日記(11.1~3)
1日(金)
新しい月を迎え、2019年も残すところあと2月となった。
古諺曰く「歳月人を待たず」(中国語では“岁月不待人”)。
「歳月流るる如し」(“岁月如流”)なんてのもある。
ほんとうに時の流れは早いものですね。
私は今年32歳になる。
まだまだ若輩者ではあるが、なんだか年をとればとるほど時間の経過が早くなってきている。
「ジャネーの法則」の教える通りである。
「ジャネーの法則」とは、フランスの哲学者ポール・ジャネーとその甥であり心理学者であるピエール・ジャネーによるもので、これによると人間の主観的記憶による体感時間の長さは加齢すればするほど短くなるという。
私は心理学が専門ではないので「ジャネーの法則」の科学的真偽や評価について判断を下せる立場にはない。しかし一生活者として、これには実感を持って首肯できる。
とはいえ、この法則の根底にある「ではなぜ加齢すればするほど体感時間は短くなるのか」という問題に関してネット上に溢れている説明に私はちょっと納得がいかない(ジャネー自身の説明は読んだことがないからどんなものがわからないが)。
「なぜ加齢すればするほど体感時間は短くなるのか」という問いへの説明として散見されるのが、
「子どもの頃は経験が少なく新しい発見が多い。したがって記憶としての時間は長く感じる」
「大人になると経験を重ねたことでマンネリ化し新しい体験が少なくなる。そのため、印象的な記憶が減り、結果として時間が早く感じられる」
というものである。
私はこれらの説明の前段、つまり、
「子どもの頃は経験が少なく新しい発見が多い」
「大人になると経験を重ねたことでマンネリ化し新しい体験が少なくなる」
という説明には全く異論がない。
むしろこの部分に完全に同意するからこそ、そのあとに続く
「したがって記憶としての時間は長く感じる」
「そのため、印象的な記憶が減り、結果として時間が早く感じられる」
に対して、「え、逆じゃね?」と違和感を抱くのである。
ところが、この手の説明はネットだけでみられるわけではない。
たとえば19世紀イギリスの小説家、ジョージ・ギッシングなども以下のように述べている。
時がたつのが早いと思うようになるのはわれわれが人生に慣れ親しんだ結果である。子供の場合のように、毎日が未知な世界への一歩であれば、日々は経験の集積で長いものとなる。
岩波文庫編集部編『世界名言集』p364
引用元の『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読んだことがない私には前後関係がわからないので批評はできないけれど、うーん……。そうなのかなあ。なんか違う気がするんだけど。
私の場合、「未知」ゆえに時間は短く感じ、慣れ親しんだからこそ時間を長く感じる。
例を挙げよう。
たとえば、90分を文字通り「あっ」という間に感じさせる講義があるかと思えば、同じ90分間でも、まるで時計の分針をセメダインでくっつけたんじゃないかってぐらいに「時間が止まる」講義もある。
これはみなさん共感いただけるであろう。
なぜこんな体感の差が出るかというと、ようは前者の先生は話が「面白い」からであり、後者は「面白くないから」である(言うまでもない)。
では、なぜ前者の先生の話は面白いのか。
それはその先生の話が私にとって未知そのものであり、話を聞くことが私に新しい発見や新鮮さをもたらしてくれるからだ。
私は「知らないし、よくわからないけれど、なんか凄そう」な話に弱い。
なぜならば、そのようなお話は、私の「『自分は知らない』ということを知りたい」というメタレベルでの知的欲求を刺激するからである。
だから、それが大学の講義であろうと書籍であろうと映画やアニメであろうと、「よくわからんけど、なんかすごそう」なものに私はいとも簡単に引き込まれ、没入してしまう。
そうして引き込まれ没入することを通して無我夢中に未知を純粋に楽しむことで、私は新たな発見を達成し、新鮮さを得るのである。
しかし、実はこのとき私の意識にとって「私」も「ここ」も「今」も存在しない。
だって「無我夢中」なんだから。
アニメ版『ピンポン』第10話では、無名の主人公ペコと世界ユース五輪金メダリストであるドラゴンが対戦する。
第2セットまでは下馬評通りドラゴンが圧倒する。
しかし第3セットになると、ペコはようやく、
「そっか、技術や戦型うんぬんなんてどうでもいいや。相手は最強なんだから、楽しく遊べばいいだけじゃん」
と悟る。
そうして「卓球が誰よりも大好き!」という自らの初心を取り戻し、ドラゴンに対して一気に優勢となる。
対するドラゴンも純粋に卓球を楽しむペコに感化され始める。
そして、すっかり忘れてしまっていた父に卓球を教えてもらったころの楽しさを思い出し、「いま、ここ、私」からの飛翔を開始する。
ドラゴンはその境地をこう表現している。
全身の細胞が狂喜している。
加速せよ、と命じている。
加速せよっ…加速せよっ…!!
目には映らない物、耳では聞こえない音、集中力が外界を遮断する。
膨張する速度は静止に近い。
奴は当然のように急速な成長を遂げる。
反射する頭脳、瞬発する肉体……
しだいに引き離されてゆく……
徐々に置いてゆかれる感覚。
優劣は明確。
しかし、焦りはない。
全力で打球している。
全力で反応している。
怯える暇などない。
怯える必要などっ……
松本大洋『ピンポン』第5巻より
私の考えではこの感覚こそが没入であり、「無我の境地」への第一歩なのである。
ドラゴンは、これまで「親のため、家族のため、学校のため、会社のため、絶対に勝たねばならない」という狭い空間(劇中ではこれをトイレをメタファーとしていた)で卓球をやってきた。
当然ながら、そのような狭い空間では、いくら勝利を重ねようとも、楽しさや新鮮感など得られるはずがない。
なぜならば、そこは「いま、ここ、私」という既知の価値観がのっぺりと水平方向にひろがるだけの空間だからである。このような空間ではすべてが既知(親のため、家族のため、学校のため、会社のため、絶対に勝たねばならない)に還元されてしまう。だから、息苦しい。
しかしそんなドラゴンも、純粋に卓球を楽しむペコの導きによって、楽しさという「翼」を取り戻す。そして、その「翼」によって羽ばたき、これまでの狭い空間(トイレ)から「飛翔」し、抜け出すことに成功するのである。
こうして最終的にドラゴンは「音も色もない真っ白な空間」(アニメ版)に至るわけであるが、この一連の過程において、恐らくドラゴンの精神には時間概念など存在していない。
なぜならば時間を感じる「我」が「無い」状態こそが没入なのだから。
最後にドラゴンが「此処はいい…此処は素晴らしい」と呟くように、そこはまさに自由な「夢」のなかである。
いやあ、まったく『ピンポン』は素晴らしい。素晴らしすぎて私は職場の座右に全巻並べているほどである。
話がだいぶ脱線した。
ようは「楽しい」ときは主観的な時間の流れなど存在しない。
「楽しい」とは無我夢中な体験をしているときであり、無我夢中な体験とは「経験したことがない」からこそ「発見が多い」体験そのものである。
そう私は言いたいのである。
だからこそ、「子どもの頃は経験が少なく新しい発見が多いから、記憶としての時間は長く感じる」という説明に対して「逆じゃね?」と思うのである。
では、なぜ私は子どもの頃に時間を長く感じたのか。
それはおそらく大部分の時間を学校に拘束されていたからである。
学校では「みんな同じ時に、みんなと同じことを、みんなと同じように」やることを求められる。
したがって「つまんない」時間が構造的に生じるのである。
なぜ「つまんない」かというと、先生からやらされることだからであり、先生がやらせる時点で「意味があるのだ」と子ども心にでもわかってしまうからである。
しかし、本然的に未知とは「これが意味があるかどうかわかんね」という態度によってのみ純粋に認識可能なものであり、だからこそ私たちの知的欲求を激しく掻き立てるのである。
「これからやることには意味がある」と思った時点で、物事の未知性と我々の知的欲求は決定的に損なわれる。
だから無我夢中に取り組むことができなくなる。
「意味があるとわかるからやる気が出るのだ」などというのはお金や地位や名声という俗な動機によって動きだすことしかできなくなった大人の偏見である。実は、人間の根源的なやる気を刺激するのは「意味わかんないけど、なんか凄い」という未知の存在なのである。
それは子どもの頃を思い出せば誰だって思い当たる事である。
子どものやる気を損なっているのは「これには意味があるんだぞ」と物事の未知性を損なっている大人以外の何者でもない。
現に、私は図画工作などの「自由にしていいよ」という授業には喜々として没入し、時間が溶けるように飛び去っていったことを記憶している。
だとすれば私が現在「時間が過ぎるのって早いな」と感じている原因も理解できる。
それは毎日好き勝手に仕事させてもらっているからである。
私はここでは「アウトサイダー」であり「お客さん」である。
私のこの仕事には「昇進」など存在しないが、その代わり会議もなければノルマもない。
直接の上司であるO主任は「それぞれの教師がそれぞれ教えたいことを教えるべきだ」という素敵な信念をお持ちなので、「あれをしろ、これをするな」とガミガミいう存在もいない。
だから、本当にありがたいことに、私は心置きなく自由にお仕事をすることができる。
そういう環境のもとで、新しい授業方法を考えたり、原稿を書いたり、こういう身辺雑記を書いたりしていれば、かならず「新しい経験」があるし「発見」がある。
現に、こんな金にもならない駄文を綴るのに私は40分ほどキーボードを叩いているが、私はその間の時間経過をまったく実感できない。
だから時間が溶けてなくなる毎日を過ごすことができているのである。
それは私が子どもの頃に野山を自由に駆け回って遊んでいた時に、あっという間に日が暮れてしまったことと原理的には全く変わらない。
もし私が世間一般的なサラリーマンで、日々上司に言われた仕事をこなすだけの生活を送っていたら、きっと時間の経過を遅く感じだろう(ああ、想像しただけでも耐えられない)。
あ、なるほど。
そんな状態は苦痛すぎるから、大人は自己防衛本能として「麻痺」することで時間を感じなくなっているのである。
だから「時間が過ぎるのが早い」わけだ。
だって「麻痺」しているときに時間なんて感じようがないしね。
お、ちゃんと「オチ」がついたぞ。
なんて長い前置きはさておき、この日は9時すぎに起床。
シャワーを浴びてすぐさま大学へ行き仕事に取り掛かる。
まずはデスクの上に置いてあったO主任依頼の校正を片付ける。
次に「研究計画書の書き方」と題して、長い作文をする。
これはお隣のA大学から熊本大学に留学している学生さんに宛てたもの。
この学生さんとは一度だけお会いしたことがあり、ちょくちょくネットで交流はあったのだが、昨夜突然「私が書いた研究計画書を見てください」と連絡があった。
基本的に私は頼まれたことは「はいはい」と受け入れるので、自分の原稿書きや仕事に追われているにも関わらず、このときもホイホイと気軽に引き受けてしまった。
で、一読したかぎり、研究計画書に直接朱を入れるよりも文章形式でお話したほうが良いし早いような気がしたので、それをこれから作文するのである。
3時間度ほど机にかじりつき、「研究とは何か」をマクラに、研究計画書のフォーマットや求められる内容などについて最低限説明しつつ、「『なんかよくわからないけど、すごい。だからわかりたい』こそが創造性の源泉であり、それこそが人類を動物と決定的に分けたのではないか」という私の主観的で実証しようがない思弁で結ぶ。
数えてみると約8000字。
ふう。
肩が凝った。
「なんだってまた他校の学生のためにわざわざ」と思わなくもないが、でも「お願いします!」と頼られると断りきれないのが私の悪癖である(だから契約上断らなければならない他所での非常勤のお願いは非常に苦痛である。良心が痛むからもう誰も非常勤のお仕事の話は持ちこまないでね)。
考えてみると研究計画書の書き方についてこうやってじっくり書き出してみたのは初めてである(いつも学生さんに向かってぺらぺら喋ってはいるが、それだと形に残らない)。
というわけで、結果的にはいい機会だった。
筆を置き(おお、時代錯誤な修辞であることよ)時計を見ると15時を回った頃。
秋の午後が美しいので散歩にでる。
うちの大学キャンパスは合肥の旧市街地にあり、その歴史を感じさせる佇まいを保持している。
合肥も開発が進み、多くの大学が新しいキャンパスを作って他所に移っていった。
確かに歴史がある分不便さもあるが、古い建物と静かな環境が保たれているので、私はこっちのほうが好き。
新しい大学キャンパスというものは、如何に建物が壮大で煌びやかでも、そこに「どや、壮大で煌びやかやろ」という現代人の自意識が垣間見えて、私なんかには野暮に感じられる。
その点、古いキャンパスには風雪を耐え残ってきただけの威厳がある。
しかもその威厳は設計やらデザインやらをした当時の「現代人」の自意識に基づくものではなく、キャンパスに堆積してきた時間経過が醸し出すものなのである。
ありがちな結論だけれども、そういう自然な雰囲気が私は好きだ。
小一時間ほどで散歩を切り上げ仕事に戻り、18時ぐらいまで机にかじりつく。
18時に頭が疲れて「ガコン」と音を立て停まったので、今日はここまで。
スーパに寄りワインと鶏の足のハムとレタスを買い、家で『のだめ』のラストシーズンを見ながらいただく。
『のだめカンタービレ』の終盤(アニメ版3期10話)、のだめにコンセルバトワールでピアノを教えてきたオクレール先生と、のだめを気にかけてきた世界的指揮者シュトレーゼマンの会話を印象深く聞く。
宮崎駿がスタジオジブリで「宮崎駿の後継者」を育てられなかった理由がなんとなくわかる気がする。
オクレール先生がシュトレーゼマンに向けて言う「やっぱりあなたは悪魔だ。一人だけツヤツヤしちゃって」は、まさに宮崎駿にもあてはまるからだ。
どこかのドキュメンタリーのなかで、後継者がジブリのなかから育たなかったことについて、宮崎は「スタジオは人を喰うんですよ」と言っていた。
でも、こういっちゃなんだが、若いスタッフの力を喰ったのは明らかに彼自身だと私は思う。
まあでも、そもそもジブリそのものが「高畑勲と宮崎駿の映画を作るために作った」スタジオだから、しかたがないのかもしれない。
ジブリに迷い込んだ若者は、まるで『千と千尋の神隠し』で湯屋に迷い込んで湯婆婆に名前を奪われ、カオナシに喰われた存在のように、場の主である宮崎や高畑に喰われるしかなかったのだ。
そういえば、以前どこかのドキュメンタリーでジブリのプロデューサー鈴木敏夫が「『千と千尋』を作っている時に、宮さんがカオナシを中心にしようと言い出したが、僕はカオナシっていうのは宮さん本人なんじゃないかと思った」と言っていたな。
おお、そうか。
なるほど。
ひょっとして宮崎駿は、「人を喰う」自分をカオナシとして、そしてそんな自分が人を喰うジブリを湯屋とすることで、意識的にも無意識的にも反省しつつ『千と千尋』を描いたのかもしれない。
だとすれば、宮崎駿があの映画を創る際に使って「喰われた」才能は、未来に死すであろう自分を弔うために映画を作っていたということである。
つまり、宮崎駿の映画を形作りながら、同時に自らの墓穴を掘っていたのである。
怖い。
カオナシのことを千尋が「あの人、湯屋にいるからいけないの」と言っていたが、千尋風に言えば、宮崎駿だってジブリにいるからいけないのだ。
だとすればジブリの湯婆婆って、誰なんだろう。
そんなことを考える。
2日(土)
清々しい秋晴れに恵まれた土曜日。
7時半に起床。
良い天気なので、運動と頭のリフレッシュとを兼ねて、「秋を探しにサイクリングに行こう」ライドを決行する。
「行こう」という他者への呼びかけを伴う行為遂行的発語ではあるが、もちろん私一人で行くのである。
出発前にいつも立ち寄る近所の売店で店主のおっちゃんに「ひとりで行くの? 学生さん連れて行きなよ」と言われるが、い・や・だ。
他人と走ると気を遣う。
相手が学生さんならなおさらである。
もちろん、他人と走るのが楽しい時もあるし、学生さんと走るのが嫌いなわけではない。
ただ、そういうのはたまにだから面白いわけである。
ということで、今週も一人でロングライド。
ロングライドとは言っても今日は100km程度に収めよう。
メインは秋を味わうことなのだから。
ってなわけで、出発。
先週のロングライ(https://changpong1987.hatenadiary.com/entry/2019/10/30/113329)同様、まずは河川敷を通って長臨古鎮を目指す。
河川敷に沿って植わっている木々が美しく紅葉している。
河川敷の芝生化された部分では家族連れがBBQをしていて、肉が炭火で焼かれる香ばしい匂いが漂ってくる。
いいね。
私も家に1人用の小さな炭火コンロと網があるので、ロードバイクのサドルバックにそれらを詰めてBBQライドというのも一興である。
ただ、BBQとなると、やっぱビールなんだけれど、「乗るなら飲むな」だからなあ。
途中で上下ともばっちりとサイクルウェアに身を包み、ビンディングシューズ(足とペダルを固定する機能が付いた自転車専用シューズ)を履いたローディーとすれ違う。
この河川敷をロードで走るようになって3年ほどになるけれども、同じくロードに乗っている自転車乗りを初めて見にした。
自転車に興味がない方にご説明すると、ローディーとはロードバイクをけっこう本格的に趣味にしている人々を指す言葉である。
だから、私のようなちんちくりんにとっては恐れ多くて自称できない言葉なのです。
それに(これを言うと怒る方々もいらっしゃるだろうが)、私はあまり「ローディー」という言葉の響きが好きになれない。
私は学生時代にバンド活動をしていた。
バンド用語で「ローディー」とは、平たく言えば「雑用係」である(あ、この表現も怒られるな)。
だから私にとって「ローディー」とは、バンドで使う楽器とか機材の搬入やらなんやらしていて、ライブの時には舞台袖に控えているお付の人なのである。
というのもあるが、個人的には「ディー」という語尾の響きがちょっと好きになれない。
同じ理由で「スムージー」も苦手。
「ベーシスト」や「ギタリスト」はOK。
まあ、ようは「蓼食う虫も好きずき」、“There is no accounting for tastes.”であって、貧脚自転車乗りの戯言以上の意味はないとご理解頂ければ幸いである。
40kmほど走り古鎮に着く。
美しい水辺に心地よい木陰を発見し、しばし休憩&補給。
今日はそんなに走るつもりはないので、補給食としておにぎりを3つだけ持ってきた。
唐突に普段は全く口にしないコーラが飲みたくなったので、「ザリガニおにぎり」と一緒に頂く。
なんちゅう食い合わせだと一瞬思うが、まあザリガニだってアメリカから来ているわけだし、「同郷同士じゃん、へーきへーき」で済ます。
補給を済ませたあとは20分ほどのんびりと秋の風景を眺める。
小さな池のそばにおじさんたちが椅子を持ち出して魚釣りをしている。
幼い女の子がお母さんと手をつなぎ、池に架かっている石橋を何度も何度も往復している。
今年生まれたばかりの水鳥の雛たちは十分に成長し今では上手に飛べるようになったようである。これで冬が来る前に暖かいところへと移動できるね。
そろそろ私も移動しなくては。
古鎮を出発し、今来た道を引き返す。
毎度おなじみ「南肥河大橋」を渡ったところで、いつも目にするが入ったことがない脇道に入ってみようという気になる。
この脇道をずっと辿れば南肥河が巣湖へと注ぐポイントに至る。
川に沿って走ると最後の方はダートになっていた。
ロードバイクだとパンクが心配なのでコロコロと押しながら河口まで歩く。
大きな灯台がある。
堤防に「私有地なので釣り禁止!見つけたら罰金!」と書いてあるが、10人ほどの仲間連れが平気な顔をして釣りをしている(中国ではよくある光景)。
それともあの10人ほどがこの土地の所有者なのだろうか。
陽光が湖面に眩く揺れる。
私はそれをのんびり眺める。
5分ほどボーッとしたあと、先に進むことに。
この一帯は、すぐとなりに湿地公園という名の自然公園があることから分かるように、湿地帯である。
以前ネットで調べたところ、もともと湿地帯だったこの一帯を農民たちが耕作し畑にしたらしいのだが、自然保護のためにそれを再び湿地化させたらしい。
だからだろうか、湿地のなかに家や電柱が残っている。
なんだか『千と千尋の神隠し』の最後の方に出てくるシーンを彷彿とさせる。
湿地を過ぎて再びもと来た河川敷に戻ってくる。
このまま引き返すと100kmに10kmほど足りないので、ここで距離を稼ぐ。
その後、湿地公園の売店でオレンジジュースを購入し、反時計回りで巣湖に沿って南下。
地下鉄一号線の“九联圩”駅を目指す。
到着。
夏休み最後の土曜日にここから家まで歩いて帰ったことがあるので、家まで残り23kmだと身体を持って把握できる。
ここからは街の中を走るので安全第一。
で、帰宅。
100kmライドは長すぎず短すぎず、ちょうどいい。
100km走るとなると以前の私にとっては大変な困難だった。
30を過ぎても身体的に成長する余地があるのか。
嬉しい。
シャワーを浴びたあとスーパーに行く。
「鶏モツの煮込み」「サラダ」「レモンチューハイ」を購入。
読書しながらご飯を済ませる。
食後ベッドに移って読書を続けているうちにズルズルと寝付く。
おやすみなさい。
3日(日)
8時起床。
シャワーを浴びて大学へ。
仕事を進めなければならない。
久々にジャイアントの折りたたみ自転車をひっぱりだし大学へ。
昨日のロングライドで食べきれずに持ち帰ってきたローソンのおにぎり(シーチキン)とカップスープで朝食を済ませながら、まずは日記を書く。
そのあとに今編集している作文教科書について短い文章を書く。
主審を務めてくださる日本人の先生に私の意図を理解していただくための文章である。
いいたいことがたくさんあるのでなかなかまとまらない。
そうこうしているうちに11時半。
12時半から明珠広場にある西京屋にA外国語学院のK先生とお食事の予約を入れているので、折りたたみ自転車で向かう。
このお店は合肥の日本人駐在員がよく来る日本料理屋である。
お値段は高めだが料理は美味しい。
店内に流れる山本リンダ「狙い撃ち」、五輪真弓「恋人よ」などのBGMから、この店のお得意様が「日本のおじさん」であることが容易に読み取れるのである。
案内された一室がまるで政治家の密談に使われているような部屋(そうか?)。
K先生はご自身がホストを務める食事会には必ず30分前にはいらっしゃる律儀な方であるが、今日は私が店を予約したので5分前にいらっしゃる。
さすが。
もし私より早く着いて待っていたら私が気まずい思いをするからね。
貴重な日曜日の午後にK先生にわざわざお越しいただいたのは、私が主編を務める教科書の主審のひとりをK先生にお願いしたいからである。
寿司やら天ぷらやらを頂きつつ、さっそく本題に入る。
二つ返事で快く引き受けていただく。
感謝。
そのあと2時間ほどこの教科書についての説明やら教育の話やらでもりあがる。
2時半におひらき。
買い物をして変えるというK先生と別れ、私はカウンターで預かっていてもらったジャイアントを引き取り、組み立て、大学に戻る。
途中で渋滞に巻き込まれる。
本来自転車やバイクなどの二輪は渋滞など無縁の存在なのであるが、なぜだか知らないが二輪専用車道が渋滞している。
歩道を走ればよかったのだが、うっかり巻き込まれてしまい、後退もできずに数分立ち往生する。
と、なんだかんだあったものの40分ほどで無事に大学まで戻る。
その後18時前ぐらいまで原稿書き。
いつもどおりスーパーへ行き、夕食の食材とナイトキャップを仕入れ、帰宅。
明日は朝から6コマなので、早めに就寝。
おやすみなさい。