とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

日本滞在記(回想録)

11日に日本に帰国した。

滞在中もブログに日記を書くつもりでいたのだが、いろいろバタバタしていてゆっくり落ち着いた状態でパソコンを開く機会がなかなか訪れなかった。

そうやって「あーブログ更新せんとなあ」と思いながら一行の日記も書かないまま過ごすうちに出国予定の24日となり、とうとう中国に戻ってきてしまった。

アップすることがなかったのではない。

アップしたいことやアップすべきことはたくさんあったのだが、忙しかったのである。

書いていなかったのではない。

走り書き程度にはいろいろと記録していたのだが、それを読み直して表現をいじったうえでアップロードする余裕がなかったのである。 

そんなに肩肘張るような文章ではないし、ここにアップされる文章を期待して読んでいる方が居るかどうかもわからないのだが、それでも殴り書きしたものを載せる気にはなれないのだからしかたがない。

要するにそれぐらい忙しかったのだ。

忙しいとは言っても、別に部屋に閉じこもってバリバリ仕事をしたり、あちこちを旅行していたわけではない。

むしろ、実家を中心とする半径5kmの円の中でほぼ毎日を過ごしていた。

特別にどこかへ遊びに行ったのも、日本に帰国した日の夜に博多の夜を楽しんだのと長崎にランタンを見に行ったぐらいである。

ではそれ以外の日に何をしていたのか。

簡単に言えば「走る、歩く、食う、飲む、寝る」である。

ゆっくり朝寝をし、実家近くの海岸沿いをすたこら走り、シャワーで汗をすっきりながしたあとに日が暮れるまで読書に勤しみ、夕食時になると毎日新鮮な魚介類をたっぷりほおばり酒で流し、眠くなったら寝るという、たいへん非生産的ではあるが極楽気分のルーティーンをこなす毎日であった。

すこぶる極楽気分で愉快な二週間を過ごしていたのだが、もうすぐ新学期が始まるので、頭を使い物になる状態に戻さなければならない。 

なので、しばらく物置の奥に放り込んでおいた「文章執筆モード」を引っ張り出し、そのチェックもかねて、帰国した11日からの日記を綴っておく。(備忘録というより回顧録として)

 

11日(月)

移動日。

合肥から福岡まで行く。

空港までの移動も考え、6時に起床。

春節明けから昼過ぎに起床する癖がつきかけていたので、前夜は「焼酎の豆乳割り」をぐびぐび飲んで、半ば無理やり就寝した。

いくらなんでもぐびぐび飲みすぎたので、ちょっと気持ち悪い。

二日酔いに耐えながらのそのそと荷造りをして、地下鉄と高速バスを乗り継いで新橋空港へ。 

まずは十二時半の飛行機で上海へ向かう。

合肥と日本とのあいだには直行便が無い。(以前は春秋航空の名古屋便があったんだけど)

せっかく久留米市と姉妹都市なんだから、福岡への直行便があれば良いのに。

早めにチェックインを済ませ、何事も無く順調に機上の人となる。

たいした遅延も無く、機内で仮眠をとっている間に浦東国際空港に到着。

荷物は福岡まで通しで運んでくれるので、ちゃちゃっと出国手続きを済ませ保安検査を受ける。

金属探知機を通り抜けると、そこに立っていた係りのお兄さんに靴まで脱ぐよう言われる。

まあ、確かにちょっと厚底のブーツを履いていたから、靴の中に何か隠していないかチェックしなければならないのだろう。

おとなしく指示に従い脱いだブーツを手荷物と一緒にスキャンにかけているあいだに靴下でぺたぺた歩き検査を通過する。

こうして晴れて「出国」はしたものの、福岡行きの飛行機まであと3時間近くある。

せっかく国際空港に来ているので、運動を兼ねて空港内を歩き回る。

こうして多種多様な文化や国籍の人々が混在する様子を観察していると、ある程度日本人のクセや嗜好が浮かび上がってくるような気がして、中国人と日本人とを見分けるポイントがなんとなくわかるような錯覚に陥る。 

若い男の場合、中国人と日本人は髪型で結構見分けがつく。

サイドやバックを素直に刈り上げている場合、中国人であることが多い。

逆にツーブロックを入れたり、長く伸ばしたりしている場合は、日本人っぽい。

若い女性の場合、髪型に関しては、私の目にはそう大した違いがわからない。

しかし、なんというか、たいへん抽象的な表現になるが、日本人の若い女の子の場合、雰囲気が「ふわぁー」としている。

被っているニットやかけている眼鏡、身につけている小物が同じように見えても、中国人女性の場合、ちょっと「きっ!」というイメージを受ける。 

なんでだろう。

で、今回新たに気づいたこと。

日本人の若い女性は、コンバースやうす底のスニーカーを履いていることが多い。

対して中国人女性はヒールやごついブーツを好むらしく、スニーカーを履くにしてもけっこう厚底なものを好むことが多いようである。

などと空港内を散歩しながら観察し考えていたが、「あ、傍から見ると俺って不審者じゃん」と思ったので、そのあとはおとなしく本を読みながら時間をつぶす。

 

飛行機は定刻通りに飛び立ち、定刻通りに福岡空港に着陸。

入国審査に望む。

日本人向けに審査がオート化されていて、機械にパスポートの顔写真ページを読み込ませたあとにカメラで実際の顔と照合すれば終わりという完全セルフ式になっていた。

列に並んで押印してもらう必要もなく、数秒で済むし、これは簡単。

でも、私が中国に帰るたびに払わなければならなくなった1000円の「出国税」の事を考えると、うーん。

それに私は中国に居住・就労し、中国で所得税を納めているので、日本向けにそのことを証明する際に出入国のスタンプが必要なので、どのみち押印してもらわなければならない。

二度手間。

無事に帰国を許されたので、ささっと預け荷物をピックアップし税関へ。

記入した税関のカードを一瞥した職員さんに「ご旅行ですか?」と聞かれる。
内心「は? いやいや、おいら日本人だから。中国から日本に旅行ってことはなかろう」と思うも、爽やかに「いや、帰省です」と返す。
で、しばらくして彼の質問の意図が「(中国へは)ご旅行ですか」というところにあったのだと思い至る。
それに対して「いや、帰省です」って。
私のふるさとはいったいどこやねん。
日本語が確実に下手になっていることを痛感しつつ、福岡空港の無料シャトルバスで国内線ターミナルまで移動し、地下鉄で博多駅まで向かう。

その車中、なんかどっかで見たことがある女の子に出会う。

なんと前任校の教え子だった。

今は福岡の大学院に留学中とのこと。

しかもさっき上海から私が乗ってきたのと同じ便で日本に戻ってきたとのこと。

わお。

彼女が連れていたお友達も交えて駅に着くまでしばらく中国語で歓談。

なんだか日本人と日本語でしゃべるよりも中国語を話しているときのほうが気楽に感じる。(これは今回滞在中にずっと感じていた印象である)

博多駅についたので「じゃあ修論頑張ってね!」とおしゃべりを切り上げ学生さんと別れたあと、博多駅周辺のカプセルホテル(のようなもの)にチェックイン。

お腹が減ったので、さっそく夜の街に出て、美味しい料理とお酒があるところを探す。

一軒のお店が気になるが、地下にあるのでちょっと怖い。

それでも勇気を出して入ってみる。

「ガラガラ」と戸を開いてみると、なんと本当に擬態語的な意味で「ガラガラ」で、お客さんは一人もいない。

「あら、この店はハズレかしら」と思ったが、まあ不味かったらビール一杯飲んで出ればいいかと思い、カウンターへ。

で、結果から言うと、「大当たり」だった。

大好物である「サバの刺身」や「珍味三種盛り」「鯨の刺身」などを味わいつつ日本酒を冷でくいくい煽る。

ちょっと値は張ったが、まあ一年ぶりに帰国した夜ぐらいはよかろう。

マスターとのおしゃべりに興じているとあっという間に閉店時刻になったので、0時過ぎには退散。

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帰り道のコンビニで唐突に「推荐使用支付宝」(アリペイでのお支払いがおすすめ!)という中国語の青いのぼりが目に入り、一瞬「あれ、いまどこにいるんだっけ」と混乱する。

あまりにも堂々と宣言していたので、買い物ついでに店員さんを「これ、中国のアリペイのQRコードをそのまま使えるんですか?」「その場合円と元の換金比率はどうなるんですか?」「そもそもこの決済方法を扱ったことあるんですか?」と質問攻めにする。 
気の毒な店員さん答えて曰く、「わかりません」「わかりません」「ありません」。
「アリペイって知ってますか」と聞いたところ「知りません」とのこと。
まあ、だろうね。

ホテルに帰ってシャワーを浴びたあと、すぐさま爆睡。

 

12日(火)

泥のようによく眠る。

朝九時に起床。

シャワーを浴びてバタバタとチェックアウトを済ませたあと、一番近くにあったブックオフに立ち寄る。

小説や評論集、それにさまざまな外国語の入門書を購入。

外国語の入門書を購入したわけは、来学期学生さんたちと「日本語で学ぶ〇〇語」という勉強会をしてみようと考えているからである。

外国語で外国語を勉強するというのは、やってみてわかったが、けっこう楽しいものである。

学生さんもずっと日本語ばっかりだと飽きが来るだろう。

それに、私も英語と中国語以外の外国語をちょっとかじってみたい。(英語や中国語もままならないのにほかの言語に手を出したがる自分を節操無いとは思うが)

なので、フランス語、イタリア語、スペイン語、広東語、韓国語の「超入門」書を購入。

たくさん買い込んだ本をトランクにギュウギュウ詰めにし、博多バスターミナルから地元佐世保に向かう高速バスにさっさと乗り込む。

なんやかんやあって無事に実家に到着。

これから二週間弱帰省(寄生)することになる。

行李を解き落ち着いたあとに夕食。

魚好きの私のためにハマチの刺身が食卓に上る。

焼酎とともにありがたくいただきつつ、両親と久闊を叙する。

酔もまわり移動の疲れがどっと出てきたので、早めに就寝。

 

13日(水)

天気がいいので散歩をする。(ザ・ストックフレーズ)

国道沿いに少し歩いたあと、脇道に逸れて海岸まで降りる。

そのまま海岸を左手に眺めながらテクテク歩く。

私の実家の近くには西海橋という橋があって、1955年に完成した当時はけっこうすごい橋だったそうな。

「空の大怪獣ラドン」(1956年)でラドンに破壊されるシーンがあるそうだが、残念ながらこれは未見。

そう思ってこの映画に関する情報を探していたら、その映画に西肥バス(ローカルトークだな)の車両が出ていることを知る。

以前、海外の有名な誰かのPVのなかに西肥バスの車両が爆破に巻き込まれるシーンがあったのを目にして、「なんで佐世保のローカルバス会社がこんなところで」と思ったのだが、なるほど、あれは「空の大怪獣ラドン」から来ていたのか。

積年の疑問が氷解してよかった。

でも、問題はそのPVのアーティストが誰だったかをさっぱり忘れてしまっていることである。

 

それはさておき、この橋は「日本三大急潮」のひとつである針尾瀬戸に架かっている。

だからそこそこ観光客も来るので、お土産屋さんや公園が整備されている。

今回そのお土産屋さんを覗いてみると、なぜだか知らないが陈瑞元(チンスイゲン)という中国人写真家の写真がたくさん売られていた。

なかなか素朴かつ暖かで、ユーモラスな写真をとる人のようだ。

けっこう気に入ってしばらく写真に見入る。

 

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このあたりには魚市場もあるので、野良猫が多い。

その多くが人馴れしているので、触りたい放題である。

この日は風もなくお日様が天高く登るポカポカ陽気であったので、暖かなアスファルトに無防備に寝そべってお昼寝しているところを失礼し、寝相を撮らせていただく。

起きているときは十分にキリっとしているのに、寝ているときはふにゃーってなっちゃうよね。

わかるよ。

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14日(木)

もうすぐ2歳になる甥と再会。

去年の一月に初めて会ったときは立つことも喋ることもできなかったが、あまりにも可愛すぎたのでたくさん抱っこして(一方的に)おしゃべりした。

さすがに一年以上会っていないし、そもそも前回会った時は小さすぎたので、私のことなど覚えていないだろうと思っていたのだが、再会して私のことを一目見るなり、なんと「にいちゃん!」と言ってくれた。

これには「おじさん」も、おもわず感涙。

「おじちゃん」じゃなくて「にいちゃん」と呼んでくれるのがいいね。

 

この日は髪を切りに行く。

私は中国ではセルフカットしている。

もちろん素人の私がセルフカットするとあまり綺麗な仕上がりにはならない。

しかし、中国にきたばかりの時に一度行った「美容室」でちんちくりんなヘアスタイルにされてしまってからというもの、私は「中国人の美容師恐怖症」を発症してしまったのである。

他人に任せて「ちんちくりん」になってしまうと、その怒りややるせなさは他人に向かい、結局はその他人に任せたバカな自分のところに(他人への怨念や遺恨を伴いつつ)フィードバックされてくる。

それは非常に片付かない気分である。

以前お付き合いしていたガールフレンドが「髪、私が切ってあげるよ」とおっしゃるのでまかせてみたことがある。

結果的に見事な「ちんちくりん」になった。

「じゃあお願い」といったのは私だし、彼女も悪意があってやったわけではないので(たぶん)、憎むことも怒ることもできず、ずいぶん片付かない思いをした。

その点セルフカットは楽である。

全て自分の責任だからね。

うまくいけば「おお、おれってすげえ」だし、「ちんちくりん」なら「まあ、しゃーないわな」である。

頭も心もすっきりしてよい。

とはいえ、素人がやるわけだから、トップは鋤ばさみでなんとかなるけど、どうしてもバックやサイドがうまくいかない。

というわけで、6年ぶり(!)に日本人の美容師さんに切ってもらった。

この美容師さんが腕も良いし、余計なことを喋りすぎないし、はたまた私と共通の趣味(ベース)を持っていて、とても快適だった。 
切ってもらいながら、上手いセルフカットのコツや理論などさまざまなことを教えてもらったが、彼が教えてくれたなかでも私を一番びっくりさせたのは「騎射場の三徳が焼けた」というニュースであった。

「騎射場の三徳」なんていってもわかる人は少ないだろうから追記しておくが、「騎射場」というのは私が学生・院生時代を過ごした鹿児島大学の学生街であり、「三徳」とは「安い、多い、汚い」が売りの定食屋である。(あと、お冷が不味い)
佐世保の美容室で佐世保人の美容師さんから「騎射場の三徳」という言葉が出て、まずびっくり。
三徳が焼けたという事実にさらにびっくり。
そんなローカルネタがヤフーニュースに出るはずないし、中国にいるあいだはヤフーニュースで日本の情報を仕入れているので、やっぱりsnsって重要だなと痛感する。(私はVPNを使っていない)
別に三徳に思い入れはない(安くてボリューミーだが水が不味いという以外には)。

 

VPNで思い出したので、家に帰ってひさしぶりにYouTubeを見てみる。

たまたま見つけた「カブトボーグ意味不明な会話集」が面白い。
カブトボーグを私は見たことはないけれど、なんかこの「噛み合ってないから噛み合う」感は、とても私好みだし、わかる気がする。 
私は常常思うのだが、「わからないけどわかる気がする」からこそ、私たちのコミュニケーションの欲望は理解へと向かい、しかし「わからない」ゆえに誤解が生じ、その誤解によってコミュニケーションは単なる情報の等価交換から、知の質的変化へと至るのではないだろうか。 
たとえばこのビデオのなかにある「元気になったんだから、もっと元気出せよ」とか「せっかく海に来たんだから、海に行こうぜ」という言葉における「元気」や「海」の意味するものはそれぞれ違う。
そしてその違いを定義づける主権者は発話者ではなくコミュニケーションの「場」そのものに開かれている。
立川志の輔が「バールのようなもの」で見事に描き出したように、言語とは自分を理解させるための道具ではなく、コミュニケーションとは「正しく理解させる」活動ではない。 

むしろ言葉とは私達に誤解を無意識的に引き起こさせることで、言葉自身の縦横無尽な運動を止めさせない主体そのものであり、その運動をコミュニケーションと呼ぶのではないか。

私たちが言語を手段として用いコミュニケーションを主宰しているのではなく、言語が私たちを手段として活用しコミュニケーションを動かしているのである。
ということで、いちばん複雑かつ意味不明故に、私のコミュニケーション欲を刺激した「カブトボーグ」のやり取りを、引用しつつ、私のコミュニケーション欲から出てきたことばを()で括る。 
ちなみに「リュウセイ」と「ケン」、「カツジ」は仲間内で、「リュウセイの父」は、まあこの場面では敵対しているみたい(「巨人の星」で一時期星親子がそうであったように)。
では。

リュウセイの父「井の中の蛙、大海を知らず」
リュウセイ「なに!!」
リュウセイの父「天野河リュウセイ! すき焼きは関東風より関西風が美味いよな」 
リュウセイ「あ…」
リュウセイの父「ふっ。」
ケン「リュウセイ…」
カツジ「リュウセイくん…」
リュウセイ「俺は…関西風の味を知らない…」(ぐぬぬ)
ケン「心配するな、リュウセイ。すき焼きは関東風が美味い。食べてなくてもわかるよ」(こっから完全におかしい)
リュウセイ「ああ!」(なぜか間髪入れず立ち直る)
リュウセイ「ようし! 俺も今夜はすき焼きだ!」(まあ、それでもいいけど、そこは当然関西風だよね)
カツジ「普通、ビフテキとカツだよ」(いや、それは話自体ちゃうし、違うだろ)

 

15日(金)

去年とあるきっかけで知り合った佐賀大学の中国人留学生Tさんから「長崎ランタンフェスティバルを見に行きましょう」とお誘いいただいたので、雨の中を2年ぶりに長崎へ行く。

佐賀から車で来るTさん及びその後輩たちと長崎駅前で待ち合わせ。

会ってみると全員中国人だった。

なんとなく流れで中国語を話すことになる。

市内を巡るなら路面電車(長崎ではなんて呼ぶんだろ、鹿児島だと「市電」って呼んでたけれど)が便利なので、一日乗り放題パスを買って、まずは中華街に向かう。

お昼どきだったのでご飯を食べながら、このあと巡るルートについて相談。

ちなみに長崎の中華街は福建省から渡ってきた人たちが作ったものである。

Tさんは厦門の人なので、本場の人が長崎中華街を見てどんな反応をするか興味があったのだが、案の定「ふーん。でも、ぜんぜん福建っぽくないですね」という反応だった。

まあ、そうだよね。

お昼は中華料理を食べたが、やっぱり「日本の中国料理」である。

個人的に思うのだが、日本の中国料理はやたら塩辛い。

ウェイパーの使いすぎじゃなかろうか。

中国語では「中華料理」という言い方はしない。

中国語的に言うならば“中国菜”Zhong1guo2cai4である。

私は個人的に中国菜を「本場の中国料理」、中華料理を「日本の中華料理」と理解し使い分けている。

とはいえ、ひさしぶりに日本の中華料理(エビチリ、チャーハン、ビーフンなどなど)を堪能し、美味しい昼食をいただきました。

そのあとはTさんが「雑技を見たい!」というので、路面電車に乗り中央公園へ。

本場中国から来た雑技団の雑技をたっぷり一時間堪能する。

私は中国雑技を見るのはこれが初めてだったが、とても感動した。

自分でもなぜだかわからないが、途中で涙ぐむほど心を揺さぶられた。

6個の帽子を次々に投げて被ったり、数十個(総重量5キロ)のフラフープを一度に回したり、10段にも積み重ねた椅子の上で倒立したり……。

そういうのは実益性とか社会的意義とかないのかもしれないけれども、「人間には無限の可能性が満ちている」ということを具体的に見せてくれる大切なお仕事だと思う。

果たして私は自分の授業で、学生の皆さんに「そっか、私たちには無限の可能性が満ちているんだ」と気づいてもらえるようなパフォーマンスをしているだろうか。

ちょっと恥ずかしくなる。

雑技を堪能したあとはグラバー園やら大浦天主堂やら孔子廟やらを巡る。

寒雨のなか歩き回ってお腹が減ったので中華街に戻った頃には、日もとっぷり暮れて、点灯されたランタンがとても美しい。

ちゃんぽんでお腹を満たしたあとぶらぶらし(長崎弁では「さるく」という)、ランタンを鑑賞。

8時過ぎにはお疲れのTさん(このあと雨の中佐賀まで運転しなければならない)一向と別れて佐世保へ戻る。

ということで、私のふるさとである長崎を中国人たちと中国語で交流しながら観光するという一日であった。

 

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16日(土)

前日歩き回りながら中国語をくっちゃべったためたいへん疲れた。

なので一日中部屋で読書や荷物の整理をして過ごす。

実家の自室を漁っていたら、高校一年生のときに人生で初めて買ってもらったケータイ(ドコモのMova、もはや響きが懐かしい)が出てきた。
このシルバーカラーの二つ折りケータイを、私は高校卒業までずっと使い続けた。 
ということは、このガラケーのなかには高校生の私がやり取りしていたメールやショートメッセージの全てが収められているということである。 
15歳から18歳にかけての私は、いったいどんなメールを送り、受け取っていたのだろうか。(今から振り返ってみれば、そもそも私にそんな時期があったのだろうか、そして今の私は当時の私と何が変わったというのか) 
興味半分怖さ半分だが、残念ながら壊れていて電源が入らない。 
なので、私の「高校時代のメール」に関する全ては、記憶の奥底深くに沈んでしまっていて、今の私が今の私の好き勝手な都合や形でサルベージすることでしか検証しようがない。 
でも、記憶というものは、過去においてソリッドな形状で固定された媒体ではなく、実証や資料的検証を離れた想起のたびに、一期一会の再創造でその存在が可能になるような未知の存在そのものだと私は思う。(前もそんなこと書いたな)

 

17日(日)

昨日自室から「発掘」した高校時代の現国の教科書をパラパラと読む。

すると、まさに今の私が興味関心を持っている分野やジャンルに関する文章に出くわす。

たとえば 長谷川龍生のこんな詩である。

ぼくがあなたと 
親しく話をしているとき 
ぼく自身は あなた自身と
まったく 違う人間ですよと 
始めから終りまで 
主張しているのです 
あなたがぼくを理解したとき 
あなたがぼくを確認し
あなたと ぼくが相互に 
大きく重なりながら離れようとしているのです 
言語というものは 
まったく ちがう人間ですよと 
始めから終りまで 
主張しあっているのです
同じ言語を話していても 
ちがう人間だということを 
忘れたばっかりに恐怖がおこるのです
ぼくは 隣人とは
決して 目的はちがうのです
同じ居住地に籍を置いていても 
人間がちがうのですよと
言語は主張しているのです 
どうして共同墓地の平和を求めるのですか 
言語は おうむがえしの思想ではなく 
言語の背後にあるちがいを認めることです 
ぼくはあなたと 
ときどき話をしていますが 
べつな 人間で在ることを主張しているのです 
それが判れば 
殺意は おこらないのです

 よいね。

美しいね。

あまりにも良かったのでAmazonで彼の詩集をポチる。

ほかにも中桐雅夫の詩にもグッときた。

「海はいいな」と少年はいった、
「そうかしら、私はこわいわ」と少女が答えた、
少年はほんとうに海が好きだったが、
少女のこわかったのはなにか別のものだった。 
 
それからふたりの足はとげのうえを歩いてきた、
ふたりの心もとげのうえを歩いてきた、
やがて足も心も厚くなって、
とげもどんなに鋭い針も通らないようになった。  
さらさら砂をかけられて、
こそばゆかったやわらかな足裏は、
なぜいま軽石でこすられているのだろう。 
 
とがった鉛筆のしんでつかれても、
うすく血がにじんだやさしい心、
ああ、あの幼い心はどこで迷っているのだろう。

よいね。

胸に染みるね。

思わず私も「ああ、おいらのあの幼いながらも純粋な心はどこに行ってしまったのか」とひとりごつ。

まあ、そんなもの最初からなかったのかもしれないけれど。

人は皆「あるべきもの」を「ないもの」に求め、「あったはずのもの」を「なかったもの」に見出す。

そういうものである。

 

午後に妹が甥っこと一緒に泊まりに来る。

甥っ子が私を一目見るなり「あっ、にいちゃん!」という。

可愛い。

あまりに可愛いので、甥っ子といっしょにご飯を食べる。

甥っ子はただいま絶賛イヤイヤ期中なので、なんでもかんでも「イヤ」だし「だめ」なのである。

「美味しい?」

「だめー」

「かあかあは?」

「いやー」

「とうたんは?」

「いやー」

「ばあばあは?」

「いやー」

「じいじは?」

「いやー」

「にいちゃんは?」

「いやー」

可愛い。

私にもこんな時代があったのだろうか(あったはずだ、たぶん)。

 

18日(月)

 祖母の見舞いに行く。

本来は今年の冬休みに帰省する予定はなかった。

それでも帰省した目的は、今年94になる祖母に一目会うためである。

先月大きな手術をしたため、あまり元気そうには見えないが、私の来訪を喜んでくれた。

母は昨年から祖母の介護できりきり舞いである。

しかし、それすら「新しい体験」として、母は前向きに楽しんでいるようだ。

そのような母の姿がなければ、私は冬休み帰省しなかったかもしれない。

人間に残されたもっとも重要な仕事とはすなわち「死ぬ」ことだと勝手に定義させてもらえるならば、次に重要な仕事とは親の死に向き合うことだと私は思う。

ここでいう「死に向き合う」とは、死の瞬間やその後のことだけを範囲として指しているわけではなく、まさに「親が死に向き合っていることに向き合う」ということである。

そんなこと、誰も考えたくないし、面と向かいたくない。

しかし、それは大事なことだと思う。(根拠などないが)

その仕事を経験しているかどうかで人間の思想や言葉は(論理性や有効性という次元とは別の次元で)変わるものがあるのではないか。

その仕事の方法はそれぞれのやり方でいいと思う。

沢木耕太郎が『無名』を著したことでしめした方法もあるし、私の母が祖母の介護を楽しんでいるような方法もある。

果たして私にその覚悟や準備は出来ているだろうか。

そんなことを、ふと考える。

 

祖母のもとを辞去したあと、本屋に行くため佐世保の中心部へ向かう。

久しぶりの佐世保市内である。 
私にとって佐世保といえば玉屋デパートのサンドイッチである。
幼少の頃母や妹と市内に遊びに来たときは、よく公園で鳩を眺めながら、このサンドイッチを食べた。
今でもその味は変わらない。(値段は高くなったが) 
甘めのマヨネーズがふわふわのパンとシャキッとした具材にマッチして美味である。

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帰宅して運動を済ませたあと、夕飯まで福岡のブックオフで買った橋本治『「わからない」という方法』を読む。

内田樹のブログや著書でよく言及されたり引用されたりしているが、直接本人の著作を手に取るのは、多分これが初めてである。

非常に頭がいい文章を書く人である。

思わず「かっこいいなあ」と思う。

こういう文章をスラスラかけたら、さぞかし気持ちがいいんだろう。

その気持ちよさは、他人をクリアカットな言葉で「斬る」気持ちよさは、異質のものである。(想像だけど)

今回「いいな」と思ったとこは、ここ。

「恥知らず」のハードルをいくつか超えると、その先に「自信ある人」のゴールが待っている。しかし、その「自信ある人」が再びレースに出ても、その時のレースで必ず「自信ある人」のゴールにたどり着けるかどうかはわからない。「恥知らず」のハードルを跳びそこねれば、そこでその人はまた、「自信過剰の恥知らず」である。「自信」と「恥知らず」は表裏一体なのだから、どうしてもそういうことになるーーつまりそれは、人間が挫折を必須とする生き物だからである。 
すべての人間が挫折を必須とする生き物である以上、「自信」はいつか「恥知らず」に変わる。べつに不思議のないことである。そして、人間が挫折を必須とする生き物である以上、すべての人間は、いつか「わからない」というシチュエーションにぶつかるものである。それにぶつかって切り抜けるのが人間である以上、「わからない」は方法論でもなんでもなく、ただの「当たり前」である。問題は、その「当たり前」がいつ「特別な方法論」に変わらざるをえなくなったのかということである」(橋本治『「わからない」という方法』、集英社新書、18頁)

「わからない、だけどわかりたい」と言えない人、「すみません、間違いました」と口にできない人間、そういう人物を私は信じないことにしている。

なぜなら、私自身がそういう人物としてモノを語り文を綴っているときの私自身が「信用できない」人間だからである。

だから、この箇所は「うんうん」としかいいようがない。

 

19日(火) 

唐突に「なまこが食いたい! なまこを寄こせ!」状態になってしまったので、近くの産直で買ったなまこを捌き、刺身にしてポン酢でいただく。

私のふるさとでは正月に生なまこを食べる習慣がある。

子供の頃はあまり好きではなかったし、今でも特に食べたいと思うわけではないのだが、時々こうやって「あ、なまこ食いたい」という衝動に襲われる。

合肥だとなかなか手に入らないので、せっかくの機会を生かし、よく味わう。

コリコリして美味である。 

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20日(水)

 スーパーのアジフライを食べる。

毎回日本に帰国する日が近くなると「これだけは絶対滞在中に食べようというものはなんだろう」ということでいろいろ思い悩んだりする。
興味深いのは、そうやっていろいろ考えた挙げ句結果私の脳裏から離れなくなる食べ物は、寿司とか天ぷらとか鰻とかいう「いかにも」なものではなく、夕方5時過ぎから投げ売りされるようなスーパーの惣菜だったり、地場の鰯の刺し身だったり、コンビニの「チーズ鱈」だったりするということである。 
で、結局貴重な機会を利用して口にするものが、そういう「しょうもない」もので終わることが多い。 
これをして私は自らをバカ舌と名乗るのである。
しかし、私は衣食住に関しては「バカ」であることは却って幸せではないだろうか、と感じる。
「せっかくだから一番高くて、それらしいのを持ってこい」という精神のあり方が、典型的に貧しいものに感じられるからだ。

で、今回の「しょうもないもの」がアジフライだったというわけである。

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21日(木)

なんだか食べてばっかりなので、5キロ程度離れたスーパーまで母親の買い出しにつき合ったあと、帰り道を一人で走って帰る。

前の方で書いた西海橋の公園を通りかかると、カワヅザクラが見頃を迎えている。

おもわずノンアルコールビールを買って花見酒を愉しむ。

社会人の皆さまがせかせか働いていらっしゃる時間に頂く花見酒は、ちょっぴり背徳の味がする。
まあ、でもこれノンアルビールだし、私ももう少ししたらせかせか働くことになるんだけれども。 

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22日(金)

雨の中を走る。 

ほかはなにしたっけ。

忘れちゃった。

 

23日(土)

天気がいいのでジョグ程度のスピードでたらたらと10キロ走る。

走ったあとに近くの小高い山に登り、佐世保湾や大村湾を望む。

家に帰ると酢飯の匂いが玄関にまで漂っている。

母が大村寿司という押し寿司を作っているからである。

母は毎年この時期にこの寿司を作る。

母はこれを祖母から学んだ。

最近ではこのように手作りする家庭も少なくなったという。

甥っ子が泊まりに来ていたので、母が作った押し寿司を一緒に食べる。

「おいしい?」

「おいしい!」

可愛い。

そのあと一緒に記念撮影。

また夏に会おうね。

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24日(日)

中国に戻る。

まずは高速バスで福岡空港に向かう。

ちゃちゃっとチェックインと出国手続きを済ませ、搭乗開始を待つ。

お茶っ葉が入ったマイボトルを持ち歩く中国的習慣がついてから感じることだが、日本の空港や駅に冷水はあってもお湯がないのは不思議である。
日本人だってお茶好きなのに。
日本人は中国のようにお茶っ葉を切り刻むことなく丸々使ってお茶を入れることはしないからだろうか。

つまり、日本は茶葉を細かくしていることが多いので、中国のようにボトルに茶葉を入れて持ち歩くと、一杯目が濃すぎてニ杯目以降が薄くなりすぎるのである。 
もっとも日本では茶葉を細かくしているから中国のように持ち歩き注ぎ足さないのか、それとも中国のように持ち歩き注ぎ足さないから茶葉を細かくしているのか、その因果関係の前後はわからないが。

そんなことを考えているうちに搭乗時間が来たので飛行機に乗り、まずは青島へ。

いつもは上海で乗り換えるのだが、なぜだか今回は青島。

上空から福岡の街に別れを告げる。

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しばらく寝ている間に飛行機はだいぶ飛んだらしいが、下に見える大地が中国っぽくない。

日本に似ているが、なんか日本っぽくもない。

そうか、福岡から青島に向かうっているってことは、今韓国上空を飛んでいるってことか。

なるほど。

一時間ちょっとのフライトで青島に到着。

乗り継ぎ時間があまりないので、入国審査と荷物のピックアップを超特急で済ませ、合肥行きの便にチェックイン。

乗り継ぎのためとは言えせっかく青島に来たのだから、登場時間まで青島ビールを楽しむ。

 

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予定より30分遅れで搭乗開始。

飛行機のなかでは爆睡。

ということで、長崎から福岡に行き、福岡から韓国上空を横切り青島ヘ行き、青島から南京上空を飛んで合肥に到着。 

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荷物をピックアップし、あとは自宅を目指すだけ。

荷物がやたら多くてバスや地下鉄で移動するのが面倒なため、多少の出費覚悟でタクシーに乗る。 
するとこの運転手が見事に「ハズレ」。
夜中の高速を時速100キロ以上出しながらバカでかい声でwechat通話し続けるし、目的地をろくに把握していないし、やたら遠回りするし。 
百度地図のおすすめルートを見せながら「おいおい、なんでこんなに遠回りするんだ?」「というか、運転しながら話すとは、どういうことなんだ」「そもそも相談もなしにルートを決めるなんてありなのか」などとグチグチ言ってたら十元「負けて」くれたが、思ったより余計な出費をしてしまった。 
まあ、何はともあれ無事に帰宅できたのでよしとする。 
で、さっそく体重計に乗ってみると……。
うん、きっと何かの間違いだね。
帰宅そうそうジョギングウェアに着替えて一時間走ったあとに就寝。