とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

容儀検査

私の高校には容儀検査という制度があった。

これは制服の着こなしや髪型などについて、教師が生徒を検査するもので、検査項目は「前髪が眉にかかっていないか」とか「学校指定の靴下を履いているか」とか「スカート丈は膝上5cm以内か」とか、そういうものだった。

もし「不合格」と判断されたなら、再検査までに「修正」して来なければならない。
ほとんどの生徒はこの検査を面倒くさがった。

なかには「個性を殺す」制服制度そのものに反対する過激な者もいた。 
私自身は規則に反してまでおしゃれしたいとは思っていなかったし、制服を着たぐらいで個性が死ぬはずはないと思っていた。(今でもそう思っている)

だから、滅多に「不合格」になることはなかったし、この検査についても、正直どうでもよかった。
ただ、私がひとつだけ気になっていたことがある。 
それは、この検査を熱心に実施する大人たちの姿だ。 
彼らはわざわざ「ものさし」を持参してまで生徒の襟足やスカートの長さを測り、学生カバンの厚さをチェックし(カバンが薄いということは、教科書や資料を持ち歩いていない「不勉強」の表れとされたのだ)、学校が指定した靴下を履いているかどうかを細かくチェックした。

そして違反している生徒を見つけると、時には激しく叱責し、なかには体罰を振るう教師もいた。
その後、彼らはこう言うのである。
「いいか、世の中にはな、人を見かけで判断する人間がいるんだ。だからきちんとした格好をしなければいけないんだ」
私はそれを聞いて「なるほど」と膝を打った。
まったくもってそのとおりである。 
世の中には人を容姿や衣服の着こなしで判断する人間が多いのだ。 
そして、そういう人間は、彼らの基準に照らして「きちんとした」格好をしない人間を平気で頭ごなしに叱責したり、時には暴力を振るったりする愚かな人間なのである。 
あの容儀検査という「どうでもいい」制度には、私のような子どもに「世の中のバカな大人」について実演し、「俺みたいな大人にはなるなよ」と身をもって諭す教育的効果があったのである。 
「なるほど、よくできている」 
私は子どもながらに深く納得したのである。