とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

雑記(30日・31日)

1月30日(土)

9時起床。

昨日のビールのせいか、少し頭が痛い。

週末ではあるが、残った採点を片付けるために学校へ。

途中、キャンパス内の「梅園」を突っ切る。

私の勤務校は農業大学である。

だからかどうかは知らないが、キャンパスのいたるところに梅や桃、百日紅、ザクロなど、さまざまな木々花々が植えられていて、なかなか気分が良い。

中国の各都市は環状道路が発達していて、一般的に“一环内”(環状一号線の内側)が市中心とされる。

開発が進んでおり、住むにも働くにも便利であるが、当然ながら土地代や不動産価格が高い。

農業大学は実習に使う畑やら林やら家畜舎やらで土地を要するので、郊外に立地していることが多い(と思う)。

しかし、うちは(ほんとうかどうか知らないが)全国唯一の“一环内”に立地する農業大学である(移転するお金がないだけかもしれないけど)。

なので、買い物やお出かけに便利な立地でありながら、農業大学であるがゆえ、キャンパス内には豊かな緑が広がっており、なかなか快適な環境なのである。

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赤線で示したものが合肥の環状1号線、青線が環状2号線。ちなみに現在の合肥の中心は環状2号線のちょっと外にある。

合肥は安徽省の省都であり、毎年発表される中国各都市の格付けランキングで昨年新しく「新一線都市」に位置づけられた(北京・上海・広州・深センが一線都市でいちばん上、以下に新一線、二線、三線と五線まで続く)。

近年発展目覚ましい街なのである。

とはいえ、全国的に言えば一地方都市なのも確かな。

そんな合肥でも最近、部屋の値段が高騰している。

さっき調べたところ、去年12月のマンション販売価格は1平米あたり15000元だった。日本円にするとおよそ24万4000円である。

合肥の平均月給はというと、これまた昨年のデータであるが、ひと月およそ4200元(約6万8000円)。分布で言うと、最も多いのは2000元から3000元のゾーンである。

一概に言えないが、中国で一般的なマンションの間取りは、トイレ併設のシャワールーム、キッチン、ダイニングルーム(リビングルームを兼ねていることもある)、ベッドルーム×2、そしてベランダ。

これでだいたい100平米前後必要だとしたら、ひと部屋買うのにおよそ2400万円かかることになる。

これ、どうやって払うの?

もちろんローンと親の援助に頼ることになる。

中国では結婚するときに夫が部屋を買うのが一般的である(結婚して部屋を借りるのは一般的ではない)。

つまり、中国人の結婚において、男側の経済的負担にはかなり厳しいものがあるといえる。

そのため、夫婦の間に男の子が生まれた場合、「おぎゃー」と生まれたその時点から、息子の将来に備えて結婚資金を貯め始めると聞く。

うー。

他人事ではあるが、中国の男子諸君が気の毒である(ほんとうに他人事だが)。

 

閑話休題。

梅の話をしていたのだった。

仕事場へと向かう途中、「梅園」で足をとめ、梅を眺める。

というのも昨日、日本の母上より梅の便りが届いたからである。

向こうはもう咲いているのか。

早いね。

私にしては珍しいことであるが、少しだけホームシックになる。
思えば去年の今頃は大変だった。

もともと私は日本へ帰省する予定だったのだが、ときはまさに新型コロナの感染拡大が始まっていた時期であった。

万が一にも日中間の「ウイルスの架け橋」になるわけにはいかない。

ちょうど妹さんのお腹に第二子がいるということもあり、自主的にキャンセルしたのである。

幸いなことに、中国側の航空券は政府のお達しにより全額返金・手数料無料だったし、日本側の航空会社(ジェットスター)も事情をお話したところ快く全額返金・キャンセル料不要との寛大な計らいをしてくれたので、金銭的なダメージは0だった。

それに大学に残ったことで、こうしてずっと中国で仕事・授業をできているのは大きい(よその大学では春節に帰省した日本人教師が戻ってこれなくなり、授業をすべてオンラインでしているところもあるのだ)。
とはいえ、さすがにまるまる2年帰国しないとなると、ちょっと日本が懐かしくなる。
母が送ってきた郷里の海や空を見ると、非人情で、意地が悪く、血も涙もない私でも、さすがに少し恋しくなってくる(まあ、「少し」なあたりに非人情さが確認できるのだけれども)。

こちらの梅はまだまだのようで、一輪しか開いていない。


しかし蝋梅は満開である。


オナガが飛び交い、嬉しそうに木の実を啄んでいる。

ああ、春よ。
私はお前が待ち遠しい。

おっと。

花鳥風月に思いを馳せている場合じゃない。
引き出しの中では未処理の答案が私を待っているのだ。
感慨を振り払い職場へ向かう。

昨日までに4科目中3科目が完了。

残るは4年生の「視聴説Ⅲ」のみである。

3時過ぎにコンビニに行った以外は6時まで缶詰。

とりあえず論述問題の採点を残し、今日は終了。

ぐうぐうと嘶く腹をさすりながら、「いつもの店」へ。

中国には“牛肉汤”“羊肉汤”の看板を掲げた店が多い。

これらの店はたいていサイドメニューとして“饼”(Bing3)を売っている。

日本語の「餅」と同じ漢字だが、その実「もち」にあらず。

中国語でいう“饼”とは、米からなる「もち」とは違い、小麦粉から作られた食品を広く指す(月餅とかそうだね)。

で、“牛肉汤”“羊肉汤”のお店で売られている“饼”に話を戻すと、これは小麦粉生地を薄くのばし、かまどの内側に「びたん!」と貼り付けて焼いた主食である。

インド料理の「ナン」を想像していただければ伝わるかと思う。

このお店は“粉丝”も“面”も美味しいので、もしかしたらと思い頼んでみると……。

うん、やっぱり。

私の直感に狂いはなかった。 

うまい。

香ばしく焼かれたカリカリの外側とは対照的に、なかはふんわりもっちりしている(ああ、定型的な表現しかできない私の語彙力)。

おそらく生地そのものに下味が付いているのだろう、調味料をつけずともそのままで美味しい。

うーん、この店、なかなかやるな。

メニューが豊富なので、しばらく「開拓」に通う必要がありそうだ。

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満腹したので川辺を散歩して帰る。

 

31日(日)

9時起床。

昨日、「この週末で採点を片付ける!」と自分に対して宣言したので、朝食(豆乳、焼売、中華まん)を済ませ、っそく作業にとりかかる。

順調に進み、3時すぎに全採点が終了。

ふー。

あとはこいつを集計し、学校に行って教務のWebサイトで登録する(別に家のネットですればいいのだが、なんだか学校でしたほうが落ち着くのである)。

いつのまにか降り出した雨の中を大学へ。

 途中、チャーハンで腹ごしらえ。

このボリュームで12元也(200円)。

太る。

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 膨れた腹をさすりながらキャンパスを歩いていると、先週書いた「家を失った猫」にであう。

なんと。

「家」が復活しているではないか。

たぶん、誰かが一時的にどかしただけだったのだろう。

“家主”も心なしか嬉しそうである。

よかったよかった。

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 誰もいないオフィスに到着。

成績をWeb入力する。

とはいえ、その前にやることがある。

まず答案を名簿順に並べなおす(あーめんど)。

それが終わると電卓を持ち出し、いちど計算した各大問の点数および答案の総得点を念のため再集計する。

成績は学生さんにとっては大事だし、なにより私は算数が(数学がではなく算数が)大の苦手なのである。

年には念を入れておく。

案の定、単純な足し算のミスが複数発覚する。

ほらね。

私は私をまったく信じていない。

なぜなら、私は33年分の自分のバカさをよく理解しているからである。

「でも、自分を信じないでどうやってものごとを判断するのさ。ずっと疑い続けるわけにもいかんでしょ」

そこである。

私は私をまったく信じていない。

しかし私は「私をまったく信じていない私」だけは完全に信頼しているのである。

だからこうして「俺ってバカだから、ひょっとしてありえないほど単純な計算ミスしてんじゃね?」と私に囁く私を、私は信じることにしている。

そして、念のために確認してみる。

すると、やはり私は間違っているのである。

「おお、やっぱり『俺、間違ってんじゃね?』と自分を疑う私は間違ってなどいなかった!」

こうして私は妙な自信を獲得するのである。

もちろん「スカ」もある。

つまり、疑って確認してみたものの、結果的に私が間違っていなかったということもある。

それはそれで「なんだ、確認したからはっきりとわかったけど、間違っていなかったじゃん。俺って偉い!確認して良かった」と根拠を持って自分を褒めることができるので、無駄ではないのである。

とりあえず無事に4年生の成績を入力し提出。

あと2教科。

さすがに自分のバカさ加減を疑い続けるのも疲れたので、昨日届いた村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中国語訳をぱらぱらと捲る。

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この訳本、いいね。

何がいいかというと、内容ではなく(ぱらぱら捲っただけなんだから)、訳者の余計な解説や感想がいっさい所収されていないところである。

ときどき「鼻につく」解説や「どうでもいい」感想を合わせて本にする訳者がいる(誰とは言わないが)。

そういうのってどうかと思うぞ。

訳者はあくまで黒子なんだから。

誤解されないように急いで付け加えるけれど、私がここでいう「黒子」とはまったくもって賤意ではない。

「存在しないという形で存在する」。
それが訳者の大切な仕事だと私は思うのである。

訳者の存在感は訳者自身の存在感を感じさせないことで発揮される。

私はそう思う。

もちろん、解説が必要な訳書もある(たとえばレーモンクノー『文体練習』とか)。

それに感想を書きたいなら書けばいいと思う。

しかしそれはあくまで訳者の本分を損なわない範囲でやってほしい。

とくに、本編に先んじたスペースでやるのだけは勘弁していただきたい。

お願い。

6時過ぎに帰宅。

疲れたのでさっさと寝る。

雑記(1・25~30)

1月25日(月)

3時、6時となぜか夜中に二度目が覚めるが、“三度寝”する。

10時起床。

外は小雨。

肌寒い。

昨日作り置きしておいた味噌汁を温めて、しょうが・にんにくのみじん切りを入れていただく(おお、これは温まる)。

身支度をして家を出て、12時過ぎに大学着。

週末の日記をアップしたあと、3年生「日本語基礎作文Ⅱ」の答案を採点する。

先週からこつこつと採点してきた結果、残りは論述問題だけである。

何とかして今日中に終わらせたい。

ちなみに、今回の論述問題は以下のようなものである、

興味とお時間がある方はご覧ください(閲読文は内田樹『街場の文体論』第二講から引用、学生さんにとって難しいと思われる単語・表現には訳をつけた)。

 

大問五. 次の文章を読み、自分なりによく理解したのちに、感じたことや考えたことに基づき、問いやテーマをひとつ立てなさい。

 

問いやテーマ.__________________________

 

 さっき今日の一限目(第一节)の「身体文化」の授業を持っている平尾剛さんと授業の終わったあとにちょっとおしゃべりをしたんです。彼は自分の大学でラグビー(橄榄球)とラクロス(长曲棍球)のコーチをやっているんですけど、クラブの学生がこの間、彼がコーチに出られないときに、「何しといたら、いいんですか」(我做到怎样才可以)と訊きに来たんだそうです。「何をしたらいいんですか」(要我做什么才可以)ではなく「何しといたら、いいんですか」。

 「何しといたら、いいんですか」というのは「何をしたらいいんですか」と意味が違います。「何しといたら、いいんですか」というのは、言外に「やりたくないけど、どれくらいまでやったらいいんですか。どれくらいやったら許してもらえるんですか」ということを意味しています。「この辺までやっとけばいいという、そのぎりぎり最低のライン(最低限度,界限)を教えてください」と訊いている。

 この「何しといたらいいんですか」「何書いといたらいいんですか」という問いは君たちのなかに深く内面化しています。その「最低ライン」というのが、養老孟司先生(作家,东京大学医学部教授)の言葉を使って言えば、「バカの壁」ですね。「凡庸の境界線」。君たちはまさに四方を「凡庸の境界線」に取り囲まれているわけですよ。「何書いておけばいいのですか」という投げやりな(马虎,随便)質問が出てくるというのは、「合格最低点のアチーブメント(成就)」を何かをするときの無意識の基準に採用しているということです。   

  (中略)

 文章を書くということは、いつだって「限界に挑戦する」ということなんですよ。わがうちなる(我自身的)「バカの壁」、わがうちなる「凡庸の境界線」を踏み破ってゆくということなんです。そうじゃないと、物を書くことなんて、本当にただの苦役にしかならない。

 合格最低ラインギリギリの仕事しかしない態度のことを前に椎名誠さん(作家,编剧,导演)が「こんなもんでよかっぺイズム」(这么着也没得事ism)と呼んだことがありましたけれど、これはうっかり一度はまる(陷入)ともう出られない底なし(没有底)のピットフォール(陷阱)です。「みんなこの程度のことを書いているんだろうから、このくらいでみんなと同じレベルで、さらに自分は誤字・脱字も少ないし、ちょいと小洒落たフレーズ(时髦的句子)も入れておいたから、少し割増(增额)で80点くらい?」というように算盤弾いて書くようなことをしていると、そこからもう永遠に出られなくなる。 

 皆さんが閉じ込められている「言語の檻」は、かなり複雑な構造になっています。昔だと「言語能力が低い」とか「表現力がない」とか「語彙が少ない」とか「リズム感がない」とか「音の響きが悪い」とか、そういうことが問題だったわけですけれど、君たちが閉じ込められている檻というのは「評価の檻」なんです。何を書くかよりも、それに何点がつくか、ということが優先的に配慮される。

 

大問六. 大問五で立てた問いやテーマに基づき、今学期の作文の授業で学んだことに言及しながら、自分の考えを作文(横書き、常体、字数不問)しなさい。

 

以上、問題はここまで。

ご覧になればわかるように、閲読文の内容を簡単にまとめると、「学生は評価・成績に囚われてものを書いている」「評価・成績を気にしてものを書く限り、『バカの壁』『凡庸の境界線』は越えられない」というものである。

そして学生諸君がこの閲読文を読んでいるこの場はまさに「作文」の期末テストなのである。

まったく、私も性格が悪い。

「評価を気にして何をどう書くか決める人が多いけど、それってバカで凡庸な振る舞いですよ」

そんな文章を題材にしたうえで「さあ、自分でテーマを立てて自由に書いてみて」と要求するんだから。

つまり、どういうことか。

この閲読文を読んで「こういう答案を書けば先生は評価してくれるだろう」とか「こんなことを書いておけばそこそこの成績がもらえるだろう」と思ってペンを握ったその瞬間に、自分で自分を「バカの壁」で囲い込み、「凡庸の境界線」の内側で答案を書くよう仕向けてしまうのである。

頭がいい学生さんは閲読文を読んだ時点で(もしくは答案を書いている途中で)そのことに気づく。

「あ、いつものように『よし、良い成績をもらえるようなことを書こう』と書いたんじゃ、自分で自分を『バカ』で『凡庸』だと証明してしまう文章になるんじゃね?」と。

もちろん誰だって「バカ」「凡庸」扱いされるのは嫌である。

ならば、答案を書く道程において、自分を囲む「バカの壁」「凡庸の境界線」に自ら気づき、それを描写しながら乗り越える努力をしなければならないのである。

ということで、閲読文をよく理解した学生さんの答案には、この「気づき、描写し、乗り超える努力」をした痕跡が垣間見える。

具体的に言えば、答案の中に

「この閲読文はまさに私のことを言っている」

「バカ扱いされて耳が痛いが、たしかにそうだ」

などという自分のバカさ・凡庸さを自白するフレーズが出てくる。

「たとえば、以前こんなことがあった」

などの書き出しから始まる、自分のバカさ・凡庸さの列挙が、必ず書かれている。

ポイントはここである。

私が思うに、自分のバカさ自慢こそが自分なりのオリジナルな文章を書くことへの第一歩だからである。

というのも、本質から見ると、バカな人間・凡庸や人間の精神的構造は同型であり代わり映えしないのであるが、それぞれのバカな人間・凡庸な人間を現象として観察してみると、その人間のバカさや凡庸さは驚くほど人それぞれなのである(私がそうだ)。

したがって、学生さんが自分のバカさ・凡庸さを具体的に列挙し、説明し、反省した作文は、必ずその学生さんにしか書くことができない個性的なものとなる。

結果として、その学生さんのオリジナリティあふれる答案となるのである。

対して、自分が「バカの壁」に取り囲まれた「凡庸な人間」だと自覚できない人間、平たく言えば凡庸なバカが書いた文章は極めて没個性的である。

というのも、彼らは自分がバカで凡庸な人間であると微塵も思っていないからである(だからバカで凡庸なのである)。

彼らは自分は十分に賢いと思っている。

ものを考えたり書いたりする主体である自分にはまったく問題がないと思っている。

だから、あとはものを考えたり書いたりするときの知識や技術が必要なだけなのだ。

ということで、論題を目にしたときの彼らは、その論題を目にしている自分自身の

精神構造には視線を向けず、その論題を「私なりに」解決するための材料探しに精を出す。

「こういう書き出しにしとけば受けるだろ」とか「こういうテーマならこういう事例を持って来れば無難だろう」とか考えながら。

しかし、考えてほしいが、学生の見知った世界などたかがしれている。

学生の知識や技術など「雀の涙」である。

別に学生をバカにしているわけではなくて、学生とはそういうものだといっているだけである。

しかし、それを自覚できる学生とできない学生の間には、高い「壁」があり、超えがたい「境界線」があるのである。

よく言われることだが、同じ年齢、同じ学力の集団が、同じ学校、同じ教師、同じ教材、同じ教室で、同じ期間勉強したのもかかわらず、ある学生は教師もびっくりするほど成長し、ある学生は「高校7年生」のまま卒業することがある。

この差はどこでついたのか。

先天的な頭のよさではない(だったらふつう「同じ学校」にいない)。

努力の量やその方法でもない(毎晩遅くまで机にかじりついたり、高いお金を払って外部の塾に通ったにも関わらず、結果としてちっとも成長を見せなかった学生だっている)。

違うのは、態度である。

さきほどずらりと並べた、「勉強した」に係る「同じ○○」のなかに、ひとつ抜け落ちているものがあることにお気づきだろうか。

そう、「同じように」である。

「違ったふうに」勉強した、だから結果も違うのである。

ここで「違ったふうに」を勉強量や勉強方法として理解してしまうと、また問題が振り出しに戻ってしまう。

違うのは視点なのである。

つまり、視線を自分自身に向けながら、反省的に勉強したのかどうかの違いである。

学生諸君にはよくよく考えてほしいけれど、これまでずっと学校で学んできた君たちの知っていることなんて、となりのクラスメイトとそうたいした違いはない。

あなたが知っていることは、たいていとなりの王さんだって知っているし、そのとなりの李さんだってしっている。

その状態で「私が知っているこれ使って書けば良い成績がもらえるだろう」という態度で文章を書いてしまったら、どうなるだろうか。

王さんや李さんと同じような同じような文章ができて当たり前ではないだろうか。

しかし、クラスのなかにはときどきこういう人だっている。

つまり、「私が知っていることは、たいていとなりの王さんだって知っているし、そのとなりの李さんだってしっているかもしれない」「じゃあ、王さんや李さんが知らなさそうなことを使おう」と考える人である。

きみとこの学生の違いは、知識の量ではない(なんどもいうが、同じ学校の同じクラスなんだから)。

そうではなくて、君が知らない「私が知っていることは、たいていとなりの王さんだって知っているし、そのとなりの李さんだってしっているかもしれない」という知識=メタ知識を、この学生さんは知っているということである。

話をテストに戻すけれど、だから、さきほどの閲読文を受けて「私が知っているこれ使って書けば良い成績がもらえるだろう」という態度で書いた文章は揃いも揃って、「学歴社会はうんぬん」だの「現在の学生はかんぬん」だの「テストの点数だけが人生じゃない」だの、聞き飽きたストックフレーズの引用で終わり、結果として、個体差の判別が不可能なほど似通ってしまうのである。

そしてそのことに疑問を感じていない。「当たり前だ」と思っている。

それもこれも、彼らが「自分の知識に関する知識」を知らない(というか、そういうものの存在すら気づいていない)からである。

 

「バカの壁」「凡庸の境界線」はこうして形成されるのである。

それは学歴社会のせいでもなければ時代のせいでもない。

バカな人間・凡庸な人間に「私ってもしかしてバカで凡庸なんじゃない?」と自問する習慣がないからである。

 

16時すぎ前で採点を続ける。

途中で頭が痛くなってきたので、「今日中に片付けたい」という意気込みはどこへやら、今日はここまで。

朝から降り続く小雨のなか家路に着く。

途中でスーパーに寄って食材を買い(豚タンとキノコ)、ちゃちゃっと炒めて夕食を済ませる。

食後に録画しておいた「ガキ使」を見ていると、そのなかの「ドリアはドリア一家のためにフランスで作られた料理」というテロップに注意が向く。

「ほんまかいな」と思いネットで調べてみる。

ほほお、ドリアという料理はなかなか複雑な起源を持つんだな。

結論から言えば、今の私たちに馴染みあるドリアは日本で外国人シェフによって考案された料理であるが、19世紀のフランスにドーリア一家のために供されたドリアなる別物の料理がもともとあったそうだ(さっきのテロップが指していたのはこれ)。

なるほど。

初耳。
ところで、ドリアは中国語では“芝士焗飯”というらしい。

“芝士”はチーズのことであり、“飯”はそのままご飯のことであるが、問題は“焗”(ju、2声)である。

辞書によると、これはもともと調理方法を表す方言らしい。

現在では、「蒸気を使い、密閉した容器内の食物に火を通す」という意味らしい。

そういうことを踏まえると、ドリアを“芝士焗飯”と訳するのはどうかと思う。

ドリアは基本的にオーブンで焼く料理なんだから。

と、ケチをつけたあとにこういうこというのもなんだが、外来の新しい言葉を翻訳するのはなかなか難しいことである。

言語とは、それを使っている私たちの生活環境や因習・慣習と切っても切り離せないからである。

ようは「ないものごとは言葉にする必要がない」わけであるが、外来のものごととは、それを知らなかった私たちにとっては「そんなものも、あったのね」なのである。

翻訳とは、この「そんなもの」を何とかして自国語として受け入れる作業なのであるが、この作業は常に自国語(とその背景にある私たちの生活習慣や因習・慣習)の制約を受けるわけである。

たとえば、金田一春彦は『日本語を反省してみませんか』(角川oneテーマ21、2002年)のなかで、料理の語彙に関する日英の対比事例を紹介している。

 

調理に関する言葉になると調理方法を表す動詞で、英語のboilに相当する語彙が日本語ではたくさんある。日本語ではお湯なら「わかす」から始まって、ご飯ならば、「炊く」、人参や大根ならば「煮る」、卵なら「ゆでる」と言い分ける。つまり全体が水なのか、水分がなくなるまで温めるのか、温めた後水分まで食べるのか、水分はこぼしてすてるのか、ということをやかましく区別するわけだ。これは水を多く使い、野菜を多く食べる日本の民族習慣を表している。

 一方、日本語は「焼く」という言葉には大変大まかである。英語では肉ならば蒸し焼きにすればroast、照り焼きにすればbroilという区別があり、また串にさして網で焼けばgrillとなる。パンについては、bakeの方はパンを作る過程、toastの方はパンにこげめをいれることであるが、日本人はこの区別をつけずどっちも「焼く」と言う。 

                       前掲書、pp.201-202

 

話をドリアに戻すが、ドリアは「焼く」ものであるが、金田一が言うように日本語はこの概念に対してかなりアバウトであるため、調理方法を以て意訳しにくい(「焼き飯」だとチャーハンだし)。

それよりは、カタカナ語にすることで「これは外来の新しい食べ物だよ」と注意しながら「ドリア」と音訳しておいたほうがいい。

私はそう思う。

悪く言われることが多いカタカナ語だが、馴染みのない外来概念を自分たちの言語に受け入れるときに無理に意訳せず、とりあえずカタカナにしておくことには意義があると思う。

そうすることで、「これは他所様の概念なんだからわかった気になるなよ」と謙虚に受け入れることができるからだ。

例を挙げよう。

たとえば「すき焼き」の中国語訳には2つある。

ひとつは音訳である“寿喜烧”(shou4xi3shao1)であり、もうひとつは意訳“日式牛肉火锅”(日本風牛鍋)である。

手元の日中辞典に載っているのは後者だが、最近では“寿喜烧”もだいぶ一般化している。

で、問題は意訳である“日式牛肉火锅”。

以前、卒業論文の答弁会でこんな学生がいた。

彼が論じたのは「日本の外来文化受容の特徴」である。

よくある陳腐なテーマであるが、今回論じたいのはそこではない。

彼は日本の外来文化受容の例として、なんとすき焼きを持ってきて中国の“火锅”と比較しようというのである。

というのも、彼曰く、すき焼きとは中国の“火锅”が伝来した鍋料理だからである。

よって“火锅”と比較することで、日本人の外来文化受容を論じようとしたわけである。

ご存知のように、これは間違っている。

そもそもすき焼きは中国の“火锅”を起源とするものではないからである(鍋料理なのかというところからして諸説あるが)。

丸善『日本文化事典』を開くと「すきやき」の項目(190頁)にこう記してある。

 

 すきやきは,農具の鋤の上で焼いたのでその名があるとされるが,現在は鍋料理の一つである.

 

諸説あるようだが、もともとは鋤(すき)の上で焼いたから「すき焼き」だというのが現在の有力な説である。

事典はさらにこう続ける。

 

 農具の鋤には,先端に三角形の金属部分がある.これを鍋の代わりにして油を塗り,その上で鳥肉・魚類を焼く料理を「鋤焼き」とよんでいる.具体的なつくり方は,江戸時代の料理書『素人庖丁』初篇(享和3〈1803〉)と『料理早指南』四篇(文化元〈1804〉)にみられる.前者では,火鉢に唐鋤をのせ,よく焼けたときに油を塗り,その上に三枚に下ろしたはまちの身を並べて焼きながら,大根おろし,醤油,とうがらしなどとともに食べるとある.後者では,雁や鴨類が材料で,あらかじめたまりに漬けた肉を,熱した唐鋤の上で焼く鉄板焼きのようなものである.鋤のように鍋の代用になる容器を用いた料理は,貝を使った貝焼き,つぼ焼き,瓦を上下に使った鯛のはま焼きなどがみられる.

 肉食禁忌であった江戸時代,表向きには食べなかった牛肉が,幕末から少しずつ取り入れられるようになる.『武江年表』の慶応2(1866)年には、「牛を屠りて羹とし商う家,所々に出来たり.又西洋料理と号する貨食舗,所々に出来て,家作,西洋の風を模擬せるものあり」と記されている.

 

このように「すき焼き」(日式牛肉火锅)とは、日本に土着していた食文化が欧米化の影響を受けて誕生した料理なのであり、日本の外来文化受容を考察するうえで興味深い題材であることは事実だが、決して中国の“火锅”を起源とするものではない。

たしかに日本には中国から伝来した文化が多くある。

しかし「それはそれ、これはこれ」(一码归一码)である。

したがって、「『すき焼き』は中国の“火锅”が伝来したものなので、“火锅”と比較することで、日本の外来文化受容について考察しました」という研究は、その前提が誤りである。

前提が間違っている以上、どんなに考察したところで研究としては成立し得ない。

きびしく言えば0点である(まあ、あくまで「きびしく言えば」の話であるが)。

では、なぜこのような事態が生じてしまったのか。

“日式牛肉火锅”という意訳に原因があると私はみる。

つまり、“日式”が問題である。

というのも、“日式”と訳してしまうと「ああ、俺たちの火鍋を日本風にアレンジしたものね」とか「おお、俺たちの火鍋の日本風ね」という印象を与えてしまうと私は思うのである。

それは、たとえば中国の“拉面”やその派生である日本の国民食「ラーメン」を「中華蕎麦」と訳してしまうと、「ああ、中国的な『蕎麦』ね」と受け取ってしまうのと同じ道理である(いうまでもなく蕎麦と“拉面”は製法も材料も異なる別の料理である)。

たしかに、意訳は大切だ。

自分たちになじみがある手持ちの意味に寄せて翻訳することで、見知らぬ外来概念をすんなりと受け入れることができるからである。

しかし同時に、その「すんなり」は罪のない思い込みや勘違いに(そしてやがては偏見や夜郎自大な「自信」に)つながるおそれがある。

私はそう思う。

そこで、馴染み無い外来の事物をまずはあえてカタカナを使って音訳しておくことで、「これは私たちが知っている『あれ』とは違った新しいものですよ」とアナウンスしつつ、とりあえず受容しておく。

カタカナ語にはこのような意義があるのではないかと私は思うのである。
たとえば、“consensus”。

カタカナ語である「コンセンサス」は音訳である。
これを「合意形成」「統一的見解」と意訳してしまうと、たちまち既存の日本的・土着的風土に取り込まれ「理解」されてしまうのではないだろうか。
「ああ、合意を取り付けることね。よっしゃ、じゃあ、今夜あたり村のみんなで飲み会でも開いて決めよっか」的な、島国的・ムラ社会的解釈をされてしまうのではないだろうか。
しかし、“consensus”が有する語義は、そのような雰囲気的・感覚的な合意形成ではないはずだ。

そもそも、今までに私たちが持っていた「合意形成」「統一的見解」には担えない違った意味合いを担当してもらうために、わざわざ外から持ってきた言葉だったはずである(もちろんええかっこしいのためにやたらと外来語を使う人間もいるが、それはそれとして)。

外来語を単に意訳するだけでは、その外来概念の実体を訳すという意味で問題がある。
しかし、かといって“consensus”とそのまま受け入れるわけにもいかない。

それだと外来語ではなくて外国語だからである。

翻訳ではなくて「移動」だからである。
そこで、「コンセンサス」とカタカナにして取り入れる。
すると、「これは『合意形成』『統一的見解』という意味だけど、私たちが知っている日本的なものとは違う、新しい意味を持つ言葉だよ」と“但書”をしつつ、日本語に取り込むことができる。
結果的に自言語の奥行きや幅を増すことができる。
私はそう思う。
現に漢語だってそうやって取り込んできたのである。
問題はカタカナ語ではなくて、言葉に無頓着な、“但書”を読もうとしない私たち自身なのではないか。

うーむ。

言葉って難しい。

 

26日(火)

8時半起床。

外はあいかわらず真っ白。

寒い。

今日こそ「作文」の期末テストを片付けるため、気合を入れて大学へ。

採点にとりかかる。

さっさと済ませたいのだが、なかなかそうもいかない。

というのも、ときどき「ん?」と引っかかる答案に出くわすからである。

その「ん?」は日本語の問題だったり、学生さんのロジックに対してだったりする。

今日「ん?」と思ったのは、後者。

採点を始めて2枚目で出てきた、こういう記述である。

「子どもには自分の意識を探すという考えがない」

うーん。

こういう子ども観を持った学生さんはけっこう多い。

つまり、子どもはいわゆる“タブラ・ラサ”(白紙状態)であり、生まれながらの知性や認識力、判断力は存在しない。

そこで、大人が教育を施すことで経験的に知性や理性を獲得していき、やがては一人前の知性を備えた人間になる。

そういう子ども観である。

しかし、ほんとうにそうなのだろうか。

「子どもには自分の意識や考えがない」と平気で書くまえに、きみたちにはいちど自分の子ども時代を振り返っていただきたい。

諸君は子どもの頃、自分を取り巻く自然環境や大人たち、友達の言動なんかに対して、疑問やら言いたいことやらを何も持っていなかったのだろうか。

私は持っていた。

むしろそれしか持っていなかった。

子どもである私の手に知識や技術はなかったが、疑問や言いたいことは余すほどあった。

ただ単に、うまく言語で説明することができなかっただけである。

「説明することができない」と「ない」はまったく違う。

そこのところを考えていただきたい。

最初から子どもの「説明することができない」を「ない」扱いするのは、子どもを「子ども」扱いすることである。 

子どもを「子ども」扱いしてはいけないと私は思う。 

子どもはあくまで子どもであり、大人が思う「子ども」とは違うからである。 

子どもには子どもなりに自分で考えていることがあり、言いたいことがある。

大人に求められる重要な役割は、子どもを白紙だと見做して何かを書き込んでいくことではなくて、自分の「子ども」観を白紙にして子どもに接することである。

私はそう考えている。

自分の「子ども」観を白紙にして子どもに向き合うことと、「子どもは白紙である」と認識して子どもに接することは、まったくの別物である。

私はそう考えている。

教育とは、子どもが自分の疑問や言いたいことを自分なりに表現したり実現したりできるようになるための手助けである。

教育は万能でもなければ無用の行為でもない。

あくまで手助けである。

私はそう考えている。

注意が必要なのは、あくまで教育は「表現したり実現したりできるようになるための手助け」なのでであって、決して「表現手法や実現手段を子どもに与える」ではないということである。

というのも、大人が「表現手法や実現手段を子どもに与え」てしまうと、子どもが自ら疑問や言いたいことに出会い、拾い上げ、発展させるという大切な知的作業を阻害してしまうからである。

なぜかというと、大人が与える「表現手法や手段」は、子どもの素朴ながらも未発達な疑問や言いたいことと比べると、子どもにとってはとても立派で確立されたものに映るからである。

それこそ寸分の隙もなく、びっしりと固められている。

異論を申し立てようにも、子どもの言語能力じゃ歯が立たないほど、ぎっちぎちに。

ゆえに子どもにすべてを説明してあげるのは、かえって子どものためにならない(有害ですらある)。

私はそう考えている。

学生さんたちの子ども観だって、あきらかにロック的教育観であるが、彼らが自分の実践と思考を経て形成した観点なのだろうか。

そうではないと私は思う。

おそらく、多くの学生さんたちは子どもの頃から、周囲の大人にこう言われて育ってきたのだろう。

「子どもには自分の言いたいこと・考えていることがありません。だからあなたたちは学校に行って勉強しないといけないんですよ」って。

これが大人たちの善意による言葉だと私は信じる。

しかし、「善意であること」と「問題がないこと」(有害でないこと)はイコールでは結べない。

大人に求められるのは、善意だけではない。

賢さだって求められるのである。

というのも、子どもは大人以上に敏感で聡明で素直な存在であるからこそ、周囲の大人が鈍感で愚鈍だったならば、それを敏感かつ素直に察知し、鈍感かつ愚鈍な人間に育ってしまうからである(私はこの点で経験主義的教育論者である)。

「あなたたち子どもには自分の言いたいこと・考えていることがないから、あなたたちは学校に行って本を読むんですよ」

そう大人に聞かされているうちに、子どもたちはこう思うだろう。

「ああ、私には自分の言いたいこと・考えていることがないから、私たちは学校に行って本を読むのか」と。

自分の疑問や違和感を乏しい語彙・言語運用能力で言葉にするよりも、大人の言葉を受け入れるほうが楽だからである。

うまく表現できない自分の疑問・言いたいことよりも、なにやら説得力があるように見えるからである。

しかし、大人が常に正しいわけではない(当たり前だ)。

だから、子どもに何もかも説明してあげることが子どものためになるとは私は思わないのである・

彼らが今は説明でき「ない」からといって、なにも持た「ない」わけではない。 
私はそう考えている。

もちろんこれだって私の目に映る「子ども」である。

私なりのバイアスがかかった「子ども」観である。

しかし私は少なくとも、私が無意識勝手に設けている「 」の存在を知っている。

だから、私は私の「子ども」観を子どもに押し付けたくはないと願うことができるのである。 

子どもの頃に私が大人たちに言いたかったのは、たぶんそういうことである。

 

キリがいいところまで終わったので、今日の採点作業は終了。

少し早いが店じまい。

家に帰って仮眠。

2時間ほど寝た後、シャワーをゆっくり浴びて、久々に街へ。

本屋へ足を運ぶ。

昨年末に中国では初めて『崖の上のポニョ』が上映された。

その影響もあってか、『トトロ』コーナーが設けられている(中国語ではトトロは“龍猫”という)。

そういえば、宮崎駿こそ子どもの「言葉にならない感覚」を見事に写し取る天才であった。

よく「ジブリは子どもだけじゃなく大人が見ても面白い」というが、それはちょっと違うんじゃないかと思う。

むしろ「子どもこそ理解できる楽しさを、頭が凝り固まった大人にも理解できるように、作ってくれている」と言ったほうがいい気がする。

あれ、ちょっと子どもを理想化しすぎか?

まあ、それが私の「子ども」観なのだろう。

小説コーナーに行く。

相変わらず村上春樹関連の著作が多い。

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川上未映子が村上春樹にインタビューした『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中国語訳版が出ていたので、ネットで買うことにする(そっちのほうが安いから)。

これはなかなか面白いインタビューなので、学生さんにおすすめしたり授業で引用するために中国語版を手にしておくのである。


1時間程度で帰宅。

シャワーを浴びて軽くお酒を飲む。

日付が変わるころに就寝。

 

27日(水)

9時に起きる。

相変わらずの肌寒い天気。。

台所で味噌汁(キャベツ、玉ねぎ、ナス)を作り、中華まん(餡は青菜・しいたけ)を蒸す。

おいしい。

腹ごしらえが終わったので、いざ学校へ。

……のつもりだったが、満ち足りた腹をさすりながら、うっかりベッドに入ってしまった。

結果的に布団の外に出る気がすっかり失せてしまった。

仕方がないね。

というわけで、昨日書店で宮崎作品が特集されていたことを思い出し、暖かいベッドで『天空の城ラピュタ』を見る(もう何度目だろう)。

宮崎駿の作品に関して言えば、ストーリーとか思想なんて細かいことはどうでもいいのである。

だって、宮崎自身わかっていないんだから。

スタジオジブリの風景を映したドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』のなかで、宮崎はこう述べている。

 

宮崎 なんか頭おかしいとしか思えない感じだな、これ(※注 自分が今描いている絵コンテのこと)。こうやって「わかんない!」って人がいっぱい出てくるんですよ。わかんないなら怒る人たちがいるからね。編集するときに、ものすごく悩むことないですか?
インタビュアー あります。
宮崎 あるでしょう。どうしていいかわからなくなるでしょう。しかも「定尺に収めろ」なんていったら、無理だよね。シナリオなんかないですよ、僕だって。もうね、ほんとに、何かに沿ってやってるんじゃないんですよね。どういう映画にこの映画はなるのかね、それはわからないですよ。
インタビュアー それが「映画に作らされている」ってことですか?
宮崎駿 うん、ほんとにそうです。映画になってくれなきゃ困るから。バカバカしい話だけど、「この映画の、この作品の世界がどうなっているかわからない」って言われたことがあるんです、『千と千尋』を作っているときにね。こっちだってわかりゃしないですよ。だから、最終的にたぶんわからないと思ったんですけどね。「この世のことを君はどんだけわかってんだ」と。

 

ここだけではなく、宮崎は重ね重ね「意味を考えて作っていない」とか「作為で作品を作るのは悲しい」といっている。

「映画に作らされている」というのはレトリックでもなんでもなくて、宮崎自身の実感を素直に言葉にしたものだと私は思う。

宮崎だけではなくて、創造的な仕事をしている人はみな「私が書くのではなくて、文章が私に書かせる」とか「君が球を追うのではなくて、球が君を追うのだ」(by小泉先生)とか、そういう主-客関係の倒錯をリアルに実感するのである。

それもこれも、彼らがゼロから何かを作っているからである。

誤解してはいけないが、「ゼロから作る」とは、自分に先行する作品にまったく依拠することなく、自分の力だけで何かを表現するということではない(そんなことは原理としても現実としてもありえない)。
そうではなくて、今の自分にはわかりきった作為や目的をいったん取っ払って、自分の素朴な「わからない」からスタートし、自分の足で「わかった」に辿りつくということである。

優れた表現と称されるものは、すべて「わからない」からスタートしている。

表現とは「言いたいこと」が作り手の頭の中にまずあって、それを身体を使ってそのまま形にしているわけではない。

そうではなくて、作り手が自分の「わからない」を「わかる」形にするために、試行錯誤しながら辿った道のりが表現なのである。

したがって、国語の授業で嫌というほど聞かされた「作者の言いたいこと」は作品に先行して存在するわけではないのである。

たしかに、ある作品を鑑賞したり、評論したり、翻訳したりするときには、「作り手には『言いたいこと』がある」という前提が必要だ。

その前提を設けないと、鑑賞したり、評論したり、翻訳したりするときに私たちが受け手として腰を据えるべき定点が定まらないからである。

実際、作り手だって「なんか『言いたいこと』がある気がするなあ」と思うからこそ、作品の制作にわざわざ取りかかるのである。

とはいえ、作り手に「言いたいこと」がある気がするということと、作り手の「言いたいこと」が作品に先行するということ、作り手が自分の「言いたいこと」を十全に理解しているということは別物である。

私が何かを鑑賞したり、評論したり、翻訳したりするときには、このことを忘れてはならない。

私はそう思う。

さもないと、一受け手に過ぎない私が作り手ですら理解しきれていない「作り手の言いたいこと」を勝手に代弁してしまうからである。

私たちは作品を鑑賞したり、評論したり、翻訳したりするときに、「作り手には『言いたいこと』はある」という前提で作品に臨む。

そして、「この作品を通して作り手は『こういうこと』を言いたいんじゃないか」と思考を展開する。

当然である。

しかし、その「こういうこと」はあくまでそれぞれの一受け手が思う「作り手の『言いたいこと』って『こういうこと』だと思う」であって、決して作り手の「言いたいこと」そのものではない。

それぞれの受け手には作品を自分なりに解釈する自由がある。しかし、作り手の「言いたいこと」を勝手に喧伝する権利は如何なる受け手にもない。

それどころか、じつは作り手すら作り手の「言いたいこと」を優先的・独占的に解釈する権限はないと、私は思うのである。

というのも、私は何を言いたくてこの文章を書き始めたのか、書き始めたときの私が持っていた「言いたいこと」とはいかなるものだったのか、今思い返してみても、正直言って書き終わった私にはよくわからないのである。

だって、覚えていないから。

「作者の死」(byバルト)といえば格好良いが、これではただの「作者の物忘れ」である。

まあいい。とにかく、この文章を書き始めた時に「私が言いたかったこと」が今の私にもはっきりしない以上、私のこの文章の解釈権は(一読み手としての私を含む)読み手のみなにオープンに開かれるべきである。

だから、話を戻すと、宮崎作品が「なにいいたいのかわからない」のは問題ない(宮崎本人だってそうなんだから)。

「なにいいたいのかわからない」なら、自分なりにそれを言葉にすればいいだけである。

なにも「わからない!」って怒る必要ないじゃんね、子どもじゃないんだし。

いや、子どもは怒らないか。

だって、私が言うまでもなく、子どもは宮崎の「言いたいこと」をしっかりと理解しているからである。

大人のように「頭」をつかってではない。

「身体」で、である。

宮崎作品の「言いたいこと」とは、ストーリーとか構成なんかではなくて、宮崎が自身の身体を通して描いた動きにこそあるのであり、だからこそ宮崎作品が私たちの身体に直接訴えかけてくるものは他の追随を許さないのである(もちろんストーリーや思想がないという意味ではない)。

子どもはそれをすぐ理解する。

宮崎の言い方を使えば、子どもは頭で生きているわけではないからである。

大人のように頭を使って理解するのではなく、全身で理解し、身体ごと物語に没入するのである。

現に『ラピュタ』や『ナウシカ』を見たあと、子どもであった私たちは、溶けゆく巨神兵やフラップター(あのハエみたいな乗り物)を全身で模倣していたではないか。

大人になった今でも、「肉団子スープ」やら「目玉焼きトースト」やらドーラに食いちぎられる骨付き肉やらを見ると、やたらとお腹が空いてたまらないではないか。

子どもの頃にリアルタイムで(しかも母語で)宮崎作品を観ることができたことはほんとうに幸せなことだったのだと今では思う。

結局、「ちょっとのつもり」がラストまで見る。

 

時計を見ると2時すぎ。

眠くなったので昼寝。

目が覚めると6時過ぎ。

いかん。

これではあまりに非生産的な一日の過ごし方である。

スマホを見ると、ちょうどO主任から初稿が「初稿を出版者に送ったので、先生にもお送りします」というメッセージとともに届いている。

目を通す。

読み出すと(自分で言うのもなんだが)なかなか面白い。

もし私が中国人の日本語学習者だったら「おお、こういう教科書を使いたいと思ってたんだよね」思うことだろう。

まあ、当たり前と言えば当たり前である。

もし私が中国人の日本語学習者だったらどういう教科書を使いたいと思うか、それだけを考えながら、書いてきたんだもの。

とはいえ、ときおり滑った例文や「お母さんの小言」みたいにしつこい記述があるし、ところどころミスやら説明の足りなさも散見される。

これは校正段階で修正しないといけないので、あとで修正するためにマークしておく。

そんなことをしていたので、結局3時過ぎまで眠れず。

 

29日(木)

8時過ぎに起床。

久々の青空。

しかし冷たい風が吹いている。

朝食をきちんと食べたがゆえに外に出たくなってしまったという昨日の反省を活かし、今日は何も口にせず大学へ向かう。

途中、北一門の近くの商店で印刷用紙を買う。

校正のために初稿を印刷するのである。

なぜだかよくわからないけれど、誤字脱字というものはパソコンのディスプレイではなかなか気づかない。

しかし紙に印刷するとすぐ気づくのである。

なので、私は基本的に校正作業を紙で行うことにしている。

これには過去の苦い記憶が関係している。

院生だったときのこと。

とっても忙しいタイミングで紀要論文のゲラがデータで届いた。

浅はかな私は「まあ、いっか。ゲラになる前にけっこう推敲したし、印刷するのめんどいし」という考えから、いつもならプリントアウトしてから朱を入れるところを、そのときはパソコンの画面上で校正したのである。

で、活字になったあとに誤字脱字に気づいたのだが、もう遅い。

ご存知のとおり、日本の出版物はすべて国立国会図書館に保管されることになっている。

こうして、私の怠惰さからなる恥は(紀要論文なんて読む人は希少だが)広く世界に発信され、まるで樹液に呑まれ琥珀となった哀れな昆虫のように、永遠にその姿を晒しつづけることになったのである。

爾来、私は反省し、「校正は絶対、紙でやろう」と固く心に決めたのである。

校正とは自らの恥と向き合う作業である。

主審の先生方や出版社の担当者から間違いを指摘されたり、厳しいツッコミを受けることもある。

ときに恥ずかしい思いをすることになる。

とはいえ、間違いを改めないのはさらに恥である。

ところが私は器量が狭い人間である。

他人から「あなた、ちょっとここ間違っていますよ」と自分のバカを指摘されるのが死ぬほど嫌いなのである。

嫌いなのであるが、自己のいたらなさに対する他人の指摘を「ふざけんな、てめー誰にもの言ってやがんだ」と返すのは、誰がどう見てもバカである。

だから、たとえ腹の中で恥辱が煮えくり返ろうとも、できるだけ笑顔で「あ、ほんとうですね。ありがとうございます」と返し、問題を改めるように心がけているのである。

しかし、できることなら自分のバカを他人から指摘されるなんて不愉快な思いをしたくはない(わざわざ私のバカさ加減を教えてくれた親切な方にも不愉快な思いをさせたくない)。

私が思うに、そのための方策は3つある。

ひとつは「何も表現しない」という超消極的対策であるが、これは人“に”話したり(人“と”ではない)人に自分が書いたものを読んでもらうのが好きだという私の性分を鑑みると採用できない。

なので、私に残されたのは以下の2つである。

つまり、自分の表現を発表する前によくよく自己チェックを重ねること、そして、すでに発表してしまった自分の表現の間違いやバカなところに他人より先に自分で気づき、改めることである。

前者は当たり前として、後者にはなかなか教育的な効果がある。

まず、自分の書いたものに穴がないか、それを受け取った他者の視点に立って読むことができる。もちろん発表する前にも同じように「受け手の立場に立って」チェックしているつもりなのである。しかし、想像力が貧困な私の場合、「これから発表するぞ」という想定で他者の目線を借りるよりも、「もう発表しちゃったぞ」という現実に則って実際に一受け手として自分の文章を眺めたほうが、より効果的なのである。

これは自分の書き物を眺める視点を増やす訓練になる。

つぎに、そうやって受け手の立場から「目を皿にして」自分の文章を読んでミスやバカを発見しておけば、他人からツッコミを受ける前に覚悟することができる。つまり、「あなたバカですね」と言われることに対して、心の用意ができるのである。

他人から否定的なことを言われる前に、自分で自分を「まったく、おまえさんはバカだね。今度から気をつけな」とか「これ、面白いと思って書いたんだろうけど、すべってるよ。まあ、次はうまくやろうね」と叱ったり注意したりしておくのである。

そうすれば、いくら「ここ間違ってますよ」とか「これ、面白くないですよ」とか言われても、「ああ、そうですね。これはほんとうに困りますね、すみませんでした。ご指摘ありがとうございます」と素直に頭を下げることができるのである。

頭を下げている割に文言がやたら他人事なのは、それが「過去の私」の犯したミスに対する謝罪だからである。

世の中にはなかなかすんなりと自分のミスを認めない人間がいるが、私が思うにその人間のなかには「いま、ここ、私」しかいないのである。

「過去の私」がいないから、過去のミスを認めない。

「未来の私」がいないから、過去のミスを認めないことが将来的に及ぼす影響について考えられない。

そしてこのような人間には、じつのところ「今の私」もいないのである。

というのも、「今の私」とは、「過去の私」や「未来の私」を想定できる主体、「過去の私」や「未来の私」の責任を代って引き受けられる主体のことを指すからである。

「過去の私」や「未来の私」を想定せず(できず)瞬間瞬間にものを考え行動する人間は、その瞬間瞬間=過去の自分がもたらした行為結果の責任などとる気はない。未来の責任なんてなおさらである。

ようは単細胞生物と同レベルの反射的思考で生きている。

このたぐいの人間は、一見すると「俺の好きなようにやるぜ」と(ある意味では)主体的に生きているように見える。

しかし、実は主体である「私」が決定的に欠けているのである。

彼ないし彼女にあるのは瞬間瞬間の「俺」だけである。

「俺」に責任なんて説いても無駄である(聞く耳持たないから)。

というようなことを書く気なんてなかったのだが、気づけばこうして書いてしまった。

うーむ。

これもうっかり脱線してしまった「過去の私」から受けとったバトンを発展させた結果なのだ。

なんて無駄話ばかりしている場合ではない。

期末テストの採点をしなければ。

ということで、ひとりきりの事務室で集中して仕事。

2時過ぎまで採点。

気分転換&食事&散歩のため、外へ。

朝から吹いていた強風はすっかり収まり、日差しが優しい。

いつもの麺屋へ行く。

私にはいちどハマると数週間同じものを食べつづける傾向がある。

この傾向は書き物作業に没頭しているときはとくに強まる。

脳が余計な思考を省き、その全ポテンシャルを書き物作業へと向けているのだろうか。

別にそんなに大したこと考えているわけではないのだが。

そんなことを考えながら“羊肚面”(羊の臓物麺)をずるずるとすすり、いつもの川沿いをぐるりと回って大学に戻る。

「あーめんどくせ」「うーやりたくね」「こんな良いお天気の日に俺は何やってんだ」などと呻きつつも、なんとか「日本語視聴説Ⅰ」の採点をほぼ完了したのは夜の7時すぎ。

論述問題が残ったが、これは頭をスッキリさせた状態で採点したほうがいいので明日にまわす。

戸締まりと火の元の点検をしっかりとして帰路に着く。

近所のコンビニで買って帰った缶ビールとホットスナックで夕食を済ます。

シャワーを浴びたあと2009年秋の『世にも奇妙な物語』、「夢の検閲官」を見てたら眠くなったので、日付が変わるころに寝る。

 

30日(金)

9時起床。

よく寝た。

昨日印刷して持って帰ってきた初稿(A4で250枚、けっこう重い)を持って大学へ。

途中、先週の日記にも登場した、キャンパス内に棲みついている白い野良猫に出会う。

一昨日までは確かに存在した彼の“家”が跡形もなくなっている。

大学が片付けてしまったのか。

それとも昨日の強風で吹き飛ばされてしまったのか。

いずれにしても彼は家を失ったわけである。

かわいそうに。

ご存知の方はご存知だろうが、中国の大学は全寮制であり、ほとんどの大学はキャンパス内に学生寮を備えている。

つまり、学生諸君は授業が終わってもキャンパス内で生活をしているわけである。

なかには食べ物を食堂から持ち出したり自分で買ってきて野良猫たちに恵んであげる学生(女子が多い)もいて、キャンパス内には野良猫が増えるわけであるが、逆に言えば、学期が終わると学生たちはふるさとに帰ってしまい、餌を恵む人間がいなくなるわけであり、野良猫たちにとっては食料の確保が文字通り死活問題となるのである。

まだまだ冬は寒い。

頑張って春を迎えてほしいものである。

猫の心配をしている場合じゃない。

成績処理を終わらせなければ。

コーヒーで気合をいれ、集中して仕事。

とりあえず3年生「視聴説Ⅰ」の論述問題が残っているので、それを今日中に終わらせよう。

「視聴説」という授業は日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、映像を視聴し、その内容に基づいておしゃべりする授業のことである。

私の場合、最近は基本的に教科書を使いつつ(自分が主審を務めた教科書だから責任があるし)、ときどき長めのビデオをお見せして、それぞれの考えや意見を聞くことが多い。

で、この論述問題では、その能力を問うのである。

ちなみに今回出したのは、こんな問題。

 

①ビデオの内容を適切に要約し、②ビデオの内容と閲読文を関連づけるテーマを設け、③そのテーマについて考えを書きなさい(常体・横書き・字数不問)

 

閲読文

 僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナル(原创)である」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。

 

(1) ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。

(2) そのスタイルを、自らの力でヴァージョンアップ(更新换代)できなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的内在的な自己革新力を有している。 

(3) その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化(化为标准)し、人々のサイキ(精神)に吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

 

 もちろんすべての項目をしっかり満たさなくてはならない、ということではありません。(1)と(3)は十分クリアしているけれど(2)はちょっと弱い、というケースもあるでしょうし、(2)と(3)は十分クリアしているけれど(1)はちょっと弱い、というものもあるでしょう。しかし「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本的な条件になるかもしれません。 
 こうしてまとめてみるとわかるように、(1)はともかく、(2)と(3)に関してはある程度の「時間の経過」が重要な要素になります。要するに一人の表現者なり、その作品なりがオリジナルであるかどうかは、「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」ということになりそうです。あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて(突然登场)、世間の耳目を強く引いたとしても、もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、あるいは飽きられてしまったとしたら、彼なり彼女なりが「オリジナルであった」と断定することはかなりむずかしくなります。多くの場合ただの「一発屋」で終わってしまいます。 (中略) 
 あらゆる表現者がおそらくそうであるように、僕も「オリジナルな表現者」でありたいと願っています。しかしそれは先にも述べたように、自分ひとりで決められることではありません。僕がどれだけ「僕の作品はオリジナルです!」と大声で叫んだところで、あるいはまた批評家やメディアが何かの作品を「これはオリジナルだ!」と言い立てたとことで、何がオリジナルで、何がオリジナルではないか、その判断は、作品を受け取る人々=読者と、「然るべく経過された時間」(必须经历的时间)との共同作業に一任するしかありません。作家にできるのは、自分の作品が少なくともクロノジカルな(按发生时间顺序排列的)「実例」として残れるように、全力を尽くすことしかありません。つまり納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のあるかさ(分量,体积)をつくり、自分なりの「作品系」を立体的に築いていくことです。     
          村上春樹『職業としての小説家』第四回「オリジナリティーについて」より。

    なお、出題に当たり一部加工した。

 

問題はここまで。 

ご覧のように、私はビデオをお見せするだけではなく、そのビデオの内容とは一見関係がないように見えるけれどじつは関連している閲読文を与え、両者を関連付けながら自分の考えを述べていただくことが多い。

この「一見関係がないように見えるものを関連付けながら考える」能力って、とても大切だと思うからである。

今回お見せしたのはNHK「仕事の流儀」から「花屋 東信」。

有名な方である。

彼からはオリジナリティについて学ぶことが多いが、そこに村上春樹が考える「オリジナルである3条件」という補助線を引くことで、学生さんたちに「オリジナルとは何か」について考えていただこうとしたわけである。

で、いまその答案を読んでいる。

内容は別として、ひとつ「ん?」と思った答案があった。

日本語の問題である。

というのも、このような1文に出会ったからである。

 

 東さんはいろいろな大変な出来事に耐えてから、ようやく成功した。

 

うーん。

なんか変。

「~から…」と「~あと(で)…」の使い分けに問題がありそう。

日本人にはなかなか理解できないが、この「~から…」と「~あと(で)…」の使い分け、外国人学習者にとってけっこう難しいのである。

以下、確認してみよう。

まず、2つの共通点から。

「~から…」「~あと(で)」は、どちらも時間的前後関係を示す表現である。

つまり、前にくる内容は後の内容より時間的に早い内容である。 

例文で確認する。
 
(例1) 料理の本を読んでから買い物に行く。
(例2) 料理の本を読んだあと買い物に行く。 
 
ごらんのように、(例1)(例2)ともに、前件「料理の本を読む」が後件「買い物に行く」より時間的に先立つことを示している。
以上は共通点。 

以下は違うところ。 

「~から…」を使うときに前にくるのは、後の内容が成り立つために必要である(と発話者が見做している)条件である。この働きは「~あと(で)…」にはない。 

たとえば、

 
(例3) 日本語をマスターしたあと、日本へ留学に行く。
(例4) 日本語をマスターしてから、日本へ留学に行く。 
 
(例3)は単純な時間的前後関係を示している。

しかし(例4)では、後ろの「日本へ留学に行く」ために「日本語をマスターする」必要があるという発話者の認識が表現されている。 

これが「から」の個性である。
以上を踏まえて、最初の(例1)(例2)をもういちど確認する。 
 
(例1) 料理の本を読んでから買い物に行く。
(例2) 調理の本を読んだあと買い物に行く。
 
 
意味するものの違いがお分かりだろうか。
(例2)は単純に時間的前後関係を示している。
しかし、(例1)からは、発話者が「買い物に行く」ための条件として「料理の本を読む」が必要だと認識していることが読み取れるのである。
おそらく、これから料理を作るので、「料理の本」で必要な材料や道具を調べたあとに「買い物」に行きたいということだろう。

これが「~から…」と「~あと(で)…」の違いである。 
以上は基本である。 
以下は発展である。
私の最初の「ん?」に戻る。

再度確認するが、問題は次のような文であった。
 
(例5) 東さんはいろいろな大変な出来事に耐えてから、ようやく成功した。 
 

うーん、やっぱり違和感を覚える。

その正体はなんだろうか。
ここは「から」ではなく「あと」を使ったほうが自然だ。
たしかに、さっき確認したように、「から」は単純な時間的前後関係ではなく、後ろの内容が成り立つために発話者(書き手)が必要だと考える条件を前で提示する。
だから、「から」を使うことで後件「ようやく成功した」の必要条件「いろいろ大変な出来事に耐えた」を持ってたという理屈は理解できる。
たしかに。
実際問題、「成功する」ために「いろいろな大変な出来事」に耐えることが必要な時もある。
その認識も正しい。
だから、この文を書いた学生さんが、「成功するためには、いろいろ大変な出来事に耐える必要がある」と考えてこの文を作ったことには筋が通っている。
私はそう思う。
しかし、である。
問題は(例5)の主語は「東さん」なんだよね。
ようは他人である。

仮に主語が発話者自身で、「私はいろいろ大変な出来事に耐えてから、ようやく成功した」と書くのならば、なにも問題はない。
げんに(例1)(例4)はすべて主語=発話者自身だった。

けれど、(例5)は違う。

これが違和感のもとだと私は思う。

では、なぜ主語が他人の場合はおかしくなってしまうのか。

おそらく、他人の意図は発話者にはわからないからである。
つまり、「東さん」がわざわざ意図的に「よし、将来成功するために、これからいろいろな大変なことに耐えることにするぞ!」と考えて実行したのかどうかは、答案を書いた学生さんにはわからないのである。
だから、私は「ん?」と引っかかるのだと思う。
なので、ここでは「あと」を使ったほうがいい。
 
(例6) 東さんはいろいろ大変な出来事に耐えたあと、ようやく成功した。
 
もし学生さんが「東さんの成功は彼がいろいろ大変な出来事に耐えたことのおかげだ」と言いたいのならば、 
 
(例7) 東さんはいろいろ大変な出来事に耐えたからこそ、最終的には成功した。 
 
このように、客観的な因果関係を示す表現を使って書いたほうがいい。 
まとめると、「~から…」と「~あと…」を使い分けるときは、基本的な違いを理解したうえで、主語が発話者自信なのかどうかも注意したほうがいいということです。 
気をつけましょうね。

 

「ん?」が解決したので採点を続ける。

すると今度は「おおおお! こ、これは…」と思わずつぶやく答案に出会う。

答案は個人情報だから詳しいことは書けないが、この答案にはオリジナリティを語るうえで外せない、大切なキーワードが正しく指摘されている。

すごい。 

すごいので、学生さんに褒めメールを送る。

こんな感じ。

 

きみのこの答案、とてもいいと思います。

閲読文にも書かれていない(書かれていないだけで村上春樹はもちろん知っているとおもいますが)、オリジナリティに関する大事なキーワードを、きみは書いています。
そのキーワドがなにか、わかりますよね?

「誤解」です。

この「誤解」があるからこそ、作者が有するオリジナリティは豊かなものになるのです。
というのも、オリジナリティとは作者そのものに有するものではなく、作品を媒(なかだち)として作者と受け手の間に成り立つものだからです。

そして、その成り立ち方が受け手によって多種多様であればあるほど、その作者のオリジナリティーは豊かで深いものとなるのです。

だから、きみが言うように、表現を志す者・自分のオリジナリティを探求するものに最も必要なことは、「誤解される勇気」なのです。

 

 

ほんとうはもっといろいろ書いたのだけど、一部だけ。

論述問題を採点していると、こうやって「おおおお、この回答頭良いなあ、おい!」と思わずつぶやいてしまうことがたまにある(ほんとうに「たまに」だが)。

赤ペンでグイグイ下線を引いて心に刻んでしまう、そういう「かっこいい」答案が出てくることが稀にある(「稀に」だが)。

これは教師としてほんとうに心躍る出来事である。

この「たまに」「稀に」を少しでも増やすために、つまり一受け手としての私の感動の場をもっと増やすために、私は一教師として何ができるか。

考えなければいけない。

 

 

朝から何も口にせず2時すぎまで身じろぎせず採点していたので、さすがに空腹を覚える。

いつもの“羊肉湯”屋へ。

このお店、ほんとうに美味しいから最近ずっと通っているのだが、ひとつだけ不満がある。
というのも、なぜか老板(中国語で店の主人のこと)が私の“小碗”(xiao3wan3)という発音をいつも聴きとれないのである。
いくら私の中国語が下手くそとはいえ、さすがに“小碗”が通じないなんてことは今までなかった。
一般的に外国語の発音がとつぜん上手くなったり下手になったりすることは考えにくい。

なので、たぶん私の中国語の発音と彼の耳の相性が最悪なのだろう。
彼のスープと私の胃袋の相性は最高なのに。

なかなかうまくいかないものである。

大学に戻って7時まで採点を続ける。

なんとか今日のノルマを達成。

残りはあと1教科だが、これは土日で片付けよう。

とりあえず今週の労働はここまで。

先週も訪れた居酒屋へ行き、ジョッキで生ビールを飲む。

浦沢直樹『Monster』でグリマーさんが言っていたように、人間が人間らしい心を保ちながら生きるためには、人は仕事が終わったあとのビールをうまいと思わないといけないのである。

うん、うまい。

一週間の労働で疲れた心身に染みるし沁みる。

2021年最初の満月を眺めながら、酔いを覚ますために大学の周囲をぶらぶら散歩。

1時間ほどで切り上げ帰宅。

シャワーを浴びてベッドに転がった瞬間、一週間の疲れに襲われてブラックアウト。

おやすみなさい。

テスト嫌いについて

1月28日

8時過ぎに起床。

久々の青空だが、窓の外では冬の冷たい風が乱舞している。

会社へ向かう人々がマフラーを風で持っていかれないようにしっかり押さえながら急ぎ足で歩いている。

ううう、寒そうだ。

このまま暖かい布団の中でゴロゴロして過ごしたい。

ご案内のとおり、期末テストは先々週終わり、私はとうに冬休みに入っている。

したがって、ゴロゴロしたいなら好きなだけすればいいのであるが、暖かいベッドから身を剥がし、しっかりと着込んで大学へ向かう。

というのも、5日後に提出締め切りを迎える期末テストの採点がまだ2教科残っているのである。

はあ、めんどくさい。

そんなことを考えているうちに到着。

事務方の職員さんたちはまだ出勤日であるが、日本語学部のオフィスには誰もいない。

きっと成績なんてとっくの昔に提出されたのだろう。

貸切状態の事務室にてひとりきりで学生さんの答案に向かう。

赤ペンでカリカリと採点しながら、ふとテストについて考える。

『ドラえもん』におけるのび太の言動から察するに、世間一般的に言えば、子どもたちにとってテストとは嫌いなもの、関わりたくないもののようである。

また、『ハリー・ポッター』シリーズのロン・ウィーズリーを見ればわかるように、テスト嫌いは洋の東西を問わない「学生の常識」らしい。

じっさい、私の学生さんたちもテストが嫌いな方がほとんどのようである。

私の学生時代を振り返ってみれば、正直、テストはどうでもいい存在だった。

私は基本的に成績なんて気にしていなかったからである。

別に成績がとびきり良かったからではない。

私の両親が私のテスト結果について、いっさい何も尋ねてこなかったからである。

とはいえ、もしかしたら私の父や母は息子に「テストどうだった?」と尋ねていたのかもしれない。

しかし私はさっぱり覚えていないのである。

少なくとも、テストの成績で叱られたりしたことはないのは確かである(重ねていうが別に私の成績が特に優れてよかったからではない)。

親に叱られることがないとわかっている以上、成績が良いか悪いかなんて私にとっては些細な問題だったのである。

そうやって高校3年生になったある時期から、受験を控えている息子に対してあまりに何も聞いてこない両親に対して、さすがに私も不気味さを覚えるようになった。

第一、安くない模試の受験料を毎回払ってくださっている「スポンサー」に対して、その結果を開示しないのもいかがなものか。

こうして私は自分から親にテストを見せる子どもになったのである。

そればかりではない。

私はトイレに張ってあった月めくりカレンダーの裏紙を利用して、各科目における偏差値の推移を折れ線グラフにまとめ、台所に貼りだした。

そして、私の成績(5教科7科目)がいかなる現状にあり、今後どのような推移が予想されるか、家族のみなに閲覧可能な状態としたのである。

なぜわざわざそのようなことをしたのか。

考えてみれば、親だってあえて「何も訊かない」だけで、べつに「どうでもいい」わけじゃあるまい。

聞きたいけれど、デリケートな時期の息子に気を使って聞けないだけなのかもしれない。

ある日そう気づいた息子は、自らの父母の苦しい胸の内を慮り、あえて自らの成績を開示するに至ったのである。

これを成長と言わずしてなんと言おうか。

まあ、今思うと「なにやってんだ」と思わないでもないが、あれはあれで親を安心させるための私なりの孝行心だったのだよ。

話を本筋に戻すけれど、ようするに学生時代の私にはテストに対する忌避や嫌悪はなかったということである。

先に述べたような(おそらく世間一般からすれば特殊な)家庭環境もあり、私は毎週放映される『ドラえもん』を見るたびに「ふーん、そんなもんなの?」と不思議に思っていたわけである。

かといって、別に私はテストが好きだったわけではない。

私にとってテストとは盆と正月だけ顔を合わせる親戚の兄ちゃん程度の存在に過ぎなかったのである。

 

「よっ、久しぶりだな」

「あ、来たの? 久しぶりだね。痩せた?」

 

そんな感じである(お分かりだろうか)。

学生としての私とテストの関係は、ようするにそんなものだった。

好きでもないし、嫌いでもない。

きわめてニュートラルな関係だったのである。

しかし私が教師になるとテストとの関係は一変した。
私はテストを憎みはじめたのである。

理由は簡単で、採点作業と成績処理が面倒だからである。

まるで面白くない作業だからである。

誤解してほしくないが、教師としてテストを作る作業・出す作業はけっこう好きである。

まるで女の子とのデート前日にいそいそと「どこに連れて行こうかな」「なにを食べさせてあげようかな」とプランを練る高校生のように、私はテストが近づくと「なにを聞こうかな」「どんなテーマで論述させようかな」とワクワクするのである(学生さんからしたら迷惑なだけだろうが)。

そうやって自分が作って出したテストを解いている学生さんを一望しながら自分が出した問題を自分で解いてみるのも大好きである。

実際に受検生と同じ立場になって解いてみると、「おお、この出題にはこんな秘された意味があったのか!」と気づくからである(自分が作ったのにね)。

答案を回収してオフィスに戻り、「おお!」とか「ふん」とか言いながら学生さんたちの回答を読むのも好きである。

ここまではいい。

しかし、このあとが問題である。

つまり、手元に帰ってきた答案を「正解」と照らし合わせて○×を付け、配点基準に沿って集計し、成績をはじき出す作業が私は大嫌いなのである。

ほかの先生方が一日か二日そこらで終えるこの作業に、なぜか私はいつも10日前後かかってしまうのである。

採点だけならまだいい。

採点が終わったあとも苦痛は続く。

まず、科目ごとに成績をまとめて、平常成績とともにWebシステムに入力・提出する。

すると、成績一覧や平均点数などの基本データ、さらには成績分布が科目ごとにデータ化されるので、それをプリントアウトする。

印刷した紙には所定のフォーマットと、命題の妥当性やら今後の教学改善案やらなんやらについて説明する欄が逐一設けられているので、必要な所見を手書きで作文しなければならない。

それが終わると、科目ごとに参考解答を作成・印刷する。

そして先ほど記入した作文や学生の答案とともに一冊の冊子にまとめて、関係各所のサインをもらったうえで、学校に提出する。

ここまでしてやっと「あがり!」なのである。

私にとってはこの作業が拷問に等しい。

単純に苦痛だからである。

「これってなんの意味があるの?」という小学生的疑問が私に襲いかかるのである。

もちろん私のこの疑問はあくまで社会を知らない小学生的疑問であり、実際にはこのような事務処理には重要な意味があるのだと思う。

しかし、「これには意味があるのだ」とわかったところで自分が興味を持てない物事に対してはちっともやる気が出ないのが私の悪癖である。

学生のときだって、「これは試験にでるぞ」とか「これが理解できないと大学に行けないぞ」とか、つまり「これには意味があるんだぞ」という教師の説明(という名の脅し)はまったく響かなかった。

だって興味がわかないのだから。

いくつになっても根本的な性格は変わらないものである。

仕方がない。

仕方がないが、こうして大学からお鳥目を頂いて口を糊している以上、きちんとやるべきことはやらなければならない。

それは意味があるかないかとか、楽しいか楽しくないかとはまったく別の話である。

もういい大人なんだから、そのくらいはわかっている。

でも、「嫌いなもんは嫌い」もまた真なり。

こうして私はテストが嫌いになったのである。

一方、学生諸君にとってテストとはいかなる存在か。

テスト前の試験勉強が如何に大変だろうと「出したら終わり」ではないか。

なんと気楽なことだろう。

私が寒風吹きすさぶなかこうしてわざわざ大学に出て来てカリカリと赤ペンを走らせている今も、学生諸君はどこかで「あはは」「うふふ」と冬休みを満喫している。

そう想像すると、私の心は羨望と嫉妬で狂いそうになる。

羨望と嫉妬はやがて理不尽な怒りへと形を変え、腸が煮えくり返り、赤ペンを握る右腕がわなわなと震えだす。

これでは公平公正な成績審査に支障をきたすので(まあこれは冗談だけど)、採点などしてはいられない。

頭を冷やすためにも外の空気を吸いに行くことは避けられないのである。

結果として取り組みの割には採点に時間がかかり、私のテスト嫌いは拍車がかかる一方なのである。

あー。

テスト嫌い。

おいらも遊びに行きたいぜ。

思わずため息が漏れる。

そう、ご賢察のとおり。

私は現在、テストからの逃避としてこの文章を書いているのである。

早く終わんねーかな。

あーあ。

……。

天気もいいし、ランチがてら散歩行ってこよっと。

雑記(1月23・24日)

23日(土)

8時起床。

カップスープを飲みながら、教科書の最後に載せる「参考文献一覧」を作成する。

今回の教科書を作る途中、数多くの文献や先行教材に目を通した。

一部は直接引用し脚注で出典を明記したが、あくまで自分で考えるときの参考とした文献はこうして最後に著作者とタイトルを挙げておく。

そうすることで、お世話になった先行著作者への敬意・感謝の意を示すとともに、学習者や教師への情報提供とするのである。

中国で出版される日本語教育関連の教材の中には、この「参考文献一覧」を省略しているものも多い。

ひどいものになると、先行教材から例文や練習問題を無断引用しておきながら出典を明かさないものだってある。

さらにひどいものになると、そうやって無断引用している教材から重ねて無断で“孫引き”しているものさえあるのだ。

そういうのってどうかと私は思うぞ。

先日目にしたとある作文教材は凄かった。

というのも、その教科書は過去20年間に出版された日本語作文関連の教科書からの無断引用だらけなのである。
私が見た限り、例文の8割近くは他所から出典の明記なしに持ってきたものである(私はこの2年間、日本語作文関連の先行教材に目を通しまくっているのですぐにわかるのだ)。
しかもそれでいてタイトルで“新時代”を名乗っているのである。
いったいなんの冗談かしら。

「開いた口がふさがらない」とはこのことである。
この教科書、前言では「編集の途中で国内外の数多くの教材や著作を参考にした。心から感謝したい」的なことを書いている。
あのさ、辞書で一回“参考”って言葉を引いてみなよ。
参考っていうのは、何かを自分なりに達成するための“一助”にすることなの。
そのために何かを引用するのは許される。

だけど引用ってのはあくまで自分の記述の“従”に過ぎないものなの(いうまでもないがそれぞれ引用につきその引用箇所の出典を明記しないなら引用ではなく剽窃だ)。
“参考”にしても“引用に”してもあくまで主体は自分なの。
そんなこともわからないでものを作っているの?
この某教科書の編者たちに言いたいことはまだある。
前言には「足りないところがあるため、いろいろな間違いや問題がある広くご指導・ご叱責を〜」的な、“ザ・前言の定型句”が書かれている。

けれど、自分に足りないものがなにか、この編者たちは自分でわかっているのかしら。
知識じゃないよ。
技術でもない。
矜持だよ。
「他人の作品を無断でかき集めて出版するなんて恥ずかしいことしたくないから、たとえつたない出来栄えになったとしても、自分で頑張ろう」って心構えだよ。
それなしにどうやってものを作るのさ。

それなしにどうやって作文を教えるのさ。

まったく、もう。

ってな小言を言いつつ、黙々と「参考文献一覧」を作る。

これらの先行作品がなければ、私の教科書はありえなかった。

「ありがとうございました」と心でつぶやきながら、作業をするのである。

 

昼になったので、いったん作業を切り上げ、リュックいっぱいの先行教材とタブレットを持って近くの喫茶店へ。

この一週間分の日記を書き、ブログにアップする。

その後、コーヒーを飲みつつ、持ってきた先行教材に目を通す。

今作っている教科書が無事に出版されたあとにはまた他の企画が持ち上がっている。

そのための下調べである。

蛯原正子・苑崇利《大学日语写作教程》(外语教学与研究出版社、2006年)にぱらぱらっと目を通す。

コラムで「使うときに注意する語句」と題し、さまざまな蔑視語をリストにして紹介している。

「ふむふむ」と眺めていて、あることに気づく。

私が愛用する「バカ」が入っていないのである

なぜだろうか(ちなみに「低能」は入っている)。

しばらく考えて気づく。

あ、そうか。

「バカっていうやつがバカだから」だ。

バカっていうやつには好きなだけバカっていわせておけばいいのである。

そいつがバカなんだから。

なるほど。

あはは。

それはともかく、「バカっていうやつがバカ」という格言を知りつつも、私が「バカ」とあえて口にするのはそれ相応の理由があるのだ。

機会があればお目にかけようと思うが、気分がのらないのでまた今度。

 

5時過ぎまで作業して家に帰る。

晩御飯を食べてシャワーを浴びたら眠くなったので、まだ9時すぎだけど就寝。

おやすみなさい。

 

24日(日)

前夜早く寝たので5時に目が覚める。

大きなマグカップにコーヒーを淹れ、昨日作った参考文献一覧を確認したのちO主任に送信。

そのあとに昨日アップしたブログをチェックし、誤字脱字を訂正する。

気づけば9時。

今日一日は何も予定がないので、なんとなくアニメ『けいおん!』を見る。

唯ちゃんがギー太の弦を交換するシーンを見て、セミアコの弦を半年以上張りっぱなしだったことを思い出したので、弦を替えることに。

よく見ると1弦と2弦が真っ黒に錆びている。

ごめんよ。

古い弦をぱちんぱちんと切ってちゃっちゃと交換。

ついでだから、弦高が高くて引きにくさを感じていたアコースティック・ベースのサドルをサンドペーパーで削って調節。

このセミアコとアコベは去年のコロナ禍による自宅待機期間中の無聊を耐えしのぐために手に入れたものである。 

うん、どちらも弾きやすくなった。 

そうこうしているうちに時計の針は1時に差しかかっている。

散歩に出ることに。

ダッフルコートに分厚いマフラーを巻いて外へ。

蝋梅のつぼみがほころびはじめている。

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春が着実に近づいているのだと実感。

買い物客で賑わう下町の路地や市場を抜けて南淝河へ。

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この時期になると路上のいたるところで苺を売っている。価格はだいたい500gあたり250円~300円ほど。


休日とあっていつにもまして賑わう川に沿って歩く。

あてもなく2時間近くぶらぶらする。

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「水深が深いから近づくな」と警告する看板。去年7月の豪雨のときにはこの看板も水面下に沈んだ。

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スマホの歩数計を見ると17000歩ほど歩いた計算になる。
さすがに疲れたので地下鉄に乗って帰ることに。

合肥の地下鉄は3年前に開通し、年々路線が増えて便利になっている。

料金も2元程度(32円ぐらい)と安いので助かる。

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帰宅。

手を洗い、台所に立って味噌汁と“剁椒鱼头”(ドウジャオユートウ)を作る。

“剁椒鱼头”とは、2つに開いた魚の頭に醤油やオイスターソースで下味をつけ、にんにく・しょうがのみじん切りと刻んだ赤唐辛子を載せて蒸した、湖南省の料理である。

日本では中国の“激辛料理”といえば四川料理が有名だが、個人的には湖南料理のほうが辛い。

四川の辛さは花椒が効いた“麻辣”(マーラー)だが、湖南は唐辛子の辛さが引き立つ“香辣”(シャンラー)である。

四川の辛さは「舌がしびれる」が、湖南料理は「唇が腫れる」辛さ。

とくに青唐辛子の辛さを強調した料理ときたら、ほんとうにお腹を壊すんじゃないかと思う(実際に一度壊しかけたことがある)ほどである。

とはいえ、私は湖南料理も好きである。

とくにこの“剁椒鱼头”は大好きなので、自分で辛さを調整しつつ作るのである。

重慶の白酒“江小白”と一緒に頂く。

うまい。

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お腹が膨れたので、シャワーを浴びたあとベッドに入り、映画『クライマーズ・ハイ』を見る。

堺雅人が若い。

悠木(堤真一)が後輩の佐山(堺)・神沢(滝藤賢一)の現場雑感を編集部上層部の嫉妬で落としてしまったあたりで眠くなったので、おやすみなさい

 

 

 

 

 

雑記(1.16~22)

1月16日(土)

8時過ぎに起きて学校へ。

校門の入口に「コロナ禍はまだ終わっていないんだから、くれぐれも油断すんなよ」(意訳)と書かれた横断幕がかかっている。

昨日で期末試験が終了したこともあり、校門にはさっさと実家へと帰る学生さんが列をなしている。

離校・帰省の手続きをするためである。

今年は新型コロナの影響で、構内に入るにも出るにもいちいち手続きが必要なのだ。

めんどくさいが、状況が状況なので仕方がない。

とりあえず、3月に新学期が始まるまで、しばらくキャンパスはひっそりすることになる。

 

事務室に行く。

コーヒーを淹れ、勉強をする。

授業があるときにはなかなかじっくりと勉強できないからである。

嬉しい。

心底嬉しい。

これで24時間、好きなときに、好きな場所で、好きなもの・好きなことを、好きなように勉強できるからである。

これは学生のときにはわからなかった幸せである。

だから、学生さんが「はあ? なんで冬休み早々勉強してるんだよ」という困惑顔をするのは当然なのである。

私だって働き始めて気づいたんだもの。

学生さんのなかには「教師は休みが多いから私も教師になりたい」という人がときどきいる。

あのね、教師に休みが多いのは好きなだけ勉強するためなの。

自分が学ばない人間がどうして人“を”教えられようか(人“に”じゃないよ)。

そこを誤解しないように。

勉強嫌いが教師になると、その人にとっても学生にとっても悲劇だからさ。

閑話休題。

私の長期休暇の過ごし方はいつも同じである。

朝、自然に目が覚める。

いそいそと身支度をして大学に行く。

まずはお湯を沸かし、コーヒーを挽いて粉にして、大きなマグカップいっぱいに熱々のブラックコーヒーを作る。

机に向かう。

パソコンの電源をいれ、ペンと紙を準備する。

予定も計画もない。

とりあえず、なんてなく、ぽっと頭に浮かんだ自分の興味あることから手元に引き寄せてみる。

すると、そこには自分には「わからない」ことがある。

「わからない」はたいてい「知らない」とセットなので(そうじゃないときもあるが)、調べ物をしたり、沈思黙考したり、自分の考えをメモしたりする。

しばらく「うんうん」唸る。

そうしてしばらく唸っているうちに、私の頭のなかで、私の頭のなかのドアを、私の頭のなかの誰かが、“トントン”とノックするのである。

で、その誰かは私が返事もしないうちに勝手にドアを開けて部屋に入ってくる。

“ガチャ”「よっ!」って。

それが「わかった」瞬間である。

「わかった」瞬間はいつも突然訪れる。

その瞬間がとても楽しいのである。

あまりに楽しすぎて、ひとりで「おお、俺って天才じゃね?」と呟く(もちろん勘違いなのだが)。

しかし、ふと気づく。

この「わかった」は新たな「わからない」と手をつないで登場したのである。

この新たな「わからない」は最初の「わからない」とは分野も種類も違う。

だから、さっきとは違うところで調べ物をして、さっきとは違うテーマについて沈思黙考して、さっきとはぜんぜん違う文体でメモをとる。

そしたら、また「わかった」が“ガチャ”っとやって来る。

そしてその「わかった」は新たな「わからない」と(以下略)。

そうしているうちに気づけばもう昼過ぎ。

「そういえば朝から何も食べてなかったな」と気づく。

冷静になって机の上を見てみると、テーマも分野も難易度も異なる文献が散乱している。

パソコンのディスプレイには、種類もジャンルも異なるwebページが無秩序に開かれている。

めちゃくちゃである。

しかし、その「散乱」「無秩序」「めちゃくちゃ」こそが、つまり一見バラバラに点在する「わかった」を結んだ線こそが、私が「わかる」ために辿った軌跡なのである。

それはたしかにぐにゃぐにゃと紆余曲折しているが、自分の足で導き出した「わかった」の道なのである。

自分の足で歩いてきたわけだから、引き返すことができる。

まるで光る石を拾い拾い森を抜けるヘンゼルとグレーテルのように、「わかった」と「わかった」を結びつけながら、さっき辿ってきた道を引き返す。

そしてまた逆向きに辿りなおす。

これを何度も何度も繰り返すうちに、点在する「わかった」は「わかる」という線になる。

最初は曲線だったり歪な線だったりするが、それでも「わかる」には違いない。

あとは、その道のりをどんどん短く・まっすぐする訓練と(ロジックの構築)、そこで見えた風景を別のイメージに置き換える訓練を積むだけである(メタファーの洗練)。

この経験を積めば積むほど、「わかった」ものについて簡潔な説明ができるようになるし、あえて回りくどい説明をすることができるようになる。

自由自在である。

「わかっている」とはそういうことである。

ね。

これってまさに「学び」や「わかる」についての、私なりの回りくどい説明でしょ?

あら、気づけばコーヒーが冷めちゃってるわ(まだ一口も飲んでいないのに)。

ま、いっか。

私は今年34になる。

教師になって8年目である。

しかし、未だに「なんで勉強するのか」わからない。

少しは「わかっている」。しかし、少ししか「わかっていない」のである。

その少しの範囲で、という限定をつけたうえで、ひとつだけ確信を持って言えることがある。

それは「学ぶのは楽しい」ということである。

私のこの楽しさだけは説明する必要などない。

「楽しい」は理屈ではないからである。

単純に「楽しい」と感じるから「楽しい」のである。

ああ、勉強って楽しいな。

 

この日勉強したのは日本語の「なんといっても」について。

学生さんの作文でときどき違和感を覚える「なんといっても」を見かけるので気になっていたのである。

たとえば、「本を読む目的は人それぞれだ。なんといっても読書には意味がある」。
この「なんといっても」はおかしい。 
私だったら「いずれにしても」を使う。
なぜこのような「なんといっても」が出てくるのか。

わからない。

とりあえず、中国の大手検索エンジン“百度”を使って「なんといっても」を調べてみる。

すると、百度が提供している機械翻訳サービスの結果がトップに表示される。

 

 

ああ、なるほど。 

頭の片隅にずっと引っかかっていた疑問の原因が、やっとわかった。
学生さんの「なんといっても」って、中国語の“无论怎么说”“不管怎么说”の直訳だったのである。 

たしかに直訳すれば「なんといっても」で正しい。 

けれども、意味や用法から見ると問題がある。 

というのも、中国語の“无论怎么说”“不管怎么说”が使われる場面は「なんといっても」より幅広いからである。 

例文で確認してみよう。 
 
(例1)无论怎么说先做了再说。/とにかく、まずはやってみてから言いなさい。
(例2)不管怎么说,恋爱是每个人与生俱来的权利。/誰がなんと言おうと、恋をすることは人が生まれながらに持つ権利である。
(例3)人活一辈子,无论怎么说家人才是最重要的。/人生を送るうえで重要なものは、なんといっても家族だ。 
 
ほらね。 

文意に応じて「とにかく」「誰がなんと言おうと」「なんといっても」などなどと訳し分けたほうが日本語らしくなる。 

もし(例1)(例2)を「なんといっても」で訳してしまうと少し違和感を覚える。 

というのも、日本語の「なんといっても」は、複数の候補からひとつを取り上げて限定・強調するという独自の役割を担った表現だからである。

だから(例3)はしっくりくるのである。 

つまり、「人生を送るうえで重要なもの」という命題の答えとして当てはまりうるさまざまな候補(やりがいとかお金とか地位とか自由とか)のなかから答えを「家族」というひとつに限定するために「なんといっても」が使われているのである。

ほかの例で確認してみよう。 
 
(例4)家族みんなで楽しむならいろいろあるけれどなんといってもBBQがいちばんだね。
(例5)日本の国民食といえば、なんといってもカレーでしょう。もちろん、寿司やラーメンもいいですが、寿司は高いしラーメンは飽きやすいです。その点、カレーは給食にも出る庶民的な食べ物だし、カレードリアやカレーうどんなどバリエーションは豊富です。 
 
このように、複雑の候補から1つを選んで限定・強調しながら何かを述べるときに「なんといっても」は使われるのである。

先に挙げた「本を読む目的は人それぞれだ。なんといっても読書には意味がある」という誤用には「人それぞれ」という相対的な単語があるので、ひとつに限定・強調する「なんといっても」ではなく、ひっくるめて評価を下す「いずれにしても」のほうが正しいわけである。
ということで、中国語の“不管怎么说”“无论怎么说”をそのまま「なんといっても」と直訳して使わないように気を付けましょうね。

 

5時過ぎに勉強を切り上げて、同じく事務室でお仕事だったO主任の車で大学近くのレストランへ。

教科書の打ち合わせを兼ねた新年会である。

主審をお願いしているうちのS先生と安外のH先生、それにほか数名の方々とともに円卓を囲み、美食美酒を堪能する。

これは大豆ではなく落花生の「もやし」である。シャキシャキしてなかなか美味しい。

穏やかな歓談から始まり、やがて酔も手伝い話が弾み始め、気が付けば54度の白酒1本に赤ワイン1ボトル、それにビール数リットルが空く。

いくらなんでも飲み過ぎである。

最後の方は歓談というより友好的な喧騒に近かった。

もちろん私もその喧騒の一部である。

喉と頭が痛い。

12時過ぎに散会、帰宅。

あまりに眠いのでシャワーも浴びずにバタンキュー。

 

17日(日)

雲ひとつない晴天。

気温は3度前後。

昨夜飲んだこともあり、遅めの起床。

熱いシャワーをゆっくりと浴びて、近くの喫茶店へ。

追加で頼まれた原稿を書くためである。 

しかし頭が働かない。

昨夜しこたま摂取したアルコールを分解するために血液が肝臓に持って行かれ脳が回っていないのであろうか。

コーヒーを呷って気合を入れるも、徐々に眠気が襲ってくる。

数時間粘ったものの、諦めて退散。

書けないときは書けない。

だって書きたくないんだもの。

そういうものである。

散歩をしながら帰宅。

早めに就寝。

 

18日(月)

 昨日さぼった分を取り返すために早めに起床。

大学へ行く。

外国語学院へ向かう途中に、学生さんたちが学内の野良猫・野良犬用に設置した“ホテル”がある。

いつ見ても“利用客”はいないのだが、この日始めて “宿泊客”を見る。

残念ながら“チェックアウト”の瞬間は撮れなかったけれど、あきらかに中で一晩過ごしたんだと思う。

だって、気持ち良さそうに伸びをしながら出てきたんだもの。 

「うーん…よく寝た」って感じの伸びをしながらさ。

 

事務室に行き、いつものコーヒーを淹れ、今日は仕事をする。

期末テストの採点である。

昼過ぎまでかりかりと赤ペンでチェックする。

13時を回るころにお腹がすいたので切り上げて食事へ。

軽く麺を食べたあと、近くの川を散歩。

おじさんたちが魚釣りに興じているのを眺めながらてくてく歩く。

大学に戻り18時まで採点を続けたあと、帰宅。

さっさと寝る。 

 

19日(火)

この日も朝起きて、大学に行き、テストを採点して、気づけば夕方。

なんだか生活に“潤い”が欠けているような気がするので、大学南門近くの居酒屋へ行って焼き鳥をかじりビールを飲む。

この店はまさに「日本の居酒屋」って感じの店構えで、安くはないがそこそこ美味しい日本料理と日本のビールを出すので、私は半年に1度ほどふらっと足を運ぶのである。

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店内は日本語でメニューが書かれた短冊だらけ(ところどころ間違いもある、縦書きなのに、たとえば「チーズ」の長音“│”が“ー”のままだったり)。
まずはジョッキで朝日を頼む。

一杯18元(約300円)なり。

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久しく串物を食べていなかったので、「ねぎま」「砂ずり」「レバー」などはもちろん、「ちょうちん」や「もちチーズ」などの変わり種も含め、どんどん頼む。

満足。

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春節が近づき賑やかさを増す街を散歩しながら家へと帰る。


20日(水)

7時半に起床。

大学へ。

事務室の窓から外を望むと、 空が灰色にくすんでいる。

スマホを見ると空気は中程度の汚染とある。

いつまでも空模様を気にしているわけにもいかないので、机に向かい採点作業。

13時半まで作業を続けたあとに食事へ。

最近行きつけの“羊肉汤”のお店へ。

中国語でいう“湯”とは「沸かした水」のことではなくて「スープ」のことである。

“羊肉汤”とは、羊の骨からとったスープを香辛料・香味野菜で風味づけし、羊肉や野菜とともに太めの春雨を泳がせた料理である。

羊は身体を温めるので、寒い時期にはぴったり。

満腹したので、いつもより長めの散歩。

“沿河道”を私立図書館に向かって少し歩く。

それにしても灰色である。

図書館の時計台が霞んで見える。

ライフジャケットを着たおじさんが乗った小舟がとことこと上流に向かっている(川面に浮かぶ葉やごみを拾う仕事なのだ)。 

水辺の風景を見ていると、天気は晴れないが気持ちが落ち着く。

20分あまりぼおっとしたあと、大学に戻って作業再開。

18時まで頑張って切り上げる。

 

21日(木)

7時40分起床。

外は小雨。

肌寒い。

10時過ぎに大学へ。

相変わらず窓の外は灰色の世界。

期末テストの採点を続ける。

 14時過ぎに昼食へ。

この日も“羊肉汤”のお店へ。

ただし、注文するのは“羊杂汤”

“杂”は常用漢字で書くと「雑」。

つまり、羊の臓物スープである。

固められた羊の血やらレバーやら胃やらがたっぷりと入っている。

羊の臭さが気になる方もいるかもしれないが、実際に食べてみるとそんなことはない。

うまし。

 

仕事に戻る。

18時で切り上げ、帰宅。

シャワーを浴び、ビーフィーター・ジンをちびちびやりながら、通算10回目になる『レオン』を見る。

家族を皆殺しにされたマチルダ(ナタリー・ポートマン)と彼女を匿うレオン(ジャン・レノ)がホテルにチェックインするあたりで睡魔に襲われ、寝落ち。 

 

22日(金)

7時過ぎに起床。

今日も外は小雨。

昨日にもまして霞空。

窓の外を仕事へと向かう人たちが傘をさしている。

カップスープを一杯飲み、身支度をして、マスクとイヤフォンを装着し、外に出る。

10時過ぎに大学着。

午前いっぱいを使って期末テストの採点(大問4)を片付ける。

途中で学生さんから昨日の採点に関する問い合わせが来る。
この学生さんが答案に「『スマホをいじる』を中国語にしては“玩手机”だ」と書いていた箇所を私は減点したのである。

どこが間違いかというと、お分かりのとおり「しては」である。

この文は「中国語でいうと」という意味なのだから、「にすると」が正解である。

学生さんのお問い合わせは、「なんで『にしては』はダメなんですか?」というものである。 

いわく「にしては」と「にしたら」の違いがわからないらしい。

なるほど。

「中国語でいうと」を「中国語にしたら」で表現しようとしたのね。

「中国語にすると」と比べると口語的だと思うけれど、意味は通っている。

で、「にしたら」と形がよく似ている「にしては」を間違って使っちゃったというわけだ。

「にしては」の意味はまったく違う。

「にしては」は中国語でいう“按……说来”である。

詳しく言えば、「にしては」とは、ある個別的主題について一般的評価と比較しながら判断・評価・説明する表現である。

例文で確認しよう。


例1:彼は年齢にしては背が高い。/按他的年龄说来,身量够高的。
例2:彼女は40歳にしては若く見える。/她看上去比四十岁年轻。


この例文の場合、「彼と同じ年代の一般身長」「40歳の女性の一般的外貌」という一般的評価を持ちだし、「彼」「彼女」という個別的主題を対比・比較させることで、それぞれ「背が高い」「若く見える」という判断・評価・説明をしているわけである。

学生さんの答案「『スマホをいじる』を中国語にしては“玩手机”だ」には、そのような意味合いが存在しない。

よって減点したのである。

それに、「中国語にしたら」という表現には他にも問題がある。

まず第一に、先に述べたように口語的な表現である。

第二に、「にしたら」には、自分とは異なる人物や集団などの立場・視点に立ちながら、何かを述べる働きがあるからだ(「にとっては」と同じような意味合いだが、「にしたら」の方が相手側に立っている語感がある)。

 

例3 :君のその言い方、彼にしたらたまったもんじゃないよ。

例4 :親心はときに、子どもにしたらうざったいだけである。

 

誤解を避けるためにも、「中国語にしたら」より「中国語にすると」もしくは「中国語でいうと」のほうが適切だ。

 

以上のようにお答えした。

すると、「先生は説明が上手ですね」「いま、完全に理解しました」とお褒めいただく。

嬉しい。

だって、それが教師という仕事の見せ場だもの。

調子に乗って、いろいろと説教をする。

せっかく褒めたのに説教をされたんじゃ、学生さんとしたら(←ほら、これ)たまったもんじゃないだろうが、そういう説教もあるのだと知る良い機会である。

ついでだからここに転載しておく。

 

いえいえ、ありがとう。
辞書の説明はあくまで辞書の説明、つまり他人の説明です。
もちろん、その内容は正しいんですよ。
けれども、結局は他人の言葉なんです。
他人の言葉だから、頭では理解ができても、身体ではなかなか受け入れにくい。
そこで使われているリズムや語意が自分の身体感覚に「しっくりこない」からです。
だから、他人の言葉をいくら暗記しても、すぐに忘れてしまう。
正確には「忘れた」のではなく(脳の中には残っています)、「自分なりに再現できない」だけなのです。
そこで、覚えた知識を身体を使って自分なりの言葉に変換する作業が大切になってきます。
私の場合、辞書の説明を読むだけではなく、それを実際に手を使って文章にすることで、自分なりに説明してみることにしています。
そうすると、リズムや語意が私の身体にぴったりくる説明となり、忘れにくくなるからです。
結果的に学生さんにも説明しやすくなる。
自分の身体に馴染んだ説明だから、いくらでも言い換えや例示が可能になる。
私にとって言葉を学ぶとは、そういう作業です。
Fさんにとって他人の説明はあくまで他人の説明です。
私が言っているのは、他人の説明が正しいとか間違っているとかいう正誤性の問題ではありません。
辞書や私の説明を聞いただけでは、Fさん自身で再現できる生きた知識にはならないということです。
一見すると効率が悪いように見えても、自分で手を動かして身体で考えるのって、じつはとても効率がいい勉強方法なのです。
なので、私の説明はあくまで一参考にして、自分なりの説明を考えてくださいね。

しつこいですが、もうひとつだけ。
今さっきFさんは「わかりました」と言いましたけれども、それはじつは脳の働きです。

つまり、脳が「わかった」と判断したから、君は「わかりました」と口にしたわけです。
しかし、Fさんはほんとうに「わかった」のでしょうか。

じつは脳にはぜったいに「わからない」ことがあります。
それは「自分は本当にわかったのかどうか」です。
他人の説明を聞いて「あーなるほど」と思ったけれど、家に帰って自分で説明しようとしたら「あれ、なんだったっけ?」という経験はありませんか?
それはつまり、他人の話を聴いて情報処理した脳が「なるほど」「わかった」と判断しただけで、じつは「わかっていなかった」ということです。
「本当にわかったかどうか」は、脳にはわからない。
「本当にわかったかどうか」をわかるのは、身体にしかできない仕事です。
つまり、実際に身体(口や手)を使って自分で説明してみれば、「本当にわかったかどうか」はすぐ答えが出るということです。
自分の口や手で説明できれば、それはほんとうに理解したということだし、できなければ頭で「わかった」と判断しただけだということです。
わかりますか?
なので、今日私の話を聞いて「あ、わかった」「なるほどね」と思ったことがあったならば、それをぜひ中国語で言葉にしてみてください。
それが身体で考えるという意味です。
最初は難しいし、面倒くさいけれども、何事も訓練と継続です。
頑張ってね。

 

おーなんと説教くさい教師だ(他人事)。

 

昼過ぎまで採点を続ける。

14時ぐらいに遅い昼食をとりに外へ。

ミスト状の雨が降るなか、最近行きつけのお店へ。

今日は気分を変えて麺を注文。

美味しい。

ネギたっぷりなのが嬉しい。

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 いつもの川沿いをぐるりとまわって大学へ戻り、18時まで採点。

結果をそれぞれの学生さんたちに送ったあと、帰宅。

 

昨夜に続き『レオン』を最後まで見る。

毎度のことだがラストでうるうる。

とはいえ今回印象に残ったところはそこではない。

序盤に描かれていた、レオンと彼に殺しの仕事を斡旋しているトニー(ダニー・アイエロ)の会話シーンである。

レオンに頼まれていた品(ライフル)を渡して「確認しろ」というトニーに「いや、信頼しているからいい」的なことを言うレオン。

それに対してトニーは「それはそれ、これはこれだ」みたいに諭す(なぜセリフがうろ覚えかというと英語音声・中国語字幕で見ていたからである)。

そうだよねとなぜか納得。

信頼とチェックは別物である。

「チェックするってことは、おめえ俺のことを信頼してないんだな」

そう考える人間はそもそも信頼に値しない人間である。

信頼に値する人間とは、「たとえお前が俺を信頼していたとしても、きちんと俺をチェックしろよ」と常に言える人間なのである。

ネタバレになるけれど、このトニーは結果的にレオンを売るわけだが、それでもギリギリのところまで努力した形跡がある(ボコボコに殴られたあとがあるし)。

「トニーは銀行より信頼できる」「預金残高はトニーの頭ん中にきちんと入っている」と自分で言っちゃうあたり、うさんくさいところもあるが、なかなか嫌いになれないキャラクターである。

それはそうと、この映画は主題歌の“Shape of my heart”もいい。

クラシックギターの柔らかい音色が映画のエンドと合わさって哀愁を誘う。

そういえば、先週末にボールエンドのナイロン弦を買ったんだった。

ボールエンド弦とは、弦の先端に丸いリングが設けてある弦のことであり、フォークギターやエレキギターに張るスチール弦はたいていボールエンド弦である。

エレキやフォークギターに弦を張るときは、このボールエンドをブリッジに通して固定したり、ブリッジ後方の穴に押し込んだりして弦を張るのである。

一方、クラシックギター(ガットギター)に張るナイロン弦にはボールエンドがついていないことが多い(ブリッジに結ぶようにして弦を張るから)。

私はナイロン弦の優しい音色は好きなのだが、クラギはネック幅が広いので弾きにくい。

かといってボールエンドがついていないクラギ用のナイロン弦はフォークギターには張れない。

ということで、フォークギターにナイロン弦を張るべく、先日買っておいたのである。せっかくなので弦を張り、ネットで調べた“Shape of my heart”のコードとにらめっこしつつ、ぽろぽろと指弾きしてみる。

うーん、いいね。

ナイロン弦は手触りも柔らかくていい。

スチール弦に比べると太いので、ネックが狭いフォークギターに張った場合、正確なフォームで押弦しないとしっかりと音がならないが、これはこれで練習になる。

おお、おもしろい。

そうこうしているうちに眠くなってきたので就寝。 

 

 

 

 

 

 

 

私の左肩が凝って仕方がない理由について

1月18日(月)

 

快晴。

朝の気温は氷点下1度と寒いが、空を見上げれば雲一つない青空が広がっている。

8時に起きて身支度をし、大学へ行く。

今作っている教科書は先週無事「脱稿」したはずなのだが、そのあとに「あれを書いてください」「これを追加してください」という注文をいただいたので、机に向かって書き物をするのである。

以前から申し上げているように、自宅で物を書けない私はいつも大学で文章を書く。

大学の事務室には豊富な資料が揃っているし、空調設備・ネット環境が整っている(なお、中国の大学では「研究室」とはいわないし、同じ科の先生方数人でひと部屋共用するのが一般的である)。

というわけで大学へ。

お湯を沸かして熱いコーヒーを淹れたあとに、とりあえず気分が乗ったものから片付ける。

さらさらと2000字程度作文。

ふう。

あと8つほど書くべきものが残っているが、昼前なのでとりあえず小休止。

ネットで日本のニュースを見る。

すると、「置き勉」禁止に関するニュースが目に留まる。

このような記事である。

 

文科省が正式に認めたのに、多くの学校が「置き勉」を認めない残念な理由(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

 

へえ、「置き勉」って文科省の通達ではもう認められていたんだ。

知らなかった。

そういえば、私の中学校も「置き勉」禁止だった。

記事の中でも指摘されているが、私が入学する前の数年のあいだ非常に荒れていた私の中学では、「置き勉」禁止を生活指導(というのも大嫌いな言葉だが)の一環として捉えていた。

まったくご苦労なことである。

記事を読んだうえで、自分自身が中学生だったころを振り返る。

そして、自分自身が教師なのにこんなこと言うのもどうかとわかったうえで、こう思う。

「なんで学校の先生たち(一部)ってこんなにバカなんだろう」 

うちの中学にもこういう教師たちがいて、謎ルールを設定し、それに沿わない学生や逆らう学生を追っかけまわし、ひどい場合にはバシバシ叩いていた。 

私が思うに彼らは教育熱心だったのではない。 

自分を査定する存在(主任とか教頭とか校長とか教育委員会とか)に忠実だっただけである。

それか、ただの「善意のバカ」だったかである。 

前者に関しては同情しないでもないが、後者は勘弁してほしい。 

彼らは主観的には「善意の人」であるが、それゆえ自分を疑うという知的習慣を持ち合わせていない(なので「善意」に歯止めが効かない)からである。 

この記事が扱っている「置き勉」禁止も謎ルールの一つだった。 

推進派の先生方は言う。 

 
「忘れ物をしない習慣を養うためだ」 

「次の日の準備をきちんとする習慣を養うためだ」  

 

実際に私の中学時代の教師たちもそう言っていた。 

たしかに、「上」からそう指導するように言われて仕方がなく言っていた先生もいたと思う(「奥歯にものが詰まったような」言い方から察するに)。 

そういう先生に対して、重ねていうが私は別に何も思うところがない。 

ただし、「置き勉」を許さない先生たちが本気で「これは教育だ」と思っているなら、申し訳ないけれど、教師として頭が悪すぎると私は思う。 

そんなもの禁止したって守らない子どもは守らないからである。 

子どもはもっとタフでずる賢い。 

なぜそのことに気づかないのか。 

現に中学生時代の私がそうであった。 

「置き勉」禁止のルールは意味不明である。 

入学式の後に配られた「中学生の心得」(みたいな名前のプリント)を見ながら、中学入学早々、私はそう思った。

生徒に「勉強道具を持ち帰れ」とおっしゃる先生方だってさ、自分が教える教科に関わる資料すべてを毎日持ち帰って勉強しているわけではあるまい。 

家には家で使う資料・家で勉強するための資料を置いているはずである(違うのかな?)。 

同じように、教科書を持ち帰らない子どもたちだって、「置き勉」しているからといってその教科を勉強していないとは限らない(現に私は家では教科書以外の教材を使って勉強していた)。 

教科書はあくまで教科書である。

学校での勉強はあくまで学校での勉強である。

なぜそこを統一する必要があるのか。

なぜそこを「統一せよ」と口出しされなければならないのか。

昔はわからなかったし、今でもわからない。

「このルールって何の意味があるの?」 

中1の私はそう思った(今でも思っている)。 

しかし「置き勉」をして頭が悪そうな教師にガミガミ言われるのも勘弁である。 

彼らのなかには「教育」の名のもとに平気で子どもを殴るものもいた(生活指導の主任なんか、バンバン殴ることで校内では有名だった)。 

私は直感的に彼らを「バカだ」と認識した。 

たかだか学校の一教師に私の生活を「指導」なんかされてたまるか。

身体感覚でそう思ったのである。 

しかし、かといって、頭が悪そうな教師に「ああ? なんだテメー、俺に指図するな!」と頭が悪い反抗をしている頭が悪そうな連中と同じ「不良扱い」されるのもまっぴらごめんであった。 

数年前まで「荒れている」ことで市内でも有名だった我が中学には、そういう「頭悪そう」な連中がごろごろいた。 

彼らには彼らなりの事情があったのだろう。 

ある程度の社会経験を積むことで、今ではそう思えるようになった。

しかしそれでも、わざわざ学校に来てほかの生徒の勉強をじゃましたり、シューズを投げて体育館の天井に穴を開けたり、廊下に足を投げ出して他人の通行を妨げる様子を見て、私は単純に「バッカじゃないの?」と思っていた(今でも思う)。 

あんな連中と一緒くたに論じられてはたまったものではない。 

だから、「置き勉」禁止に歯向かうことで、バカ教師から「不良学生」扱いされることだけは避けたい。 

とはいえ、毎晩毎晩次の日の授業に合わせて教科書やらノートやらを準備して通学かばんに詰め替える作業もかったるい。 

私の本然は今も昔もぐーたら人間である。 

自分が熱中することにはとことんはまり込むが、興味を持てないことには力が全然入らない。 

この33年間、私はそういう人間として生きることで、私という人間を形成してきたのである(良くも悪くも)。 

毎晩寝る前に時間割を確認して教材を詰め替えるなんて、到底不可能に決まっている(今でもできない)。 

はて、この「置き勉」禁止問題に如何に対処すべきか。
一定期間の思考を経て、私が導き出した結論は単純なものであった。 

「そうか、全教科全科目の教科書とノートをカバンに入れておいて、それを毎日持って学校に行けばいいじゃん」 

なぜそれにもっと早く気付かなかったのだろう。

毎晩教材の「出し入れ」をするより、そっちのほうがよっぽど楽である。 

かくして私は中学3年間で教科書ノートを忘れたことが一度もないし、少なくとも「置き勉」という意味不明のルールに関して教師に歯向かったこともない。 

しかし、それは私が「優等生」だったからではない。 

単純に「バカと関わり合いになりたくなかった」からである。 

もちろん代償はあった。 

言うまでもない。 

パンパンに膨れ上がった重いカバンである(好奇心から一度計ってみたら6kgあった)。 

これを私は3年間左肩に引っ提げて通学していたのである。 

当然ながら、身体に影響が出ますよね(出ないはずがない)。

じっさい、中学を卒業して20年経つ今でも私の左肩はカチカチに凝り固まっている(バカだね)。 

肩を回すと周囲にはっきり「ボキボキ」「コリコリ」という音が聞こえるほどである。 

以前、宮崎駿が整体師さんにマッサージされている時に「私の肩を煮たら真っ黒なスープがとれますよ」みたいなことを言っていたが、それと同じぐらい凝っていると思う。

今はまだ若いから顕在化していないものの、もっと年をとるとこの「歪み」は目に見える問題として姿を現すことだろう 

こんなことなら、ちゃんと毎晩準備して、その日に必要な教科の教材だけ持ち運ぶんだった。 

今の私はそう反省しないでもない。 

しかし、それでも、である。 

合理的思考ができないバカ教師に「教育」という名のもと説教されたり、バカな仲間とつるんでバカな方法で反抗するあの連中と同一視されることに比べると、このくらいで済んでましだったと思うのである。

たしかに、あの対処法はバカなものだったかもしれない。

というか、バカなものだったと思う。

しかし、たとえそれがバカなふるまいであろうと、自分の決断の責任は自分で負いたいと思うのである。

ということで、左肩のひどい凝りは私なりのバカのけじめなのである。

文科省が「置き勉」を禁止していないという事実が広く教育現場と家庭に広がって、子どもたちの通学負担が少しでも軽くなるように願ってやまない(左肩を揉みながら)。
まあしかし、もしも仮に「置き勉」禁止という意味不明のルールが私のようなクソ生意気な中学生に「社会というのはバカの集まりだから、自分でなんとか対処しろよ」と伝えるものだとすれば、たしかに教育的な意味はあると思わないでもない(それはそれでちょっとあれだが)。

 

新年のごあいさつと近況報告

1月がもう半分終わってしまったが、まずは新年のごあいさつを申し上げる。

明けましておめでとうございます。

旧年中はいろいろとお世話になりました。

2021年もよろしくお願いいたします。

あいさつがすんだので、おつぎは近況報告。

長いことこのブログを放置してしまっていた(すみません)。

今見てみると、最後に書いたのが去年の6月とあるから、ほぼ半年近く書いていなかったことになる。

その間もいろいろと雑記を残してはおいたのだが、それをここにアップする暇がなかったのである(なんか前にも同じようなことを言った気がする)。

というのも、昨年3月から編集していた教材制作が忙しくて、それどころではなかったのだ。

「え、まだやってたの?」

ええ、そうなんです。

この教材が対象とするのは初級日本語学習者なのです。

つまり、中国語で出版しないといけない。

むろん私にそんな中国語能力などない(あるはずがない)。

そこで、まず私が原稿を書き、それを複数の中国人教師の皆様に翻訳していただく形で編集を進めてきた。

ところが、肝心の日本語原稿がいつまでたっても書きあがらない。

春風香る4月も、新緑まぶしい5月も、蒸し焼きになるほど暑い8月も、締め切りを延ばし延ばししながら、私はうんうん唸りつつ、時間の許す限りがりがりと原稿を書き進めていたのである。

というのは嘘である。

じつは、たまに取り出して手を入れることはあったものの、原稿はこの数ヶ月の間、ほとんどのハードディスクの奥底でかちんかちんに凍りついていたのである。

だって、書きたくなかったから(おい)。

もちろん「書かなければならない」のはわかっていた。

しかし、どうしても「その気にならなかった」のである。

「その気にならない」以上、虚空漂う思念をむんずと掴み、引きずり下ろし、言語という衣を着せてやることなど不可能である。

しかしさすがにいつまでもそうは言っていられない。

そこでとうとう重い腰を上げ、斉藤和義の“Are You Ready?”を聴きながら、先月・先々月と原稿にかかりっきりの日々を送っていたのである。

そしてとうとう(ほぼ)脱稿に至った。

ふー。

よかった。

このあと校正が3校まで予定されているけれど、とりあえずは一息である。

加えて期末試験も昨日で終わり、今日から冬休みが始まった。

時間的にも精神的にも余裕が出てきたので、こちらのブログの更新もちょくちょくやっていきたい。

日本はコロナで大変でしょうが、みなさんの2021年が少しでも良い一年となるよう、異国の地より願っております。

以上、新年のごあいさつと近況報告でした。