チャーハンを食すために寒空の下、自転車で150km走る(10.26、巣湖北岸)
10月26日(金)
天気は曇り。
薄いながらもびっしりと広がる灰色の雲がピクリとも動かず空にへばりついている。
風は微弱。だが、ひんやりと肌寒い。
前夜だいぶ早めに寝たので3時に起床。
昨日は1日中ゴロゴロして心身を回復させた。
今日は久しぶりに路上を走り、頭を空っぽにして、気分転換を図るのである。
そして土日に一気に仕事を進めるのだ。
朝食として昨日買っておいたローソンのおにぎり二個を食べる。
具は日本では定番の「シーチキン」と、なんと「ザリガニ」!
中国のローソン(中国語では“罗森,luosen”)ではザリガニのおにぎりを普通に売っている。
これ、結構美味しい。
「え~、ザリガニはちょっと……」
そう思われる日本の方もいらっしゃるかもしれないが、美味しいよ(ほんとだよ)。
ザリガニをマヨネーズ仕立てにして「エビマヨ」として日本のローソンに並べても、たぶんほとんどの人は気づかないのではないかと思う。
閑話休題(まあ全てが「閑話」なのだが)。
栄養補給を済ませたので、6時すぎに出発。
この日の日の出は6時半過ぎなので、あたりはもう明るくなってきている。
なのでライト類は持たない。
気温も低いからボトルも一本だけ。
ロングライド用のパッド入りタイツを履き、その上から短パンを履く。
上は長袖のインナーを着用しサイクルジャージを重ね着した上に、防水加工が施された薄めのウィンドブレーカー(自転車用)を羽織る。
今日はいつもどおり巣湖周辺を走るが、出発時点ではコースや目標距離は考えていない。
なんとなく北岸を走りたい。
突然「そうだ、俺はチャーハンが食べたいんだ」と気づく。
前回の「国慶節200kmライド」(1日で巣湖1周200kmロングライド! - とある日本語教師の身辺雑記)のときに、私は突然無性にチャーハンが食べたくなったのだが、結局は食べ損ねた。
今回こそ食べよう。
というわけで、旅の目的を「チャーハン」に設定、南肥河の河川敷を通りお店がありそうな巣湖北岸を巡るコースを選択する。
さあ、出発。
もくもくと約20km走る。
河川敷についたあたりで十分明るくなった。
左手にモヤが立ち込める川面を眺めながら走る。
早朝の河川敷には車も歩行者も少ない。
人間は鎌を手にかごを背負い農作業をするおじいちゃんおばあちゃんたちぐらいしか動いていない。
放し飼いにされたアヒルやニワトリたちが、河川敷を走る私とメリダを物珍しそうにじっと見つめる。
爽やかな田舎の朝を楽しみながらしばらく走ると、左手遠方に赤い橋が見えてくる。
「南肥河大橋」である。
多分今日走るなかで唯一の大きな橋(長さ800mほど)である。
32kmほど走って巣湖沿岸に到着。
巣湖に沿って数キロ走ると、以前もちょっとだけ紹介した「長臨古鎮」がある。
「古鎮」といっても、三河古鎮(自転車で2泊3日巣湖1周旅行(2日目 巣湖市内~三河古鎮) - とある日本語教師の身辺雑記参照)のように観光地化していない、小さな田舎町である。
40kmほど走ってちょっと小腹がすいた。
お手洗いもすませたい。
ここで一休みしよう。
ちいさな町ではあるが、幼稚園や学校もあるので活気があり、犬や子どもが走り回っている。
いいね。
朝食を売っているお店や出店を見て回る。
寒いので温まりたい。
ホカホカの肉まん(3個で2.5元)を購入。
肉汁がジューシーで美味しい。
ペロリと平らげる。
ついでにジャージのポケットに入れてきた「そいじょいのようなもの」も食べる。
補給が完了したので出発。
この時期の休憩は身体が冷えてかえって辛い。
さっさと走ろう。
まずは巣湖北部の半島を突っ切り30kmほど走ることにする。
折り返しコースだと帰りは疲れにプラスして飽きが来てしまう。
なので折り返したあとは半島を巣湖に沿ってぐるっと回りつつお腹を空かせ、残り50km地点(四頂山付近)で飯屋を探し、チャーハンをパクつこうという考えである。
古鎮を抜け、一路東へと突っ切る。
山を切り拓いて通された、斜度3~4%程度の緩やかなアップダウンが続く道を10数キロ走る。
このコースは以前に何度も通ったことがあるので、力をどこで入れてどこで抜くべきかわかっている。
あまりきつくはない。
とはいえ、25km/hという最低限度の巡航速度を落としたくはないので、上りでも重めのギアをえいしょえいしょと踏む。
ということで半島を突っ切ると風景が一変する。
いままでは左右を山に囲まれていた。それがとたんに視界が開け、右手に巣湖が、左手に湿地や耕作地が広がる長閑な農村風景が姿を現す。
季節は秋。
まさに収穫の時期である。
地元のお百姓さんたちが金に色づいた田んぼで稲刈りをしたり、なんだかわからない草をあぜ道に干したりしている。
自転車を停めて写真を撮りたい。
だが、せっかく良いペースで走っているので、自転車から降りたくない自分もいる。
結局、後者の自分が勝つ。
こうして長臨古鎮を出たあとは一度も地面に足を着くことなく30km走りきる。
陳徐村という小さな集落にさしかかったあたりで走行距離が70kmに達したので、一休み。
寒いので両足の筋肉が強ばっている。
自転車を交通標識のポールに立てかけて、入念にストレッチ。
帰りのコースはこれまで来たコースよりちょっとだけ長いので、残りはだいたい80km程度だろうか。
それにしても寒い。
太陽は高く登っているはずだが曇りなので姿が見えない。
時間を追うごとにむしろ寒さはますばかりである。
運動として自転車に乗ることの利点の一つは、汗をダラダラ流さずに済む(結構な速度で走るので汗がすぐに乾くから)ということだが、この時期に自転車に乗るのはちときつい。なぜならかいた汗が通気性皆無のウィンドブレーカーのなかで蒸れ、休憩に入ったとたん冷やされ液化し、体を冷ましてしまうのである。
というわけで、さっさと出発。
それにしてもお腹がすいた。
前々回のロングライドでは、姥山島景区という観光地近くのメシ屋で麺を食べた。
今回もそこで栄養補給をしよう。
そしてチャーハンを食すのである。
繰り返しになるが、前回のロングライドではチャーハンを食べそこねた。
メシ屋に入った時間が早かったせいである(中国では朝は米を提供しないメシ屋が多いのだ)。
ところでチャーハンなる食べ物は炭水化物である白米を油で炒め、そこに卵やらハムやらと多種多様なタンパク源を投入している食物であるが、それゆえ25歳を過ぎてだんだんと落ちてゆく己の筋肉量や代謝能力と戦いながら日々減量に勤しむ私にとっては言語道断的存在なのである。
しかしロングライドのときとなると話は別である。
なにしろ「ガソリン」がなければ走れないのだから。
というわけで、「チャーハン、チャーハン、チャーハン」とマントラを唱えるように口にしながら、およそ30km離れたメシ屋を目指す。
そうそう。
ときどき学生さんや同僚の先生方から「100km以上も走る時って、何考えているんですか。飽きません?」と聞かれることがある。
私の場合、正直何も考えていない。
理由のひとつは、物思いにふけりながらロードバイクに乗るのは危ないからである(私自身にとっても、そして他人にとっても)。
もうひとつの理由は、そもそも自転車で100km以上の長距離を走るという行為が、そもそも人間的思考から離脱する体験だからである。
私の場合、ロングライドは単独で行うことがほとんどなのであるが(人のペースに合わせるのも、人にペースを合わせてもらうのも、気を使うから)、その道中私がやっていることといえば、音楽を聴いたり、その音楽に合わせて歌ったり、マナーの悪い車の悪口を言ったり(「クラクションうるせえぞ!」とか)、「お腹すいた」とか「暑い」とか「寒い」とかブツブツ言ったりする程度のことである。
つまり、知性的な思考・言語活動とは無縁の活動に脳を使用しているのである。
脳内に浮かぶ言葉はだいたい日本語能力試験4級程度(日本語学習歴3ヶ月~半年の外国人が受験するレベル)の語彙・文法でカバーできるものである。
しかも、そんなシンプルな言語でなすことのほとんどが、空腹とか気温とか、そういう生理的・感覚的事実の認知である。
自転車に乗る時には、理性よりも感性を研ぎ澄まさなければならないからである。
つまり、そこそこスピードを出して走るわけだから、前後左右に身体感覚を研ぎ澄ませているわけだし、突発的な危険をあらかじめ回避するために頭の中に無数の「~かもしれない」を沸き上がらせているわけである。
「何かを考える」余裕などないのである。
しかしこのおかげで、一度ロングライドにでると頭の中が不思議と「すっきり」とする。
その晩は夢すら見ないし、翌日職場のデスクに着くと、あら不思議。以前にはわからなかったことや表現できなかったことが、すらすらと解決するのである。
自転車、楽しい。
なんてことを考えながら(うそ、後知恵である)、あいかわらず空にへばりついたままピクリとも動かない低い雲へと突き抜けてゆく長い長い道をひたすら進む。
11時30分に目的地であるメシ屋に到着。
さっそく牛肉チャーハン(突発的に玉子チャーハンではなく牛肉チャーハンが食べたくなったのだ)と「トマト卵炒め」をオーダー。しめて30元(500円ぐらい)也。
チャーハンだけでは物足りないだろうし、身体がタンパク質やビタミン、ミネラルを欲していたので、「トマト卵炒め」を追加したのである(うそ、ただ単に食べたかっただけ)。
チャーハンに第一匙を記したところで、大量の「オジサン」たちが来店する。
私は「オジサン」が嫌いである。
ここでいう「オジサン」とはある一定の年齢を超えた男性のことを指すわけではなく、ある精神のあり様について行っているわけであるから、これを読んだおじさま方は誤解なさらぬよう願います。
私が思う「オジサン」には目立った特徴がある。
①周りの目を気にしない
②オジサン同士で群れる
③自分たちは「若い」と思っている。
④そんな自分たちの「若い」をもってすれば若者と交流できると思っている
⑤つまり自分の「当たり前」の外側に対する感覚が鈍い(もしくは無い)
➅オジサン的振る舞いを注意されると、一瞬子どものようなキョトンとした顔つきをする
⑦しかしすぐに「俺を誰だと思っているんだ」(内田樹が言うところのO・D・O)と怒り出す。
これらに共通するのは、ある種の社会性のなさであり人間的未熟さであって、私はこのメシ屋でオジサン集団にうんざりした。
男女を問わず若い子たちからオジサンの評価は芳しくないのは日本でも中国でも同じだが、それにはちゃんと理由があるのだと思う。
そんなこともあり、チャーハンをかっ込みながらいろいろ考えたのであるが、今回は自転車がメインである。
「オジサン」については別稿を持って論じたいと思う(別にこれは原稿じゃないけど)。
オジサンに辟易したので、残っているチャーハンと「トマト卵炒め」を速攻でかっ込み店を出る。
ごちそうさまでした。
チャーハンも「トマト卵炒め」も美味しかったです。
とくにチャーハン。
コメはちゃんとパラパラ(≠パサパサ)で、卵は美しく均等にばらけており、メインとなる牛肉は角切りにされ、奥歯で噛みしめると肉汁が溢れ出す、そんなチャーハンでした。
満足。
先に書いたとおり、自転車に乗る時に考え事は禁物なので、「オジサン」問題は家に着くまでスッキリ忘れることにする。
というか、サドルに跨り、「カチチチチチ……」というラチェット音(ペダルを回していない時に後輪が空回りする際に発生する音)を耳にすると、不思議と邪念は消えてなくなるのだ。
これがロードバイクの醍醐味である。
残りの行程は約50km。
曇り空が気持ち厚みを増した気がするので、先を急ぐ。
10kmほど走り長臨古鎮に戻ってきたあたりで、雨粒がパラパラとアイウェアを叩き始める。
あら。
雨が降るなんて天気予報では言ってなかったけど。
レインコートを持ってきていなかったが、まあ今日来ているウィンドブレーカーは防水だから大丈夫。
などと思いつつ湿地公園を過ぎたあたりで、結構本格的にザーザーと降り出した。
想定していたコースをこのまま辿るならば、残り25kmほどである。
雨の事を考えるとちょっと長い。
しかたがない。
ショートカットしよう。
あまりナビに従いながら走るのは好きではないが、雨の中走るのは危険も伴うし、この前治ったばかりの風邪をぶり返すおそれもある。
百度地図のナビに従いながら残り20kmほど走る。
安全第一。
結局15時過ぎに帰宅。
サイコンの表示だと走行距離は150km。
最初の数キロほどはサイコンを起動し忘れていたので、実際にはもう少し走ったはずである。
楽しかった。
チャーハンも堪能できたし。
そういえば古鎮で食べた肉まんもよかったな。
あ、書いててお腹減ってきた。
「走るために食べる」のか、それとも「食べるために走る」のか。
なんだか最近よくわからなくなりつつある自分がいる。
まあしかし、である。
そもそも「移動の手段」である自転車を「移動こそが目的である」として趣味化している時点で十分倒錯しているのである。
なので、気にしないことにして、たぶん今後もお腹を満たすために走りにでて、走り続けるためにお腹を満たすという旅を続けるのである。