とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

日記(10.18~20)

18日(金)

授業がない金曜日。

前日遅くに寝たので好きなだけ惰眠を貪る。

9時にのそのそと起き出す。

30分ほどローラーに乗って汗をかき、シャワーですっきりしたあとに大学へ。

さっそくパソコンに向かい日記をアップしたあと、昼まで原稿を書き進める。

昼休みには気分転換として、もう一冊の方の教科書(視聴説)を校正。

これは現在2校の段階であるが、半分片付けた。

そうこうしているうちに14時となり、作文教科書の方で作文を書いてくれているTさんとSさんが作文の検討に来る。

ふたりとも少しずつ文章を書くということの難しさと楽しさがわかってきたようで、私の指導への反応の速さや理解度が以前とは格段に違う。

楽しい。

1時間ほどで検討が終わり、ふたりが帰ったあとも17時まで執筆。

疲れた。

秋空の下、買い物のためスーパー経由で家に帰る。

どうでもいいことではあるが、以前は全く気にならなかった静電気に、合肥に来てからというものこの時期がくると毎年悩まされるようになった。

今回はスーパーの棚から缶チューハイを取ろうとした瞬間“バチバチ!”と来た。

思わず「ひえっ!!」と声を上げてしまい、隣にいたお姉さんに毛虫を見るような目つきでジロジロ見られる。

恥ずかしい。

静電気は乾燥すると生じやすいという。
いかに日本や重慶が多湿だったかがよくわかる。
それともあれか。

私の体の老化が進むことで、お肌から潤いが年々失われているというのだろうか。

わからない。

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そんなことを考えながらお会計を済ませ帰宅。

さらに30分ローラーに乗る。

シャワーを浴び、夕食をいただきながらお酒を飲んでほっこりする。

思えば2週間近く外で自転車に乗っていない。

今週末ロングライドに出るか、それとも仕事を進めるか、悩む。

まあ、明日のことは明日決めることにして就寝。

 

19日(土)

3時半に起床。

いちおうロングライドに出る用意を昨晩しておいたのだが、ちょっとダルい。

ということで、二度寝。

9時までぐっすり眠る。

起床。

ドキュメント『もののけ姫はこうして生まれた』を見ながらローラーに40分乗る。

宮崎駿の「意味なんて考えて作っていない。映画は自分で映画になろうとする」という考えはいつ聞いてもその通りだと思う。

私は映画を作ったことはないが、文章だってそうし。

自分の手持ちの言葉では片付けられない主題について、あーでもないこーでもないと筆を進めていくうちに、いつしか筆が勝手に進みだし、ふわふわと言葉が出てくる境地に達することがある。

私がそれを最初に体験したのは卒論執筆時だった。

このときはカントやらルソーやらを引用しながら筆を走らせているうちに、なんだか楽しくなってしまい、気づくと4万字近く書いてしまった。

修論執筆時には、気づいたら丸一日身じろぎせずに言葉を手繰り寄せていたこともある。

それはこれまで体験してきた学校作文のような用意した言葉を紙上に再現していく営みではなかった。

初めは確かに自分が言葉をタイプしているにもかかわらず、気づいたときには紙上に浮かんでくる見知らぬ言葉たちの後を自分が追いかけているような作業であった。

それはちょうど、自転車で走り始めるときには「私がペダルを踏む」状態だったのが、徐々にスピードに乗ることで「ペダルが勝手に回り出す」のと似ている。 

私は作文の授業で学生さんたちに「もっとよく考えて書いて欲しい」とお話するが、同時に「考える前にまずは書いて欲しい」ともお願いする。

矛盾した要求に聞こえるかもしれないが、文章を書くとはそういうことだから仕方がない。

私が言う「もっとよく考えて書いて欲しい」とは、「自分の足でペダルを回せ」(他人の言葉で問題を解決した気になるな)という要求であり、「考える前にまず書け」とは「ウダウダ言ってないでとりあえず自転車に乗れ」ということである。

多くの学生さんは、書く前から「字数制限が~」とか「間違ったことを書いたら心配だ~」とか、そういうことを考える。

言っちゃ悪いけれど、それって時間の無駄ですよ。

まずは書かなきゃ。

私が学生さんの持ってきた作文に「もっと詳しく」とか「具体的に」などと注文を付けると、多くの学生さんは「それだと文字数が制限を超えます」などと心配げな顔をする。

あのね、そんなことを今は気にしちゃダメなの。

まずはたくさん書きながら、文章を膨らますことが大切なんだから。

それはボディビルと同じだよ。

なに?意味がわからないって。

あのね、ボディビルって、まずはたくさん栄養を摂取しながらトレーニングを重ねることで、筋肉と脂肪を同時につけるの。

そしてそのあとで摂取カロリーを落としながら脂肪を削りつつ、筋肉を維持するためにトレーニングを続けるのだ。

こうして見事な身体を目指すわけである。

これは文章を書く際も同じである。

まずは文字数とか構造など気にせず、とにかく筆に任せて書いてみる。

そうして現れた文章の中からキラリと光る部分を見つけ出し、それを磨き上げながら不要な部分をばっさりとカットする。

いわゆる「推敲」と呼ばれる作業だ。

いきなり文字数とか正しさとか、そういう制限を設けて文章を書いてしまうと、そこにあらわれるのはたいてい慣用句や定型表現にまみれた貧相な文章である。 

執筆とは本来無条件であり自由なものでしょう。

そこをなくしてパラグラフ・シンキングなど教えても、学生さんたちは既存の視点や知識を切り貼りしたものを持ってくるだけである。

どんなに些細なものでもいいから、自分の文章を書くためには、自分なりのインスピレーションが必要であると私は思う。

「ごんぎつね」の作者として知られる新美南吉は、「童話における物語性の喪失」と題した文章のなかで、次のように指摘する。 

 

 放送局がラジオ小説を募集するとき次のような条件をつける。一、三十分で完結するもの。一、登場人物は×名位が好都合である。一、明朗健全にして、国民性をよく発揮しているものであること。そしてこれは辞ってはないが、芸術的にすぐれた作品でなければならぬことは勿論である。これらの諸条件を聞かされると、人は、それに一々適った作品を書くことはいかにむつかしいかを思うのである。昔からよい作品は霊感によって生まれるといわれている。霊感は、また「閃く」という述語をいつも従えている。して見るとそれは稲妻のようなもの、我々のままにならぬものなのである。かかる性格の霊感にこれらの条件を押しつけるのは、稲妻に向かって、「火の見櫓を伝って下りて来て、豆腐屋の角を右に折れて、学校道に出て、崖の下に牛がいたら、崖上の細道を通って、そして私の家まで来なさい」と注文するのと同じように大層無理な話である。だから霊感は逃亡してしまう。そしてその結果は悪い作品だ。これは当然のことだと人々は思う。

(中略)

 ジャアナリズムのかかるやり方が害毒を流してしまった。何故なら註文を受けた作家たちは、七枚、あるいは二十枚、あるいは百五十枚と、恰度洋服屋が客の註文に応ずるように、ジャアナリズムの註文通りの寸法に書かなければならない。しかもこの場合、作家は洋服屋より一層困難である。洋服屋には何呎でも服地はある。だから大きい寸法には大きい服地をもって臨むばかりだ。しかし作家にはいつでも、いかなる寸法の註文にでも応じられる大小様々の素材のストックがあるわけではあるまい。或る場合には、三枚の素材を七枚の作品に仕あげ、或る場合には五枚の素材を二十枚にひきのばす。零の素材から数枚の作品が生ずるという、物理的に不可能なこともここではしばしばあり得る。何にしても作家たちの関心事は洋服屋の関心事と同じである。先ず寸法にあったものを造ることなのだ。 

 ここから文学が貴重なものを失った事実は、容易に首肯される。文章をひきのばす努力のため、簡潔と明快と生気がまず失われ、文章は冗漫になり、あるいはくどくなり、あるいは難解にして無意味な言葉の羅列になった。同時に内容の方では興味が失われ、ダルになり煩瑣になってしまった。これらをひっくるめて物語性の喪失と私はいいたい。

  千葉俊二(編)『新美南吉童話集』(岩波文庫、pp311-3)

 

新美が正しく指摘するとおり、霊感(インスピレーション)は私たちの思い通りにならないからこそ霊感たるものである。 

私の理解する霊感とは、人間が既存の枠や目的に囚われていない自由な状態で、無我夢中になにかを追い求めている状況で、初めて出会うことができるものである。 

インスピレーションとは、人間の創作がどこかの時点で「私がなにかを作る」から「なにかが私に作らせる」へと質的転換を迎える(宮崎駿はこのことを「映画の奴隷になる」と表現している)まさにそのときに、しっぽを見せるのである。

それは学生さんが書く作文でも同じである。

最初から文字制限という枠組みや「正しい作文」という規範を設けてしまうと、いくら原稿用紙の枚数を積み重ねたところで、完成するのは「他人の意見」である。

以前も書いたことではあるが、「自分の意見」とは、自分が良いと思った他人の意見や慣用句を寄せ集めて書かれたものではない。

私が言う「自分の意見」とは、「自分でもこんなことを考えていたとは知らなかった」ような意見である。

したがって、「自分の意見」を書くとは、文章を書くたびに夢の中で新たな自分に出会うという新鮮な体験である。 

だから、「自分の意見」を書き上げた瞬間には、まるでふたたび生まれてきたかのような不思議な感覚を覚えるものである。

私はそのことを卒論執筆で知った。

だから私は卒論という課題が真剣に取り組まれれば、それは非常に教育的なものになると考えているのである。

おそらく人間が創造的な営みに熱中するのは、それをすれば金になるとか名声が得られるとか以上に、この「夢を見て生まれ変わる」体験が単純に楽しいからではないかと思う。 

気持ちいいし。

文章を書く前に「文字数が」とか「模範作文を」とか、そんなちゃちなことを考えてちゃ、「夢」を見れるはずがないし、「生まれ変わる」こともできない。 

日本だろうが中国だろうが、学校教育の作文指導が「文章を書くのが楽しい!」という学生たちを多く育てることに成功していると私は思わないが、その原因はここらへんにあるのではないかと私は思う。 

作文の授業を通して「書くのって楽しい!」と体験させることができていないのだ。

だって、そもそも指導する教師自身が作文書いてないことがほとんどだし、無理はないよね。

 

そもそも筆を置くまで「私が書きたいこと」が実際には何かなんて誰にもわかるはずない。

なのに「あなたが書きたいことを書きましょう」なんていうから、学生たちは今の自分に見える「それっぽいこと」を寄せあつめて作文を書いてしまう。 

昨日ローラーに乗りながら見た「スタジオジブリ物語」では、高畑勲が宮崎駿の「もののけ姫」を批判する場面が紹介されていた。

そのなかで堀田善衛の「我々は背中から未来へ入っていく」という言葉が紹介されていた。 

「我々は背中から未来へ入っていく」

確かにそのとおりである。

未来というものは、その語義からして「未だ来ていない時」なのであるが、ここでいう「未だ来ていない」とは(たとえば私が駅のホームに立っていて、向こうから近づいてくる電車を眺めながら)「おお、まだ来ていないな」というふうに空間的に把握できるものではない。 

「そもそも来るかどうかすら、オイラにはわからんよ」という存在、それが未来である。

「そもそも来るかどうかすらわからんよ」というのも、私が駅のホームに立って「来るかな? 来ないかな?」などと待つのとは違う。

未来とは、そうやって「来るの? 来ないの?」と私が待っている駅のホームを突然消し去ってしまったりするものなのである。 

私たちは決して未来を把握できない。

なぜなら「私たちに決して把握できない」からこそ未来だからである。 

私たちは決して未来を把握できない(大事なことだから2回書く)。

しかし、「私たちに決して把握できないものが存在する」ということに謙虚であることはできる。 

話を文章を書くということに戻すが、「私が書きたいもの」とは「私たちに決して把握できないもの」そのものである。

だって、「じゃあ『あなたが書きたいもの』を見せて」と言われて「はい、これ」と提示することなど不可能だからだ。

仮に他人の文章を持ってきて「こういうのが書きたい」と言うならば、それは「私が書きたいもの」ではなくて「私が書きたいものに近いもの」と言うべきだろうし、仮に自分が書いた文章を持ってきたとしても、それは「私が書きたいもの」を書いた結果、つまり「私が書きたかったもの」に過ぎないからだ。

「私が書きたいこと」とは未だ存在しないし、そんなものが存在するのかすらわからない。

その点で「私が書きたいこと」とは未来的存在そのものであり、ただ「私が書きたいことがある」という予感だけがあるにすぎないのだ。

その点で未来と同じである(私たちは未来を予感はできるが把握はできない)。

だから人は言葉を綴るのであるが、その結果目の当たりにする結果は、実のところ「私が書きたかったこと」などではなく、「そんなものを書くとは思わなかったこと」である。

私たちは自分が書いた文章を「自分が書いた」としか捉えられないので、「私が書きたかったのはこれだ」と思い込んでいるだけである。しかし、なぜ書いている時の自分でない「他人」同然の読み手の自分が、「これこそ私が書きたかったものだ」などと判断できるのだろうか。

文章を書くという行為は、書く前も後も、自分を二つに割るという行為である。文章を書いている時に、文章を書いている自分と読んでいる自分を中枢的に支配している自己など想定できない。書いている自分と読んでいる自分との媒になっているのは、自分ではない「なにか」である。

このことに気づき、「なにか」に対して謙虚である人間は、決して「俺の頭の中にいま存在するものを紙の上に再現しよう」などとは思わない。 

内田樹は文章を書くということについて、こう述べている。

 

文章を書く。ある程度書いたあと、それを読み直す。
すると、ところどころ「これは違う」という箇所に出会う。
形容詞のなじみが悪い。主語の位置の落ち着きがわるい。読点がないほうがいい。「しかし」が二回続いている。最後に「ね」があるのがべたついて不快だ・・・というふうに、私たちは自分自身の文章を「添削」している。
だが、このとき添削している私と書いた私はどういう関係にあるのか。
そもそも何を規範として添削を行っているのか。
「美文」というような基準ではない(そんなものは存在しない)。
私が添削しているときに準拠している規範は「自分がいいたいこと」である。
けれどもそれは書かれた文章に先行して存在していたわけではない。
添削するという当の行為を通じて(大理石の中から彫像が現れてくるように)、しだいにその輪郭をあらわにしてくるのである。
「自分がいいたいこと」という理想は、書くことを通じて、現に書かれたことは「それではない」という否定形を媒介して、あらゆる否定の彼方の無限消失点のようなものとしてしか確定されないのである。
まず「言いたいこと」があり、それを運搬する「言葉」がある。「言葉」というヴィークルの性能を向上させれば、「言いたいこと」がすらすらと言えるようになる。というのが通常の「文章修業」の論理である。
しかし、「言いたいこと」というのは、言葉に先行して存在するわけではない。それは書かれた言葉が「おのれの意を尽くしていない」という隔靴掻痒感の事後的効果として立ち上がるのである。

Voiceについて - 内田樹の研究室

自分の「言いたいこと」とは未来的存在である。

未来的存在とは、「自分」に予感は出来ても把握はできないものである。

私が言う「なにか」とは、内田が言うところの隔靴掻痒感をもたらす存在である。

「なにか」が存在しなければ、そもそもは「自分が言いたいこと」も湧き上がってこないのである。

だから、自分の「言いたいこと」に真摯であればあるほど、「言いたいこと」をちゃんと事前に準備してから文章を書くという指導をできるはずないと私は思う。そんなことをしてしまえば「なにか」が生じにくくなるからである。

私が作文の授業で口角泡を飛ばして「考えてから書くのではなく、書きながら考えてください」というのもこのためである。

「書きながら考える」、そして「読む」、さらに「書きながら考える」。

自分の「言いたいこと」に出会うためには、このもどかしいプロセスを(内田が言う隔靴掻痒的に)すっきりさせることなく繰り返していくしかないと私は思う。

ところでショーペンハウアーは、「書きながら考える」タイプを「執筆にとりかかる前に思索を終えている」タイプより、低次な書き手として考えていたようである。

彼はこう書いている。

 

(略)およそ著者には三つのタイプがあるという主張も成り立つ。第一のタイプに入る者は考えずに書く。つまり記憶や思い出を種にして、あるいは直接他人の著作を利用してまで、ものを書く。この種の連中は、もっともその数が多い。第二のタイプの者は書きながら考える。彼らは書くために考える。その数は非常に多い。第三のタイプの者は執筆にとりかかる前に思索を終えている。彼らが書くのはただすでに考え抜いたからにすぎない。その数は非常に少ない。

 第二のタイプの者、書くまでは考えない著作家は運を天に任せて出かけて行く狩猟家に似ている。獲物も豊かに家路につくことはむずかしいはずである。これに反して第三のタイプの著作家の著作は追猟に似ている。この奇妙な方式の狩猟では、あらかじめ獣がすでに捕らえられて、檻の中に入れられている。次にその獣の群が別に用意された同じく囲いつきの区域に放される。つまり獣は狩猟家から逃げることができないという段取りになっている。したがってもはやねらいをつけて発射(表現)しさえすればよいわけで、これこそ間違いなく相当な獲物を獲得する狩猟である。

ショーペンハウアー『読書について』(斎藤忍随訳、岩波文庫、pp27-)

 

私はショーペンハウアーの毒舌と厭世観が嫌いではないが、この考えにはちょっと納得いかない。

 私が思うに哲学という営みの基本は懐疑である(当たり前か)。

その懐疑の対象は世間一般の「常識」や「当たり前」となるのだが、それ以前に自分自身の認識を懐疑することが哲学的な「マナー」である。

たとえ「俺は絶対的に正しいはずだ」と心の中で思っていたとしても、この「マナー」なしに世間一般や他人を懐疑したところで、それは中学生の小賢しさと大して変わるところはない。

有名なデカルトの「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)だって、いろいろと世間一般を疑いながら、結局は「疑っている自分を疑う」ことで、「自分を疑っている自分の存在そのものは疑いのない事実である」というところに行き着いたからこそ、得られたものである。

デカルトは『方法序説』でこう述べている。 

 

生き方については、ひどく不確かだとわかっている意見でも、疑う余地のない場合とまったく同じように、時にはそれに従う必要があると、わたしはずっと以前から認めていた。これは先にも述べたとおりである。だが当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことをしなければならないと考えた。ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論をまちがえて誤謬推理(誤った推論)をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべて偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すわなち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する[ワレ惟ウ、故二ワレ在リ]というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。

     デカルト『方法序説』(谷川多佳子訳、岩波文庫、pp45-6)

デカルトの「感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした」とか「幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論をまちがえて誤謬推理(誤った推論)をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうる」とか「自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう」とかいう懐疑を「んな極端な」とか「それを言っちゃおしまいよ」と思う方もいるかもしれないが、実際にそういうことが「ありうる」のは事実である。 

事実である以上、そのことを計算に入れることは、大切な知性の働きである。

とはいえ、これを突き詰めていくと、「なんもわからんもんね」という境地にたどり着いてしまい、「人間なんてそんなもんよ」という虚無主義に陥ってしまう。

デカルトがすごいのは、ここで「なんもわからんかもしれんけど、でもこうやってウダウダ言っている『なにか』は確かに存在するでしょ」という、当たり前の事実に気づいたことである(普通の人間は気づかない、そこまで疑わないから)。 

この事実を知ったうえでものを考える人間と、自分の誤謬性や世間一般の絶対的無謬性を疑わずにものを考える人間とでは、見えるものが違ってくると私は思う。 

そのうえで先のショーペンハウアーが書いている「第三のタイプの著作家の著作は追猟に似ている。この奇妙な方式の狩猟では、あらかじめ獣がすでに捕らえられて、檻の中に入れられている」という表現に、哲学的に不遜なものを私は感じるのである。

ようは彼が言っているのは「頭の中に準備済みのものを紙上に再現してく」ということである。

そこではどんな「獣」が捉えられるか、すでにわかりきっている。

しかしそれって、「私」という確固たる思考の枠組みの中で展開される予定調和な思考作業ではないだろうか。

そして、「私」という確固たる枠組みが無謬なものであり誤謬を含まないものであると、誰に断言できるのだろうか。 

哲学的思考とは、世間一般や他人への懐疑や批判を展開しながらも、そうした言語活動を展開している自己の知性への懐疑や批判をも同時進行的に行うべきものではないだろうか。

そういう点で、私はショーペンハウアーが言うところの「第二のタイプ」、つまり「書くまでは考えない著作家」(ドイツ語が読めないから翻訳の問題なのかどうかわからないが彼は直前では「書きながら考えるタイプ」と言っていたはずである)、「運を天に任せて出かけて行く狩猟家」の方が、より哲学の王道を行っていると考える。

なぜならば、このようなタイプは、自らの誤謬性を前提としながらも、とりあえず前に進もうとする書き手だからである。

「狩りに出る」度に想定した猟果を得る「書き手」は、ようは自分の世界のなかで予定調和な平和を味わっているだけである。このような狩人は、豊かな猟果を得ることはできるかもしれないが、自分の狩場の外側にほかの世界が存在することに、死ぬまで気づくことはない。

「書きながら考える」人間は、たとえ予定した猟果を得られずとも、というよりもむしろ予定外の猟果にその都度出くわすことで、「俺の狩場」というフレームワークをその都度更新していくことができる。

私はそう思う。

勝手な想像であるが、ショーペンハウアーだって原稿を書くときには草稿を書いたり推敲したりしたはずである(まさか一度も朱を入れることなく一筆書きで書いたわけではあるまい。それともそうなのかな?)。

私は「書きながら考える」のは大切なことだと思う。

もちろん、その結果を他人に伝えるときにはある程度整理することは大切だ。

しかし、それはお客さんに料理を出す時の話であって、「仕込み」が必要ではないということにはならない。 

「書きながら考える」というのは、「自分の考え」を仕込む作業であると同時に、「自分の考え」を絶えず打ち破りながら深化させていく大切な過程である。

そして、これは日本語で作文を書く学生さんにとっても大切である。

大学で日本語を教えるものとして、私の仕事は単に日本語で「正しい」文章を書く事のみを教えることにとどまらないと考えている。 

いわゆる独創性とか自律的な思考能力とかオリジナリティとか、そういうものを育成することだって、大切な教師としての仕事である。 

そしてこのような能力とは、「俺が思う俺」とか「俺が書きたいもの」なんてちっぽけな「狩場」を、自分で刷新しつづける態度なのである。

 

原稿と校正が一段落したので、16時前に帰宅。

スーパーで買ったいつもの食材でいつもの酒を飲み、いつもどおり就寝。 

 

20日(日)

なぜか午前1時に突然目が覚める。

目が冴えて眠れないので、仕方がなく缶ビールを飲みながら本を読む。

結局6時に寝付く。

起きたのは13時。

貴重な秋晴れの日曜日の半分を寝て過ごしてしまった。

まあいっか。

「ネジを巻かない日曜日」(By 村上春樹)である。

とはいえ、仕事がたくさんあるので、30分ローラーに乗って汗をかき、シャワーを浴びたあと、大学へ。 

視聴説の教科書とO主任が編集している語彙の教科書の校正を1課分済ませる。

 明日は6コマ入っているので18時前に帰宅。

いつものスーパーに寄ると、「鍋フェア」をやっている。

いいね。

確かにそういう季節である。

「鍋フェア」では、しゃぶしゃぶ用に薄切りにした羊肉と牛肉が500グラム35元で売られていたが、一人でそんなに食べると太る。

ということで、鶏の水炊きにすることに。

鶏好きだし。

安売りされていた冷凍手羽元としいたけ、えのき、白菜、青菜などを購入し帰宅。

30分ローラーに乗ったあとにさっそくいただく。

美味しい。

あっさり味だけどそれが身体に染みる。

スープなんか鶏皮の脂が染み出して絶品。

鍋底に残った最後の一滴まで飲み干す(結局太るじゃん)。

鍋で温まったあとはゆっくりとお風呂に浸かりポカポカに。

明日の仕事に備え早めに就寝。