春の夜にふらっと。
私は屋台が好きだ。
腰を据えて飲むもよし、冷やかし程度に眺め歩くもよし。
とはいえ、日本において堂々たる屋台街といえば、まあ、福岡市ぐらいしか残っていない。
同じ九州の鹿児島には、「屋台村」なる飲食街が数年前にできたが、私は移動できない店舗を「屋台」とは呼ばない。素人考えだが、どうせなら市と上手くやって、甲突川沿いに屋台を並べればよかったと思う。綺麗だし。
まあ、いい。
福岡の場合は、市の認可制を取り入れたことで、伝統や文化と公共性との兼ね合いが上手く行っていた。まあ、報道でご存知の通り、最近はその弊害も出てきている上に、そもそも屋台を継ぐ跡取りが激変しているのだけれども。
そもそも今の若い日本人は酒を飲まないよね。(それが良いか悪いかは論じない)
私が中国を離れられない理由の一つは、まさにここにある。
つまり「屋台」であり、「夜市」である。
この国では、繁華街などに行かずとも、「地球の歩き方」などには載っていなくとも、どの町にも必ず屋台街がある。
別に綺麗な訳でも安いわけでもない。
むしろ汚いし、高い。
でも、あの雰囲気には、味合わないと理解できない魅力がある。
言っておくけれど、そのへんの路肩や高架橋の下に雨の後のキノコのように出没するので、もちろん「非合法」である。
以前重慶で飲んでいたとき、「非合法」の屋台が都市管理のお巡りさんたちにひっくり返された挙げ句、焼き台やらプロパンガスやらを没収される場面に居合わせたことがある。
屋台主のおっちゃんは数時間路肩に座って泣いていた。
それを見て、かなり切なかった。
でも、実際問題、この国では今でも屋台街はどこにでもあるし、それは人々の生活の一部になっている。
これらの屋台街が将来どうなるか、それは私にはわからない。
環境や都市管理のことを考えれば、今のままでいいとも言えないという意見も、まあ、最もだと思う。
なにより、私はここでは「アウトサイダー」であり「流浪の民」である。
でも、こういう暖かな春の夜にふらっと散歩に出たときに、カラフルな電飾と鼻孔をくすぐるスパイシーな香りと、その間を通り抜ける名もなき人々の姿を見ると、私のようなよそ者にでも、理屈抜きで「キュン」と来るのである。
だから、私は屋台が好きだ。