日記(10.12~14)
12日(土)
小雨。
国慶節休暇の振替出勤日なので土曜日なのに朝から大学へ行き月曜日の授業をする。
おもわず、
どようびなのにげつようび。
どようびだけどげつようび。
どようびなんだがげつようび。
やすみをまとめてとったから。
などとポエムを綴ってしまう、あめふるどようびだから。
なにはともあれ今日は6コマ入っているので頑張るぞ。
まず3年生の「ビジネス日本語」をこなす。
授業中にいろいろ思いついたことがあるが、それはまた今度。
3、4コマ目は4年生の「視聴説」。
雨の土曜日に学校に来て憂鬱なのは学生さんも同じである。
ということで、今日は映画を見ましょう。
「わーい」
とはいっても、大学の授業なので、それなりのものをご覧いただく。
小津安二郎『東京物語』である。
2時間以上ある映画なので今日は半分だけお見せする。
酔っ払った笠智衆が、うだつの上がらない息子への不満を漏らす東野英治郎に、
「わしもそう思っとったよ。じゃが、それは世の中の親の欲というものじゃ」
と諭すところで、今日は打ち止め。
うだつのあがらない息子として、遠く長崎に暮らす父母を思い、申し訳なく思う(ちょっとだけね)。
学生のみなさんも自分の親への思い自分への親の想い、そして親孝行のあり方についてそれぞれ考えているらしく、シーンとしてしまった。
なんかごめんね。
昼食をとりに小雨の中いつもの麺屋へ。


空腹だったので、レギュラーの「牛肉麺」に油揚げを4枚トッピングしたものをズルズルと啜る。
満腹。
良きかな。
オフィスに戻り16時からの授業までデスクワーク。
授業は2年生の会話。
やんややんやおしゃべりし、すべての仕事が終わったのは18時すぎ。
疲れた。
雨が降るなかスーパーへ行き、夕御飯の材料を買い、ビニール袋を下げて帰宅。
ローラー・食事・酒というルーティンのあとに、日付が変わる前には就寝。
13日(日)
目覚まし時計のアラームで6時起床。
外は昨日とかわらず霞模様。
今日は休日なのだが朝から大学へ。
来週出版社の担当者と打ち合わせがあるのだが、その時にある程度仕上げた原稿を一部分お見せしなければならない。
ということで、朝から執筆作業。
11時半まで身じろぎもせずパソコンに向かう。
肩が凝ったし眼も疲れたので散歩に出る。
この時期の合肥はたいていどんよりと灰色に曇る。
大気汚染も少しずつ酷くなっていく季節である。
それでも秋の風には金木犀が香っているし、足元に目を向けると綺麗な花々が咲いている。
1時間ほどてくてく歩く。



そのあとOさんと食事。
食事をしながら「ハとガ」に関する箇所を読んでもらい、忌憚なき意見を頂くのである。
とはいえ、Oさんはあまり忌憚なき言い方をする人ではないので、忌憚無き意見は頂けず。
ただ、自分で「ここはちょっとなあ」と思っていた問題箇所をピンポイントで指摘してくれたので助かる。
1時間ほどお話する。
食後はオフィスに戻り仕事を再開。
15時に挿絵を書いてくれるLさんが来て、絵柄やら構図やらについて、オフィスに積み上げているいろんな漫画(私の私物)をパラパラと読みながら検討。
これは単なる挿絵ではなく、私の解説文とコラボすることで文法をわかりやすくお伝えするためのものなので、私のイメージをいろいろな表現でLさんにお伝えする。
ふたりで「難しいね」と言い合いながら相談。
そうこうしているうちに夕方。
明日はまた6コマ入っているので早めに帰宅。
いつものルーティーンをこなし、就寝。
14日(月)
学期8週目のスタート。
5時起床。
シャワーを浴びて6時すぎにオフィスへ。
今日中に原稿の一部を出版社に送るということだが、今日は6コマ入っている。
なので、寸借を惜しんでなるだけ仕上げておきたいのだ。
通勤途中に空を眺める。
綺麗。


コーヒーを淹れ、りんごとヨーグルトで朝食を済ませ、仕事に取りかかる。
8時の授業開始まで集中して執筆。
8時から12時まで授業。
3、4コマの「視聴説」では、おとといに引き続き『東京物語』を最後まで見る。
みんな映画に引き込まれ、最後まで席を立つものがいない(まあ授業中だから当たり前なんだけれども、それでもトイレに行きたいとかあるし)。
私は『東京物語』を見るのはこれで10回目であるが、毎回涙が滲んでしまう。
今回も例外ではない。
授業中にウルウルしちゃあかんだろと思いながらも、感極まる。
全部見終わったあと、学生さんに感想を書いてもらい、意見を伺う。
やはりみなさん「親孝行」や「家族関係」について考えさせられたようである。
私は思うのだが「親孝行」に絶対的な基準やマニュアルなど存在しない。
それは、いかなる親切であろうとも、他者への「親切さ」が、その「親切さ」を発揮する個人の試行錯誤や、自身の「親切さ」への評価を自分自身で下さないという態度に保証されるのと、原理的には同じである。
たとえば、「ずっと親の近くにいること」が親孝行だとは限らない(小津が『秋刀魚の味』で描いたように、ずっと子どもを自分のそばに留めた親、留められた子どもがともに不幸になることもある)。
かといって、「俺ら子どもにも自分の生活があるんだからさ」という冷めた態度を取ることは、やっぱり虚しい。
「親孝行」とは、親と子どもが、それぞれの置かれた状況において可能な範囲で、互いのことを察しながら、そしてときにはお門違いな誤解も犯しながら、それでもコミュニケーションをとり続けるという態度そのものではないだろうか。
だから、「親孝行」に正解もマニュアルもない(『東京物語』のなかで、田舎から出てきた親を構いきれずに熱海旅行を親に送り「孝行」した気になっていたのが子どもたちだけだったように)。
答えがない中で考え続けねばならぬ。
それが(親子に限らず)人間的なコミュニケーションの基本だと私は思う。
疲れたし、お腹が空いた。
気分転換に外へ行き、夕飯の買い物をしたあとに、いつもの拉麺屋へ行っていつもの麺を食べる。
「よく飽きないね」というお声もあるかもしれぬ。
しかし飽きないんだな、これが。
今回麺をかっ込みながら、後方で大音量で展開されるオーナーと客との世間話を聞いていてわかったことだが、この店のオーナーは蘭州(中国製北部の省である甘粛省の省都)出身とのこと。
蘭州とは、最近日本でも知られ始めている「蘭州拉麺」で著名な街である。
おお、本物の蘭州拉麺か。
中国では、看板に「蘭州拉麺」と出していても実際に麺を打っているのは蘭州人ではないことが多いが、ここは本物だということか。
どうりで旨いわけだ。

ごちそうさま。
満腹になったので、肌寒い曇り空の下を歩いて事務室へ戻る。

16時の授業まで原稿書きを続け、出来たところまでを出版社に送信。
そのあと2コマ授業を片付け、帰宅。
「いつものルーティン」をこなし、「いつもの晩御飯」を食べ、就寝。