とある日本語教師の身辺雑記

中国の大学で日本語を教えながら、日常の雑感や出来事を気の向くままに綴ります(最近は麺と猫と自転車が主)。

国慶節の休暇の日記

1日(火) 

6時起床。

前日の6コマ授業と宴会の影響もあり、ちょっと 体がだるい。

基本的にごろごろしてすごす。

翌日に「巣湖1周」をするため早めに就寝。

 

2日(水)

なにをとちくるったか0時30分に突然目が覚める。

眠りなおそうとするが目が冴えて眠れない。

しかたがないので、ネットサーフィンをしているうち、明け方に寝付く。

起きると9時。

自転車はまた明日。

軽くジョギングしたり買い物に行く以外にはなにもせず休息に当てる。

 

3日(木)

前回書いたとおり、自転車を満喫。いやっほー!

 

4日(金)

8時に起床。

前日きちんとBCAAを飲みながら走ったおかげか、それとも夕食でたっぷりとたんぱく質をとったおかげか、はたまた私の身体能力がだいぶ高まったからか、そもそも「そんな大した運動強度じゃねー」からか、筋肉痛や身体のだるさはまったくない。 

1時間ほど朝の散歩をしながら豆乳を飲む。

おいしい。 

近くの杏花公園を歩く。 

秋の景色が美しい。 

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今年の国慶節は70周年ということもあってか、例年以上に国旗の数が多い。


家に帰ってシャワーを浴びたあと大学へ。

道中で朝食兼昼食のりんごとヨーグルト(なんか女の子の朝食みたい)を購入。

まずは昨日の自転車旅について日記を書く。 

キーボードをバシバシ叩いていると、知らない男性の先生(?)がドアを開け放っている日本語学部のオフィスを覗き込んで、「加班吗」(残業?)と聞いてくる。

すみません個人の趣味です。 

日記を書き終わったあとは、教材編集のお仕事。 

今私が編集しているのは作文用の教材なのだが、今日は作文を書くことに焦点を当てた文法的問題の解説を書く。 

とはいえ、私は日本語文法が(というより日本語そのものが)専門ではないので、なかなか難しい。 

とくに難しいのが「ハとガ」である。

ほとんどの日本人は日本語教育に携わったことがないのでご存知ないだろうが、「~は…」と「~が…」の使い分けは、外国人学習者にとっていちばん厄介な文法的問題であり、教える側にとっても難題なのである。

たとえば、

 「先生はグラウンドで走っています。」

 「先生がグラウンドで走っています。」

このふたつの文の違いを、外国人学習者にどう説明すればいいだろうか。 

こういうときに、教科書的には「ガは格助詞でハは係助詞」とかいう説明が出てくる。

が、私はこの時点でちんぷんかんぷんである。

「格助詞ってなあに? 係助詞って美味しいの?」

である。

文法が得意なクラスメイトに「ねえ、なんでこうなっているの?」と聞いても「そんなもん、そういうもんだって覚えればいいんだよ」としか返ってこなかった。

私はいかなるものごとに対しても、他人から「そういうもんなんだよ」と言われると無性に反発したくなるという、救いがたいバカである(「子どもは親を敬う、そういうもんだ」「はあ? 親子関係にもいろいろあるだろ!」みたいに)。

しかし同時に、私の「どうして?」に対してニッコリと笑いながら、「ふむふむ、それはね、実はこういう意味があるんだよ。おじさんが説明してあげよう」という人間の話は、わりとすんなりと聞くタイプである(おじさんじゃなくておねえさんならもっとすんなり聞く)。

しかし残念ながら、少なくとも古文や英文の文法に関して、「ニコニコふむふむ」タイプの教師や同窓には出会えなかった(と思う、いたのに気付かなかっただけかもしれないが、少なくとも「おねえさん」はいなかった)。 

だから私は古文や英語の授業で先生が文法で文法の説明をするという循環的説明を始めたとたんに眠気に襲われたり、「意味なんてどうでもいいから、そういうもんだと思って暗記しろ!」とがなりたてる教師に「なにいってやがんだい」と反発したりしながら、フィーリングを活かし文脈を読解することで大学受験までをなんとか乗り切ってきたのである(よくそれで大学に合格できたものだ)。

そういう人間が語学教師をしていることにお叱りの声もあるだろう。

すみません。

しかし、別に自己弁護をするわけではないが、私と同じような学生さんだって多いのではないだろうか。 

現に、1年生の時にちゃんと「ハは係助詞でガは格助詞です」と中国人の先生に中国語で懇切丁寧に教えてもらっていながら、作文になると平気で「『百聞は一見に如かず』という言葉は中国にあります」(ここでは「言葉が」とすべきだろう)と書いてきたり、「自分さえよければ他人がどうでもいいのか」(ここは対比関係なのだから「ハ」を使うべきだ)と言ったりするのである。 

そもそもが文法学的に正しい用語や考え方を使って適切に説明したからといって学生さんの骨身になるわけではないのではないだろうか。 

頭の中に渦巻く形にならないイメージの尻尾を手繰り寄せながら自分で言葉を綴っていく作文という作業を外国語でこなすとなると、なおさらである。

大事なのはその語が持つ働きをイメージで掴んでいただくことである。

ふつうはたくさん本を読むことで、自然に覚えるものだと思う。

しかし、今の若者は本を読まないのである(おお、おじさん的上から目線)。

ここで私が学生諸君に「そういうもんだから本を読め!」といったところで「ふん、なにいってやがんだい」となることは(私の経験から)わかっている。

ということで、私は私のようなひねくれた学生さんの「どうして?」に対して「ニコニコふむふむおじさん」としてこの教科書を作りたいのである。

「ハ」と「ガ」に関しては、まずは機能から説明するという方針を採る。 

たとえば、「ハ」はある主題について説明・判断するときに使い、「ガ」は自分が目にしたりイメージしたりしているある現象を描写するときに使う、と説明する。 

となると、先の

 「先生はグラウンドで走っています。」

 「先生がグラウンドで走っています。」

 の違いがわかりやすくなると思う。

 前者は、たとえば、学生さんがオフィスに私を訪ねてきて、

 「あれ、先生いないんですか?先生は(どこでなにしているんですか)?」

 と尋ねられた際に、オフィスにいる誰か(たとえばO先生とか)が、その答えとして現在先生(私)がどうであるかについて

 「グラウンドで走ってるよ。なにやってんだろうね、就業時間中なのに」

 と説明しているわけである。 

 対して後者は、自分がグラウンドの近くに行き、実際に走っている先生(私)を眺めたり、もしくは頭の中で走っている先生(私)をイメージしながら、先生(私、くどい!)が走っているという情景やイメージをそのまま写真として切り取ったかのように画像的に描写しているのである。 

 だから「たとえば」「仮に」のような相手の想起を期待するような語句の直後に来るのは「ガ」であることが多くなる。

 というふうに機能から説明すると、自分で日本語の文章を書くことを学ぶ場合は特に覚えやすいのではないだろうか。

 問題は、機能から説明してしまうと、あくまで「ハとガ」の一面的説明になってしまい、言い逃しが出てきて、「その説明だと『ハとガ』の全てを説明できていないぞ!」とお叱りを受ける可能性があることである(「ガ」には特定の意味があるとか、ほかにもいろいろ)。

 それに、この「ハは説明、ガは描写」という説明だって、文単位で見ればそうかもしれないが、文章単位で見るとそう簡単なものではない。

 たとえば、以下は村上春樹の『ノルウェイの森』の一部だが、さきほどの「ハは説明、ガは描写」に注目して読んでみる。 

翌日の「演劇史Ⅱ」の講義に緑は姿を見せなかった。講義が終わると学生食堂に入って一人で冷たくてまずいランチを食べ、それから日なたに座ってまわりの風景を眺めた。すぐとなりで女子学生二人でとても長い立ち話をつづけていた。一人赤ん坊でも抱くみたいに大事そうにテニス・ラケットを胸に抱え、もう一人本を何冊かとレナード・バーンスタインのLPを持っていた。クラブ・ハウスの方から誰かベースの音階練習をしている音聞こえてきた。ところどころに四、五人の学生のグループいて、彼ら何やかやについて好き勝手な意見を表明したり笑ったりどなったりしていた。駐車場にスケートボードで遊んでいる連中がいた。革かばんを抱えた教授スケートボードをよけるようにしてそこを横切っていた。中庭でヘルメットをかぶった女子学生地面にかがみこむようにして米帝のアジア侵略がどうしたこうしたという立て看板を書いていた。いつもながらの大学の昼休みの風景だった。しかし久しぶりにあらためてそんな風景を眺めているうちに僕ふとある事実に気づいた。人々みんなそれぞれに幸せそうに見えるのだ。彼らが本当に幸せなのかあるいはただ単にそう見えるだけなのかはわからない。でもとにかくその九月の終りの気持ち良い昼下がり、人々みんな幸せそうに見えたし、そのおかげで僕いつになく淋しい想いをした。僕ひとりだけその風景に馴染んでいないように思えたからだ。

 (中略)

僕は長いあいだそこに座ってキャンパスの風景とそこを往き来する人々を眺めて時間をつぶした。ひょっとして緑に会えるかもしれないとも思ったが、結局その日彼女の姿を見ることはなかった。昼休みが終わると僕は図書室に行ってドイツ語の予習をした。。(村上春樹『ノルウェイの森』)

 この文章で村上は、キャンパスの活気ある情景を描写しながら「僕」と対比させることで、孤独な「僕」の心情を鮮やかに描写しているわけだが、その際に活躍しているのが対比の「ハ」なのである。 

 つまり、ここではキャンパスという大きな情景を描写するときに、そこに含まれるそれぞれの風景や人間を「ハ」を使って対比的にフチ取りしたあと、そのそれぞれを「ガ」を使って描写し、その描写で明らかになった特に細かい新しい情報に関して再び「ハ」を使いながら説明しているのである。

 たとえば

すぐとなりで女子学生二人でとても長い立ち話をつづけていた。

 という一文。 

 「すぐとなりでは」の「ハ」は、そのあとに続々と続く「クラブハウスの方からは」や「中庭では」などいった大学キャンパスという大きな情景に含まれるさまざまな光景と対応させるための、「対比・比較のハ」である。 

 こうやってそれぞれの光景とその配置をデッサン的に書いたあと、「女子学生が」の「ガ」のように、それぞれの光景を描写するために村上は「ガ」を使うのだが、こうして「ガ」を使って色を塗る(つまり「ハ」でデッサンした「すぐとなりの二人の女子学生」という枠組みを描写する)という作業をしたあとに、さらに、

 

一人赤ん坊でも抱くみたいに大事そうにテニス・ラケットを胸に抱え、もう一人本を何冊かとレナード・バーンスタインのLPを持っていた。

 説明・対比の「ハ」を使って説明しているのである。

 このように、実際の文章単位では、「ハとガ」は何重にも入れ子の関係になりうるのであり、そう簡単に文単位だけを以て「ガは描写、ハは説明」と説明するだけで十分なのだろうか。

 わからない。 

 これだけとってみても、「ハとガ」について考えなければならないことは山ほどある。 

 難しい。

 うんうんと頭を絞りながら夕方まで原稿を書く。

 帰宅して夕食をとったあと、キャンパス内で夜の散歩。

 

 うちの大学のなかには学生さんが描いたペイン ト・アートがたくさんある。

 その多くは若さが醸し出す青さや、青さが保証する若さが感じられて、ようするに生き生きとしていて私は好きなのだけれど……。

 薄暗い路地に書かれたこのペイント・アートは生き生きし過ぎていて、夜に通りかかってふと目に入るたびにびっくりする。

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 怖い。

 思うに黒髪の長髪、蔦の葉っぱ、シックな衣服の女性な後ろ姿が、私に「リング」的ななにかを想起させるのだと思う。

 今にも振り向きそうで、怖い(それほど良く描けているということだろうが)。

 

5日(土) 

 一夜にして冬が来た。

朝から冷たい北風がびゅうびゅう吹いていて、気温は18度あるが、体感的はかなり寒い。

今シーズン始めてウインドブレーカーを着たあとにグラウンドに行って3kmほどジョグ。

シャワーを浴びたあと10時前にはオフィスへ行き、コーヒーを入れたあと仕事に取りかかる。 

ふと窓の外を見ると、冷たい雨まで降り出した。

寒い。

15時すぎまでずっと原稿を書く。 

あいかわらず「ハとガ」の説明に取り組む。 

お腹がすいたので、早めに退勤(まあ今日は出勤日ではないのだが)。

スーパーでベビーホタテとサニーレタスを買って帰宅。

しかし、それにしても寒い。

雨がどんどん強くなり、気温もぐんぐん下がっていく。

夏に降ったものほど大粒ではないが、やたらとトタン屋根を大きく虚しく響かせる秋の雨である。 

秋という季節の持つ曖昧さと後に控えている冬の存在を説得力もって告げる雨。
現在気温は18度。
数字は大したことはないが、実際には肌寒い。
気分が変わったので、晩秋に降る雨特有の含みある雨音を聞きながら今シーズン初めての鍋を仕込む。

土鍋から立ち昇る湯気に香る昆布と鰹の出汁が良い。
私にとってこんなどっちつかずの気候は「食欲の秋」と「食わなきゃ死ぬ冬」を正々堂々と両立できる口実にもなるのだ。
食い意地張った私は大手を降ってものを食べるための口実を自分勝手に探し出す。
もし私が野生動物に生まれていたならば、きっと長生きできたことだろう。
残念ながら私は様々な価値観やしがらみに囚われた一人間である。
だから所々の事情で(主にお財布的な要因で)土鍋の中身は昆布と大根だけ。
いや、昆布と大根大好きだけどね。

おでんで温まったあと、お風呂に入り、11時過ぎには就寝。

 

6日(日)

寒さで6時に自然と起床。

水をグラスに一杯飲み、とりあえずローラーに20分乗る(なにがとりあえずなのかはさておき)。

そのあとジョギングウェアに着替えてから大学のグラウンドへ行き、3kmほどゆっくり走る。 

 グラウンドにはなにやらバルーンやら看板やらが設置されている。

よく見ると、どうやら全国的に有名な保険会社が安徽省各地に展開している各支店から選抜された代表が参加する社内運動会らしい。 

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企業の運動会なんて、なんだか昭和の日本の香り。

余計なお世話だろうが、せっかくの日曜日なのに(しかも寒いのに)朝から会社の運動会なんて、可哀想。

こういう「私たちはアットホームな会社」、私だったらストレスで死ぬ。「アットホーム」っていうなら家できままに仕事をさせんかい。

まあ、別に私の会社ではないので、余計なお世話である。

 

走り終わったあと近くのローソンへ行き、朝食としておにぎり一個を購入。

寒いので温めてもらう。

私は北海道民ではないので、日本にいたときはコンビニおにぎりを温める習慣はなかった(だいたいおにぎりって冷めても美味しいこと前提の食品だし)。

中国に来てから変わったことはいろいろあるが、コンビニおにぎりを温めてもらうようになったこともそのうちの一つである。

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グラウンドに戻ってスタンドに座り、ホカホカのおにぎりをほおばりながら先の社内運動会を観察する。 

そういえば、昔に読んだ椎名誠のエッセイに仲間内でテントやらスタートピストルやらを業者から借り出して本格的に運動会をやるってのがあったな。 

仲間内でわいわいやるのが好きな人にとってはこういう会社は楽しいんだろうな。

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そんなことをぼーっと考えていると、後ろで「あっ!」と息を呑む声が。

振り返ると原付バイクに跨った2年生のOくんであった。

いや、なぜに私がグラウンドのそばに座っておにぎりを頬張っているだけなのに息を呑む必要があるのか。よくわからないけれど、バイクをガシャンと立ててからトコトコと私の隣にまで来てちょこんと腰を下ろしたOくんと、とりとめない会話をしながら運動会を眺める。 

しかしいつまでもボーッとはしていられないので、5分ほどそうしたあと、Oくんにバイバイして家に帰る。

シャワーを浴び、半年ぶりに長袖のパーカーに袖を通し、大学へ。

12時半まで原稿書き。

途中昼食をとりに外へ出る。

寒いので羊のスープたっぷりの麺を注文。

うまい。

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腹ごなしに川沿いを少し歩いてスーパーへ。

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夕食の買出し(鮭のあらと皮、菜っ葉)を済ませたあと、ふたたび大学に戻り夕方まで仕事。

明日まで休暇なので同じフロアには誰もいない。静かで快適。

仕事が進む。

さくさく。

5時すぎに帰宅。

帰宅途中に猫にであう。

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 こいつ、私の体温で暖を取りたいからって人の足にやたら自分からすり寄ってくる。

そのくせ私に身体を撫でられるのは嫌なようで、手を伸ばすと引っ掻こうとしやがる。なんて自分勝手な猫だ。

まあ猫ってそういうものだよね。

夕食(鮭のアラの酒蒸し)を仕込んでいる間に「弱虫ペダル」を1話分見ながらローラに乗る。

シャワーを浴び、夕食を済ませ、食後の散歩に出ると寒い。

家の前に焼き芋と焼き栗の屋台が出ていたので、明日の朝ごはんとして焼き芋を2つ購入。

焼き芋なんてひさしぶり。

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12時前には就寝。

 

7日(月) 

国慶節休暇最後の1日。

6時起床。

30分ほど中島みゆきを聴きながらジョギング。

寒い。
気温も低いし風も強い。

そそくさと家に戻り、熱いシャワーを浴びたあと、大学へ行く準備をする。

この風の強さだとけっこうしっかりと着込んだほうがよさそうだ。

クローゼットの奥からよれよれになった革ジャンを取り出す。
まさか10月に革ジャンを引っ張り出すことになるとは思わなかった。

 9時過ぎに事務室へ行き、コーヒーを淹れたあと、昨日買った焼き芋とヨーグルトを口にしながら原稿書き。

毎日原稿書いていて飽きないかと思われるかもしれないが、同じ教材でもいろんな要素から編集しているので、全く飽きない。

今日最初にとりかかったのは「まえがき」。

編集が進むにつれ、「ああ、こういうことを伝えたいと私は思っていたのか」というイメージが少しずつまとまってきた。 

だから「まえがき」もそれに合わせて少しずつ書くし、その「まえがき」を書くことで「おお、こういうことをお伝えする教科書なのね」という意識が先鋭化するにつれ、内容もますますまとまってくるのである。 

13時過ぎに昼食。 

寒い外に出るのが億劫なので、事務室で挂面(gua4mian4)という中国式乾麺をお湯でもどし湯切りをしてパスタ用のミートソースで和えたものとスープで済ます(邪道もいいところだが自分の胃に入るものだから気にしない)。

満腹。

朝からずっと本とPCを見つめていたので眼が限界。

結局、腹ごなしに寒風吹きすさぶ中散歩へ。 

 ついでに夕食の買出し(鮭のアラ、なっぱ)。

久しぶりに現金で精算したら、おつりで50元札が帰ってきた。

 なんか違和感があるのでよく見ると、今年の8月に発行され流通し始めた新版の50元だった。 

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こちらが旧版。画像は人民網http://finance.people.com.cn/bank/GB/17604734.htmlより。

 

1999年の旧版と比べて、特に大きくデザインが変更されたわけではないが、ちょっぴり豪華さが増している。 

しげしげとお札を眺めながら大学に戻る。

4時すぎまで仕事をして、帰宅。 

夕飯の仕込みをする間に「弱虫ペダル」を見ながら三本ローラーに乗るという、昨日とまったく変わり映えしないルーティーンをこなす。 

お風呂に入って、ご飯を食べて、お酒を飲んで、寝る。 

 

こうして振り返ってみると、まあGWなのに平凡な生活を送ったものである。 

でも、結構充実していたので、満足。 

おっと、そういえば「弱虫ペダル」のなかで御堂筋くんが「充実と満足は違うよ~」と言っていた。

確かに。

私にとって充実感は動きながら感じるもの、満足感は足を停めた時に覚えるものである。 

もっともっと充実させるために、まだまだ不満足でいることにしよう。

そんなことを思う。
 

 

1日で巣湖1周200kmロングライド!

10月3日(木)

 

国慶節休暇の3日目。

私にはこの国慶節にぜひともやりたいことがあった。

それは「自転車で巣湖1周」である。

「え、それって前にやらなかったっけ?」

そのとおり。

私は今年の8月に2泊3日の日程で1周した。

ただ、そのときはふだん自転車に乗らない2人の連れがいたし、私自身自転車にあまり乗らなくなっていた時期だったため、長距離ライドに対していまいち自信がなかった。なので、のんびりと泊りがけで1周したのである。

でも、路上で合肥の自転車乗りとすれ違って自転車談義に花を咲かせるときに、「泊まりで巣湖1周した」と「1日で1周した」とでは、だいぶ違う。

このまえ長距離ライド(140kmぐらいかな)に出たときに声をかけてきたおじさんライダーは、背中にテントを背負いMTBに乗りながら「若い子たちは速いロードが好きだよね、まあ私は今日はゆっくり時間をかけて1日で巣湖を回るよ」とにこにこ笑っていた。 

私は1日で回ったことがないので「ああ、巣湖1周ですね、私も今年の夏にやりましたよ、ははは……3日かけてね」と応じるしかなかった。 

そのおじさんを「すごい!」と思ったが、実際にやったことがないので本当にすごいのかどうかすらわからない。

だからこの国慶節にはぜひ1日で1周したいと思っていたのである。

学生さんや同僚の先生たちにそのことを話したところ「すごいね!」(知らんけど)とのことだったが、私は決して「すごいね!」と言われたいからやるわけではないのだ。

むしろ自分に「すごいね!」と言いたいからやりたいのである。

だから、やるぞ!

そんな私だが、これまでの1日あたりの最長走行距離は160km。

巣湖1周そのものは157kmほどらしい(前述のおじさんライダー情報)。

なので十分走れる距離なのだが、私の家から巣湖までは最短でも23kmはある。

よって1日で1周しようとなると(地下鉄で輪行するとか前日に湖畔のホテルに泊まるとかでもしない限り)合計200km走ることになる。 

ホテル代が跳ね上がる国慶節のこの時期にホテル泊となると出費が大変だし、地下鉄は「折りたたみ自転車は持ち込み可」(てことは折りたたみ以外はダメ?)という、なんとも曖昧な対応が予想されるので、輪行もパスしたい(だいたいロードを組み立てるのがめんどい)。

ということで、「1日で巣湖1周(ついでに200kmにも挑戦)」ライドを決行することにしたのである。

 

本来は1日の国慶節当日に実行する予定だったが、この日は前日の仕事の疲れと飲み会の影響で予定より遅い朝6時に起床。

あまり状態が優れないので、パス。無理はしない。明日にしよう。

翌2日、前夜早く寝すぎて午前0:20分というとんでもない時間に起きてしまう。

予定では4時30分ぐらいに出発して車が少ない朝の街を抜け、夜明けと同時に巣湖湖畔にたどり着くつもりだったので、ちょっと早すぎる。

パス。無理はしない。安全第一。また明日。 

 

ということで、3日である。 

今度はちゃんと午前3時半に起床。

朝ごはんとしてバナナ1本、食パン2枚、ローソンのおにぎり(シーチキン)1個を食べる。 

200kmは未知の世界なので、回りにコンビニなどない巣湖周辺でお腹が空いてどうしようもなくなった時のため多めに補給食(ソイジョイのようなもの、スニッカーズ、おにぎりなどなど)を用意し、サドルバックに詰め込む。ついでに各種工具と予備のチューブも放り込む。

秋とは言えまだまだ日中は暑いのでボトルを2本用意し、1本には水を、もう1本には運動中の筋肉疲労や分解を防ぐためBCAA(スイカ味)を溶いたドリンクを詰める。

トップチューブバッグには、走りながら口にするための補給食(エナジージェル、羊羹)とモバイルバッテリー、デジカメ。

ハンドルにはサイコンとケータイのほかに「ごーぷろのようなもの」を取り付ける。

ふつうロングライドともなると重さを気にするものだが、私の相棒はそもそもが9kgもあるエントリーロードだし、だいいちいくら夏休みで10kg痩せたとは言え標準体重から比べるとまだまだ重めの私である。無駄なあがきはしないのだ(それならさっさと痩せろ!って話だし)。

とはいえ、寝ぼけていたのだろうか、デジカメと「ごーぷろのようなもの」にSDカードを挿れ忘れるという痛恨のミスをしてしまい、全く無意味に数百グラムの重荷を背負ってしまったのであったのである(まあ済んでしまったことはしかたがない)。

鍵やパスポート、現金なんかはジャージの背ポケットに。

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こうして準備を整えて、定刻通り4時30分に出発。

なお、200kmといえばブルベ(他人と順位を競わずに指定されたコースを走る自転車版ウォークラリーのようなもの)の最短距離であるが、200kmの場合制限時間は13時間30分とのこと。 

なので、13時間半後である18時までに家に帰って来ることができたならば、ブルベに参加することを考えてもいいかもしれない(中国でブルベが開催されているのかはよくわからないが)。 

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予定走路。今回は時計回りに走る。

薄暗い街中を、反射光ベストを着て、フロントライト3つにテールライト1個を点灯し、ゆっくり進む。

なお、夏休みに毎日ジョギングしすぎたせいかどうかはわからないが膝に若干の不安があるので、今日のライドではフロントのアウター・ギアは封印することに。 

重めの私が重めのロードで「おし、時速30km巡航するぞ」なんて調子に乗って救援もサポートもない田舎で膝を壊して動けなくなるとか、バカ以外の何者でもないから。

スピードは出さずにのんびりゆっくり走ります。

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4時すぎの街を流す。

街には、清掃作業のお仕事をしている方々や朝まで飲み明かしている酔っ払いたち、そして早起きしてジョギングやら散歩している人々がちらほらと見受けられる。

普段の街は(特に中国は)車やクラクションでぐちゃぐちゃぎゃんぎゃんうざったいが、早朝はスムーズに走ることができてまっこと快適である。

1時間ほどで巣湖の西岸に到着。

ここから時計回りで1周する。

10km程度走って合肥湿地公園付近を通りがかる頃には6時すぎ。

ここで日の出を拝む。

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湿地公園を過ぎると「南淝河大桥」という橋に出くわす。

巣湖には多くの川が流れ込んでいるので、巣湖沿いを走ると必然的に多くの橋を渡ることになるが、この「南淝河大桥」は今回のツーリングで渡る1本目の橋にあたる。 

ギアを重めに入れてダンシングしながら颯爽と登る!……と行きたいところだが、前述のとおり今日はとろとろ走る日である。 

軽いギアをくるくる回しながらえっちらおっちらと橋を登る。

橋を下って数キロ走って「長臨古鎮」という古鎮に到着。

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この時点で走行距離は40km。

小休止。

トイレを済ませ、おにぎり1個とエナジージェル(りんご味、あっまーい)を口にしただけで、のどかで綺麗な古鎮の景色をじっくり見ることもなく5分程度で出発。f:id:changpong1987:20191004115434j:plain

前回の巣湖一周(8月19日の記事参照 自転車で2泊3日巣湖1周旅行(1日目 合肥市内~巣湖市内) - とある日本語教師の身辺雑記)では、この古鎮を出たあとまっすぐ東に向かったのだが、今回は巣湖に沿って南下する。

これが傾度3~4度ぐらいの緩やかなアップダウンが続く道で、左右に山が広がり景色が綺麗なのである。

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巣湖北部の半島に沿って走る道。写真は別日に撮ったもの。

そうやって景色を眺めながら巣湖を時計回りに走っていると、右手方向に「姥山島景観区」という観光地が現れる。

私は以前自転車で来たことがあるが、この景観区は飲食店も多く観光客で賑わっている観光地である。

景観区の名称に入っている姥山島とは、巣湖に浮かぶ島々のなかでもっとも大きなもの。巣湖周辺を走ると自然に目に入る島である。

景観区からは姥山島に渡る船も出ており、もし渡りたいなら渡ることもできる(もちろん有料)。

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前回撮った姥山島の写真。

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姥山島へ渡る船。

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景観区では観光客向けに巣湖で取れた水産物も売られている。

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巣湖名物の“银鱼”(シラウオ)がそのへんに無造作に干されている。……干されてるんだよね、捨てられているわけはなくて。

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景観区で釣りをするおじさん。おじさん、いくらなんでもその竿の数は欲が深すぎると思うよ。

ここは以前ひととおり見たので、今回は寄らずそのまま巣湖に沿って走りつづける。
景観区を出ると巣湖に大きくせり出している半島に沿って道が大きくカーブし、これまでの南向きの進路が東向きへと変わる。 

そのままずっと行くと今度は北向きへと道が曲がりぐっと湖岸に近づいていくので、右手に巣湖を一望するかたちで走ることになる。

巣湖を周回する道はよく整備されているし、車があまり多くない。

しかもこの日は気持ちの良い秋晴れ。

なので、多くの自転車乗りを見かける。

MTBに乗っているグループやクロスバイクで単独ライドをしている男の子などなど、車種や走行距離はみんなそれぞれだろうけれど、みんな楽しそうである。

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途中で「現在〇〇km」と書かれた赤い看板を目にするようになる。

なんだろう(あとでわかることだが、これは巣湖1周のウォークラリー参加者向けの表示であった)。

 

それにしても腹が減った。

時刻は9時すぎ。

ここまでだいたい70kmほど走っている。

朝食やさっき食べた補給のカロリーなんてとっくに消費しきっている。

補給食ではなくて、なにかちゃんとしたものをガツンと胃に収めたい。

巣湖市内についたらどこかのお店で食事を取ろう。

なにを食べよう、米にするか麺にするか……。

などと考えながら一路進んでいくと、後ろからものすごい勢いで迫ってきたふたり連れのTTバイク(トライアスロンやロードレースのタイムトライアルに使われる、ロードバイクの空気抵抗やポジショニングをさらに進化させた自転車、高い)にぶっちぎられる。

たぶん時速40kmは出ているな。

しかもそのうちのひとりには見覚えがある。

たしか彼には以前にも巣湖周辺でものすごい勢いで抜かれた記憶がある。

どーぞどーぞ、こちらは安ロードでポタリングですから。

悔しくないぞ(ホントだぞ)。

 

なんてことを考えていると、前方にトンネルが。

巣湖1周のコースに存在するトンネルはこの亀山トンネル(約600m)だけである。

亀山トンネルに到着したということは、巣湖市内まであと10kmぐらいのはず。

早く飯が食いたい。 

なんにしようかな……そうだ、卵チャーハンだ、それにしよう。

黄色く散った卵と油でコーティングされた米が美しく混ざり合った、黄金の卵チャーハン。

そういうことを考えつつも、トンネルは危険なのでちゃんとテールライトを点灯させ十分注意しつつトンネルを抜ける。

 

無事に巣湖市内に入ったのはだいたい10時すぎ。

この時点で約90kmを走破(「走破」というほどの距離でもないが)。

さっそく飯屋を探す。 

あったあった、飯屋街。

が、どの飯屋も米がない。

いや、米はあるしメニューにも載っているのだが、まだ炊き上がっていないのだ。

そうだった。なぜだか知らないが、中国では昼にならないと米を提供してくれない店が多々あるのだ。

日本人としては(まあ、最近はそうでもないらしいが)「朝は米!」なのだが、この国では「朝は粉物」なのである。 

うー、ご飯が食べたい。

私の身体が米由来の炭水化物を求めている。

サドルバックの中にはシーチキンのおにぎりがあるのだが、これはあくまで補給食である。今は食べる時ではない。 

しかたがない、麺にしよう。 

ついでに豆乳も頼む。 

頭のなかにあった卵チャーハンを偲んで、せめてもと「菜っ葉と卵の麺」を頼んだのだが、卵が予想していたのとは違う姿で出てくる(炒められて出てくるかと思っていた)。

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うん、これはこれで美味しい。派手さはないけれど、優しい味である。

汗をかいた身体に醤油ベースのスープが嬉しいね。

豆乳は頼んだあとに目の前で豆から絞ってくれる。

砂糖も何も加えられていない無調整の味わい。

筋肉をいたわりつつ、大豆のたんぱく質を補給。 

ごちそうさま。

 

お会計とお手洗いを済ませ、さっさと出発。

いちおう「13時間30分」という制限時間を(勝手に)設けているので、そうゆっくりもしていられないのである。 

巣湖市内は詳しくないので、百度のナビにしたがい前回の巣湖1周のときの見覚えのある道まで走る。 

前回の記憶だと、巣湖市を出たあとの南東側はゆる~い上り坂が長く続いた気がするが……。

うん、やっぱりそうでした。

いきなり斜度10%の坂が姿を現す。

平地である合肥で自転車を覚えた私にとって、これは「激坂」である(なさけない。ちなみに私は坂の街長崎の生まれである)。

前回ここを走った時につけていたサイコン(サイクルコンピューター)には斜度表示機能がなかったのだが、今回使用しているサイコンにはそれが付いているので、いちいち斜度を確認しながら登る。

だいたい6%前後の緩い上りが数キロ続き、下り坂に。そしてまた同じような上りが数キロ続き、下りに……という道が巣湖南岸にたどり着くまで30kmほど続く。

ちょっと精神的にきつい。

しかしよく考えてみると、前回はこの道のりを37度の炎天下のなか走りきったのだ。

それを思うと今回はなんてことはない。

スマホにスピーカーを差し込み音楽を流しながら、ご機嫌でえいほえいほと登る。 

巣湖市内を出たあたりからやたら歩行者の数が増えたことに気づく。

はて、ここはこんなに多くの歩行者が歩くような道ではないはずなのだが。

よく見ると、みんなお揃いの赤いTシャツを着て、各自タイツを履いたりウォーキングシューズを履いたりして、ばっちりと「おいらは歩くぜ」という格好をしている。 

ここでこれまでずっと見ていた距離表示の看板が、今日開催されている「歩いて巣湖を一周しよう」というイベントのものであることを知る。

すごい。

だって、1周150km以上あるんだよ。それを歩いてって。

ずっと歩いていて飽きないのだろうか。

思わず、

「この人たち頭おかしい……」

などと思ってしまうが、もしかしたら自転車で1周だって自転車に興味がない人からしたら「頭おかしい」のかもしれない。 

何事もやってみなければわからないことがある。

それはそれとして、このイベントの案内表示板には単に距離が記されているだけではなく、参加者への激励のメッセージが書かれている。

「ここで諦めたら自分がどれだけ優秀か気づけないぞ」とか「人生とは歩くことと同じだ」とか。 

こういう言葉が1キロごとに目に入る。

いいことを言っているとは思うのだが、ずっと坂を登っている状態でこれを見ると、なんだがこれらの言葉が安っぽく他人事に聞こえてしまい、正直なところ「うっせーよ」と思ってしまう。

まあ、私は自転車に乗っているので、まだ楽なのだが。

 

そんなこんなで、前回「Rくんパンク事件」(自転車で2泊3日巣湖1周旅行(2日目 巣湖市内~三河古鎮) - とある日本語教師の身辺雑記 参照)が発生した空き小屋(今回は立派に先のウォークラリーのスタート地点兼大会本部として活用されていた)を過ぎ、巣湖南西部に到着。 

この辺にはおじいちゃんおばあちゃんがやっている小さな商店があるので、冷たい「ふぁんたのようなもの」を買って休憩することに。

ちなみにここのおばあちゃん、前回も自転車に乗ってきた私にわざわざ椅子を出して休憩させてくれるぐらいに親切なのだが、方言の訛りが激しく、正直「ちょっと何言ってるかわかんない」。なので、あまり交流ができないのが残念である。 

 

今回は近くの草っぱらで休憩。 

目の前に巣湖が広がり、湖面に浮かぶ姥山島と午前中に走ってきた対岸が見渡せる。 

「おお、さっきまであそこを走っていたのだなあ」と思うと、けっこう感慨深い。これも〇〇1周の醍醐味である。

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この時点で走行距離はちょうど150km。

休憩や信号待ちも含めた総走行時間はだいたい9時間。

13時間半は余裕だな。残りを安全かつ快適に走るために、30分ばかり休憩することにしよう(べつに何のフラグでもない)。

さっき買ってきた「ふぁんたのようなもの」(オレンジ味)を飲む。……炭酸が弱すぎる。

まずい。

気を取り直して、エナジージェルで糖分を補給。

自転車乗りにとって、エンジンは己の身体、その身体を動かすガソリンはエネルギー、エネルギー即ち糖分である。 

……うわ、あっま(いつも思うことではあるが)。

私はお酒を覚えてからというもの、以前ほど好き好んで甘いものを食べなくなっているので、ちょっと甘ったるすぎる。

でも、運動するうえで糖分は必要不可欠。

ガソリンがなければエンジンが動かない。

エンジンが動かなければ、どんなにいい自転車に乗っていても(私は乗っていないが)、宝の持ち腐れである。 

我慢して水で流し込む。

 

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今回持ってきたエナジー・ジェル。1個120円ほどとやや高いが、即効性は抜群。ただ、甘すぎる。

ちなみにエナジー・ジェル、ごらんのとおり中国語では“能量胶”(neng2liang4jiao1)という。胶とは「にかわ」であり、ようはねばねばしたものを指すので、たとえば中国語では「テープ」を胶带(jiao1dai4)と呼ぶ。「ねばねばした帯状のもの」だしね。

このまえビリビリ動画(日本のニコニコ動画を真似た中国の動画サイトだが今や本家以上のサービスやクオリティを備えている)で自転車関係の動画を見ていたら、バナナが出てきた。 

すると視聴者からのコメントで「能量蕉」というワードが出てきた。

最初は意味がわからなかったが、これが“能量胶”にかけた言葉だとわかると思わず笑ってしまった。

中国語ではバナナは“香蕉”(xiang1jiao1)というが、“蕉”と“胶”は発音もアクセントも全く同じ。くわえてバナナは栄養に優れ運動時の補給食としても万能である。

ようはシャレなのだが、こういう意味と音との両面で成り立つ言葉遊びって結構好き。

面白いし。

 

閑話休題。

さあ、休憩も終わったし、残り50km頑張ろう。

残りの道のりはほぼ平坦基調だが(というか、データで見ると巣湖1周のコースそのものが平坦基調なのだが)、3つの橋を渡らなければならない。 

疲れがたまってきた時の橋はけっこう辛い。 

まず1本目の橋(名前を忘れた)を渡ったあと、2本目の“杭埠河大桥”(hang2bu4)を渡る。

この橋から私の家までだいたい45kmほど。

渡ってすぐ左折すれば、前回の巣湖1周2日目 自転車で2泊3日巣湖1周旅行(2日目 巣湖市内~三河古鎮) - とある日本語教師の身辺雑記 に泊まった三河古鎮に行くことができる。 

今回はまっすぐ合肥市内へ帰るので、まっすぐ巣湖に沿ってぐねぐね曲がりながらも北上を続ける。

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“杭埠河大桥”

そのあと20kmほど行くと、最後の橋“派河大桥”が見えてくる。 

この橋を渡れば、もうそこは合肥。私の家まで25km程度である。

“派河大桥”を渡りきったところは芝生が整備されていて、国慶節の休暇を楽しむ家族連れや若い恋人たちがテントを張ったり楽器を持ち出したりしてそれぞれの休暇を楽しんでいる。 

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“派河大桥”。写真は前回1周した時に撮ったもの。

そういえばサドルバックのなかのおにぎりを1個食べ忘れていた。

家に帰ったらがっつり肉とビールでカロリーを摂取する予定なので、日持ちが効かない炭水化物を残りの23kmで消費しきるため、芝生に座ってぺろり。

さて、あと少しである。

残りは市街地を走るので、とくに面白いことはない。

車や原付バイクに注意しながら、16時半に無事帰宅。

総走行時間はちょうど12時間、約204kmを完走した。

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やれやれ、なんとか無事に帰ってくることができた。
200km走る前には「200kmを超えるとキツさや走り終わったあとの感覚が何か質的に変わるのかな」とか「自信がつくかも」と思っていたが、結果から見れば特に何も変わらなかった気がするし、自信がついたわけでもない。 

確かに普段よりキツかったたが、あくまで普段のキツさが時間的に引き伸ばされただけのような気がするし、自信がついたというよりは「まあ、走れるんだな」と確認するに至っただけのように思う。 

もちろん今回はゆっくり走ったわけで、たとえばこれを30km巡航でとかという話になればまったく別物なのだろうが。 

なにはともあれ(って言い回しが好きだな、私は)、無事に楽しく気持ちよく200km走ることができてよかったです。

唯一の後悔は、朝寒かったので日焼け止めを塗るのを忘れてしまい、顔がしっかりと「逆パンダ」になってしまったこと。 

連休明けの授業で私を見た学生さんから「こいつ遊んでばっかりいたな」と思われるだろう。

 

なにはともあれ(ほら、また)、無事に私を乗せてくれたメリダを労わりながらスタンドに戻し、ゆっくりシャワーを浴びたあと、夕食の買出しへ。 

なにしろ5000kcal以上消費したわけだから、今日は何を食べても罪悪感がないのである。 

とはいえ肉体の回復のことも考え、赤身の牛肉と刺身用サーモン、サニーレタスを購入。 

牛肉を一口大に切り分け、荒塩と黒胡椒をよく揉み込んだあと、網焼きにする。 

肉を焼いている間にレタスをよく洗い、冷水で引き締めたあと、手でちぎってお皿に盛り、上からレモンベースのドレッシングをかける。 

サーモンはそのままお刺身に。 

牛肉が焼けるのを待つまでもなく、キンキンに冷やした朝日スーパドライで乾杯! 

「くぅ~!」というCM的反応が自然に出る。 

なにしろ帰宅後体重を量ったところ2kg減っていたのである。

それだけ汗をかいたのだ。ビールが不味いはずがない。 

こうしてビールを味わいつつ、焼きあがった牛肉や新鮮なサーモンでたんぱく質を補給すると同時に1日の行程を噛み締めながら、国慶節休暇の3日目は暮れていくのであった。

ここ最近の日記

9月27日(金)

朝から夕方までぶっつづけで授業。

午前中の授業はどちらも3年生(「視聴説」と「作文」)。

今学期の「視聴説」はこれまで教科書(私が主審を務めたもの)を使ってきた。

が、教科書だけだと飽きるし、国慶節まえでお祝い気分なので、今日は別のビデオを見ていただく。 

具体的に言うと「仕事の流儀」(女優 宮沢りえ)とジブリを撮ったドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」。

私がぜひ考えていただきたいのは、演技と“倣作”(zuo4zuo)は果たして同じものだろうかということである。

この倣作とは、辞書の意味では「動作が作為的でわざとらしい、貶意」とあるが、私が見聞きしている範囲内でぴったりくる日本語は「ぶりっこ」である(死語だな)。

ようは、たとえば合コンなんかで男の子を前にした女の子が両手で口を覆いながら「わぁ、すっごい美味しそう!でもこれ食べちゃったら太るかも~」などとのたまえば、(私にとっては)倣作である。

 

 私は倣作が嫌いなのだが、なぜこんなことを学生さんたちに言うかというと、作文の中にもこのような「わざとらしい作文」があるからである。

そういう作文は、いくら日本語が正しくて理路整然としても、正直伝わってこない。

演技をめぐる宮沢りえと宮崎駿の言葉に、伝わる作文を書くために必要なものがある気がするので、ご覧いただくのである。 

なんだかんだで夕方まで仕事をしたあと、夜は会食。

現在複数の中国人の先生方と教材を編集しているので、その作戦会議である。

その席に市内の日本語塾の責任者の方が来ていて、日本人教師が足りないので非常勤できてくれと頼まれる。 

ときどきこういうお話を頂く。

お声をかけていただくのは非常にありがたいのだが、結構困る。

契約上、基本的に非常勤の仕事はできないことになっているし、なにより今は忙しい。

しかし、相手もかなり熱心に粘るので、とりあえず29日にその学校へ行き、見学だけすることに。

 はあ、大変だ。

 

28日(土) 

朝から大学へ行き4時過ぎまで原稿を書く。

そのあと折り畳み自転車に乗り、11km離れた日本料理屋へ。

今日は合肥市内の日本人教師や日本語を教えている中国人の先生たちとの食事会なのだ。 

私はお酒を飲むので、行きは自転車、帰りは折りたたんでバスで輪行するかタクシーに乗せて帰る。

こういうときに折り畳み自転車は本当に便利。 

店の前でささっと折り畳み、輪行袋に自転車をしまって、お店へ(自転車は受付カウンターで預かってくれる)。

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久しぶりにお会いする日本人の面々や中国人教師のかたがたと、ビールを飲み天ぷらやらニラ玉やらをつまみながら、久闊を叙する。

口々に「痩せましたね」と言われる。

まあ、前回会った時から7kgは減っているからね。

私は久しぶりに会うたびに太ったり痩せたりを繰り返している「月」のような人間である。 

きっとみなさん「バカかコイツは」とお思いだろう。

私だってそう思う。 

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明日は日曜だが国慶節の連休を作るために振替出勤となっているので、9時過ぎには散会(私はオフだが)。

自転車を抱えてタクシーを拾い、家に帰る。

シャワーを浴びたあとに爆睡。

 

29日(日)

金曜日の振替出勤日だが、金曜は一日中授業がないので、今日はオフ。

しかし、一昨日の約束があるので、地下鉄で20分ほどのショッピングモールに入っている語学学校へ見学へ。

受付に行き「あの~」と口を開きかけると、カウンターのお姉さん(たぶん大学を出て間もないであろう)がびっくりしたように「あ、〇〇先生」(私の名前は伏字にしておく)と声を上げる。

はて?

私はあなたのようなピチピチに若くて綺麗な中国人を存じ上げないはずだが。

聞けば、前任校で一年だけ教えた学生さん。

「先生、私は××ですよ!」(彼女も名前も伏せておく)とお名前を教えていただくが、まったくピンと来ない。 

「あ、ああ!××さんね、いやあ、大人になったねえ。綺麗になってたから気づかなかったよ、はは、はははは」と誤魔化すが、たぶん誤魔化せていないだろうな。 

私が薄情者なのだろうが、最近では卒業した瞬間に多くの学生さんの名前を忘れてしまう。 

私は悪い先生です、ごめんなさい。 

 

出迎えてくれた責任者の方に学校を案内されたあと、懸案の「非常勤をお願い!」について、中国語で1時間半議論をする。

とはいっても、私としては「すいません、無理です」(ほんとうです)がほぼ決まりなので、ほぼ説得である。 

お金の問題とかではなく、今は本当に状況が許さないことを、私のボロボロの中国語で伝え、納得していただかなければならない。

大変である。 

しかし、なんとか了解していただき、今後も仲良くしましょうということで、なんとかまとまる。 

ぐったり疲れて帰宅。

さっさと寝る。

 

 

30日(月)

 

キャンパス内はすっかり秋の雰囲気。

キャンパスに棲みついている猫たちも来る冬に備え、忙しそうである。

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中国では今日が国慶節の連休前最後の出勤日。 

しかし、今日は授業が6コマ入っている。

気力を振り絞りながら、18時10分まで授業をする。 

最後の1コマは2年生の授業だったのだが、早く休暇に入りたいのは彼女たちも同じ。

終業のベルが鳴って、私が「はい、では終わります。みなさん、良い休暇をお過ごしください。おりがとうご……」と言い終わらないうちに、多くの学生さんが荷物を引っつかんで、まさに「脱兎のごとく」教室から消える。 

良い休暇を。

本来ならば私もこれで家に帰って早寝をし、翌日早朝に「国慶節ライド」をするつもりだったが、突如日本語学部のみなさんとの食事会が入ったので、出席。 

大学によっては日本人教師と中国人教師との交流が全くない大学もあるが、うちはかなりフレンドリーである。 

北京の大学博士課程に勉強しに行っていたO先生と日本留学から帰ってきたL先生が、それぞれ白酒と紹興酒(どちらもけっこう高い)をお土産として持ってこられたので、私は白酒を頂く。 

うまい。 

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「口子種」は安徽省淮北のお酒。これは十年もので結構高いそう。「ビアンキ・グリーン」で綺麗。

美酒美食を頂きながらみなさんと歓談しているうちに、6コマ授業をこなした疲れもあり、すこしおねむに。

9時半にお開きになったあと、ベッドに潜り込み、「国慶節ライド」は2日にしようと思いながら就寝。 

 

独学の楽しみと「サル」の愉悦について

 秋である。

 だんだんと寒くなるこれからの時期、室内でも運動できるように、新しく自転車のローラーを買った。
 以前から固定式ローラーは使っていたが、今回導入するのは自転車を固定せずそのまま上に乗って走る、通称「3本ローラー」。

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固定式ローラー。写真はTaobaoからお借りしました。

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自転車本体を固定しない「三本ローラー」、写真は同じくTaobaoから。

 固定式ローラーは自転車に取り付ける手間がかかるが、なにぶん固定されているので、安心してペダルを踏むことができる(スマホで映画なんか見ながらね)。

 その代わり、ペダルを踏んでも回るのは後輪だけ。前輪が回っていないので、路面を走るのと同じ実走感が味わえないし、なにより自転車に必要なバランス感覚がいくら乗っても身につかない。
 一方の「3本ローラー」は、自転車ごと乗るだけでいいので手間がかからないが、幅40cmぐらいのローラーの上を走るわけだから、ちょっとでもフラフラするとすぐに「コースアウト」してしまう。 

 結構怖い。しかし、実際に走っているのと同じ感覚があるし、バランス感覚をシビアに鍛えられるというメリットがある。

 私も今後は200km、300kmとロングランの距離を伸ばしていきたいので、これまでのように週末楽しく走るだけでは不十分である。 

 ということもあって、安物ではあるが「三本ローラー」をネットで購入。
 その「ローラー」がさっき届いたので、組み立てる。
 私は、それが楽器であろうとデジカメであろうと炊飯ジャーであろうと、入門書や説明書やマニュアルの類いをほとんど読まない(読めない)人間である。

 なぜ読まない(読めない)かというと、その手の文章って、「これを読むと〇〇ができるようになる」という結論が初めから分かっているから、「是非とも読みたい」という欲求を刺激してくれないのである。

 私はなにかが「わからない」から文章を読むわけだが、それは単に「やり方がわからない」だけではなく、「これを読むとなにができるようになるかわからない」から楽しみながら読むわけである。

 だって、そういう文章って、読む前の自分と読んだあとの自分そのものを根本的に変えちゃったりするでしょ。

 そういうのって楽しい。

 しかし、取説とか入門書は、あくまで私が手段として読むわけだから、いくら知識や情報や技術が身に付いたって、私自身の価値観とか世界観を一変させることは期待できない。

 そういう文章は、私の「是非とも読みたい」という欲望を換気しない。

 そういう私だって、仕事の必要性で購入した商品だったり身につけなければならないスキルだったら、「是非とも読まないといけない」なので必死で読むかもしれない(読まないかもしれないが)。

 しかし、これはあくまで趣味の「おもちゃ」である。

 「おもちゃ」はそれ自身が有する楽しみが豊かであるからこそ「おもちゃ」である。「おもちゃ」を楽しむために、わざわざ結論がわかっていて面白くないと思う文章を「是非とも読みたい」とは思わない。

 なので、こうやって新しい「おもちゃ」を手に入れるたびに、私は「サル」化する。 
 つまり、床にどすんと座り込んで、新しい「おもちゃ」と向き合いながら作りや形を観察し、手に取って「あーでもないこーでもない」といじりまわす作業を繰り返すのである。 

 きっとその製品の開発者やその分野の玄人の立場からみれば、サルの思考実験とさして変わりはない風景だと思う(天井に吊るされたバナナをどうやって手に入れるか的な実験)。 
 まあ、実際に「はあ? どうなってんのこれ」とか「あ、そういうことね、サルかお前は」などとひとりでブツブツ言いながらやっているわけだし。 
 そうこうして、マニュアルを見れば10分で済んだであろう組み立てに30分かけて、ようやく完成。
 嬉しい。
 さっそく自転車を持ってきて乗ってみる。
 おお、これは難しい。
 普段路上を走っているときは気づかなかったが、幅が限られたローラーの上を走ってみると、今まで自分が如何にテキトーに自転車を扱っていたかがわかる。

 たとえば、ハンドルへの体重の荷重を少しバランス悪く分配しただけで、一気に車体がぶれる。するとローラーから落っこちそうになる。

 ひえ~、難しい。
 それでも、これまた「うわ、これ難しいな」とか「んなもん、できるわけねーじゃん(泣)」なんてブツブツ言いながら10分ほど乗っていると、少しずつコツがつかめてきた。
 楽しい。 
 私は自転車に乗り始めてから3年ほど経つが、こんなこと本を読んだり先生についたりして勉強している人からすれば、きっと「初歩の初歩」なのだろう。
 そしてこんな少しの達成で喜んでいる私は、道具をうまく使用してバナナを手に入れて喜んでいる「サル」並みなのかもしれない。 
 でも、それでいいのである。
 それが独学の醍醐味だし、自分の頭と身体を駆使しながら、少しずつできるようになったりわかったりするのは、本当に愉しいのだから。
 それは向上心なんて立派なものではない。
 「サル」が「サル」なりに進化していくことに感じる単純な愉悦である。
 早く人間になりたい。

もういくつ寝ると国慶節

26日(木) 

 

来月1日は中華人民共和国の第70回目の「国慶節」。

ようは日本でいう建国記念日にあたるのだが、歴史が長いこの国では「建国」という表現をしてしまうとその節目がずっと先に遡ってしまう(ずっと前から国はあったわけだし)。

そういうこともあって、中国では建国記念日とはいわないようである。 

なにはともあれ国慶節が中国最大の大型連休であることにはかわりない。

嬉しい。

今年の国慶節休暇は1日から7日までの7連休。

この連休を作り出すために、日本で言う内閣に当たる中国の国務院は、毎年土日の休日をずらして日程調節を行い、振替休日を設定する。

今年の場合、中国全土の学校や職場では、今週日曜日に来週金曜日の、再来週土曜日に来週月曜日の分の勤務・授業が行われることになった。

したがって今週末は土曜日だけが休日となる。

まあ、私はそもそも金曜日に授業が入っていないので関係ない話ではあるが。

というわけで、私は今日の授業と月曜日の6コマを片付ければ晴れてGWである。

嬉しい。

もちろん授業がないだけで、原稿を書かないといけないので、なんだかんだでちゃんと仕事はするんですよ。誤解なきよう(誰に言ってんだろう)。

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今日は8時から16時まで(昼休みを挟んで)ぶっつづけで授業が入っている。 

午前中の3年生の授業で抽象的な概念について180分も説明したので、さすがにへとへとに疲れて事務室に戻る。

お腹もすいた。

頭を絞ったので身体が炭水化物を求めている。

よし、今日の昼は麺だな。

うちの大学は昼休みが150分あるので、まずは気分転換に通勤に使っているジャイアントの折りたたみ自転車で1時間ほど市内を走る。

こいつはミニベロなので漕ぎ出しが楽。

どうせ街乗りではそんな大したスピード出せないので、心地よい秋風を全身に受けつつ、街並みを眺めながら、とろとろ走る。 

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街乗り用のジャイアント。折りたたみ自転車ならオフィスに持ってあがるので盗まれる心配がないし、コンパクトでいい。

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15kmほど走ってお腹がグーペコにすいたところで、前回の日記で紹介した牛肉麺屋に到着。

ジャイアントを店の目の前の電柱に「地球ロック」し、店の中からでもつねに目が届く場所に席を取る。

それを見た店のにいちゃんが「そこまでしなくてもいいだろ」と言うが、ジャイアントの自転車に関しては買ったばかりのクロスバイクを盗まれたという2年半前の苦い記憶があるので、妥協などしないのである。

それはそれとして、メニューを見る。

前回はタンメンタイプの牛肉麺を頼んだので、今日は汁なし麺を試してみたい。

というわけで、“葱油牛肉拌面”(牛肉入りネギ油混ぜ麺、大盛り15元)を注文。

前回と同じく、注文を受けると、私の背後にある厨房で店のあんちゃんが、バン!バン!と(まるで親の敵をとるかのような勢いで)麺を打つ。

そうして鍛えられた麺はそのまま鍋で5分ほど踊り、碗に落ち着き、薬味や付け合せやソースでおめかしをしたあと、私の目の前に姿を現すのである。
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おお、うまそう。

なるほど、ここの混ぜ面は平たい麺なのね。

さっそくよーく混ぜ混ぜしたあとに、いただきます。

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うん、やっぱりここの麺はうまい。

もっちもちである。

にいちゃんの「バンバン」の賜物だろうね。

夢中でずるずるいただく。

ごちそうさまでした。 

さあ、軽い運動と食事でリフレッシュしたし、午後も頑張ろう。

 

 

天高く、そして肥える秋。

19日(木)

昨日から天気が良い。

「天気が良い」なんて一言で片付けるのが失礼なほど、天気が良い。

空気が澄んでいるので、空が高く、青い。

雲が秋の訪れを説得力持って告げている。

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あまりに天気が良いので、我ながら単純だが機嫌が良い。

そしてお腹も空いてしまう。

午前中に授業を一つ(3年生の作文)片付けたあと、久しぶりに麺を食べに前から気になっていた拉麺店へ行く。

店に入るなり、先客が美味しそうに啜っている麺が目に入る。

いやがおうでも期待が高まる。

さっそく牛肉拉麺の大(12元)を注文。

注文を受けると店のお兄ちゃんが麺をバンバンと打ってはくるくるねじり、くるくるねじってはバンバン打ちながら、まさに「麺を打つ」。

5分ほど待つ。

銀色のお盆に載って私の麺が登場。

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美しい。

牛すじの茶色に薬味の緑、そして醤油ベースの澄んだスープの底に見える麺の白が食欲をそそる。

いただきます。

まずスープを頂く。

うまし!

醤油のコクにくわえて唐辛子のピリっとした辛味がアクセントとして効いている。

麺をすする。

文句なしのコシあり麺。

さっきにいちゃんがかなり力を入れて「バンバンねじねじ」しているのを見ているからそう感じるのかもしれないが、かなり弾力がある。 

そしてよく煮込まれた牛すじの食感もすばらしい。

手を抜いたケチな麺屋は牛肉麺にうっすい牛肉を言い訳程度に乗せて「牛肉麺」を名乗ることがあるが、ここは違う。

満足。

 

腹ごなしに歩いて学校まで戻る。

風に秋の匂いがする。

見慣れたキャンパスも今日は美しく見える。

ああ、こんな日に自転車で郊外まで走り出すことができたら、さぞ気持ちがいいだろうな。

しかし、残念なことにまだ片付けなければならない事務作業が残っている私は、おとなしくオフィスへ向かう。

そして窓から見える晴天を恨めしげに一瞥したあと机にかじりついて心地よい秋の一日を過ごすのであった(太るなよ)。

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“教师节快乐!”(教師の日おめでとう)

10日(火)

 

朝大学に行くと、学院の電光掲示板にデカデカとこんな文字が。

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そうか、今日は9月10日だった。

中国では今日は“教师节”(教師の日)である。

1985年に国務院によって定められた。

だから今年が35回目。

趣旨としては、教師を教育事業に貢献する存在として社会的に認め称えるための祝日である(祝日とは言っても学校は休みにはならないが)。

日本には「教師の日」というものはないが、調べてみると世界各国で同じような日を設けているそうである。

中国ではどうかというと、近代に入ってから「教師の日」はいくつかの流動的な日程で祝われていた。

 

中国のインターネット辞典で調べてみると、新中国(つまり中華人民共和国)成立以前には、ふたつの「教師の日」が存在したそうである。

ひとつは1931年に教育関係者が教師の待遇改善を呼びかけて始めたものである。これは毎年6月6日を「教師の日」としていた。

もうひとつは1939年に国民党政府の教育部(文科省に相当)が設定したもの。これは毎年の旧暦8月27日を「教師の日」とした。孔子の誕生日にあわせたためである。

しかし、前者の「教師の日」は一定の影響をもたらしたものの国民党政府の承認を受けていなかったために、また、後者は戦争が原因のために、それぞれ全国へと普及し定着するには至らなかった。

戦争が終わり中華人民共和国が成立したあと、中央政府は6月6日版の「教師の日」を復活させ、教育部は各地の教育従事者に「それぞれの状況に合わせてこの祝日を祝ってよい」と通告した。

その後1951年になると、政府は5月1日のメーデーを「教師の日」とした。しかし、いかんせん「教師の日らしさ」がないため、これはうまくいかなかったとのこと。

さらに57年になると、いろいろな政治・思想状況の変化の影響により教師が社会的に尊重されなくなり、事実上「教師の日」はなくなったのである。 

時は流れて1981年、教師の仕事の重要性を指摘し「教師の日」を再び設ける必要性を指摘する動きが政府の中から生じ始める。

その結果、先に述べたように85年に、9月10日を新たな「教師の日」として、中国において教師を祝い尊ぶ日が復活するに至ったのである。

この際、何月何日を以て「教師の日」にするかという問題に関していろいろ議論があったようだ(マルクスの誕生日である5月5日にしようとか)。

結局、「新年度が始まってすぐに設定すれば新入生が入学してすぐ教師を尊ぶ活動ができる」という理由で、9月10日が選ばれたとのことである。 

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 概論的なことはここまでにしておこう。

私は2013年9月から中国で教師をしているので、今年が7回目の「教師の日」である。

私にとって人生初となる2013年のときには、そもそもが「教師の日」というものの存在を知らなかったので、いきなり学生さんから大きな花束やら「りらっくま」のライトやら、寄せ書きやら、いろいろもらってびっくりした。

だってまだ2週間しか教えてない学生さんたちからもらったんだもの。

ちょっと恥ずかしがりながらも嬉しさを覚える一方で、「いいのかなあ」と遠慮してしてしまった。 

「おれ、まだなにもしてないぜ」と。

その後の年にも、ありがたいことになんだかんだいろいろ貰ったりお祝いの言葉をかけていただいたりしてきた。

そうして「教師の日」を経験していくなかで考えたことだが、この「教師の日」という習慣はなかなか教育的な働きを持っている。 

つまり、学生諸君や社会にとっては「先生に何をあげるか」「どの先生にあげるか」「そもそもあげるかどうか」と頭を回転させることで「良い教師ってどんな教師だろうね」と考える機会になるし、教師にとっては「自分が学生にとって教師かどうか」を(目に見えるプレゼントや学生からのお祝いのメッセージの多寡というかたちで)反省する機会になるのである。 

何も貰えず祝いの言葉もかけてもらえないと、きっと「俺って教師として問題があるんじゃないの?」と嫌でも自覚するだろうからね。

 

などということを考えていると、3年生の学生さんたちからカーネーションを、4年生からは月餅(今週金曜日が中秋節だからね)をいただく。

ありがとうございます。

先生は素直に嬉しいです。

この気持ちは仕事でお返ししますので、今後とも宜しくね。

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