日記
25日(月)
9時に起床。
奥田民生を聴きながらキャンパス内を軽く一時間走ったあと、ガスコンロで鍋いっぱいにお湯を沸かし、お風呂に入る。(事務手続きの関係で給湯器はまだ直っていない)
2週間遊び惚けていたので、午後から大学に行き仕事をする。
2週間ぶりに会ったO主任に「実家でご馳走ばっかり食べていたので、ちょっと太りましたね」と言われる。(うぅっ)
確かに思う存分食べて飲んでの毎日だったが、それでも毎日最低6キロは走ってたんだけれども。
とはいえ、帰国している間に体重が増えたのは客観的事実である。
考えてみると、休暇前半で落とした3キロを後半きっちり取り戻した計算になる。
授業が始まったら規則正しい生活が戻ってくる。
その機に乗じてなんとか5キロは絞りたい。
なに、簡単なことである。
日々適度な運動をして、お弁当を作り、夜は野菜をいっぱい食べ、酒量を減らすだけでいい。
そう、本当に「簡単なこと」である。
そしてその「簡単なこと」が非常に難しいのである。
気を取り直して仕事にかかる。
教材のなかに入れるコラムというか、ガイダンス的な短文を約30課分書くお仕事をいただく。
文量はそう大したものではないのだが、テーマが幅広いし、多い。
とりあえず気分が乗ったものから取り掛かる。
アイディアが浮かべば一課あたり数分程度の一筆書きでパパっと終わるのだが、浮かばなければ何も書けない。
ただパソコンの前に鎮座し虚空を睨むだけである。
難しい。
あー難しい。
難しい。
26日(火)
前日に引き続き文章を書く。
難しい。
私の思い感じることを好き勝手に書くだけならばいくらでも書けるのだが、これは教科書用の文章である。
したがってある程度の一般性が求められる。
しかしあまりにも一般的なことを書いてしまうと、面白くない。
学生さんが読んでも面白くないだろうし、なにより書く私自身が読み返しても面白くない。
別に「私らしいこと」を書きたいわけではない。
むしろ私が自覚している「私らしいこと」は、読む私にとっては既知の情報なので、そういう意味で「私らしいこと」が書かれた文章は私にとって読んでつまらないものである。
書いた本人ですら「これ面白いけれど、誰が書いたんだろう」と思うようなものを書きたい。
そのためには「私らしくない」視点や「今の私にはなじみがない」角度を、書きながら発見しなければならない。
だから、教材として通用するような一般的なことを書きつつも、ある程度「でも、こういう見方もできるよね」とか「でも、それってどうなんだろうね」と自分自身をハッとさせるようなエッジを効かせた部分も欲しい。
となると、それぞれのテーマごとにある程度「普通じゃない」切り口を見つけないといけない。
これが見つかればサラサラと書けるし、見つからなければとろとろと一般論を綴ったり、自分でもわかりきった持論を語るしかない。
これはあまり面白くない。
どうせなら自分で読んで「お、なかなか面白いこと書くじゃん」と思いたい。
「まあ、こんなもんだろうな」と「一般論」をかき集め、結果的に誰も得しないし幸せにならない文章を書いてしまうのは、なにより書き手自身にとって悲劇である。
ここまで書いて、昔こんなことがあったことを思い出した。
あるとき、学生さんたちを自宅に招き料理をふるまう機会があった。
さて、彼女たちに何を振舞うべきか。
「日本人教師だから日本料理を作るべきだろうな。一般的に日本料理といえば、やっぱりすき焼きかな?」
そう考えた私はすき焼きを作ることにした。
そうはいうものの、実は私自身は甘いものをあまり好んで食べないので、すき焼きが特に好きなわけではない。
激辛の本場重慶で3年過ごしたこともあり、一番好きな鍋料理は重慶の激辛火鍋である。
だからすき焼きを自分で作った経験はほとんどなかった。
それでもインターネットでいろいろ勉強し、学生さんに振舞うことにした。
食材も奮発し、生でも食べられそうなほど新鮮で良い牛肉を用意した。
同僚のある先生は「先生が手作りしてくれるなら学生さんも嬉しいでしょうね」などと言ってくれた。
私自身料理は好きなので「ま、大丈夫だろう」と思いながら学生さんたちを迎えたのである。
しかし、である。
私のすき焼きを食べた学生さんたちの反応はイマイチだった。
作って出したこちらが気の毒になるほど私に気を使って食べてくれていたが、明らかに全身から「あの、これ美味しくないんですけど……」というオーラがばんばん放たれている。
しかし、作った私が言うのもなんだが、可もなく不可もない普通のすき焼きである。
味付けや食材だって日本では一般的なものだ。
なのになぜ?
ひとつピーンと思い当たることがあったので、もしかしてと思い、恐る恐る聞いてみた。
「ひょっとして、甘すぎる?」
学生さんたちはみな困ったような表情で、揃って首をコクコクと縦に振った。
「中国人にとっては、甘すぎます……」。
そう、やっぱり彼女たちにとって日本の一般的なすき焼きは甘すぎたのである。
その気持ちはわかる。
だって、一般的な日本人が好きかどうかなんて関係なく、私自身「日本の一般的なすき焼き」は甘すぎると思うからだ。
だからこれまですき焼きを自ら好んで作りはしなかったのだ。
終わってみれば、誰も幸せになることがない食事会だった。
こんなことなら難しいことを考えず、自分が大好きな激辛の火鍋を作るべきだった。
そうすれば少なくとも私はおいしく食べられただろうし、馴染みがある料理だから彼女たちも喜んでくれたかもしれない。
私は(信じられないかもしれないが)けっこう素直な性格なので、けっこう反省した。
そして考えた。
結局のところ、私は「一般」や「普通」という言葉を使うことで、自分の頭で考えることを放棄していたのではないだろうか?
目の前の物事を自分で見つめる努力をしていなかったのではないだろうか。
私はこうして自らの愚かさを深く反省し、爾来何かをする際には一般や普通に逃げず自分自身の感覚と思考を大事にしようと、固く誓ったのである。
こういう文章ならさらさら書けるのだけれども。
27日(水)
ガキ使の「みんなで長渕を歌おう」を見る。
長渕剛の「とんぼ」を10フレーズに分け、集まった10名の芸人が事前の相談もなしにそれぞれが歌いたいフレーズをひとつずつ歌ってリレーしてゆく。
一度も他人と被ったり、逆に誰も歌わない空白地帯を作ったりすることなく、最後まで歌いきれるかどうかという企画。
あらためて「とんぼ」は名曲だと思う。
中国語では小虎队(xiao3hu3dui4)というグループが「红蜻蜓」(hong2qing1ting2、赤とんぼ)というタイトルでカバーしている。
中国語版は失われた幼童時代を懐かしむ歌詞になっているが、原曲はご存知のとおり夢見る青年の挑戦や挫折を歌っているので、同じ曲でも雰囲気がだいぶ違う。
私は中学時代強烈な「アンチ巨人」だった。
なので、長渕のこの名曲も最初は清原の出囃子としてのみ捉えてしまい、あまり好きにはなれなかった。
大学進学を機に鹿児島で生活し、そのあとも私なりに挑戦とか挫折とかいろいろ経験を重ねていく中で、すこしずつ「とんぼ」の良さが少しずつ理解できるようになってきた。
ガキ使のこの企画も根本にはこの曲への愛着があるように感じた。
最後の最後で「とんぼ」をみなで歌いきることに成功し、謎の感動を覚える。
28日(木)
引き続き文章を書く仕事をしながら、気分転換に本を読む。
このところ以前も引用した橋本治の本を少しずつ読み進めている。
今日「いいなあ」と思った箇所はこういうの。
「わからない」を口にしたくない人間は、見栄っ張りの体裁屋である。「他人がやり、自分もやらなければいけないことなら、そんなにむずかしいことではないのだろう」と勘違いしてしまう。だから、「わからない」を探さない。それを探すのは「できない自分」を探すことになって、「できる」とは反対方向へ進むことだと考えてしまう。しかし、「できる」とは「できないの克服」なのである。「克服すべきこと」の数と内実を明確に知った方が、よりよい達成は訪れるーーその達成までの時間は、ある程度以上必要ではあろうけれど。しかし「わからない」を探さずに「わかる」ばかりを探したがる人に、その達成は訪れない。自分が「わかる」と思うことだけをテキトーに拾い集めて、いかにも「それらしい」と思えるものを作り上げるーーつまりその達成は、「似て非なるものへと至る達成」なのだ。
「わかる」とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。普通の場合、「わかる」の数は「わからない」の数よりもずっと少ない。だから「暗記」という促成ノウハウも生まれる。数少ない「わかる」で再構成をする方が、数多い「わからない」を掻き集めて再構成するよりもずっと手っ取り早いからである。手っ取り早くできて、しかしその達成は低いーーあるいは、達成へ至らない。「急がば回れ」というのは、いかにも事の本質を衝いた言葉で、「効率のよさ」と「効率の悪さ」は、実のところイコールでもあるようなものなのである(橋本治『「わからない」という方法」』104、105頁)
これ以上の贅言を要しない、グウの音も出ないほどの正論だと思う。
私が「そうだよな」と思ったのは、「『できる』とは『できない』の克服」という一文である。
あまりにも当たり前すぎていて忘れかけていることではあるが、「できる」とはまっさらな状態にゼロから何かを積み上げていく作業によって可能になるわけではない。
「できない」という負債を負ったマイナス地点から何かをスタートさせることでしか「できる」には到達できないのである。
このことを銘記しておかなければ、何か新しい事を学ぶたびにちゃちゃっとかじっただけで「あーこれできない。おいらには向いてないや」とか「まあ、結局あたいにはセンスがなかったってことよ、ははは」とかいう言葉を繰り返し続けてしまう。
気をつけなければ。
1日(金)
休暇ボケが最高潮に達している。
なぜか今日私は「おっと、今日は土曜日か」と思い込んでいた。
「あー、もう明後日から仕事か。大変だな」とブルーな気持ちで一日を過ごしていたら、午後10時を回ろうかというときに「あれ、今日って金曜日だったのか」と気づいた。
もちろん客観的にはなんの意味もないのだが、私個人の心持ちとしては「やった! 週末が一日増えたぜ」である。
ほんとうに何の意味もないのだが。
2日(土)
せっかく「週末が一日増えた」ので、大学に来て仕事や新学期の準備をする。
事務室に出向くと私の机の上に一年生の名簿が置かれている。
今学期は一年生の「日本語会話」を担当するからである。
一年生の授業を担当するのは、前任校にいた時以来。
おそらく3年ぶりだ。
そのときは入学したての1年生向けに「日本語発音・アクセント」の授業を担当した。
もちろん受講するのは入学したてのほっかほかな新入生諸君なので、日本語ではなく中国語で授業しなければならなかった。
しかも「日本語発音・アクセント」は私の専門分野ではない。(まあそもそも日本語教育自体専門ではないのだが)
必死こいて勉強して準備した記憶があるが、それはそれとして……。
幸いなことにちゃんと授業を進めることはできた。
しかし、入学時に中国語で授業をしてしまったせいで(まるで雛鳥が初めて見た動くものを母親だと思いもんでしまうというローレンツの「刷り込み」のように)どうやらこの学年の諸君にとって私は「中国語で会話をする対象である」と刷り込みが行われてしまったらしく、ある程度日本語を喋れるようになったあとも中国語で話しかけたり連絡してきたりするようになってしまった。
外国人教師が学習者の母国語を喋れる(うまいかどうかは問わず)というのも考えものである。
私個人の経験を振り返ってみれば、すくなくとも会話を教えるという方面で「外国人教師」としていちばんお役に立てていたのは、大学院を出たての教師として中国に来た直後の中国語能力0状態にあった時ではないかと思う。
今よりは若かったので学生さんたちとの年齢差もそんなになかったし、中国での生活能力がゼロだったから、多くの学生さんが自分たちから日本語を使って話しかけたり、助けようとしてくれた。
しかしある程度中国で過ごすうちに、中国語能力がどうこう以前に「おいら、もう中国に慣れてるもんね」というオーラが出始めてしまうことは避けられない。
経験を積めば積むほど、初々しかったころの「あーん、ぼくここでは右も左もわからないよお」というオーラが薄れてしまい、学生さんに「あかん、こいつ助けてやらんとね」と思わせるようなおぼつかなさが消え去ってしまう。
もちろん外国人が自国の文化や生活に溶け込んでいる様子を示すというのも多分に教育的であるとは思う。(高架下のうるさい焼き鳥屋で熱燗煽りながら大将と日本語で談笑する外国人なんかをイメージすると、私は「キュン」とくる)。
しかしあまりに溶け込み過ぎてしまうと、はたして「外国人教師」として求められる基本的な役割を果たせるのだろうかとも思う。
まあ、それは私ではなく周囲の方々が判断を下して下さるだろうから、私は私にできる仕事をし、私なりの役割を果たすまでである。
で、話は戻るが、今学期は1年生の会話の授業がある。
すでに1学期日本語を勉強しているので、できるだけ中国語を使わずに授業を進めたい。
しかし、ちょっと難しい問題がある。
もらった名簿を見る限り、ひとクラス40名もいるのだ。
会話の授業にしては学生数が多すぎる。
さーて、どうしよう。
まあ、とりあえず自己紹介からだな。
5時過ぎには家に戻り、公園へいって1時間ジョグ。
家路にて近所にけっこう賑やかな市場があったことに初めて気づく。
さっそく冷やかし程度にうろうろ。
鳥のキンカン(卵巣)とモツの煮込みが美味しいそうだったので、晩酌用に購入。
あとはピーマンと長ネギとほうれん草を買って帰る。
お風呂の支度をしながら、「ピーマンと塩昆布の和物」「ほうれん草のおひたし」「長ネギと小エビのごま油あえ」などを作成。
お風呂に入ったあとにチューハイとともにいただく。
野菜をたくさん食べないとね。
明日は朝から原稿を書くので、0時前には就寝。