とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

日記(とくになにもない週末)

9日(土)

晴れ。

ポカポカ陽気である。

キャンパスでは桃の花が満開に咲いている。

春だね。

春眠暁を覚えず(春眠不觉晓处处闻啼鸟)。

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前日早く寝たが、それでも8時ぐらいまで爆睡。
布団の中で30分ぐらい「土曜日だし、昼過ぎまで寝てもいいじゃんね」と甘い言葉を囁く自分と戦い、もがく。

週末の生活の乱れは、たいていこの甘言に乗った瞬間に始まる。

なので頑張ってベッドから身を剥ぎ取り、身支度をする。

まずは大学に行き、今週の日記をブログにアップロード。
「そんなの、家からすればいいじゃん」と思われるかもしれないが、私は帰宅して家のドアノブを掴んだ瞬間に「おれ、もう仕事も勉強もせんけんね」というダメ人間になるので、ブログのような私的文章をアップロードするためにも、わざわざオフィスに行かなければならないのである。

それに、書き物をするときには、なぜだかしらないが事務室のキーボードが一番しっくりくるのだ。
無事にブログを更新したあと、バスに乗ってひさしぶりに街に出る。
街に出るといっても、別に可愛い女の子にあったり、趣味の良い映画を見るためではなく、合肥市中心の海外食品を広く扱っているスーパーに行き、納豆を仕入れるためである。
なにしろ合肥のような地方都市では、納豆のような「なにそれ、うげげ」的な異国の珍味は、なかなか取り扱っていないのである。

30分ほど路線バスに揺られ、目的地に到着。

買い物かごに納豆を4パック放り込み、ついでだからほかにもいろいろ見る。

日本では100円前後の「ちくわ」が30元(500円)近くで売られている。

そういえばこのまえ日本に帰った時に、スーパに立ち寄ったら、そこで売られていた「磯辺揚げ」が食べたくなってしまったが、合肥では「ちくわ」もなかなか手に入らないのだ。(と書いたあとでタオバオというネットショッピングのサイトで「ちくわ」を探したら、結構安いのを発見。試しに買ってみる)

ウロウロしていたら前任校の日本人教師であるS先生と遭遇。

しばらく雑談。

S先生と別れお会計を済ませたあと、バスに乗って家に帰る。

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買い込んだ食材を冷蔵庫にしまったあと、1時間ほどジョギング。

給湯器がまだ直っていないので、コンロでお湯を沸かしながら、夕飯と来週のお弁当の仕込みをする。

人間というのはなかなかタフなもので、シャワーからお湯が出ないのでわざわざ鍋をコンロにかけてお風呂を沸かすという面倒な作業にも、私はすっかり慣れてしまった。

むしろこの時間を利用してキッチンに立ち、ゆっくり自炊することができる。

コンロが使えないので、加熱は電子レンジに頼ることになり、今の私の電子レンジ活用術は以前とは比べ物にならないほどである。

せっかく沸かしたお風呂にゆっくり浸かったあと、映画を見ながら夕食。

毎日キッチンに立つようになることの悪い点は、「キッチンドランカー」になってしまうことである。

酔いも回って眠くなったので10時には就寝。

 

10日(日)

ねじを巻かない日曜日。

前日に引き続き晴天。

8時半に起床。

とりあえずスーパーへ行き、野菜を買い込む。

家に戻り、野菜を冷蔵庫にしまったあと、「キャベツとツナとチーズロール」をちゃちゃっと作り、昨日仕込んでおいた野菜たっぷりポトフと一緒にいただく。

うまし。

お腹がいっぱいになったので、村上春樹を手にベットに戻り、読みながら昼寝。

昼過ぎに目が覚める。

ジョギングウェアに着替えて、南肥河沿いを一時間ほどジョギング。

春の陽気に誘われて家から出てきたいろんなひとが、釣りや散歩やカラオケなどなど、いろんなことをしている。

プレーヤーをランダム再生に設定し、レッチリやらスピッツやらブーツィー・コリンズやら松任谷由実やら、いろんな人のいろんな曲を無節操に聴きながら、春の川辺をとろとろ走る。

ユーミンの「春よ、来い」が流れたので、ひさしぶりにじっくりと聴く。

やっぱり名曲ですね。

春は始まりの季節だし、色とりどりの花々が百花繚乱で華やかな季節でもあるが、やはりどこか物悲しさも漂う季節である。

春に一人ってのは、やはり寂しいことなのだろう。

村上春樹は『ノルウェイの森』で春の寂しさと青春をみごとに描き出しているが、それを読むたびに「ああ、おいらにもこんな時期があったのだろうか」と私は思う。

重要な点は「ああ、おいらにもこんな時期があったな」ではなく「あったのだろうか」という点である。

あったが思い出せないのか、ないから思い出せないのか、そこのところが私自身もよくわからない。

それにだいたい「一人が寂しい」と思うことが、最近どんどん減ってきている。

18の時から一人暮らしだし、むしろそっちが「当たり前」になってきてしまっているのだ。

なんだかそれじゃマズイ気がするが、今のところ困っていることもないし、あくまで「なんだか」程度の危機感なので、なんとかするために重い腰を上げる意欲もないのである。

そんなことをグダグダ考えながら走ると、一時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。

家に戻りお風呂を沸かし、さっぱりする頃には4時すぎ。

ビールとともにちょっと早めの夕食(エビの串焼き、ハマグリのお吸い物、ほうれん草とわかめの和物、納豆)をとる。

あっという間にまぶたが重くなってきたので、就寝。

こうしていつもどおり「ネジを巻く」ことなく、また一つの日曜日を塗りつぶしたのであった。