とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

“教师节快乐!”(教師の日おめでとう)

10日(火)

 

朝大学に行くと、学院の電光掲示板にデカデカとこんな文字が。

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そうか、今日は9月10日だった。

中国では今日は“教师节”(教師の日)である。

1985年に国務院によって定められた。

だから今年が35回目。

趣旨としては、教師を教育事業に貢献する存在として社会的に認め称えるための祝日である(祝日とは言っても学校は休みにはならないが)。

日本には「教師の日」というものはないが、調べてみると世界各国で同じような日を設けているそうである。

中国ではどうかというと、近代に入ってから「教師の日」はいくつかの流動的な日程で祝われていた。

 

中国のインターネット辞典で調べてみると、新中国(つまり中華人民共和国)成立以前には、ふたつの「教師の日」が存在したそうである。

ひとつは1931年に教育関係者が教師の待遇改善を呼びかけて始めたものである。これは毎年6月6日を「教師の日」としていた。

もうひとつは1939年に国民党政府の教育部(文科省に相当)が設定したもの。これは毎年の旧暦8月27日を「教師の日」とした。孔子の誕生日にあわせたためである。

しかし、前者の「教師の日」は一定の影響をもたらしたものの国民党政府の承認を受けていなかったために、また、後者は戦争が原因のために、それぞれ全国へと普及し定着するには至らなかった。

戦争が終わり中華人民共和国が成立したあと、中央政府は6月6日版の「教師の日」を復活させ、教育部は各地の教育従事者に「それぞれの状況に合わせてこの祝日を祝ってよい」と通告した。

その後1951年になると、政府は5月1日のメーデーを「教師の日」とした。しかし、いかんせん「教師の日らしさ」がないため、これはうまくいかなかったとのこと。

さらに57年になると、いろいろな政治・思想状況の変化の影響により教師が社会的に尊重されなくなり、事実上「教師の日」はなくなったのである。 

時は流れて1981年、教師の仕事の重要性を指摘し「教師の日」を再び設ける必要性を指摘する動きが政府の中から生じ始める。

その結果、先に述べたように85年に、9月10日を新たな「教師の日」として、中国において教師を祝い尊ぶ日が復活するに至ったのである。

この際、何月何日を以て「教師の日」にするかという問題に関していろいろ議論があったようだ(マルクスの誕生日である5月5日にしようとか)。

結局、「新年度が始まってすぐに設定すれば新入生が入学してすぐ教師を尊ぶ活動ができる」という理由で、9月10日が選ばれたとのことである。 

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 概論的なことはここまでにしておこう。

私は2013年9月から中国で教師をしているので、今年が7回目の「教師の日」である。

私にとって人生初となる2013年のときには、そもそもが「教師の日」というものの存在を知らなかったので、いきなり学生さんから大きな花束やら「りらっくま」のライトやら、寄せ書きやら、いろいろもらってびっくりした。

だってまだ2週間しか教えてない学生さんたちからもらったんだもの。

ちょっと恥ずかしがりながらも嬉しさを覚える一方で、「いいのかなあ」と遠慮してしてしまった。 

「おれ、まだなにもしてないぜ」と。

その後の年にも、ありがたいことになんだかんだいろいろ貰ったりお祝いの言葉をかけていただいたりしてきた。

そうして「教師の日」を経験していくなかで考えたことだが、この「教師の日」という習慣はなかなか教育的な働きを持っている。 

つまり、学生諸君や社会にとっては「先生に何をあげるか」「どの先生にあげるか」「そもそもあげるかどうか」と頭を回転させることで「良い教師ってどんな教師だろうね」と考える機会になるし、教師にとっては「自分が学生にとって教師かどうか」を(目に見えるプレゼントや学生からのお祝いのメッセージの多寡というかたちで)反省する機会になるのである。 

何も貰えず祝いの言葉もかけてもらえないと、きっと「俺って教師として問題があるんじゃないの?」と嫌でも自覚するだろうからね。

 

などということを考えていると、3年生の学生さんたちからカーネーションを、4年生からは月餅(今週金曜日が中秋節だからね)をいただく。

ありがとうございます。

先生は素直に嬉しいです。

この気持ちは仕事でお返ししますので、今後とも宜しくね。

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