とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

独学の楽しみと「サル」の愉悦について

 秋である。

 だんだんと寒くなるこれからの時期、室内でも運動できるように、新しく自転車のローラーを買った。
 以前から固定式ローラーは使っていたが、今回導入するのは自転車を固定せずそのまま上に乗って走る、通称「3本ローラー」。

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固定式ローラー。写真はTaobaoからお借りしました。

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自転車本体を固定しない「三本ローラー」、写真は同じくTaobaoから。

 固定式ローラーは自転車に取り付ける手間がかかるが、なにぶん固定されているので、安心してペダルを踏むことができる(スマホで映画なんか見ながらね)。

 その代わり、ペダルを踏んでも回るのは後輪だけ。前輪が回っていないので、路面を走るのと同じ実走感が味わえないし、なにより自転車に必要なバランス感覚がいくら乗っても身につかない。
 一方の「3本ローラー」は、自転車ごと乗るだけでいいので手間がかからないが、幅40cmぐらいのローラーの上を走るわけだから、ちょっとでもフラフラするとすぐに「コースアウト」してしまう。 

 結構怖い。しかし、実際に走っているのと同じ感覚があるし、バランス感覚をシビアに鍛えられるというメリットがある。

 私も今後は200km、300kmとロングランの距離を伸ばしていきたいので、これまでのように週末楽しく走るだけでは不十分である。 

 ということもあって、安物ではあるが「三本ローラー」をネットで購入。
 その「ローラー」がさっき届いたので、組み立てる。
 私は、それが楽器であろうとデジカメであろうと炊飯ジャーであろうと、入門書や説明書やマニュアルの類いをほとんど読まない(読めない)人間である。

 なぜ読まない(読めない)かというと、その手の文章って、「これを読むと〇〇ができるようになる」という結論が初めから分かっているから、「是非とも読みたい」という欲求を刺激してくれないのである。

 私はなにかが「わからない」から文章を読むわけだが、それは単に「やり方がわからない」だけではなく、「これを読むとなにができるようになるかわからない」から楽しみながら読むわけである。

 だって、そういう文章って、読む前の自分と読んだあとの自分そのものを根本的に変えちゃったりするでしょ。

 そういうのって楽しい。

 しかし、取説とか入門書は、あくまで私が手段として読むわけだから、いくら知識や情報や技術が身に付いたって、私自身の価値観とか世界観を一変させることは期待できない。

 そういう文章は、私の「是非とも読みたい」という欲望を換気しない。

 そういう私だって、仕事の必要性で購入した商品だったり身につけなければならないスキルだったら、「是非とも読まないといけない」なので必死で読むかもしれない(読まないかもしれないが)。

 しかし、これはあくまで趣味の「おもちゃ」である。

 「おもちゃ」はそれ自身が有する楽しみが豊かであるからこそ「おもちゃ」である。「おもちゃ」を楽しむために、わざわざ結論がわかっていて面白くないと思う文章を「是非とも読みたい」とは思わない。

 なので、こうやって新しい「おもちゃ」を手に入れるたびに、私は「サル」化する。 
 つまり、床にどすんと座り込んで、新しい「おもちゃ」と向き合いながら作りや形を観察し、手に取って「あーでもないこーでもない」といじりまわす作業を繰り返すのである。 

 きっとその製品の開発者やその分野の玄人の立場からみれば、サルの思考実験とさして変わりはない風景だと思う(天井に吊るされたバナナをどうやって手に入れるか的な実験)。 
 まあ、実際に「はあ? どうなってんのこれ」とか「あ、そういうことね、サルかお前は」などとひとりでブツブツ言いながらやっているわけだし。 
 そうこうして、マニュアルを見れば10分で済んだであろう組み立てに30分かけて、ようやく完成。
 嬉しい。
 さっそく自転車を持ってきて乗ってみる。
 おお、これは難しい。
 普段路上を走っているときは気づかなかったが、幅が限られたローラーの上を走ってみると、今まで自分が如何にテキトーに自転車を扱っていたかがわかる。

 たとえば、ハンドルへの体重の荷重を少しバランス悪く分配しただけで、一気に車体がぶれる。するとローラーから落っこちそうになる。

 ひえ~、難しい。
 それでも、これまた「うわ、これ難しいな」とか「んなもん、できるわけねーじゃん(泣)」なんてブツブツ言いながら10分ほど乗っていると、少しずつコツがつかめてきた。
 楽しい。 
 私は自転車に乗り始めてから3年ほど経つが、こんなこと本を読んだり先生についたりして勉強している人からすれば、きっと「初歩の初歩」なのだろう。
 そしてこんな少しの達成で喜んでいる私は、道具をうまく使用してバナナを手に入れて喜んでいる「サル」並みなのかもしれない。 
 でも、それでいいのである。
 それが独学の醍醐味だし、自分の頭と身体を駆使しながら、少しずつできるようになったりわかったりするのは、本当に愉しいのだから。
 それは向上心なんて立派なものではない。
 「サル」が「サル」なりに進化していくことに感じる単純な愉悦である。
 早く人間になりたい。