年年岁岁花相似
朝一で銀行へ行く。
来月日本に一時帰国するので日本円を調達しなければならない。
中国の決まりでは外貨への換金は身分証が必要となる。
身分証としてパスポートを使って換金する場合、一日の両替制限が500ドルとのことである。
私は外国人なので、当然パスポートを使って換金することになる。
私は今回10万円ほど用意するつもりなのだが、10万円というとドル換算で約900ドルになる。
ということは銀行へ二回に分けて今日と明日の2日行かねばならない。
えー。
面倒くさ。
しかし仕方がない。
いつもなら学生さんに頼んで一緒に銀行まで来ていただき、彼らの身分証(パスポートより両替制限金額が高い)で両替してもらっている。
しかし今回はぼんやりして日本に帰ることについて失念しているうちに、学生諸君はみんな実家に帰ってしまった。
というわけで、ひとりで銀行へ。
かくかくしかじかこれこれこういうわけで、人民元を日本円に替えたい旨説明する。
窓口に行き行員さんに中国語で話しかけると、なぜか英語で応答してきて、そのまま彼は英語を話し私はそれに中国語で返すという、不思議な会話をする。
私も英語で返せばいいのだろが、頭が中国語モードになっていて面倒くさいので中国語を通す。
大学でもときどきこういうことがある。
むこうの先生は私が外国人だからか手を挙げて“Hi”と挨拶してくださるのだが、私は日本的な会釈をしながら“你好!”と返す。
いろいろごちゃごちゃである。
ごちゃごちゃといえば思い出した。
英語と中国語の切り替えでいちばん混乱したのが、以前の勤務校の英語の外国人教師と廊下ですれ違うときであった。
もちろん彼は英語ネイティブなのだが、中国語も非常に流暢に喋るので、毎回向こうから挨拶をしてこようとするたびに「どっちだ、どっちで話しかけてくるんだ?」と身構えてしまった。
頭を英語モードにして、これから展開されるであろう英会話を先読みして、久しく開けていないかび臭い「英語脳」からストックフレーズを引き出して準備しておいたのに、そこへ中国語で挨拶もなしに“你过年回国不?”(春節は国に帰るの?)なんて来られると、いったん英語モードになった頭を中国語モードに切り替える際に一瞬「あ、やべえ。中国語だった。えーと…」的な日本語モードが支配することで外国語が出てこなくなる「空白」が発生してしまう。
彼は会うたびに英語と中国語をランダムに使い分ける面白い人だったのだが、結果的に会うたびに私は「ごちゃごちゃ」してしまった。
同じようなことが韓国に行ったときにもあった。
仁川国際空港から中国に帰るとき、手荷物検査で係のお姉さんに韓国語で話しかけられた。
私は韓国語はわからないのでキョトンとしていたら、そのお姉さんは私が手にしていた日本のパスポートを見て全てを察したようで、素敵な笑顔を浮かべながら、英語で「お荷物の中にモバイルバッテリーはありませんか?」とお尋ねになった。
私は思わずそれに“没有”と中国語で答えた。
韓国の空港で、韓国人に英語で話しかけられた日本パスポートを手にする日本人らしき男が、中国語で答える。
ごちゃごちゃだね。
きっと私の足りない頭の中では言語領域が母語と外国語というふうに二元的に構成されており、「外国語」のなかに英語も中国語も全て一緒くたに放り込まれているのだろう。
で、たぶん今の私の「外国語脳」のなかでは英語より中国語がドミナントな地位を占めているのだ。
語学の才のなさを嘆く。
よって「これじゃいかん」と思い、最近は中国語で英語を(もしくは英語で中国語を)勉強している。
でもこれ疲れるのよね。
何はともあれ、とりあえず5万替えたので、残りは明日。
Bye.
とことこ歩いて大学へ。
最近天気がいい日々が続いている。
大学のグラウンドを覗くと、日の光に誘われた留学生たち(たぶんインド人)がクリケットに興じている
日向ではねこさんたちが気持ちよさそうに惰眠をむさぼっている。
キャンパスでは気が早い梅の蕾が遠慮がちにほころび始めている。
年年岁岁花相似,岁岁年年人不同。(年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず)。
春節の時期は梅が綺麗である。
とくにこの時期は蝋梅が芳しい。
もうすぐ私は中国に来て6回目の春節を迎える。
古詩に読まれているとおり、梅は変わらず美しいが、ほんとうにあっという間に6年である。
とくに合肥にきてからの3年はほんとうに「歳々年々人同じからず」という思いである。
感慨にふけるのはこのぐらいにして、仕事をしなければ。
ポケットに文庫本を放り込んでふらっと散歩に出たり、河川敷で何も考えずぼーっとお日様に当たったりするには絶好の一日だが、私には考えなければいけないことがある。
やらなければいけない調べものや、読まなければならない本も山積みだ。
時間があるうちに語学もやっておかねばならぬ。
なので心地よい天気を楽しむという誘惑に打ち勝ち、いざ机に向かうのである。
そうやって書を開いてこりこりと勉強を進める。
そんななかでふと目にした一言。
“All work and no play makes Jack a dull boy”
おおお、これは何たる真理だろうか。
まったくそのとおりである。
勉学に勤しんで却ってバカになってしまっては元も子もない。
むむむむ。
私もこうしてはいられない。
というわけで、天気がいいので外に遊びに行ってきます。
私のこういう意志薄弱さは何年経っても変わらない。