分転換の散歩ついでにネットで注文した商品(迷彩柄のカーゴパンツとパスタソース)を受け取りに行く。
お腹がすいたのでオフィスに戻り「出前一丁」(しょうゆ)に乾燥わかめと乾燥ほうれん草たっぷり入れて食べる。
うまし。
14時半から17時過ぎまで作文ゼミ。
作文の種類分けについて話し合ったあと、私が書いた「ハとガ」「こそあ」の原稿を輪読し、忌憚なきご意見を伺う。
みなさんご意見ありがとう。
4人の学生さんが帰ったあとに少し原稿の直しをする。
窓の外を見ると、とっぷりと日が暮れている。
明日は朝から6コマなので早めに休まなければ。
慌てて家へ帰り食事をしてお酒を飲んでシャワーを浴びて就寝。
7日(木)
6コマ詰まった奇数週の木曜日。
鉛色の空はまるで私の心を映す鏡のよう。
5時半にアラームにたたき起こされ、とりあえず熱いシャワーで気合を入れる。
ヒゲを剃り、アフターシェーブローションを塗り、髪を乾かしたあとにさっさと大学へ。
作文の授業用に「文章を書く際の支持詞の基本的使い方」をまとめて資料にする。
そのあとパワポ(中国では“ppt”と呼ぶ)を作る。
そんなこんなしている間にあっという間に8時になり授業。
「視聴説」「作文」と3年生の授業が続くので、「仕事の流儀」(井上雄彦)、やマーカス・ミラーの“power”、日本の雅楽などを引き合いに出し、豊かな語彙を持つことが思考しものを書く上でどれだけ重要かについて力説する。
「え~これって日本語の勉強と何の関係があるの?」
分かる人はわかるし、分からない人はわからないのよね。
お腹がすいたのでオフィスに戻り昼食(イカ墨パスタとスープ)をとる。
美味しい。
腹を満たしたあとはフォークから赤ペンに持ち替え研究計画書のチェック。
Oさんの計画書を真っ赤っかにする。
14時から2年生の「会話」。
最近言語系による認識の限界の問題に夢中になっているので、「なぜ青信号は緑なのに青信号なのか」などについて雑談を交える。
そのなかで明らかになったのが、日本語の「祖父」と中国語の“祖父”(zu3fu4)に関する認識のギャップである。
中国語は親族呼称において日本語以上に「父方か母方か」を重視する言語である。
中国人(漢民族)が「父方か母方か」を重視するゆえ中国語がそうなっているのか、はたまた中国語がそうなっているから中国人の価値観がそのように形成されたのか。中国語の生成の全過程を見ることができない以上「鶏が先か卵が先か」であるが、いずれにせよ日本語や日本人と比較して中国語や中国人が「父方か母方か」にうるさいのは事実である。
もっともこれは日本語で世界を認識している日本人の立場からの表現であって、中国人から見れば日本語や日本人の方が「ゆるい」はずである。
以前『ハリー・ポッター』の第1巻で同じような問題があったことを思い出す。
主人公ハリーには、母リリーの“sister”であるペチュニアという「おばさん」がいるのだが、原作では“sister”としか表記されていない。それを日本語版翻訳者は「リリーの姉」と翻訳したのだが、のちのちになって「リリーが姉」と変更した(何巻だったかわすれたけど)。
これも日本語という系で世界を分節する日本人が「長幼の序」という意識に強くとらわれているからである。
これと同じことが、中国語の親族呼称と日本語の親族呼称との間に言えるのである。
で、話は戻るけれども、私は日本語的な考えで「祖父」という言葉を使ったのだが、それを学生さんたちは中国語的な認識で聞いたので、誤解が生じる一幕が先ほどあった。
つまり、中国語では「祖父」とは「父の父」なのである(母の父は外祖父)。
もちろん「外祖父」という言葉は日本語にも存在する。
しかし、日常的に使うものではないし、「祖父」といえば「2人」存在するという認識が自然だろう。
面白い。
16時から1時間ほどOさんと話し合い。
少し不勉強なところが散見されたのでねちねち説教する(ごめんね)。
でも、頑張れ。
そのあとちょっと仕事をして、18時に2年生のOくんと北二門で待ち合わせ。
Oくんが通っているジムを見学させてもらう約束をしていたのである。
なにしろ30を過ぎた私の身体は代謝や筋肉が落ちる一方なので、やっぱり基本的な筋力トレーニングはしておいたほうがいい。
1時間ほどインストラクターについて大胸筋や上腕三頭筋、大腿筋などをみっちりしごいてもらう。
スピンバイクがあったので、ついでにOくんもしごく。
それはそれとして。
おお、これはきつい。きっと明日は筋肉痛だな。
だけど楽しいぞ。
会費は一年で780元。
うーん、どうしよう。
悩む。
家に帰って悩みながらお酒を飲む。
そのうちにまぶたが重くなってきたのでズルズルとベッドへ。
おやすみなさい。
日記(11.1~3)
1日(金)
新しい月を迎え、2019年も残すところあと2月となった。
古諺曰く「歳月人を待たず」(中国語では“岁月不待人”)。
「歳月流るる如し」(“岁月如流”)なんてのもある。
ほんとうに時の流れは早いものですね。
私は今年32歳になる。
まだまだ若輩者ではあるが、なんだか年をとればとるほど時間の経過が早くなってきている。
「ジャネーの法則」の教える通りである。
「ジャネーの法則」とは、フランスの哲学者ポール・ジャネーとその甥であり心理学者であるピエール・ジャネーによるもので、これによると人間の主観的記憶による体感時間の長さは加齢すればするほど短くなるという。
私は心理学が専門ではないので「ジャネーの法則」の科学的真偽や評価について判断を下せる立場にはない。しかし一生活者として、これには実感を持って首肯できる。
とはいえ、この法則の根底にある「ではなぜ加齢すればするほど体感時間は短くなるのか」という問題に関してネット上に溢れている説明に私はちょっと納得がいかない(ジャネー自身の説明は読んだことがないからどんなものがわからないが)。
「なぜ加齢すればするほど体感時間は短くなるのか」という問いへの説明として散見されるのが、
「子どもの頃は経験が少なく新しい発見が多い。したがって記憶としての時間は長く感じる」
「大人になると経験を重ねたことでマンネリ化し新しい体験が少なくなる。そのため、印象的な記憶が減り、結果として時間が早く感じられる」
というものである。
私はこれらの説明の前段、つまり、
「子どもの頃は経験が少なく新しい発見が多い」
「大人になると経験を重ねたことでマンネリ化し新しい体験が少なくなる」
という説明には全く異論がない。
むしろこの部分に完全に同意するからこそ、そのあとに続く
「したがって記憶としての時間は長く感じる」
「そのため、印象的な記憶が減り、結果として時間が早く感じられる」
に対して、「え、逆じゃね?」と違和感を抱くのである。
ところが、この手の説明はネットだけでみられるわけではない。
たとえば19世紀イギリスの小説家、ジョージ・ギッシングなども以下のように述べている。
時がたつのが早いと思うようになるのはわれわれが人生に慣れ親しんだ結果である。子供の場合のように、毎日が未知な世界への一歩であれば、日々は経験の集積で長いものとなる。
岩波文庫編集部編『世界名言集』p364
引用元の『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読んだことがない私には前後関係がわからないので批評はできないけれど、うーん……。そうなのかなあ。なんか違う気がするんだけど。
私の場合、「未知」ゆえに時間は短く感じ、慣れ親しんだからこそ時間を長く感じる。
例を挙げよう。
たとえば、90分を文字通り「あっ」という間に感じさせる講義があるかと思えば、同じ90分間でも、まるで時計の分針をセメダインでくっつけたんじゃないかってぐらいに「時間が止まる」講義もある。
これはみなさん共感いただけるであろう。
なぜこんな体感の差が出るかというと、ようは前者の先生は話が「面白い」からであり、後者は「面白くないから」である(言うまでもない)。
では、なぜ前者の先生の話は面白いのか。
それはその先生の話が私にとって未知そのものであり、話を聞くことが私に新しい発見や新鮮さをもたらしてくれるからだ。
私は「知らないし、よくわからないけれど、なんか凄そう」な話に弱い。
なぜならば、そのようなお話は、私の「『自分は知らない』ということを知りたい」というメタレベルでの知的欲求を刺激するからである。
だから、それが大学の講義であろうと書籍であろうと映画やアニメであろうと、「よくわからんけど、なんかすごそう」なものに私はいとも簡単に引き込まれ、没入してしまう。
そうして引き込まれ没入することを通して無我夢中に未知を純粋に楽しむことで、私は新たな発見を達成し、新鮮さを得るのである。
しかし、実はこのとき私の意識にとって「私」も「ここ」も「今」も存在しない。
だって「無我夢中」なんだから。
アニメ版『ピンポン』第10話では、無名の主人公ペコと世界ユース五輪金メダリストであるドラゴンが対戦する。
第2セットまでは下馬評通りドラゴンが圧倒する。
しかし第3セットになると、ペコはようやく、
「そっか、技術や戦型うんぬんなんてどうでもいいや。相手は最強なんだから、楽しく遊べばいいだけじゃん」
と悟る。
そうして「卓球が誰よりも大好き!」という自らの初心を取り戻し、ドラゴンに対して一気に優勢となる。
対するドラゴンも純粋に卓球を楽しむペコに感化され始める。
そして、すっかり忘れてしまっていた父に卓球を教えてもらったころの楽しさを思い出し、「いま、ここ、私」からの飛翔を開始する。
ドラゴンはその境地をこう表現している。
全身の細胞が狂喜している。
加速せよ、と命じている。
加速せよっ…加速せよっ…!!
目には映らない物、耳では聞こえない音、集中力が外界を遮断する。
膨張する速度は静止に近い。
奴は当然のように急速な成長を遂げる。
反射する頭脳、瞬発する肉体……
しだいに引き離されてゆく……
徐々に置いてゆかれる感覚。
優劣は明確。
しかし、焦りはない。
全力で打球している。
全力で反応している。
怯える暇などない。
怯える必要などっ……
松本大洋『ピンポン』第5巻より
私の考えではこの感覚こそが没入であり、「無我の境地」への第一歩なのである。
ドラゴンは、これまで「親のため、家族のため、学校のため、会社のため、絶対に勝たねばならない」という狭い空間(劇中ではこれをトイレをメタファーとしていた)で卓球をやってきた。
当然ながら、そのような狭い空間では、いくら勝利を重ねようとも、楽しさや新鮮感など得られるはずがない。
なぜならば、そこは「いま、ここ、私」という既知の価値観がのっぺりと水平方向にひろがるだけの空間だからである。このような空間ではすべてが既知(親のため、家族のため、学校のため、会社のため、絶対に勝たねばならない)に還元されてしまう。だから、息苦しい。
しかしそんなドラゴンも、純粋に卓球を楽しむペコの導きによって、楽しさという「翼」を取り戻す。そして、その「翼」によって羽ばたき、これまでの狭い空間(トイレ)から「飛翔」し、抜け出すことに成功するのである。
こうして最終的にドラゴンは「音も色もない真っ白な空間」(アニメ版)に至るわけであるが、この一連の過程において、恐らくドラゴンの精神には時間概念など存在していない。
なぜならば時間を感じる「我」が「無い」状態こそが没入なのだから。
最後にドラゴンが「此処はいい…此処は素晴らしい」と呟くように、そこはまさに自由な「夢」のなかである。
いやあ、まったく『ピンポン』は素晴らしい。素晴らしすぎて私は職場の座右に全巻並べているほどである。
話がだいぶ脱線した。
ようは「楽しい」ときは主観的な時間の流れなど存在しない。
「楽しい」とは無我夢中な体験をしているときであり、無我夢中な体験とは「経験したことがない」からこそ「発見が多い」体験そのものである。
そう私は言いたいのである。
だからこそ、「子どもの頃は経験が少なく新しい発見が多いから、記憶としての時間は長く感じる」という説明に対して「逆じゃね?」と思うのである。
では、なぜ私は子どもの頃に時間を長く感じたのか。
それはおそらく大部分の時間を学校に拘束されていたからである。
学校では「みんな同じ時に、みんなと同じことを、みんなと同じように」やることを求められる。
したがって「つまんない」時間が構造的に生じるのである。
なぜ「つまんない」かというと、先生からやらされることだからであり、先生がやらせる時点で「意味があるのだ」と子ども心にでもわかってしまうからである。
しかし、本然的に未知とは「これが意味があるかどうかわかんね」という態度によってのみ純粋に認識可能なものであり、だからこそ私たちの知的欲求を激しく掻き立てるのである。
「これからやることには意味がある」と思った時点で、物事の未知性と我々の知的欲求は決定的に損なわれる。
だから無我夢中に取り組むことができなくなる。
「意味があるとわかるからやる気が出るのだ」などというのはお金や地位や名声という俗な動機によって動きだすことしかできなくなった大人の偏見である。実は、人間の根源的なやる気を刺激するのは「意味わかんないけど、なんか凄い」という未知の存在なのである。
それは子どもの頃を思い出せば誰だって思い当たる事である。
子どものやる気を損なっているのは「これには意味があるんだぞ」と物事の未知性を損なっている大人以外の何者でもない。
現に、私は図画工作などの「自由にしていいよ」という授業には喜々として没入し、時間が溶けるように飛び去っていったことを記憶している。
だとすれば私が現在「時間が過ぎるのって早いな」と感じている原因も理解できる。
それは毎日好き勝手に仕事させてもらっているからである。
私はここでは「アウトサイダー」であり「お客さん」である。
私のこの仕事には「昇進」など存在しないが、その代わり会議もなければノルマもない。
直接の上司であるO主任は「それぞれの教師がそれぞれ教えたいことを教えるべきだ」という素敵な信念をお持ちなので、「あれをしろ、これをするな」とガミガミいう存在もいない。
だから、本当にありがたいことに、私は心置きなく自由にお仕事をすることができる。
そういう環境のもとで、新しい授業方法を考えたり、原稿を書いたり、こういう身辺雑記を書いたりしていれば、かならず「新しい経験」があるし「発見」がある。
現に、こんな金にもならない駄文を綴るのに私は40分ほどキーボードを叩いているが、私はその間の時間経過をまったく実感できない。
だから時間が溶けてなくなる毎日を過ごすことができているのである。
それは私が子どもの頃に野山を自由に駆け回って遊んでいた時に、あっという間に日が暮れてしまったことと原理的には全く変わらない。
もし私が世間一般的なサラリーマンで、日々上司に言われた仕事をこなすだけの生活を送っていたら、きっと時間の経過を遅く感じだろう(ああ、想像しただけでも耐えられない)。
あ、なるほど。
そんな状態は苦痛すぎるから、大人は自己防衛本能として「麻痺」することで時間を感じなくなっているのである。
だから「時間が過ぎるのが早い」わけだ。
だって「麻痺」しているときに時間なんて感じようがないしね。
お、ちゃんと「オチ」がついたぞ。
なんて長い前置きはさておき、この日は9時すぎに起床。
シャワーを浴びてすぐさま大学へ行き仕事に取り掛かる。
まずはデスクの上に置いてあったO主任依頼の校正を片付ける。
次に「研究計画書の書き方」と題して、長い作文をする。
これはお隣のA大学から熊本大学に留学している学生さんに宛てたもの。
この学生さんとは一度だけお会いしたことがあり、ちょくちょくネットで交流はあったのだが、昨夜突然「私が書いた研究計画書を見てください」と連絡があった。
基本的に私は頼まれたことは「はいはい」と受け入れるので、自分の原稿書きや仕事に追われているにも関わらず、このときもホイホイと気軽に引き受けてしまった。
で、一読したかぎり、研究計画書に直接朱を入れるよりも文章形式でお話したほうが良いし早いような気がしたので、それをこれから作文するのである。
3時間度ほど机にかじりつき、「研究とは何か」をマクラに、研究計画書のフォーマットや求められる内容などについて最低限説明しつつ、「『なんかよくわからないけど、すごい。だからわかりたい』こそが創造性の源泉であり、それこそが人類を動物と決定的に分けたのではないか」という私の主観的で実証しようがない思弁で結ぶ。
数えてみると約8000字。
ふう。
肩が凝った。
「なんだってまた他校の学生のためにわざわざ」と思わなくもないが、でも「お願いします!」と頼られると断りきれないのが私の悪癖である(だから契約上断らなければならない他所での非常勤のお願いは非常に苦痛である。良心が痛むからもう誰も非常勤のお仕事の話は持ちこまないでね)。
考えてみると研究計画書の書き方についてこうやってじっくり書き出してみたのは初めてである(いつも学生さんに向かってぺらぺら喋ってはいるが、それだと形に残らない)。
というわけで、結果的にはいい機会だった。
筆を置き(おお、時代錯誤な修辞であることよ)時計を見ると15時を回った頃。
秋の午後が美しいので散歩にでる。
うちの大学キャンパスは合肥の旧市街地にあり、その歴史を感じさせる佇まいを保持している。
合肥も開発が進み、多くの大学が新しいキャンパスを作って他所に移っていった。
確かに歴史がある分不便さもあるが、古い建物と静かな環境が保たれているので、私はこっちのほうが好き。
新しい大学キャンパスというものは、如何に建物が壮大で煌びやかでも、そこに「どや、壮大で煌びやかやろ」という現代人の自意識が垣間見えて、私なんかには野暮に感じられる。
その点、古いキャンパスには風雪を耐え残ってきただけの威厳がある。
しかもその威厳は設計やらデザインやらをした当時の「現代人」の自意識に基づくものではなく、キャンパスに堆積してきた時間経過が醸し出すものなのである。
ありがちな結論だけれども、そういう自然な雰囲気が私は好きだ。
小一時間ほどで散歩を切り上げ仕事に戻り、18時ぐらいまで机にかじりつく。
18時に頭が疲れて「ガコン」と音を立て停まったので、今日はここまで。
スーパに寄りワインと鶏の足のハムとレタスを買い、家で『のだめ』のラストシーズンを見ながらいただく。
『のだめカンタービレ』の終盤(アニメ版3期10話)、のだめにコンセルバトワールでピアノを教えてきたオクレール先生と、のだめを気にかけてきた世界的指揮者シュトレーゼマンの会話を印象深く聞く。
宮崎駿がスタジオジブリで「宮崎駿の後継者」を育てられなかった理由がなんとなくわかる気がする。
オクレール先生がシュトレーゼマンに向けて言う「やっぱりあなたは悪魔だ。一人だけツヤツヤしちゃって」は、まさに宮崎駿にもあてはまるからだ。
どこかのドキュメンタリーのなかで、後継者がジブリのなかから育たなかったことについて、宮崎は「スタジオは人を喰うんですよ」と言っていた。
でも、こういっちゃなんだが、若いスタッフの力を喰ったのは明らかに彼自身だと私は思う。
まあでも、そもそもジブリそのものが「高畑勲と宮崎駿の映画を作るために作った」スタジオだから、しかたがないのかもしれない。
ジブリに迷い込んだ若者は、まるで『千と千尋の神隠し』で湯屋に迷い込んで湯婆婆に名前を奪われ、カオナシに喰われた存在のように、場の主である宮崎や高畑に喰われるしかなかったのだ。
そういえば、以前どこかのドキュメンタリーでジブリのプロデューサー鈴木敏夫が「『千と千尋』を作っている時に、宮さんがカオナシを中心にしようと言い出したが、僕はカオナシっていうのは宮さん本人なんじゃないかと思った」と言っていたな。
おお、そうか。
なるほど。
ひょっとして宮崎駿は、「人を喰う」自分をカオナシとして、そしてそんな自分が人を喰うジブリを湯屋とすることで、意識的にも無意識的にも反省しつつ『千と千尋』を描いたのかもしれない。
だとすれば、宮崎駿があの映画を創る際に使って「喰われた」才能は、未来に死すであろう自分を弔うために映画を作っていたということである。
つまり、宮崎駿の映画を形作りながら、同時に自らの墓穴を掘っていたのである。
怖い。
カオナシのことを千尋が「あの人、湯屋にいるからいけないの」と言っていたが、千尋風に言えば、宮崎駿だってジブリにいるからいけないのだ。
だとすればジブリの湯婆婆って、誰なんだろう。
そんなことを考える。
2日(土)
清々しい秋晴れに恵まれた土曜日。
7時半に起床。
良い天気なので、運動と頭のリフレッシュとを兼ねて、「秋を探しにサイクリングに行こう」ライドを決行する。
「行こう」という他者への呼びかけを伴う行為遂行的発語ではあるが、もちろん私一人で行くのである。
出発前にいつも立ち寄る近所の売店で店主のおっちゃんに「ひとりで行くの? 学生さん連れて行きなよ」と言われるが、い・や・だ。
他人と走ると気を遣う。
相手が学生さんならなおさらである。
もちろん、他人と走るのが楽しい時もあるし、学生さんと走るのが嫌いなわけではない。
ただ、そういうのはたまにだから面白いわけである。
ということで、今週も一人でロングライド。
ロングライドとは言っても今日は100km程度に収めよう。
メインは秋を味わうことなのだから。
ってなわけで、出発。
先週のロングライ(https://changpong1987.hatenadiary.com/entry/2019/10/30/113329)同様、まずは河川敷を通って長臨古鎮を目指す。
河川敷に沿って植わっている木々が美しく紅葉している。
河川敷の芝生化された部分では家族連れがBBQをしていて、肉が炭火で焼かれる香ばしい匂いが漂ってくる。
いいね。
私も家に1人用の小さな炭火コンロと網があるので、ロードバイクのサドルバックにそれらを詰めてBBQライドというのも一興である。
ただ、BBQとなると、やっぱビールなんだけれど、「乗るなら飲むな」だからなあ。
途中で上下ともばっちりとサイクルウェアに身を包み、ビンディングシューズ(足とペダルを固定する機能が付いた自転車専用シューズ)を履いたローディーとすれ違う。
この河川敷をロードで走るようになって3年ほどになるけれども、同じくロードに乗っている自転車乗りを初めて見にした。
自転車に興味がない方にご説明すると、ローディーとはロードバイクをけっこう本格的に趣味にしている人々を指す言葉である。
だから、私のようなちんちくりんにとっては恐れ多くて自称できない言葉なのです。
それに(これを言うと怒る方々もいらっしゃるだろうが)、私はあまり「ローディー」という言葉の響きが好きになれない。
私は学生時代にバンド活動をしていた。
バンド用語で「ローディー」とは、平たく言えば「雑用係」である(あ、この表現も怒られるな)。
だから私にとって「ローディー」とは、バンドで使う楽器とか機材の搬入やらなんやらしていて、ライブの時には舞台袖に控えているお付の人なのである。
というのもあるが、個人的には「ディー」という語尾の響きがちょっと好きになれない。
同じ理由で「スムージー」も苦手。
「ベーシスト」や「ギタリスト」はOK。
まあ、ようは「蓼食う虫も好きずき」、“There is no accounting for tastes.”であって、貧脚自転車乗りの戯言以上の意味はないとご理解頂ければ幸いである。
40kmほど走り古鎮に着く。
美しい水辺に心地よい木陰を発見し、しばし休憩&補給。
今日はそんなに走るつもりはないので、補給食としておにぎりを3つだけ持ってきた。
唐突に普段は全く口にしないコーラが飲みたくなったので、「ザリガニおにぎり」と一緒に頂く。
なんちゅう食い合わせだと一瞬思うが、まあザリガニだってアメリカから来ているわけだし、「同郷同士じゃん、へーきへーき」で済ます。
補給を済ませたあとは20分ほどのんびりと秋の風景を眺める。
小さな池のそばにおじさんたちが椅子を持ち出して魚釣りをしている。
幼い女の子がお母さんと手をつなぎ、池に架かっている石橋を何度も何度も往復している。
今年生まれたばかりの水鳥の雛たちは十分に成長し今では上手に飛べるようになったようである。これで冬が来る前に暖かいところへと移動できるね。
そろそろ私も移動しなくては。
古鎮を出発し、今来た道を引き返す。
毎度おなじみ「南肥河大橋」を渡ったところで、いつも目にするが入ったことがない脇道に入ってみようという気になる。
この脇道をずっと辿れば南肥河が巣湖へと注ぐポイントに至る。
川に沿って走ると最後の方はダートになっていた。
ロードバイクだとパンクが心配なのでコロコロと押しながら河口まで歩く。
大きな灯台がある。
堤防に「私有地なので釣り禁止!見つけたら罰金!」と書いてあるが、10人ほどの仲間連れが平気な顔をして釣りをしている(中国ではよくある光景)。
それともあの10人ほどがこの土地の所有者なのだろうか。
陽光が湖面に眩く揺れる。
私はそれをのんびり眺める。
5分ほどボーッとしたあと、先に進むことに。
この一帯は、すぐとなりに湿地公園という名の自然公園があることから分かるように、湿地帯である。
以前ネットで調べたところ、もともと湿地帯だったこの一帯を農民たちが耕作し畑にしたらしいのだが、自然保護のためにそれを再び湿地化させたらしい。
だからだろうか、湿地のなかに家や電柱が残っている。
なんだか『千と千尋の神隠し』の最後の方に出てくるシーンを彷彿とさせる。
湿地を過ぎて再びもと来た河川敷に戻ってくる。
このまま引き返すと100kmに10kmほど足りないので、ここで距離を稼ぐ。
その後、湿地公園の売店でオレンジジュースを購入し、反時計回りで巣湖に沿って南下。
地下鉄一号線の“九联圩”駅を目指す。
到着。
夏休み最後の土曜日にここから家まで歩いて帰ったことがあるので、家まで残り23kmだと身体を持って把握できる。
ここからは街の中を走るので安全第一。
で、帰宅。
100kmライドは長すぎず短すぎず、ちょうどいい。
100km走るとなると以前の私にとっては大変な困難だった。
30を過ぎても身体的に成長する余地があるのか。
嬉しい。
シャワーを浴びたあとスーパーに行く。
「鶏モツの煮込み」「サラダ」「レモンチューハイ」を購入。
読書しながらご飯を済ませる。
食後ベッドに移って読書を続けているうちにズルズルと寝付く。
おやすみなさい。
3日(日)
8時起床。
シャワーを浴びて大学へ。
仕事を進めなければならない。
久々にジャイアントの折りたたみ自転車をひっぱりだし大学へ。
昨日のロングライドで食べきれずに持ち帰ってきたローソンのおにぎり(シーチキン)とカップスープで朝食を済ませながら、まずは日記を書く。
そのあとに今編集している作文教科書について短い文章を書く。
主審を務めてくださる日本人の先生に私の意図を理解していただくための文章である。
いいたいことがたくさんあるのでなかなかまとまらない。
そうこうしているうちに11時半。
12時半から明珠広場にある西京屋にA外国語学院のK先生とお食事の予約を入れているので、折りたたみ自転車で向かう。
このお店は合肥の日本人駐在員がよく来る日本料理屋である。
お値段は高めだが料理は美味しい。
店内に流れる山本リンダ「狙い撃ち」、五輪真弓「恋人よ」などのBGMから、この店のお得意様が「日本のおじさん」であることが容易に読み取れるのである。
案内された一室がまるで政治家の密談に使われているような部屋(そうか?)。
K先生はご自身がホストを務める食事会には必ず30分前にはいらっしゃる律儀な方であるが、今日は私が店を予約したので5分前にいらっしゃる。
さすが。
もし私より早く着いて待っていたら私が気まずい思いをするからね。
貴重な日曜日の午後にK先生にわざわざお越しいただいたのは、私が主編を務める教科書の主審のひとりをK先生にお願いしたいからである。
寿司やら天ぷらやらを頂きつつ、さっそく本題に入る。
二つ返事で快く引き受けていただく。
感謝。
そのあと2時間ほどこの教科書についての説明やら教育の話やらでもりあがる。
2時半におひらき。
買い物をして変えるというK先生と別れ、私はカウンターで預かっていてもらったジャイアントを引き取り、組み立て、大学に戻る。
途中で渋滞に巻き込まれる。
本来自転車やバイクなどの二輪は渋滞など無縁の存在なのであるが、なぜだか知らないが二輪専用車道が渋滞している。
歩道を走ればよかったのだが、うっかり巻き込まれてしまい、後退もできずに数分立ち往生する。
と、なんだかんだあったものの40分ほどで無事に大学まで戻る。
その後18時前ぐらいまで原稿書き。
いつもどおりスーパーへ行き、夕食の食材とナイトキャップを仕入れ、帰宅。
明日は朝から6コマなので、早めに就寝。
おやすみなさい。
日記(10.29~31)
29日(火)
7時起床。
授業は10時からなのでゆっくりシャワーを浴びて8時過ぎに出勤。
蔵書リストの提出期限が迫っているのだが、まだまだうちにはたくさんの本が堆積している。
そこからテキトーにむんずと掴みだしたものをリュックにパンパンに詰め、オフィスまで持っていき、自分のデスクのわきに小山を作る。和辻のうえに『あたしンち』が鎮座していたり、カミュのとなりに頭の悪そうな自己啓発書が並んでいたり、なかなかカオスである。
今日明日で済ませなければならない仕事は、木曜日の作文の授業で返却する作文の添削(25枚)と、それぞれの作文を膨らませる参考になる良文を探すこと、過去2年分・総勢70名の学生さんたちの作文から教科書編集用に収集した「良くある間違い」(A4で80枚にもなる)の整理、そして作文ゼミの学生さんたちとの検討会。
もちろん、その合間に教科書の原稿を書き進めなければならない。
幸い授業は今日の2コマしかないが、それでもこの小山をリスト化する暇と気力がない。
学生さんにお願いしようかしら、お昼ご飯を奢ってあげる「ついで」に。
コーヒー豆を切らしたので、今学期は北京の博士課程に行っているO先生が「どうぞ飲んでください」と置いて行かれたインスタントコーヒーを飲みつつ、作文の添削をする。
驚いたことに、みなさんこれまでの作文とは、書く態度が一変している。
「自分の言葉で書こう」「面白いものを読んでもらおう」という書き手の気持ちが伝わってくる。
おお、嬉しい。
いろいろなビデオを見せたり、自分でガーガー喚きたてたりして、「文章を書くとは」について3週間お話したかいがあった。
でも、やっぱり一番大きいのは、学生さんに自分が書いた作文を自分で中国語訳して提出してもらい、それをクラス全員分まとめてクラスに公開したことだと思う。
こうすれば嫌でも自分の作文の「俗さ」に気づくからね。
私がここでいう「俗さ」を「平凡さ」と同一視していただきたくない。
私は学生さんに「平凡な文章を書くな」なんて言えるような立場にもないし、「非凡な」文章を書けるわけでもない。
むしろ私は「平凡な」文章を書こうとしている。
しかし、決して「俗な」文章を書きたいと思ってはいない(思っているだけで実際には書いてしまっている可能性もあるが)。
「俗」と「平凡」は違う。
以前にもこのブログで書いたかもしれないが、「俗」であるとは、自分はみんなとおんなじなのに「自分はみんなとおんなじじゃない」と思い込んでいて、それゆえ「自分」の価値付やアピールの為に「みんなの考え」から離れられない人間のあり方である。
「平凡」な人間とは、たとえ「みんなの考え」に照らし合わせてパッとしなくても、「あ、そうですか? まあ、別にいいっすよ。」と平気で楽しく生きていける人間のことである。
如何に「みんな」よりお金を持っていたり、「みんな」とは違う髪型をしていたり、「みんな」と違う奇々怪々な主張をしようとも、それが「俺はお前らとは違う」という「みんな持っている」「ありがちな」自己承認欲求からなされているのならば、私は彼/彼女を「俗物」であると判断するし、「みんな」にすがっていながら、「みんな」に「あなたは違うね」と言って欲しいがために「俺はお前らは違う」とがなり立てている自分に気づけないあたり、バカに過ぎないと私は思う。
こういう文章を書いている私自身は「みんな」と比べてパッとしない人間である。
お金なんてもってないし、イケメンでもないし、服の趣味だってあってないようなものである。
べつにそれを悪いとは思わない。
しょうがないじゃないか、それが私だもの。
だから、こんな「平凡」なことしか考えられない。
でも、それでいい。
私は私の「平凡さ」をしっている。
そして私の「平凡」論の裏に潜む私の「俗物」さを知っている。
だから、私の思う「俗物」は「平凡」な私の「俗な」考えに過ぎないし、「俗物」を「ぷぷぷ」と笑う私はバカなのである。
これじゃあ無限後退だが、主観的に「平凡」なことを書きながら他人を「俗物」だと見下すことで、結果的に自分の刀によって「俗物」として斬られたくはないもの。
などということを書いているうちに授業の時間。
3年生の視聴説を「ガーガー」こなす。
オフィスに戻って袋ラーメンをズルズル啜りつつ、デスクワーク。
私はオフィスのロッカーにキャンプ用品のシリコン製折りたたみラーメン丼を忍ばせていて、金欠のときやなんとなく外へ出てご飯を食べたくない時などは、これでラーメンを作って食すのである(袋ラーメンは熱湯を注いで5分程度待てば美味しく食べられる)。
うちの日本語学部は教員ひとりひとりに小さなロッカーを割り与えてくれているのだが、私のロッカーの内容物は、
・袋ラーメン
・乾燥パスタ
・「ふえるわかめ」(ラーメンに入れる)
・フリーズドライの野菜(同じく)
・カップスープ(朝食)
・ヨーグルト(同上)
・りんご(同上、なんかOLの朝ごはんみたいだな)
などなど……みごとに食べ物ばかりである。
調味料も「鳥ガラスープの素」から「食べるラー油」まで取り揃えているのである。
満腹。
仕事を続ける。
14時に「いつもの」 SさんとOさんが来る。
結局、蔵書リスト作成の「ボランティア」をこのおふたりにお願いしたからである。
16時までサクサクと作業していただいたおかげで、座左(なんて言葉はないが)の小山は消失した。
ありがとうございました。
でも、まだ家にたんまりあるのよね。
この日は17時まで作業をして、帰宅。
疲れた。
30日(水)
授業がない水曜日。
昨日疲れて早めに寝たので、4時半に起床。
真っ暗なグラウンドへ行って40分ほどウォーキング&ジョグ。
そのあとシャワーを浴びて大学へ。
りんごとヨーグルトとスープを口にしながら、明日の授業で返却する作文を添削する。
10時ぐらいに頭へまわすべき糖分が「ガス欠」に。
身体が「あんこ」を欲していたので校内の売店へ行き、「あんぱん」(四個入りで3元)を購入。ついでに昼食用の袋ラーメンを物色。
これ(写真参照)が美味しそうだったので購入。これまた3元也。
オフィスに戻り、「あんぱん」をぺろりと完食したあと、午前いっぱい添削作業。
昼休みにさっそくさっき買ってきたラーメンを食べる。
……まずい。
「バカ舌」である私がそう感じるということは、そうとうマズイということである。
3元ドブに捨ててしまった。
反省。
反省しつつも14時から18時まで3年生の「作文ゼミ」。4人の学生さんにそれぞれぶっ通しで個別指導。
疲れたしお腹すいた。
そこに今度は4年生の「研究計画書ゼミ」。
さすがにきついぜ。
「ねえ、もうご飯食べた? まだならご飯食べながらやろうよ」
ということで、久しぶりに大学近くにある屋台街へ。
ぶらぶら見ているうちに、ひさしぶりに“串串香”が食べたくなった。
この料理は名前のとおり、串に刺したいろいろな具材を鍋の中に放り込んで楽しむ鍋料理である。
値段はたいていひと串5角(3円)程度から。
重慶にいたときはビール片手によく食べた。
結構綺麗で美味しそうな店を見つけたので入る。
席に案内されたあと、鍋のスープの種類を聞かれる。
「辛いスープ」と「キノコのスープ」を選択。
スープの選択が終わったあとは、各自思い思い食べたい食材を取りに行く。
まあ、まずはこんな感じだろう。
お店の人がオススメだという牛肉2種(赤身と、脂身多めの部位)も注文。しゃぶしゃぶして食べよう。
そうこうしているうちに鍋が来る。
「キノコのスープ」、美味しそう。
开了!(煮立った)。
いただきます!
それぞれ好きな串をつっこみながら食べる。
おいしい。
寒い季節はやっぱり鍋である。
食べながら2人の研究についておしゃべりする。
色々と興味深い話が沸いてきてわいわい盛り上がったのであるが、長くなるので割愛。
3時間ほどでお開き。
寮に帰るふたりと別れ、私はオフィスに戻る。
今日中に作文の添削だけでも終えておきたいからね。
みんなが帰って静まり返った外国語学院のビルで1時間ほどお仕事。
帰宅したのは22時半。
このままベッドに飛び込みたいところだが、さっき火鍋をたらふく飽食したので、このまま寝たら「牛」になってしまう(「豚ちゃうんかい」と思った人、絶対に許さない)。
なので昨日に引き続き『ステキな金縛り』を見ながら20分だけローラに乗ってペダルを踏む。
シャワーを浴びてすっきりしたたあとも、ベッドに入り、ナイトキャップをちびちび啜りながら見続ける。
深津絵里が可愛すぎて死にそう。
もしも私がもっと若いときにこんな女の子に出会っていたら、きっと骨の髄までしゃぶられてポイ捨てされるような振り回され方をしたことだろう(しかも自ら喜んで)。
幸いなことに(あるいは不幸というべきか)私はもうそこまで若くはないのである。
結局最後まで見終わってしまう。
時計を見るともう0時をまわっている。
いかん。
速攻で寝付く。
おやすみ。
31日(木)
6時起床。
眠い。
しかし10時の授業までに学生さんたちのために参考文を集め、打ち込み、印刷しなければならない。
マッハで大学へ行きパソコンに向かう。
城壁のようにデスクを取り囲んだ書籍をパラパラめくりながら、学生さんがより深く広く考える参考になる文章を、学生さんの作文一枚一枚に対して探し、打ち込む。
眠すぎて「シェイクスピアは看破した」を「シェイクスピアはカンパした」とか、「簡易ベッド」を「難易ベッド」とかミスタイプしつつも(わりには意味的には繋がっている)、なんとか10時の授業開始までに間に合う。
ふー。
疲れた。
そのまま12時まで授業。
眠い。
今日はもうこれで「あがり」にしよう。
13時まで雑事をこなし、スーパーに寄ってワインを買う。
窓から入ってくる陽光を浴びつつ、『のだめ』を見ながらワインを啜っているうちにまぶたが重くなってくる。
ということで夕方には就寝。
翌日9時まで爆睡。
こうして10月最後の午後をのんびりと過ごしたのだった。