とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

スピーチと「言葉」と「夢」と「大根」と。

日曜日にスピーチ大会があったので、土曜日に南京へ行く。
南京は二度目である(日記を見返してみるとちょうど去年のこの時期も南京を訪れている)。
前回は日帰りだったが今回は一泊する。
同行したO主任や学生さん、事務の職員さんたちと夜ご飯を食べてビールを飲んだらすぐに眠気に襲われ、10時には就寝。翌朝8時までぐっすり寝る。

朝起きてゆっくり朝食を食べた結果、街を見てまわる時間がなくなってしまったので、ホテルの近くの公園を散歩する。 

合肥もそうだが、南京にも街の中に大きな湖があり、散歩やジョギング環境に恵まれている。個人的に湖や川の近くは歩いていて非常に清々しく感じる。だから、なかなか暮らしやすそうだなという印象を受ける。

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肝心のスピーチ大会は午後一時から開始。来賓や協賛企業のお偉いどころが次々と挨拶をしたり、外に移動して写真撮影をしたりして、スピーチが始まったのは一時間後。

今回のスピーチ大会は課題スピーチ(テーマは「もし携帯電話がなかったら」)と即席スピーチの二段階評価である。まずは課題スピーチで全32名中からトップ10を選ぶ。その10名がスピーチを行い、課題スピーチの点数と合計で順位を決するというルールだ(当日会場について初めて聞かされたのだが)。

結果から言えば、出場したうちのOさんは(どうでもいいけれど、これじゃ伏字になってないな)見事課題スピーチでトップ10に入り、結果として三等賞を獲得した。ご本人の日頃の努力の成果である。おめでとう。
江蘇省で開催される大会に安徽省からお邪魔したわけで、いわば「アウェイ」での戦い(というほどのものでもないけれど)だったわけだから、まあまあ良い成績だと言えるだろう。
せっかく大会を参観したわけなので、以下にその雑感を残しておきたい(あくまで私個人の見解である)。

 

この仕事を初めて6年目になるが、日本語スピーチ大会を参観する度に「大学生のスピーチってこういうものなの?」と片付かない思いになる。今回もそうだった。

それはおそらく、私が理解している「スピーチ」というものと広く理解されている「スピーチ」が全く違うからなのだろう。今回のスピーチ大会で上位に入選した選手のスピーチや審査員の講評を聞きながら、その思いをますます強くした。
私のこの「片付かない思い」は、おそらく言語というものに対する認識の違いにあるのだと思う。
愚察するところ、日本語を学ぶ学生さんや日本語教育に携わる多くの人間にとって、言語とは「私」という主体を表現する手段なのだと思う。
私はそうは考えていない。
むしろ(母語か外国語科を問わず)言語は「私」を発見させてくれるものであり、「私」は言語によって作り替えられていくものである。私はそう捉えている。
「私」が言語を使って「私」を表現しているつもりでいられるのは、その人間が「私」を固定化してしまっており、「私」の範囲内でしか言語を使えていないからである。私はそう考えている。

それが母語だろうと外国語だろうと、言語を学ぶことの意義は「私」をひとつの次元に釘付けにさせないことにあるのではないだろうか。 

だから、言語教育を学習者を囲繞する柵や扼する拘束具として機能させてはならないと私は思う。

私の仕事に即していえば、大学における日本語教育というものは、日本語「で」学ぶのであって、日本語「を」学ぶだけでは高等教育として十分ではない。 

もし私が日本語が「柵」や「拘束具」として機能するような教育を行っているとすれば、私は(日本語教師以前に)教師として不適格である。

私の目には、日本語スピーチ大会というものが学生の「柵」を強化するのに寄与する一方であるように見える。

今回のスピーチ大会の最優秀賞をとった選手の課題スピーチの〆は「ケータイがなかったら不安でたまらないので、私は『ドラえもーん、たすけてー』と叫ぶでしょう」というものだった。

たしかに日本語は上手だったし、スピーチの「技巧」もよく練ってきていた。

しかし、申し訳ないけれど個人的には「うーん…」という印象である(もしかしたら単なる私のやっかみから来ている難癖かもしれないが)。

しかし、語学学校ではなく大学で日本語を教え学ぶ人間たちの集まりである以上、どのような日本語スピーチを通せば学生や聴衆の皆は知的に成熟するのだろうか? ということは問われてもいいのではないだろうか。
合肥に戻ってきてシャワーを浴びながら、この「片付かない思い」について考えていると、ふと村上春樹『スプートニクの恋人』の「すみれ」が残した文章を思い出した。少し長いが、以下に引用する。

 

 分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、そして出血すること。銃撃と流血。

 

    いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです。

 

 だからこそ、わたしは文章を書いてきた。わたしは日常的に思考し、思考し続けることの延長にある名もなき領域で夢を受胎する――非理解という宇宙的な圧倒的な羊水の中に浮かぶ、理解という名の眼のない胎児。わたしの書く小説が途方もなく長くなって、最後には(今のところ)収拾がつかなくなるのは、たぶんそのせいだろう。わたしにはまだその規模に見合った補給線を支えきることができないのだ。技術的に、あるいはまた道義的に。(村上春樹『スプートニクの恋人』、206頁)

 

初めて読んだ時から、「技術的に、あるいはまた道義的に」という一文の「道義的」が何を意味するのか、私はずっとわからなかった。 

この一文を私と他人の関係で捉えると意味がわからない(だって自分の「夢」と自分の「文章」の話をしているんだから)。
「ならば」と思い、書く自分と読む自分という「私と私」で捉えても、今ひとつよくわからない。
わからないものをわからないのは「わかるべき時期ではない」からだろうと思って、頭の中の「未解決」フォルダに放り込んでおいた。わからないものはわからない。

それがシャワーを浴びながらスピーチについて考えているタイミングでふと「あれ? わかったかも」と思うに至った。もしかしてここでいう「道義」関係は、「私」と「私の言いたいこと」を結ぶものなのではないだろうか。

つまり、書き手である「すみれ」と「すみれが見ている夢」とのあいだの関係である。書き手が自分の「言いたいこと」を言語化する際に、「言いたいこと」に対して如何に適切に振る舞うべきか、という「マナー」の問題を言っているのではないだろうか(勝手な想像だが)。
文章表現が下手だとか、内容の質が低いとか、単純に「面白くない」とかいう問題はあるとしても、私はここ2年で結構多くの文章を書き散らしてきた(「作文」の授業で学生さんに「ほれ、書け」という以上、自分で率先しなければ説得力がないからね)。

そのおかげで身体感覚を持って理解できたことがいろいろあるのだが、そのうちのひとつが(「すみれ」が書いているとおり)私たちは継続的に文章を綴りながら思考を重ね深めることで「いま、ここ、わたし」を離れ「夢」に至ることができるということ、そしてそこで「私の言いたかったこと」に出会うことができるということだ。

そのことを私なりに言葉を変えて表現するならば、それは言語の助けを借りて「いま、ここ、わたし」とは違う場所に行き、「私」自身も知らなかった「私」を発見するということである。
しかし、もし仮に「いま、ここ、わたし」という狭隘な手持ちのスケールでは扱いすぎないほど深い「夢」を、まさに「いま、ここ、わたし」というスケールそのものである私が(ただの文章ならまだしも)小説という「作品」として「完成」させて「私の言いたかったこと」にしまうと、それは私の意図とは関係なく「夢」の「夢」性や「私の言いたかったこと」の「私の言いたかったこと」性を損なってしまう。なぜなら、それは手持ちのスケールで部分的に切り取られたものだからである。

それでは「夢」や「私の言いたいこと」に対して失礼な振る舞いであるし、申し訳ない。だからまだ「道義的」観点からみて書くべきではないのである。
なぜこの文章を突然思い出したのかというと、当然スピーチ大会と関係があるのだろう。
これまでいろいろなスピーチを見たが、はっきり言ってしまえばほとんどのスピーチは「いま、ここ、わたし」というスケールを絶対的前提としており、「夢」を見ようとすらしていない。つまり「いま、ここ、わたし」からなんとか抜け出すために、深く感じ考えようとした形跡が見られないし、おそらく深く感じ考える必要性も感じていない。
にもかかわらず「いま、ここ、わたし」という手狭なスケールで見た「言いたいこと」をスピーチという「作品」として完成させ差し出すために、本来は人間の思考より豊かで奥行きのある可能性を秘めた言葉を手段として切り貼りしたり、乏しい想像をもって「いま、ここ、わたし」を支える「物語」を語ったり、「いま、ここ、わたし」をアピールするために身振り手振りを工夫している。

一言で言えば「わざとらしい」(中国語で言うところの“做作”)のであるが、それだけではなく「大根役者」なのである。
誤解を避けるために行っておくが、想像の力を借り「物語」を語ることや身振り手振りを交えることが問題なのではない。むしろそういったものは「いま、ここ、わたし」を離れ「夢」に至るための回路であり、発し手の試行錯誤によって発生するものである。

「いま、ここ、わたし」を離脱し受け手を「どこか」へ誘うことができるのならば、「わざとらしさ」に文句を言う必要などない。技術や技巧が「いま、ここ、わたし」を強化する手法や技術として使い回されていることが問題だと思うのだ。
このような態度では、いくら工夫を重ねても「私」や「私の言いたいこと」は狭窄的に固定化される一方だし、言葉や表現を自らの手段としてしか扱えない。

だからいくらたくさんの言葉を並べ立て、表現に緻密な技巧を凝らし、ステージを縦横無尽に動き回ったとしても、スピーチを通して「私」は全く変化していないし、新しい「私」に出会うこともできない。

スピーチをしている当人が変化していないのだから、そのスピーチを聞いている聴衆も変化しない。 

どちらも変化しないから、言葉が私たちを発し手と受け手という二項対立的な構図を脱した「どこか」へ連れ去ってくれるような、生成的なコミュニケーションの「場」が立ち上がらない。

感動も感心もできないし、ともに成長することもない。コミュニケーションが「内輪」にとどまってしまっている。
審査員たちは、ただ単に「日本語が上手だね」とか「ジェスチャーがよく練習されているね」とか「日本に関する知識が豊富だね」とか「表情が明るいね」とか、そういう目に見える部分だけを以てスピーチを評価している。

だから、賞状を獲得するために目に見える部分だけをテクニックとして教える教師や学ぶ選手ばかりが評価されるようになっていく。 
当たり前と言えば当たり前である。「如何に評価されるか」を第一の目的に考えて言葉を「使って」いる以上、その「如何に評価されるか」と考えている「いま、ここ、わたし」のスケールそのものへの懐疑や批評性など生じようもない。 
しかし、(少なくとも大学生が)外国語を学ぶとは、そのようなものなのだろうか。
言語とは「いま、ここ、わたし」を強化する人間の手段にすぎないのだろうか。
私はそうは思わない。
このような言語観と実践では、言語を「使っている」人間そのものを知的に成長させることも成熟させることもできないと考えるからだ。
「いま、ここ、わたし」に対して懐疑や批評性が生じない以上、言葉は「いま、ここ、わたし」を強化し塗り固めるための手段に成り下がってしまう。

そうすると、いくら日本語能力が高くて表現や構成が技術的に優れていても、語られるのは「子ども」の言葉である。

今回の大会では、すべてのスピーチが終了した後に講評をした日本人教師が

「レベルが高い言葉を使いましょう。レベルが高い言葉とは『書く』というような幼稚な言葉ではなく、『綴る』のような言葉です」

みたいなニュアンスのことを言っていたが(おぼろげだがニュアンスとしては上記のようなことだったかと記憶している)、これは単に日本語の語彙の量と使用をめぐる「レベルが高い」でしかない。

私が考える「レベルが高い」言葉とは、語彙や単語を抜き出して論じるような問題ではない。「レベルが高い」言葉は、言葉以前に話者の知性の「レベルが高い」のである。 

話し手の問題認知や認識能力そのものの「レベルが高い」ならば、どんなにシンプルな語彙を使用していようが「レベルが高い」言葉が紡ぎ出される(問題は「レベルが高い」言葉を評価する側がその言葉を理解できるかどうかということなのだが)。 

私はそう考えているし、「大切なのは普通の語で非凡なことを言う事である」とショーペンハウアーも言っている(別に誰が言おうが正しいことなのだが)。

では、どうやって問題認知力や認識力の「レベルを高」くすればよいかというと、日々自らの「夢」へと没入し、そこで見たものを少しずつ自分のものとして言語化していくしかないと私は考えている。

ではどうやって「夢」を見るかというと、「いま、ここ、わたし」のスキームで「わかること」を考えたり話したりするのではなく、「わからないこと」を言葉にしていく作業に没頭すればいいのだ。

単純なことである。「私にはわからないこと」にまっすぐ向かい合い没入することで、言葉は「私」を離れ動き出す。私の目の前でヒュンヒュンふわふわと無規則かつ無秩序に動き回る言葉たちを、「無我夢中」で手繰り寄せていく。そうしていくなかで「我に返る」ポイントがある。言葉を繰り出すことを通して「返ってきた」「私」は、以前の「私」には想像もできなかった視点や認識を携えている。それは新しい「私」として「黄泉がえる」体験である。
「夢」を見れない人間というのは、つまり「わかること」しか言葉にしない人間である。だから、そういう人間の言葉は面白くない。自分なりの足場を築く努力をしていないせいで、だだっ広い原っぱでみんなに見えているものごとをみんなが見えているようにしか語れないためだ。

にもかかわらず、言葉の後ろに「いま、ここ、わたし」という絶対的主体性がチラチラ見え隠れする。それは「大根役者」が「私が役を演じている」と思うあまりクサイ演技しかできていないにも関わらず、自分では一端の役者だと思い込んでいるのに似ている。

一言で言えば「野暮」である。 
語学を学ぶことで却って「夢」を見れない人間でありつづけてしまうことや、主観的には「個性的な私」でありながら実際的には「大根役者」的な言語パフォーマンスしかできなくなるのは、変わることのない「私」に手段として扱われ、虐げられ続けてきた言葉からの復讐である。 

この言葉からの復讐は、「私が言葉を使っている」つもりで「私が言葉に使われている」ことに「私」だけは永遠に気づくことができないという形で、「私」に返ってくるのだ(お前はどうなんだとお感じかもしれないが、私もそう思う)。

もちろん、これはとても高度な作業だと思う。

「俺は十分にできているよ」などと考えているわけではない。 

しかし、少なくとも「いま、ここ、わたし」に「わからないこと」にまっすぐ向き合い論じるということは、そんなに難しいことではないはずだ。

だから、私は派手なパフォーマンスやありきたりな物語を創作して「良い順位を狙う」スピーチよりも、たとえ表現が不器用で日本語が拙かろうとも、「いま、ここ、わたし」には把握できないものごとに真摯に向き合うスピーチの方に好感を覚える。なぜなら、聴衆としての私もまたその「なんでだろう?」に同調することで、「私」を抜け出す機会に出会えるかも知れないからだ。
このように考えてきたこともあり、以前の私はスピーチ大会というものにあまり積極的な意義を見出していなかった。 
しかし、スピーチすることを通して「いま、ここ、わたし」から脱出することや新たな「私」に出会うことを学ぶことは可能だと思う。その過程で「言語とは何か」について学生さんが考えるきっかけを提供し、言葉そのものを尊重するという習慣を身に付けることに寄与できるならば、スピーチ大会というものは実りが多いのかもしれない。 
そんなことを考えた。