かわいい子には旅をさせよ。
今日は6月1日。
日本では梅雨の足音が聞こえてくる時期であるが、梅雨が存在しないここ合肥は今日も青々とした空が広がる30度の夏日である。
そんな本日6月1日、中国では“儿童节”(児童節)、日本で言うところの「子どもの日」である。
なぜ中国では6月1日が「子どもの日」かというと、1949年にモスクワで制定された「国際児童デー」 に由来するそうであるが、詳しくは不明。
ご存知のように日本では5月5日の「端午の節句」が「子ども」の日であり、これまたご存知のとおり「端午の節句」は中国由来の風習なわけであるが、中国の「端午の節句」には「子どもの日」という意味合いは存在しない(というか、そもそも旧暦の5月5日こそが「端午節」なわけで、日本のように新暦に則って祝うわけではない)。
ではなぜ日本では「端午の節句」が「子どもの日」となったかというと、奇数を不吉とする中国では「5.5」と奇数が並ぶこの日、穢れを祓うさまざまな風習が存在した。
なかでも菖蒲の葉を用いるという風習が日本へ伝わり、その後の武士社会において「菖蒲」(しょうぶ)が「勝負」に通じることから5月5日は『菖蒲の節句』として定着し、さらに武士たちが自らの男児の健やかな成長を祈るために馬印やら幟やらを立てたことから「子どもの日」要素が誕生し、それが現在では「子どもの日」として定着しているわけである(あーめんどくさい)。
そんなわけで、中国の5月5日に「子どもの日」要素はなく、6月1日が「子どもの日」として定められているわけである。
そんな「子どもの日」。
授業は午後から。
なのでお風呂にゆっくり浸かりながら、ビリビリ動画(日本のニコニコ動画のようなもの)で、2週間前の「視聴説」の授業で使った映像資料であるCLAMP原作のアニメ『xxxHOLiC』第14話・15話を復習する。
この話の中心テーマは「言語と認識」だと私は思うんだけど、それは置いておいて(興味がある方はDVDやらインターネットでご覧下さい)。
さっき見ていたら、別な点に急に気を取られた。
第15話。
話は「変わりたい」と望む登場人物(双子のお姉ちゃん)が足掻きもがくシーン。
この話の流れで「かわいい子には旅をさせよ」とのコメントが流れた。
おお、なるほどね。
唐突に関心。
日本人として32年生きてきたけれど、「ああ、この言葉の意味ってそういうことだったんだ」と、不意にはっとさせられた。
それはつまり、私がこれまで「かわいい子には旅をさせよ」という語句に関して辞書や自分の狭い経験で持っていた理解が、アニメという物語を経由し、そこにアニメという物語を共有した他者のコメントが加わることで、「かわいい子には旅をさせよ」という語句のさらなる深みにたどり着けたということである。
私がさっき感じた「はっとさせられた」を無理やり言語化すれば、まあそんな感じ。
そういえば、この回のタイトルって「カイホウ」(解放)だもんね。
この経験から私が思うに、「はっとさせられる」っていうのは、主体的に自己という主体を未知へと投げ出し、より偉大な客体的存在を通過させることで、「主体的に主体から抜け出す」という、新鮮さに溢れる営みである(ああ、くどい表現だな)。
日常的な言葉を使って、一言で言おう。
つまり「旅」である。
「旅」とは「はっとさせられる」の連続である。
言っておくけれども、それは距離や場所の問題ではない。
距離的に遠い場所に行けばいいとい問題ではない。
重ねて言うが、それは「主体的に主体から抜け出す」営みなんだから。
バカはいくら世界一周してもバカのまま帰ってくるし、賢者は自室に籠っていても「旅」ができる。
「旅」とはそういうものである。
さらに重ねて言うが、私がここで言う「旅」とは、「まったく違う自分となって帰ってくる」ことであり、「旅に出る」とは、そのような(文字通りの)冒険を自ら選択するという捨て身の行為だからである。
つまり、捨て身の行為なのである。
「ああ、仕事疲れた。ちょっと観光地に行ってリラックスしよう」とか、「ちょっくら世界一周して名を売って金儲けしよう」とか。
それを私がここで「旅」とみなさない理由は、以上の説明でご理解頂けるかと思う。
彼らは「旅」から戻ってきても、まったく精神的に変質していないからである。
旅行から彼らが戻ってくるのは見慣れた自分の日常である。
「旅」は違う。
「旅」は原理の問題として、「戻る場所」などない。
あるのは、「新しく訪れる場所」のみである。
さらにさらに重ねて言うが、それは距離や地理の問題ではない。
だから、私たちはその気になれば、別に旅行に行かずとも「旅」ができる(私個人としては「旅」には気持ちよい散歩コースと静かな居住環境が欠かせないが)。
話を戻す。
「かわいい子には旅をさせよ」について思弁を弄していたのであった。
もしさ、親にとってほんとうに我が子が「かわいい」ならば、親はどうすべきだろうか。
どう思います?
我が子が、「バカ」なまま、「世間知らず」なまま、「甘えん坊」のまま、そして何より「バカで、世間知らずで、甘えん坊で、何が悪いの? だって、こうしてパパとママが守ってくれているじゃん」と認識したまま、「あーん、かわいい子でちゅね~」とペットのように扱い、手元においておくこと。
それが「かわいい子」我が子に対してすべき親の振る舞いだろうか。
私はそうは思わない。
だって、親って(単純な自然の摂理からいえば)子より先に死ぬんだぜ。
バカで世間知らずで甘えん坊で、なおかつそんな自分を「何が悪いの?」と疑わない人間は、必ず他の人間の食い物にされる(もしくは他の人間を食い物にする)。
それって、子にとっては不幸だし、親にとっても不幸じゃありません?
私は不幸だと思うな。
だからこそ、いくらお腹と財布を痛めて育て上げた存在であろうとも、親はあえて可愛いわが子に「旅」をさせなければならないのである。
そう思えば、私の人生も、18才で高校を卒業し実家を離れたあとは、「旅」の毎日であった。
私の場合、別に親から「旅に出ろ」と言われたことはないし、「旅に出るな」と言われたこともない。
なんとなく自然に、高校卒業前後の私は、「ああ、家を離れたいな」と思った。
別に親や実家に不満があったわけでない(ほんとう)。
別に「俺は成長したいんだよ」という純粋な気持ちばかりだったわけではない(当たり前じゃん、“心猿意馬”な男子高校生だぞ、舐めるんじゃないよ)。
そうしてなんとなく実家を離れ、鹿児島で7年間過ごした大学院卒業時点の私は、今度はある程度はっきりと「日本を離れたい」と思った。
とはいえ、別に故郷や日本に不満があったわけではないよ。
高校卒業とともに実家を出たときの私には意識できなくて、この時の私に初めて意識できたことがあった。
私はただ、私にうんざりしていたのである。
私はただ「変わりたい」と思っていたのである(だからこのアニメの双子のお姉さんには非常に共感する)。
私は変わりたかった。
別に親や家族や故郷や日本に愛想を尽かしていたわけではない。
自分に愛想を尽かしそうになりつつも、自分を諦められなかったのである。
だから、中国に行くという話を頂いた私はいてもたってもいられずに、ある日突然実家に帰省した。
そうして半年ぶりに会う両親に、まさに“开门见山”、「再来月から中国に1年行きたいんだけど、いい?」と「相談」した。
不当だよね。
もうその時点で「行く」って心づもりだったんだから。
そんなバカ息子に対してふたりが言ったのは、「それが自分で決めたことなら、ちゃんと責任持ってやれ」(父)、「やりたいなら是非やってほしいけど、健康にだけは気をつけて欲しい」(母)であった。
ここまで書いてやっと最初に言いたかったことがわかった。
ああ、そうか。
ほんとうの意味で子が「旅」に出るってのは、「おら、お前は旅に出ろ」という親の押しつけであっていいはずないもんね。
むしろ、子どもがある日突然、「俺、ここ出ていくわ」とわけも分からないことをいい出すことの方が自然なわけである。
そして、「かわいい子には旅をさせよ」という言葉が成り立つためには、そんなバカな子どもを(自分たちだってわけも分からないまま)、「ああ、そう? それなら、さあ旅に出てらっしゃい。気をつけてね(たまには手紙書いてね)」と送り出せる親なしにはありえないもん。
子どもにだって「なぜおいらはここを離れたいのか」なんて、分からない。
そして、それが分からないからこそ、子どもにとって「旅」が必要なのである。
お父さんお母さん、ありがとうございます。
「旅」に出て7年、やっとここまでわかりました 。
以上は私の「中間レポート」です。
ただし、まだまだ「中間」です。
なおかつ「期末」は未指定なのです。
だから、あなたたちの野良息子は、おそらくまだ当分「旅」から帰りません。
ごめんなさい。
でも、あなたたちだって、「じゃあ、行ってらっしゃい」と野良息子を送り出した時点でこうなると、きっとわかっていたはずですよね。
だって、あなたたち2人が産んで育てた子どもだもの。
身に覚えはあるでしょう?
ありがとうございます。
以上、「子どもの日」の雑感でした。
日記(5月3日~10日)
5月3日(日)
暑い。
スマホを見ると、なんと現在33度。
予想最高気温は37度と表示されている。
おいおい、まだ5月が始まったばっかりだぜ。
やめてくれよ。
外に出たくなくなっちゃうじゃん。
今、中国は5連休の真っ最中。
メーデー休暇である。
休暇なので、誰に気兼ねすることなく、正々堂々と家でゴロゴロできる。
できるはずなのだが、やっておかなければいけない仕事があるのだ。
しかしぐーたら人間である私は家で仕事をやる気になれない。
仕方がない。
外は暑いけれど大学へ行こう。
半袖のTシャツ一枚に5分丈のカーゴパンツ(迷彩色)という、とても「大学の先生」には見えない風体で大学へ。
日差しが強い。
道すがら、じっとりと汗ばむ。
ああああああ。
暑い。
涼感求めて木陰をふみふみ歩く季節が、またやってきたということか
内陸都市である合肥の夏は最高気温40度を越える。
「おいおいあんちゃん、まだまだこんなの序の口よ」
中天にふてぶてしく浮かぶ太陽がそう告げる。
はあ。
先が思いやられる。
普段なら北二門から大学構内に入るのだが、コロナ騒動の影響で封鎖されている。
なので北一門からキャンパスに入って外国語学院に向かう。
こんなに暑い午後のキャンパスを動いているのは私ぐらいのものである。
鳥の姿や猫の影すら認められない。
暑いもんね。
きっと午前中に芝生を手入れしたり植え込みを刈り揃えたりしていたのであろう、“后勤”(後方勤務、つまり大学の管理や警備をする裏方さん)のみなさんが、木陰で気持ちよさげに食後の午睡をとっている。
そういうのんびりした風景が、私は好きだ。
静かなキャンパスをてくてく歩く。
コロナ騒動の影響で学生はいない。
うちの大学は7日から学生たちの“返校”が段階的に開始されるという。
やっぱり大学のキャンパスは若さあふれる学生さんたちあってのものだなあと感じる(って年寄り臭いことを)。
早くみんなが帰ってきて、賑やかになればいい。
迷惑するのは、人間たちが急にいなくなって思う存分伸び伸びしていた猫たちぐらいだろうし。
オフィスに到着。
コーヒを飲みながら、さっそく教科書の主審の仕事をひとつ片付ける。
ここでいう主審とは、教科書の日本語や内容をチェックし、必要があれば意見やアドバイスを出す仕事である。
出版されればちゃんと名が出て、教師としての業績になる。
昨年初めて主審のお仕事を頂き、結果的に教科書として出版された。
ありがたいことですよ、ほんと。
さらにありがたいことに、現在私は3つの教科書の主審を任されている。
ひとつはもう最終段階に入っているし、残り2つもこれから版を組むそうだ。
となると、今年は主審として名前を出していただける出版物が、現在のところ3つあるということになる。
ほんとうにありがたい。
もうひとつ、主編として自ら作っている教科書(初級作文)がある。
あるのだが、困ったことに、より重要であるはずのこちらの作業がまったく進んでいない。
別に何か大きな問題があるわけではない。
必要な知識は下調べ済みだし、構成案もちゃんと練っているし、作文指導の経験も7年積んできた。
原稿が進んでいない原因は、そこにはない。
つまりね、なんというかね、「書きたくない」のよね(おい)。
変なのって思うでしょ。
「自分でやりたいから主編なんでしょ」と。
うん、私もそう思う。
私にとって作文の教科書って「是非とも作りたい」ものだったのに。
なのに、いざやり始めてみると「まだ書きたくない」と思ってしまう。
なんでだろう。
たぶん、
「教科書書いていいよ」
「わあ、やった」
「なにをどう書こうかな~」(ワクワク)
「あれも書きたいな、これも書きたいな」(キョロキョロ)
の「ワクワク」と「キョロキョロ」の段階が、私にとって最大の愉悦なのだろう。
「快楽とは、その欲望が満たされようとするまさにその瞬間に、最高潮に達する」
誰の言葉だったか忘れたけど、多分そういうことだ。
原稿が完成しちゃって、ゲラが届いて、赤ペン片手に校正を始める段階になると、もうそれは自由に「書く」というよりは、一度引いたラインを最大限真っ直ぐにするための「手入れ」作業になる。
ページ数や版組みがすでに決定しているから、この段階では大きな変更はもうできない。
それに、過去の自分が書いたものだから、粗が多いし、自分の力不足が目立つ。
自分のバカさ加減と向き合いながら、問題をできるだけ解決しながら、粗をならして滑らかにしてゆく。
そういう作業である。
原稿を自由に書く作業を、原木から材料を切り出してノミとトンカチを手にガンガン形を削り出していく作業だとすれば、校正とは、そうやって削り出された成果に指を滑らせ、きめ細かさやなめらかさをチェックしながら、磨き上げていく作業だ。
最初は目が粗い(50ぐらいの)サンドペーパーでならしはじめる。
優しく、そして慎重に。
そうして、少しずつ200、500、1000と目を細かくしていく。
推敲や校正とはそういう作業である。
その作業ももちろん楽しい。
けれども、この作業中は、どうしても自分が既に削り出しちゃった「像」に縛られてしまう。
なぜだかわからないけれども、最近の私は「像」を磨き上げることよりも、原木からなにかを取り出す作業に心惹かれている。
だから、最近の私はやたらめったら「ワクワク」「キョロキョロ」しながら、いろんなものをインプットし、まとまらない言葉を書き散らしている。
この時期って、ほんとうに楽しいのである。
楽しいのだけれども、まあちゃんと教科書は完成させないとね。
初めての主編企画だし。
この企画を持ち込んでくれた方々への感謝と責任を形にしないと。
それに、ここでちゃんとできない限り「次はない」からね。
頑張ろう。
4日(月)
昨日同様暑い一日。
終日自宅にてゆっくり過ごす。
夜寝る前にじっくりシャワーを浴びたところ、身体が火照ってなかなか寝付けない。
仕方がないので、もうすぐ日付が変わるという時刻だけれども、着の身着のままLAWSONへ行って氷を買う。
中国では(上海や北京、広州などの大都市を除き)、まだまだコンビニが一般的ではない。
私が三年いた直轄市重慶は大都市なので市内にローソンがたくさんあった。
が、私が住んでいたのは、その市内から高速鉄道で50分の距離にある郊外だっため、コンビニどころか24時間営業という概念すら存在しなかった。
現在生活している合肥は人口800万を抱える安徽省の“省会”(日本的に言えば県庁所在地)であるが、全国的に言えば「第二級城市」である。
24時間営業のコンビニなんて一般的ではなかった。
ところが昨年あたりからポツポツと24時間営業のコンビニが姿を現し始めたのよね。
嬉しい。
日本にいたときにはわからなかったけれど、近くにコンビニがあって、気が向いた時に24時間いつでもフラっと行けるってのはほんとうに幸せなことです。
特に、自宅から徒歩10分圏内にローソンがオープンしたのは大きい。
だって中国に進出しているローソンは日系資本だから、おでんとかおにぎりとかキリン一番搾りとか、そういうもの「ああ懐かしきわが故郷」的な品々が揃っているのである。
そのローソンが、最近では北二門(家から徒歩3分)において開店準備をしている。
感涙。
なんてことを思いながらローソンへ歩いて行く。
氷を手に取りレジへ。
何やら店員が怪訝そうに私をじろじろ見ている。
「なんだ、失礼なやつだな」
などと思いながらも、まあ気にしない。
アリペイで会計を済ます。
で、店を出たあと、袋と自分のシャツを見て、やっと気づく。
確かに。
今の私、傍から見たら完全にLAWSONファンの身なりだわ。
5日(火)
合肥の天気は百面相。
昨日までとは打って変わり、春の雨がしとしとと降る一日。
寒い。
朝起きて、毛布にくるまりながら、ヤフーニュースでホリエモンの「僕にとって絶対的に“悪い人”の基準」という記事を読む。
堀江貴文「僕にとって絶対的に“悪い人”の基準」(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
読んだ。
ホリエモンにとっての「いい人」って言葉は「(俺にとって都合の)いい人」ってことなのね。
なるほど。
「俺の時間を奪うやつは悪いやつ」で「俺の時間を増やしてくれる人」はいい人という考え方は、まあ確かに一理ある。
私だって、例えばスーパーの会計の時なんかに要領悪くグズグズする店員にイライラするなんてことがあるもの。
「おいおい、俺の時間を盗むなよ!」ってね。
でもさ。
最後の「くだらない人間関係や礼儀に執着している人は、やはり時間の大切さを本質的には理解できていないのではないだろうか」ってのは、やっぱり違うよね。
だって、君を産んで育ててくれた両親だって、君のために自分の人生を削ってくれたんだよ。
その親に向かって、君は「俺の時間を奪うやつは悪いやつ」「俺の時間を増やしてくれる人はいいやつ」って、同じように言えるだろうか。
いや、たぶん君は「いや、言えるね」って言うんだろうけどさ。
でもさ。
そこでほんとうにご両親に対して「俺の時間を~」を言ってしまったらさ、彼らはどう思うかしら。
「ああ、私たちの息子はなんて子に育ったんだろうか……心血注いだあの時間は、なんだったんだろうか」
そう思うんじゃない?
まるで生まれた時から自分でおしめを替えてきたような顔して話さないほうがいいよ。
バカに見えるから。
私はバカだけれども、「バカに見られる」ことは避けたい。
私は聡明ではないけれど、「頭いいな」と思われたい。
だから、「バカに見える」ことを避け、「頭いいな」と思われるためには、人間関係に配慮し、礼儀を重んじることは、ぜんぜん「くだらない」ことなんかじゃないと思う。
だって、自分で「俺はバカじゃない」とか「俺は頭がいい」とかいう自己評価を下す人間って、最高にバカで愚鈍だと、私は思うからだ。
自分の評価は自分では決められない。
それは「みんな」と「時間」に委ねるしかない。
私にできるのは、「みんな」と「時間」という試問官のまえに、私という人間を判断してもらうために、できるだけ沢山の材料を並べて、「どうですかね?」とお伺いを立てることだけである。
君はいつも他人や社会を「バカだ」とか「無駄だ」とか「くだらない」とかこき下ろしている。
だけど、だとしたら、なぜ君はそんな「バカ」で「くだらない」が含まれる「みんな」に向けて言葉を発するという、「無駄」な「時間」の使い方をしているのだろうか。
「お口チャック」して自分の世界に引きこもっていればいいじゃん。
なぜ君は言葉を「吐き捨て」つづけるのだろうか(私の目には、君が言葉を「差し出している」ようには見えない)。
ひょっとして、君は世間一般が重視していることを「くだらない」と唾棄することでしか、「自分の言葉」を語れないだけではないだろうか?
もしかして、君がそういう言葉を発信し続けるのは、結局はみんなに「認めて欲しい」からではないだろうか。
勝手に君の心を解釈して誠に失礼だとは思うけれども、私にはそう見えてしまう。
でね。
もし「認めて欲しい」ならさ。
簡単なことでしょ。
まずは君が最初に「認めてあげる」べきなんじゃないかな。
私はそう思うよ。
でも、きっと君はこういうだろうね。
「俺の言葉の価値は大多数のバカには理解されなくても、きっとどこかに理解できる頭がいいやつがいるはずだから、言葉を発するのだ」と。
ようは「俺はすごい」ってのが大前提の人物なのだと思う。
そういう人物の言葉は、別にその全てを舐めるように吟味せずとも、その言いたいことを「あ、要するに『俺、すごい』って言いたいのね」と一瞬で理解できるから、読むだけ時間の無駄だと、私は思います。
10時からオンライン授業なので大学に行く。
その途中、外国語学院のビルの手前で四葉のクローバーを発見。
幸運は意外と足元にあるってことよね。
授業が終わったので、散歩&買い物がてら家の近くを流れる南淝河沿いにぐるっと遠回りして帰宅(写真は別日に撮ったもの)。
いままでいろいろなところに住んだけれど、やっぱり海や大きな湖、そして川などの水の気配があるところって、なんだか落ち着く。
合肥は紀元前3世紀に創られた歴史ある街だけど、それだけ長いあいだ人間が住み続けてきたということは、やっぱり住んでいて心地がいいロケーションなんだと思う。
いわゆる「風水がいい」ってやつ。
「何を非科学的な!」なんて怒る人もいるかもしれないけどさ、科学ってのはすべてを説明できるわけじゃないし、科学が説明しているものがすべてなわけじゃない。
っていうか、「科学ってのはすべてを説明できるわけじゃないし、科学が説明しているものがすべてなわけじゃない」と自覚したうえで「でも、出来る範囲ではきちっと説明できるけどね」と自負する態度こそ真に科学的なのである。
真に科学的な言説には、「今の科学で分かっている範囲では」という限定が伴う。
現在の人間の科学で判明しているだけに過ぎない「常識」で「そんなの科学的にありえない」って決めてかかる人間こそ、非科学的(というか反科学的)な人間だと、私は思う。
まあ、そんなのどうでもいいや。
で、この川の河畔にはクローバーがたくさん生えている。
私は3年前の春、唐突に四葉のクローバーを発見する才に目覚めた。(その経緯は省略、長くなるし、説明しても『は?』という反応しか得られないだろうから)。
なので、こうして散歩をしながらも、百メートル歩くたびに最低ひとつは四葉に出会う。
で、その結果気づいたのだけれども、四葉のクローバーはあるところには固まってある。
だから、ひとつ見つけたからといって満足せずに、そこでさらに探し続ければ、ふたつめ、みっつめと見つかることが多い。
それも幸運と同じですね。
「簡単に満足すんなよ」ってことです。
嘘じゃないぞ。
だって、ほらね。
これは南淝河で先月撮ったもの。
おお、見渡す限り四葉だらけですね。
そもそも四葉のクローバーの確率って、どれくらいなのだろうか。
以前そう思って昔ネットで調べたことがある。
すると四葉のクローバーが見つかる確立は三葉に対して1万分の1らしい。
つまり0.01%。
ほう。
さらに気になって調べたところ、この1万分の1(0.01%)という確率は、例えば「自動車事故で死ぬ確率」と同じだとか。
ふーん。
そんなもんかね。
なんかしっくりこない。
じゃあ私だいぶ「死んでる」じゃん。
ちなみに四葉以上のクローバの確率はさらに低い。
五つ葉は100万分の1、六つ葉は1600万分の1だそう。
ほう。
何回か見たことあるけどね、五つ葉と六つ葉。
これが五つ葉(先月、学内の芝生広場にて)。
で、こっちが六つ葉。
先月、川辺を散歩している時に見つけた。
私がいままで見つけたなかでいちばん葉数が多かったのは、七つ葉。
これまた先月散歩中に発見。
この「四葉のクローバーって探してみれば結構あるし、一回見つけたら次はもっと見つけやすくなる」という話は、授業で学生さんによく紹介する話である。
ほとんどの学生さんは「うっそだあ」と頭から疑ってかかるか、「先生は運がいいですね(何くだらない自慢してるんだよ)」と愛想笑いを浮かべるか、そのどちらかである。
いや、ホントかどうかはさ、自分で一回試してみればわかることじゃん。
「一回やってみてよ。一つ目を見つけるまでは時間がかかるけど、そのあとは少しずつ見つけやすくなるからさ」
そうお話するんだけど、ほとんどの学生さんは「いや、ありえないわ」とか「そんなことして何の意味があるの?」とてんで受け付けない。
そういうのをね、ほんとうの意味で「学力がない」って言うのよ。
自分の「ありえない」のせいで、世界への扉が閉じられている。
そういう人がどうやって新しい物事を学べるだろうか。
私は疑問である。
それにしても、南淝河の河畔は四葉が多すぎるよ。
土壌がケミカルな意味でやばいことになってんじゃないかと、少し心配。
たいていの四つ葉って遺伝子の突然変異で発生するわけだし。
6日(水)
木曜の「日本語作文Ⅰ」の授業に備えて準備をする。
「日本語作文Ⅰ」なので、当然ながら基礎基本を教える科目なわけであるが、問題は「日本語作文」の基礎基本とは何かというところにある。
「え? 原稿用紙の使い方とか、敬体・常体の使い分けとか、段落の作り方とか、そういうことじゃないの?」
まあ、もちろんそういうのも基礎基本だよね。
だけどさ、そもそもの「文章を書くとはどういうことか?」とか「書くときにどういう態度であるべきか」とか「ってか、言葉ってなんじゃらほい」とかいうテーマについて考えるのも、やっぱり基礎基本だと私は思う。
学生さんはそういうことを考えたことが、たぶんない。
だから学生さんたちが持ち合わせている言語観って、「え? 言葉って人間の道具でしょ」という泣きたくなるほど乏しいものである。
授業で「言葉ってなんだと思いますか」と聞くと、みんな口を揃えて「人間の道具です」という。
異口同音に。
てことはさ、たぶんそのきみの「言葉は人間の道具だ」という言葉って、きみの言葉じゃないよね。
たぶん親や教師からくり返し聞かされてきた言葉だったり、本から「お、これいいじゃん」と学び取った考えでしょ。
で、それを「あ、先生から質問されたぞ、よし。『言葉は人間の道具です』、完璧」って使っているわけだ。
でもそれってさ、よく考えてみたら、「私が言葉を使っている」のではなくて「言葉が私にそう言わせている(のに自分では気づけていない)」んじゃない?
もしそうだとすれば、それってすっごいバカな振る舞いだと思いませんか?
古諺いわく「井の中の蛙、大海を知らず」
言葉は確かに私の道具かもしれない。
しかし同時に言葉は私を取り巻く世界そのものでもある。
でしょ?
私たちは言葉を使って「井戸」の内部を強固なものにすることができる。
しかし私たちが「井戸」の外の世界を忘れてしまったとき、言葉は私たちを「蛙」として決定的に閉じ込めてしまう。
もちろん、今こうして偉そうに語っている私だって、自分の意見を語っているつもりで、結局はいままで見聞きしてきた言葉たちに「語らされている」だけである。
しかし、私は「今こうして偉そうに語っている私だって、自分の意見を語っているつもりで、結局はいままで見聞きしてきた言葉たちに『語らされている』だけである」ということを知っている。
だから、私は私の言葉から少しでも離れるために、言葉を紡ぐ。
言葉を主体的に道具として使うのではない。
それだと、「道具」として操る主体としての私を強化する一方でしかない。
そうではなく、あえて言葉という存在を、私より上位的存在であるとみなし、その完璧な世界に没目的的に飛び込んでみるのである。
その結果、自分(主体としての私)にとって思ってもみなかった新しい言葉に出会うことができる。
それは非常に心躍る体験である。
学生諸君は自分を絶対的主体とみなし、言葉を「道具」としてしか捉えていない。
「自分は『蛙』ではなかろうか」と自省する習慣がない。
だから、「私が今いるのはちっぽけな『井戸』に過ぎず、その外には私なんかより広く高次な言葉の世界が広がっている」という事実を知らない。
だから、彼らが言葉を道具として書いた文章は、結果としてあくびが出るほどつまらないものになる。
それが「言葉は人間の道具だ」という言語観がもたらす弊害である。
その弊害はほかにもある。
そのような言語観に馴染んだ人間は、ある言語表現を目にした途端、「この作者は自分の『言いたいこと』を伝えたくて、それをありのままに言語化して伝えるために、言葉を発したのだ」と脊髄反射してしまう。
「自分にとって言葉は『言いたいこと』を表現するための道具なのだから、小説家や漫画家や映画作家だって『言いたいこと』があって、それを言葉を道具として表現しているのだろう」
そう思い込んでしまう。
しかし、小説家や漫画家や映画作家、いわゆる創作家たちは、「言いたいこと」がまずあって、それを言葉を道具として使用し、表現しているのであろうか。
むしろ、創作という活動は、言葉という世界に飛び込んで、そこで出会った言葉たちを必死で掴み、描写し、形としていった結果、「言いたいこと」を事後的に発見するものではないだろうか。
「言いたいこと」がない人間は言葉を発さない。
それは正しい。
たとえば、ご覧のとおり今の私だって「言いたいこと」があるはずだから、こうして言葉を綴っているわけである。
しかしあくまで私の場合だが、「私の言いたいこと」の予感だけ与えられた状態で、言葉を綴り始める。
書き始める時に結論はない。
いや、この書き方は正確ではない。
書き始める時の「結論」はあったはずなのである。
しかし、なんというか、書き進めるうちに忘れちゃうんだよね(頭悪いから)。
「なんだよ、こっちの方が言葉の動きとして自然出し、面白いじゃないか」って(移り気だから)。
だから、筆を置いたあと読み返してみると、自分でも「あれ、最初は何が言いたかったんだっけ」と思うことがある(脱線大好き)。
しょっちゅうある。
いくら考えても、分からない。
その当時の私は、すでに深く暗い深海に沈んでしまっている。
無我夢中で書いた結果、気づけば目の前に出来上がっている見知らぬ文章。
それは「もう少しで親友になれそうな友達」からの手紙に似ている。
「彼」が「言いたいこと」はわかる。
「彼」の「言いたいこと」に共感もする。
しかし、語彙の選択、論理の敷設、そして語り口に、ところどころ「ん、なんか違うよな」という引っ掛かりを覚える。
「それって、ちょっとズレてるよ」と。
だから、「言いたいことはわかるよ、でもね、それならこう書いた方がいいんじゃない?」と、「彼」と対話しながら、推敲を重ねる。
「彼」とは過去の私である。
過去の私から与えられた断片を今の私が繋ぎ合わせながら、何とかして「まあ、これなら他の人が読んでも意味は通るかな」という段階にまで持っていく。
こうしてようやく「私の文章」が完成する。
しかしさ。
よくよく考えてみると、それってほんとうに「私の言いたいこと」を「私」が言葉を道具として表現したと言えるのだろうか。
無数の「彼」との合作なのに。
むしろ、見知らぬ「彼」が差し出した言葉に、そのときどきの私が感化されてのめり込んでいき、頭を引っ掻き回された結果、何とか生還した果てに見えた景色ではないだろうか。
言葉と私たちの関係。
それはまるで、初めは「ん? なんだ、やたら視界の背後に映るこのフサフサしたやつ」と自分の尻尾を意識し始めたワンちゃんが、その「なんだ?」を主体的に確かめんとして自分の尻尾を追い回してグルグルしているうちに、「あははははは、なんだか分からないけど、楽しくなってきちゃった、あれ、なんだったっけ? あははは、まあいいや」とハイになってしまう様子に似ている。
いや、わかるよ。
確かに言葉の渦に飲み込まれて「グルグル」するのは楽しいもん。
でも、自分が尻尾に「グルグル」させられていることを気づけずに「グルグル」するのは、恥ずかしい。
なぜそのことに気づけないかというと、「尻尾」の方が「本体」を支配する時もあるという事実を、「本体」が知らない(振りをしている)からである。
私はそう思う。
私は安心して「グルグル」を楽しみたい。
だからそのために、「言葉は私の道具だ」なんてことは言わないことに、私はしているのである。
だってさ、「言葉は私の道具だ」って言った瞬間に、言葉は私を無意識のうちに「グルグル」へと引きずり込む「尻尾」になるから。
で、やっとここで冒頭に戻る。
小説家とか哲学者とか詩人とか、いわゆる言葉の芸術家たちは、自分が犬のくせに「俺は犬じゃない」と勘違いしたり、「あははは、なにこれ、めちゃんこ楽しいワン!」と言葉に弄ばれる人間ではない(と思う)。
だからさ、そんな彼らの表現を「彼らは言いたいことが予めあって、言葉という道具を使ってそれを表したのだから、私だって言葉を道具として使いこなせば、彼らの真意を理解出来るんだ」という価値観で処理する時点で、そもそも間違っていると私は思うんですよ。
彼らが言語表現を完結させ、手放し、受け手へと送り出し委ねた時点で、彼らにとっては「私」が消え去っているのだから。
だからこそ、「公」として広い評価を受けることが可能なわけでさ。
というわけで、「日本語作文Ⅰ」では毎回、「ほんとうに言葉は道具に過ぎないのか?」というところからお話する。
だって、これって文章を書くうえでの基礎基本だし、同時に奥義でしょ?
だったら教えなきゃさ、教師として。
7日(木) 8日(金)
記憶も記録もなし。
9日(土)
土曜日だけど、メーデーの連休の振替出勤日。
10時からひとつ授業をこなす。
そのあと、久しぶりにカミュ『シーシュポスの神話』(新潮文庫)を読む。
コロナ騒動で『ペスト』が売れているらしいけれど、カミュの根本思想を理解するなら、やっぱりこの本を読む必要があると私は思う。
この本、ほんとうにかっこいい。
読むたびにビビッとくるし、思わず赤鉛筆でゴリゴリ線を引き、抜き書きしてしまうんだよね。
今日「ビビッと」来たのは、ここ。
この世界はそれ自体としては人間の理性を超えている、——この世界について言えるのはこれだけだ。だが、不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態である状態についてなのだ。不条理は人間と世界と、この両者に属する。いまのところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである(前掲書、pp42-3)
やっぱりカミュはかっこいい。
私にとっては哲学界におけるアイドルだな。
10日(日)
日曜の朝から、あいさつや名乗りもなしに自分の用件を「通知」してくる学生さんがいる。
しかも中国語で。
「おはようございます」「私は〇〇です」
それさえできないなら、まあ期末テストは厳しいかもね
という憎まれ口はこのくらいにしておく。
私はけっこう「おせっかい」な教師なので、当該学生にこうお話した。
「ねえ、あいさつの重要性は今学期の最初の授業でずっと話したよね? 聞いてなかったでしょ」
すると返ってきた一言。
「聞いてました……ただ忘れてしまっただけで」
それを聞いて思い出したのが、J.K.ローリング『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』のある一場面。
ある教師の演説を仔細に覚えていた優等生ハーマイオニーに対して、うだつのあがらないロンが「おいおい、そんなこと覚えてるわけないじゃん」的なことを言う。
そのあとの2人の会話。
ハーマイオニー「あなたがちゃんと聴いていないからよ」
ロン「僕だって聞いているさ。ただ忘れちゃうんだ」
ハーマイオニー「ロン、私は聴いているのよ」
原作だと、ここの「聞く」と「聴く」は、どうなってるんだろう。“hear”と“listen”かな?
っていうか、なぜこのふたりが惹かれ合い最終的にくっついたのか。
それは置いとくとしても、まあしかしこうして文章に起こしてみると、私のさっきの言い方も少しキツイな。
反省。
ごめんね。
清々しい日曜の朝、コーヒー飲みながらギター奏でているところに、唐突に身元不詳の人間から外国語のメッセージが来たから、ちょっとムッとしたの。
「おいおい、今いいとこなのに邪魔すんじゃねーよ」(ああ、やっぱりキツイ)
だからさ、あいさつは大切なの。
「いまからあなたとコミュニケーションしたいんですが、かまいませんか」という、コミュニケーションのコミュニケーション(メタ・コミュニケーション)なんだから。
お願いします。
……ってか、中国語版ではどうなっているんだろう。
あとで本屋に行こうかな。
はい、お昼になりました。
結局本屋へは行かず、家でアニメを見ている。
先週まで、おそらく10週目の『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』を見ていた。
今日は同じ作者の『銀の匙』を見る。
第2話で、バリバリの進学校から農業高校に入学してきた主人公八軒くんは、数学がまったくダメなクラスメイト常磐くんに「数学教えちくり~、教科書の1ページ目から意味がわからん」と頼まれる。
「まあいいよ。基本から始めよう。じゃあ、まずはこのXを……」と教え始めた八軒くんに、常磐が放った衝撃の一言。
「Xって、なに?」
学生生活を通して数学が最大の敵だった川野くんは、常盤くんの「教科書の1ページ目から意味わからん」という気持ちが、痛いほどわかる。
数学の教科書に決定的に欠けているのは、物語なんだよね。
確かに、数学においては「1」が決定されたら、その基礎の上で世界が完全に成立する。
しかし、それすら数学という物語であり、それが数学の魅力でしょう?
私が今までであった数学教師は、ほんとうに物語に欠ける授業しか出来なかった。
「公式を覚えろ!」
「1回証明して見せただろ、だから覚えろ」
「受験に出るから、覚えろ」
そういう「教師」だらけだった。
私が尊敬している数学教師は、高校時代に一年だけ教えを受けた山田先生だけである。
校内でカリスマと評されている彼の授業を初めて受けたのは、高三のとき。
もうね、凄かった。
授業中の彼は、目の前に並んで座っている生徒なんて放っておいて、黒板に生徒が書き記した数式との対話に耽溺していた。
意味は分からないが、すっごいかっこよかった。
私は当時も今も、高校数学すら全然理解できない。
しかし、確かに彼が添削したあとの数式は一直線で美しかった。
素人でもはっきりと「おお」と感動できた。
ほとんどの数学教師は(というか教師は)、このアニメの「Xって何?」という初歩的であり根本的である問いを、あまりにも忘れているのではないだろうか。
ということで、私は「そういえば、なぜ数学では未知数をXで置き換えるのか」と気になった。
で、調べてみた。
気になる人は https://www.gizmodo.jp/2014/11/x_20.html を読んでみてね。
なるほどね。
やっぱり「未知数X」ひとつのとっても、物語があるじゃん。
物語、大切だと私はおもうよ。
そういえば、この日は「母の日」。
だから、母上にメール。
「母の日おめでとう。何も大したものプレゼント出来ませんが、そもそも産んで頂いた時点で、どんなプレゼントを以てもお返しなどできませんね。せめて言葉だけでもお返しを」的な内容。
そしたら、「こんな未熟な親にありがたい言葉を」的な返礼の言葉とともに、甥っ子と姪っ子の写真が送られてきた。
うん、可愛い。
ほっこりした。
でもさ、母さん。
なんで今このタイミングでこの写真を。
それってもしかして……。
「あんたは私の心配なんかせんでよかけん、早くあんたもよか女の子ば見つけて子供ば産まんね。そいがいちばんの親孝行やろ。ってか、いつ日本に帰って来っとね? 中国行くってとも、1年って話やなかった?この親不孝もんが!」(※佐世保弁です)
ってことですか?
いやいやいやいや。
30過ぎてフラフラしている長男に嫌味ひとつ言わないうちの親が、そんなことを(たとえ思ってはいても)口に出すはずはない(私の耳には届いていないだけかもしれないが)。
あ、そうか。
これって私が勝手に脳内の「母」から「受信」しただけで、向こうは何も言ってやしないんだもんね。
お母さん。
あなたの息子さんは最近「テレパシー」に目覚めたようです。
この歳になっても人間って新しい素質に目覚めることが出来るんですね、ああ感激。
というわけで、ご覧の通り息子さんは元気に過ごしているので心配しないでね。
というわけで。
みなさん。
「母の日」、おめでとうございます。
生存報告
さっき唐突にこのブログの存在を思い出した。
久しぶりにログインしてみると、最後の更新はなんと2月!
ひょっとしたら、トップページを開き、2月を最後に更新が途絶えた私のブログを見て、「あれ、もしかしてこいつコロナで……」とご心配していただいた方もいるやもしれぬ。
どうも。
元気ですよ。
ブログを更新していなかった理由は、コロナの影響でずっと大学が閉鎖されており、オフィスのパソコンが使えなかったからである。
もちろん、この2ヶ月の間だっていろいろと駄文を書き散らしていた。
しかし、なぜだから知らないが、この身辺雑記はオフィスのパソコンでないと書く気分にならないし、アップロードしようとも思わないのである。
みなさんもそういうことって、きっとあるでしょう。
なんだかわからないけれど、あるシチュエーションでなければ気分が乗らないことって。
「チャーハン作るなら、この使い古した鉄鍋じゃなきゃ、なんかイマイチ気分が乗らない」
とか
「平日昼間のスタバでなにか読むなら、普段は読もうとも思わないけれど、なぜかショーペンハウアーがいい」
とかさ(ないかな)。
というわけで、今の私はオフィスのPCに向かってキーボードを叩いている。
こうやって気軽に大学に来られることは、ほんとうに幸せなことだ。
うちの大学では入構制限こそ続いているものの、事務方のみなさんの出勤は開始されているし、昨日来た通知では今自宅でオンライン授業を受けている学生さんたちが来月初めから大学に「復学」し始めるとのこと。
もちろん、日本は今大変な状況だから素直に喜べない。
家族や友人たちが心配でもある。
けれど、それでも自分の生活や生活している土地に明るい光が見えてきているのは嬉しいことである。
という生存報告でした。
この間の自分の生活を振り返りたいというのもあるし、せっかく書いてきたんだから、過去2ヶ月に綴ってきた拙文を空いた時間にここに順次公開していくつもりです。
「そんなことして、誰が得するの」
決まってるじゃん。
おいらだよ。
春よ来い。
新型コロナウイルスのせいで、相変わらず家に引きこもっている。
私が住んでいる団地では、外出が1週間に3回に制限されているが、今日はその貴重な機会を生かし、買い物と散歩へ。
外は春の兆し。梅や桃が咲き誇っている。
早く自由に出歩けるようになって欲しい。
2020年最初のエントリーがリアルな生存報告
すっかりブログのことを忘れてしまっていた。
年末年始は期末テストの採点でバタバタしていたし、それがやっと片付いたかと思えば、ご存知の通り新型肺炎騒動でブログどころではなかったのである(日本への帰省予定も吹っ飛んだし)。
何はともあれ私は無事平穏なのでご安心を。
とはいえ、客観的にいえば、状況は深刻かもしれない。
私が住んでいる安徽省は武漢がある湖北省のお隣ということもあり、現在950件を超える確定患者が出ている(たぶん明日には1000を超える)。
大学も本来なら明日から新学期開始だったが、とりあえず来月初旬まで開講が延期された。
生活面でも、私が住んでいる住宅地では1週間に3度までしか外出が許されておらず、散歩にも出れずストレスフルな状況である。
まあ、でも仕方がない。
というわけで、一昨日から自転車で3本ローラーの上をくるくる回っている。
そんなわけで、無事に過ごしているので、皆さまご安心を。
暮れのご挨拶。
2019年も残すところわずかとなった。
厳しい冷え込みに見舞われながらも澄み切った2019年最後の青空を窓外に眺めながら、私はこの文章をぬくぬくと暖かな自宅で綴っている。
……というのが理想的な年越しだったのだが、私は現在大学にいる。
教務の職員さんがトチってしまい、20日に終わる予定だったテストがあろうことか大晦日の午前中に変更されてしまったからである。
そういうわけで今朝は目覚ましで6時半に起床した。
けたたましいアラームに叩き起こされたあと、ぼーっとした頭で考えたのだが、未だかつて早朝にアラームで起床した大晦日があっただろうか(私はいつも寝正月なので年越しイベントなどには無縁なのである)。
ゴソゴソと起きだし教室へ行き2時間試験監督をする。
「そこにいること」が任務なので、ただボーッとする。
つまらない。
なんとか2時間やりきったあと、誰もいないオフィスに戻ってきてひと段落しているところである。
やれやれ。
これで今年は仕事納め。
思えば2019年もいろいろなことがあった。
とりあえず仕事に関することで思いつくことといえば、主審を務めると同時にコラム的なものを書かせていただいた教科書が出版されたことと、作文教育の教科書を出す企画が通ったことだろうか(ほかにもいろいろあったけど)。
後者に関してはまだ原稿が完成していないので、年明け~2月初めまでの冬休みは原稿書きに専念することになるだろう。
プライベートでもいろいろあったけれど、まあいいや。
ということで、みなさん2019年もお世話になりました。
良いお年を!
スピーチ大会が終わり平穏な日常が戻ってくる(11.25~27)
11月23日(土)
第5回合肥日商倶楽部スピーチ大会が開催された。
合肥日商倶楽部とは、合肥に支社や支店、工場などを構え、日本人駐在員を派遣している日系企業(花王とか日立とかヨドコウとか)及び駐在員からなる集まりである。
日商倶楽部スピーチ大会は、このクラブの後援により、日本語学部を開設している合肥の7つの大学が毎年持ち回りで主催している大会である
日本企業側にとっては地元の中国人学生や大学と交流する場を設ける意味合いがあるし、中国の大学側にとっては日頃の日本語教育の成果を競うかっこうの場となる。
もちろん合肥のような滅多に日本人と交流する機会がない地方都市で日本語を学んでいる中国人学生の諸君にとっては、不特定多数の日本人と交流する年に一度の得がたい機会である。
そんな本スピーチ大会は今年で5回目。
2015年度に第一回大会が開かれた計算になる。
私が初めて参加したのが重慶市から安徽省に移ってきたばっかりの2016年冬、第2回大会だった。
ということは合肥で教えてるようになって、もう季節は4周り目ということである。
‘岁月不饶人’(歳月人を待たず)。
今回は安徽三聯学院が主催校となっている。
なので、スピーチ大会も三聯学院のキャンパスで開催される。
第2回大会まではホテルを貸しきってスピーチ大会および打ち上げを行っていた。
しかしそれだと経費がかかりすぎるという問題があった(大会の全経費は日商倶楽部持ちなのである)。
なので第3回大会から、主催校にて大会を行い、打ち上げの食事会だけ外で行うことになった。
……と他人事のような書き方をしているが、第3回大会はうち(農大)が主催校で私が責任者だったから、私の一存でそう決めたのである。
私はもともとコーディネーターとか調整役とか、そういう「人と人とを繋ぐ」仕事に向いていない。
なので、このときは本当に大変だった(まあそれについては別に書かない、めんどくさいし)。
とはいえ、先の独断は結果的に日本人駐在員の方々から「初めて中国の大学の中に入ってじっくり見る良い機会になった」とご好評頂き、翌年の第4回大会(安徽外国語学院)、そして今回の大会と、主催校のキャンパスを舞台とする運営方式が続いている。
まあ、結果オーライですね。
とはいえ、これはひとえに日商会側との実務者協議をこなしている、合肥の日本人教師の代表格(かつマネージャー)こと、安外の日本人教師K西先生のご人徳とご苦労の賜物である。
感謝。
そんなK西先生は今大会も早くから会場に来て走り回っておられた。
大会は午後からだが、現地で少し練習しようということで、ちょっと早めの11時にK先生の運転する車にSさんと乗り込み出発。
金塞路の高架を走り40分ほどで到着。
懐かしいキャンパスである。
私はこの大学に1年間だけお世話になった。
身勝手な都合で今の大学に移ることになったが、それでもこの大学での1年には色々と思い出深いものがある(年末に足を捻挫して動けなくなったりしたし)。
さっそく受付へ行き登録。
ほかの学校の姿はまだ見えない。
我々が一番乗りのようである。
三聯の外国語学院副院長であるX先生をお見かけしたので、馳せ参じてご挨拶。無沙汰を詫びる。
X先生は日本語学部のトップであるが、同時にとても気さくな先生であり、私にとってはまるで「お母さん」のような存在である。
今回も私を頭からつま先までマジマジとご検分なさったあと「あらあら、痩せましたね」とのこと。
そうかなあ(ふひひひ)。
在任中、X先生にはとても恩を受けた。
2016年の年末にヘマをして足を怪我し家から一歩も動けなくなった時には、お願いしてもいないにも関わらず野菜やら卵やらを先生自ら買いだし私の家まで持って来てくだった。
深謝。
やたらとお見合いを勧められたり、マフラーの巻き方を注意されたり、X先生が運転する車に捻挫が治りかけの右足を轢かれかけたりと、ほかにもいろいろ面白いこともあったが、それを含め思い出深いものである。
そんなX先生に挨拶を済ませたあとそそくさと失礼して会場へ。
まだお客さんが入っていない。
これ幸いとステージを勝手にお借りし、SさんK先生と一緒に最後の練習をする。
Sさんは外部の大会に参加するのは初めてなので、やや緊張気味のご様子。
まあ、なるようになるさ。
頑張れ。
そうこうしているうちに開会時間となる。
私は審査を担当するので審査委員席へ。
ほかにもI木先生やK森先生、H田先生など、合肥市内の大学でお勤めの日本人教師が並ぶ。
ネイティブ教師以外にも、中国人の先生方や日系企業の偉い人たちも審査委員を務める。
一般的に中国の日本語スピーチ大会は、全選手共通の大会テーマに沿った「テーマスピーチ」が終わったあと、各々の選手が舞台に上がる直前(10分前とか)にそれぞれ提示されたテーマに応じて即興でスピーチする「即席スピーチ」の二部構成からなる。
合肥日商スピーチ大会でも第三回大会までは「即席スピーチ」があったが、前回大会から即席スピーチが廃止された。
その代わりに、テーマスピーチが終わったあと、その場で選手に対して3人の審査委員から質問が出されるようになった。つまり、その応答に対して審査委員が点数をつけ、テーマスピーチの点数と質疑応答の点数の合計で勝敗を決定する方式が採用されたのである。
これはとても良いやり方だと私は思う。
テーマスピーチは事前に原稿を準備し、それを覚えてスピーチするので、スピーチだけだと(極端な話)教師が代わりに書いた原稿を出来のいいロボットよろしく暗唱するだけでも、十分に「好成績」として成り立ってしまう。
これだと面白くない(私は)。
しかし質疑応答を課せば、その学生が原稿を自分で考えたかどうか、内容を理解してスピーチしているかどうかなんて、一目瞭然である。
これはとても面白い(私は)。
何が面白いかというと、学生さんの臨機応変な回答も面白いのだが、質問をする審査委員の傾向や癖が浮かび上がる様子も面白いのである。
先に述べたように、この大会の審査員は「日系企業のお偉方、中国人教師、日本人教師」という3つの異なるファクターからなる。
だから、日本の企業人、中国人の教師、ネイティヴの教師という、それぞれ異なる職業エートスを有する人間が集まる以上、非常にバラエティに富んだ質問がビュンビュン飛び出すことになるのである。
ガチガチの緊張状態でスピーチを済ませたうえに「試問」を受ける学生さんは堪ったもんじゃないだろうが、それでも気楽にフロアで「岡目八目」である学生諸君にとっては、良い勉強になるだろう。
「へえ、いろんなことを考える人が居るんだなあ」って具合に。
もっと言えば、審査員のいろいろな質問を客観的かつ一望的に見ることで、質問の善し悪しについて考える良い機会にもなるだろう。
ふつう「質問」という言葉は「受ける側の質を問う」ものとして理解されている。
しかし私が思うに「質問」とは、「する側の質が問われる」ものでもある。
質問には様々なものがある。
学生さんが「言いたいこと」を広げてあげる質問もあるし、認めてあげる質問もあるし、絶句させる質問もあるし、鼻で笑う質問もある。
教育の場では、そのどれがいいとか悪いとかいうことはない。
大切なことは、その質問が目の前の学生さんの豊かな成長に資するものであるかどうかである。
だからもっとも効果的な質問というものは、実は問いを受けた時点ではなく、むしろ後々になってその問わんとしていた意味や意義が初めて理解されるということが多い。
そしてその時になって初めて「ああ、あの人は私にとって本当の意味で先生だったのだ」と学生さんは気づくことになるのである。
そういう意味から言えば、教師に求められるのは、たとえその場では「はあ? なにいってんのこいつ」としか評価されない質問であろうとも、それが学生さんの心のなかでしぶとく生き残り、後々の学びを開花させる種になる問いであるという確信があれば、「はあ?」と評されることを恐れずに問うという勇気である。
もちろん「はあ? なにいってんのこいつ」としか評価されない質問のなかには本当に「はあ? なにいってんのこいつ」としか評価できないものもあるので、その見極めは必要だ。
したがって「学生の質を見極める」ための問いを提出しつつも、そうやって提出しつつある問いと、その問いの来源たる自分自身の質を見極めることができるかどうかが鍵になる。
問う者に問われる質とは、そういうものである(おお、偉そうなことを)。
なんてことを考えているうちに挨拶やらなんやらが終わり、スピーチ開始。
前回の日記に書いたように今回のテーマは「中華料理」。
合肥市内6つの大学から参加した13名の学生さんがそれぞれのスピーチを披露してくれた。
私は計4回質問を担当した。
そのことでいろいろと書きたいことがあるのだが、書き出すと長くなるのでまた今度。
結果から言えば、右隣にすわったH田先生の質問と個性がやたらと目立った大会であった。
肝心の大会結果はというと……。
まさかのSさんが特等賞(!!)
いや、「まさか」というのはあれかもしれないけどさ、びっくりしたんだもの。
だって2日前にやっと原稿が完成する有様だったんだぜ。
それにSさん本人もびっくりしているのである。
とはいえ、確かに今回見たなかでは、内容や日本語、質疑応答全部の面において一番良かった。
とはいえ(2回重ねるな)、そこには指導教師である私の主観的臆断が多分に含まれているはずである。
とはいえ(……)評価システムとして「最高得点と最低得点を除いて集計する」という規定があるので、指導教師である私が最高得点をあげたとしても審査には影響しない(はず)。
ということで、安心して「おっ、この子面白いじゃん。どこの子? あ、うちの学生じゃん!」と評価させていただいた。
が……まさか優勝するとは思わなかった。
とはいえ(もういいよ)、おめでとう。
私も嬉しいです。
前回の日記で散々「順位のために指導なんてしない」とか書いておいて、実際に順位をいただいたあとにこんなことをいうのも節操無いかもしれない。
しかしながら、こうして公明正大な審査委員の方々から評価を頂くのはやはり嬉しいものである。
「ああ、言葉が伝わったのかなあ」って。
良い結果が出たからいうわけではないが、それでも「順位のために指導して順位を得る」のと「自分の伝えたいこと第一でやりなさい、順位はそのあと」という態度で評価を頂くのとでは、やっぱり違うと思う。
だって後者だと「え、予想外だわ」という不思議な感覚が味わえるからだ。
私はこれまで競技としてのスピーチ大会のみに注目し、スピーチ大会の現状をかなり否定的に見てきた。
しかし、スピーチという言語活動が持つコミュニケーション的役割を深く考え、そのような活動を通じて如何に学生さんを知的に成熟させるかという工夫を凝らすことには、絶対に教育的意義はある。
そして、もしかしたらその努力は、大会という場においても「伝わる」のかもしれないし、そのリアクションとして(あくまで結果としてだけれども)賞を頂くということは、あってもいいことなのかもしれない。
今回の大会のために指導を重ねるなかで、少しずつそう思うに至った。
っていうのは、なんか定見がないようで恥ずかしいけれど、それでも大学からお鳥目を頂いている身として、大学に少しだけ貢献できたことは素直に喜ぼうと思う。
市レベルの大会とは言え、当校が日本語スピーチ大会で特等賞を頂くのは初めてである。
というか、そういえば指導した学生が優勝するというのは私にとっても7年間で初めて。
ここは素直に「ありがとうございました」と申し上げたい。
ともに指導したK先生とガッチリ固い握手をして互の労を労う。
18時過ぎから近くのレストランで懇親会なので移動する。
その途中でO主任から「やりましたね!」とお祝いの電話を頂く。
お悦びのようでなにより。
卓を共にした学生さんや日本企業のかたがたとワイワイ楽しみ、21時には帰宅。
シャワーをゆっくり浴びたあとベッドに潜り込み、ぐっすり眠る。
24日(日)
寒い。
朝起きたら雨。
今シーズン初めてホットカーペットを敷く。
ついでに電気ヒーターも稼働。
あったかい。
ホカホカする。
うー、布団から出たくないぞ。
というわけで、結果的に昼に散歩兼ラーメンを食べに外出した以外はずっと寝床で過ごす。
冷たい雨が降る冬の日曜日に布団の中でゴロゴロ寝て一日を過ごす幸せときたら、筆舌に尽くし難い(とはいえこうして書いてるのだけど)。
25日(月)
冷たい雨がシトシトと振る月曜日。
「ビジネス日本語」では「ほう・れん・そう」に関連して、「自分が知らないこと」を知ること、「自分でできること」を見分けることの大切さや、メッセージをそのまま処理するのではなく、メッセージに込められたメッセージ(メタ・メッセージ)を探ることの重要さについてお話する。
寒さのせいか舌が回らない。
3年生の諸君は「ちょっとなにいってんのかわかんない」という顔をしていた。
ごめんね。
4年生の「視聴説」では、「赤めだか」(TBS)をお見せする。
2年生のときから一緒に勉強してきた彼らの授業もあと3回となった(来学期はみなさんインターンやら院試やらで授業がないからである)。
もうすぐ卒業する君たちに、このタイミングで、師弟関係を描いたこのドラマをご覧に入れる意図がおわかりだろうか。
じっくり見てゆっくり考えてね。
午前の授業が終わり昼過ぎになるとますます気温が下がり、窓の外では雨が雪へと変わって降り出した。
今シーズンの初雪である。
寒いわ!
16時まで机仕事を片付けたあと、2年生の「会話」をこなし、さっさと家に帰って布団に潜り込む。
26日(火)
6時半起床。
相変わらず寒い。
気温は日中でも7度前後。
加えて冷たい冬の雨が断続的に降り続いている。
熱いシャワーを浴びて目を覚まし、ヒゲを剃り、身支度をする。
あまりに寒いのでパーカーの上に革のライダースジャケットを羽織る。
途中でりんごを買ったあと大学へ。
10時からの授業をこなし、14時まで雑務を片付ける。
ここ数日ゴロゴロしていてお腹がたるんできたので、14時半からジムへ行く。
みごとに男ばっかりである。
決して広いとは言えない空間が野郎どもの「うぅ…」とか「ふう!」といった類のうめき声・吐息で満ちている。
まあ、そういう私も野郎なんだけどさ。
軽くトレッドミルで走ったあと、チェストプレス、ショルダープレス、レッグプレス、レッグカール、ケーブルプレスダウンなどなど、身体全体の筋肉をイジメる。
本当は部位を細かく分けて毎日違う部位を集中的に鍛えたほうがいいのだが、忙しいから週3ぐらいしかジムに来れないので、せっかく来た時に徹底的にやっておくのである。
家に帰ってシャワーを浴びたあと、 18時半からSさんとOさんと一緒にうちの近くの「川西坝子」というお店へ行き、火鍋をつつきながらスピーチ大会の祝勝会兼研究計画書の進捗具合聴取会。
やっぱり冬は鍋である。
鍋をつつきながら3時間ほど歓談。
美味しかった。
会計を済ませ店を出たあと、寮に帰る2人と別れ、腹ごなしに小一時間程散歩をして帰宅。
シャワーを浴びて寝る。
27日(水)
ああ、寒い。
昨日と全く同じような天気が続く。
8時起床。
授業はないが大学へ行く。
熱くて濃いコーヒーを飲んで仕事に取り掛かる。
午前中は期末テストの問題を作る。
私は仕事が大好きなのだが、それでも嫌いな仕事が3つくらいある。
テストを作る仕事はそのうちで3番目に嫌いな仕事である。
ちなみに二番目は「テストを採点する仕事」、一番目は「テストの成績を処理する仕事」。
ようはテスト関係の仕事が大っ嫌いなのである。
学生諸君だってテストを嫌っているかもしれないが、それでも君たちはテストを受けるだけで冬休みじゃないか。
羨ましい。
なんて愚痴をブツブツ言いつつ作業を進めるものだから、ぜんぜん捗らない。
あーもういいや。
今日はここまで。
このお仕事は明日以降に持ち越し。
家に帰ってさっさと寝よっと。